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恋の舞
心残り
いつものように、朝が来て、何事もなく、いつもの一日が始まった。
二人の中では、何も変わっていない。
「あれ? ゆきちゃん、帰ってたんだ。よかった」
平助が驚いたが、満面の笑みになった。
「旦那ひとりぼっちだと思って、朝飯迎えに来たんだけど・・・ごちになりやす」
用意されている膳の前に座ると、ゆきが茶碗を差し出す。
「本当によかった。元気そうで」
眩しそうに、ゆきを見た。
「でも旦那、お染が見つかったんだから、その・・・」
「ああ。お染が引き取るそうだ」
「そうですか・・・やっぱり」
平助がうつむいて、茶碗を持ったまま、箸を取らずに目をこすった。
「泣くな」
「あっしは旦那の気持ちを代弁してんですよ」
「バカっ」
「ゆきちゃんもそれでいいのかい? 芸者にはならないって、言ってたんじゃ・・・」
「・・・」
ゆきの顔も曇る。
「事情が変わったんだ。今までは引き取り手のいないゆきを保護する名目があったが、お染が出てきたからにはそうもいかない。それに、紗江を説得できるか?」
「いや、それは・・・無理」
お染が見つかるまでという約束を覆すのは、至難の業だ。
紗江に口で敵うわけがない。
家に戻ってきても、別れはすぐにやってくる。
平助は肩を落とした。
いつもよりも食欲がないようで、飯をおかわりしなかった。
昼過ぎになって、紗江がやってきた。
箒で庭をはいていると、無言で近づいてきた紗江が、そっと抱きしめてきた。
「なんてこと・・・辛かったでしょう。ほんと、兄上ったら情けないわ。ごめんなさいね。八丁堀の名折れよ。浪人者にむざむざと・・・」
一気にまくし立てた。
「紗江さま・・・」
紗江はもう、何もかも知っているという口ぶりだった。
「でも、叔母さまが見つかってよかったわね」
「はい」
「芸者になるのかしら」
「・・・」
「やはり、芸者になろうとする人は、強いのね」
紗江はゆきをまじまじと眺めた。
好奇心と、憐れみが入り混じっている。
「もっと落ち込んでいると思って来たのだけど・・・」
言いにくそうに、口ごもった。
「元気そうでよかったわ」
落ち込んでいないわけはない。
武家の娘なら、自害する人がいないとは言えない辱めを受けたのだ。
もっと泣けばよかったのだろうか。
でも、泣いていても何もならないことを、ゆきは知っている。
さんざん泣いてきたのだ。
紗江は、不思議なものを見るような目をした。
何も変わらないように見えるゆきに、違和感を覚えるのかもしれない。
どうしてそんなに平気な顔でいられるのか。
この子は、やっぱりそういう子なのだ、と。
それが、大方の見方なのだろう。
私は、普通の感覚とは、ずれているのか。
違う。
ただ、和馬のそばにいたいだけだ。
でも、もう、それも終わり。
「短い間でしたが、お世話になりました」
その目から逃れるように、ゆきは頭を下げた。
もうここには居させない、と紗江は思っているだろうか。
何度も奉公先を変えてきた、勘が働く。
そのうち、芸者の子が、旦那を誘惑していると噂が立つ。
武士は体面を何よりも重んじる。
変な噂が立っては、片桐家の家名に傷がつく。嫁に来る人がいなくなる。
投げつけられる言葉まで想像できてしまう。
わかっていたのに、慣れているはずなのに、胸が痛んだ。
そんな世間の目に耐えられるか、と何度も問われても、踏みとどまってきた。
それなのに・・・。
もう遅い。
身に降りかかったことを、なしにはできない。
嵐はまだ、終わっていなかったのだ。
いたたまれなくなったのは、ゆきの方だった。
紗江の顔が見られなくて、屋敷を飛び出した。
(もうここには、居場所がない)
ここが唯一の居場所だと思ってきたのに。
家族になりたいという夢は、どうしても叶えられないのだ。
夢を見てしまった自分は、なんて馬鹿なんだろう。
永代橋の袂に来てしまった。
橋を渡れば、向こうは深川だ。
橋の中ほどまできて、立ち止まった。
大川が海にそそぐ。
(私には、もう、舞しかない)
この橋を渡って行こう。
芸者になろう。
覚悟を決めた。
仕方なくではなくて、自分の足で歩いていくと決めた。
でも、まだ、心残りが。
(和馬さま・・・)
ゆきは、引き返した。
この橋を渡ったら、もう二度と会えないかもしれないのだ。
そのまま、湯屋に向かった。
二人の中では、何も変わっていない。
「あれ? ゆきちゃん、帰ってたんだ。よかった」
平助が驚いたが、満面