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恋の舞
不穏な影
暮らしの道具が揃い、紗江がまわしてくれる棒手振りの商人から野菜や魚介類を買うことができ、朝食を片桐家でとることができるようになった。
町に買い物に出かけなくても、ほとんどのものは手に入る。
ゆきのように、江戸に来たばかりでも困らなかった。
「やっぱいいねえ。うちで食う飯は」
平助がしみじみと噛みしめている。
「なんだ平助、ここはいつからお前のうちになったんだ」
「旦那の思いを代弁したんですよ。老婆やがいた頃は、こうして毎朝よばれていたっけ」
「あの、こんなものでよかったのでしょうか。料理は得意じゃなくて・・・」
白飯を炊き、味噌汁を作るだけで精一杯だったのだ。
あとは、紗江に分けてもらった糠床で漬けた漬物くらいである。
それと、夜、和馬が買ってきてくれる煮豆などのお惣菜がある。
「上等上等。ね、旦那」
「ああ、うまい」
「よかった」
ゆきは、ほっと胸を撫で下ろした。
片桐家に来てから、家事を何もかも一人でこなすことが、いかに大変か身にしみてわかったところだった。
すべてが、自分の采配でできるが、できなければできないまま。
自分の力量がどれほどのものかが一目瞭然なのだ。
今まで、大きな屋敷で、指示されて働いていた時には使わない頭を、たくさん使う。
まだ体が勝手に動いてくれるようになっていないために、時間がかかるのも難点だ。
「よかったあ。ゆきちゃんが笑ってて」
平助がゆきを見て、笑顔になった。
「旦那はこちんこちんの堅物だからさあ、窮屈なんじゃねえかって心配してたんだ」
「そりゃ、悪かったな」
「ちゃんと会話してます? ああ、とか、うん、とかしか言わないんじゃねえですかい?」
ゆきは思わず吹き出した。
「やっぱりなあ」
「そんなことはない」
和馬がむっとしたが、苦笑になっている。
「平助さんがいてくださるおかげで助かっています」
「そうかい。いや、そうだろうなあ。時々、お邪魔じゃねえかと思っちまうんですがね」
後ろ首に手をやって、照れ笑いする。
「気を回すな。らしくもない」
「そうですね。らしくねえや。お役に立っているようなんで、これからもお邪魔しやす」
ゆきは、三人で過ごすときが、何より楽しかった。
和馬の普段の気取らない姿が見られるし、平助が笑わせようとしてくるから、自然と笑顔になれた。
それが、朝の日課になった。
ところが、そんな暮らしにも慣れてきたある日、平助が険しい顔でやってきた。
和馬の顔を見るなり、報告した。
「気が向いた時に、お染を探しているんですが、あっしの他にも、探している者がいるらしいんで」
「なんだと? そいつは何もんだ」
「月代の伸びた浪人のようです」
「浪人?」
茶碗に、飯をよそう手が止まった。
「どうしやしょう」
「お染は、何者かに追われているのか・・・」
二人の視線がゆきに集まった。
「だから、姿を隠し、名乗るに名乗り出られないのかもな。ゆきは何か聞いていないか」
首を振るしかなかった。
「知っていたら話すよな」
「叔母さまとは、名古屋から江戸まで一緒に旅をしただけで、それまではずっと便りすらなくて、会ったこともありませんでした」
「そうか。何か困っていた様子はなかったか」
「・・・わかりません」
うつむいた。
お染もおしゃべりな質ではなく、当たり障りのないことしか話していない。
それでも何か、心配事を隠しているようには見えなかった。
「急いだ方がいいかもしれん。とにかく、お染を見つけよう。そいつよりも早くな」
「へい。あっしらにかかれば、ちょろいもんよ。ゆきちゃんは心配しなくてもいいから。任せておくんな」
「はい。お願いします」
「よし、飯!」
平助が催促した。
にわかにわいてきた暗雲が、じわじわと大きく広がってくるような気がした。
何かが来る。
そんな予感が、消しても消してもわいてきた。
それはきっと、追われているかもしれない叔母の話を聞いたからだろう。
気になって仕方がなかった。
でも、その不安を、和馬には話していない。
叔母のことで走り回ってくれている和馬に、これ以上心配をかけたくなかったし、話してどうなるものでもなかった。
それこそ雲を掴むような話だ。
湯屋に行く時か、紗江に聞きたいことがある時くらいしか、一人で出歩かないゆきだったが、組屋敷を出ると、誰かに見られているような気配を感じるようになった。
それは、好奇な眼差しではない。
もっと異質のものだった。
不安が拭えないから、感じてしまうのかもしれない。
本当は、なんでもないのに、揺れるススキを幽霊と間違えるように。
けれども、それは、見間違いではなかった。
湯屋からの帰り道、ゆきの行くてを遮るように、人が立ちはだかった。
はっとした。
それは浪人だったからだ。
見たことはない。
が、浪人は、ゆきを知っているような顔をした。
「お紺、か・・・」
浪人が口にしたのは、母の名だった。
町に買い物に出かけなくても、ほとんどのものは手に入る。
ゆきのように、江戸に来たばかりでも困らなかった。
「やっぱいいねえ。うちで食う飯は」
平助がしみじみと噛みしめている。
「なんだ平助、ここはいつからお前のうちになったんだ」
「旦那の思いを代弁したんですよ。老婆やがいた頃は、こうして毎朝よばれていたっけ」
「あの、こんなものでよかったのでしょうか。料理は得意じゃなくて・・・」
白飯を炊き、味噌汁を作るだけで精一杯だったのだ。
あとは、紗江に分けてもらった糠床で漬けた漬物くらいである。
それと、夜、和馬が買ってきてくれる煮豆などのお惣菜がある。
「上等上等。ね、旦那」
「ああ、うまい」
「よかった」
ゆきは、ほっと胸を撫で下ろした。
片桐家に来てから、家事を何もかも一人でこなすことが、いかに大変か身にしみてわかったところだった。
すべてが、自分の采配でできるが、できなければできないまま。
自分の力量がどれほどのものかが一目瞭然なのだ。
今まで、大きな屋敷で、指示されて働いていた時には使わない頭を、たくさん使う。
まだ体が勝手に動いてくれるようになっていないために、時間がかかるのも難点だ。
「よかったあ。ゆきちゃんが笑ってて」
平助がゆきを見て、笑顔になった。
「旦那はこちんこちんの堅物だからさあ、窮屈なんじゃねえかって心配してたんだ」
「そりゃ、悪かったな」
「ちゃんと会話してます? ああ、とか、うん、とかしか言わないんじゃねえですかい?」
ゆきは思わず吹き出した。
「やっぱりなあ」
「そんなことはない」
和馬がむっとしたが、苦笑になっている。
「平助さんがいてくださるおかげで助かっています」
「そうかい。いや、そうだろうなあ。時々、お邪魔じゃねえかと思っちまうんですがね」
後ろ首に手をやって、照れ笑いする。
「気を回すな。らしくもない」
「そうですね。らしくねえや。お役に立っているようなんで、これからもお邪魔しやす」
ゆきは、三人で過ごすときが、何より楽しかった。
和馬の普段の気取らない姿が見られるし、平助が笑わせようとしてくるから、自然と笑顔になれた。
それが、朝の日課になった。
ところが、そんな暮らしにも慣れてきたある日、平助が険しい顔でやってきた。
和馬の顔を見るなり、報告した。
「気が向いた時に、お染を探しているんですが、あっしの他にも、探している者がいるらしいんで」
「なんだと? そいつは何もんだ」
「月代の伸びた浪人のようです」
「浪人?」
茶碗に、飯をよそう手が止まった。
「どうしやしょう」
「お染は、何者かに追われているのか・・・」
二人の視線がゆきに集まった。
「だから、姿を隠し、名乗るに名乗り出られないのかもな。ゆきは何か聞いていないか」
首を振るしかなかった。
「知っていたら話すよな」
「叔母さまとは、名古屋から江戸まで一緒に旅をしただけで、それまではずっと便りすらなくて、会ったこともありませんでした」
「そうか。何か困っていた様子はなかったか」
「・・・わかりません」
うつむいた。
お染もおしゃべりな質ではなく、当たり障りのないことしか話していない。
それでも何か、心配事を隠しているようには見えなかった。
「急いだ方がいいかもしれん。とにかく、お染を見つけよう。そいつよりも早くな」
「へい。あっしらにかかれば、ちょろいもんよ。ゆきちゃんは心配しなくてもいいから。任せておくんな」
「はい。お願いします」
「よし、飯!」
平助が催促した。
にわかにわいてきた暗雲が、じわじわと大きく広がってくるような気がした。
何かが来る。
そんな予感が、消しても消してもわいてきた。
それはきっと、追われているかもしれない叔母の話を聞いたからだろう。
気になって仕方がなかった。
でも、その不安を、和馬には話していない。
叔母のことで走り回ってくれている和馬に、これ以上心配をかけたくなかったし、話してどうなるものでもなかった。
それこそ雲を掴むような話だ。
湯屋に行く時か、紗江に聞きたいことがある時くらいしか、一人で出歩かないゆきだったが、組屋敷を出ると、誰かに見られているような気配を感じるようになった。
それは、好奇な眼差しではない。
もっと異質のものだった。
不安が拭えないから、感じてしまうのかもしれない。
本当は、なんでもないのに、揺れるススキを幽霊と間違えるように。
けれども、それは、見間違いではなかった。
湯屋からの帰り道、ゆきの行くてを遮るように、人が立ちはだかった。
はっとした。
それは浪人だったからだ。
見たことはない。
が、浪人は、ゆきを知っているような顔をした。
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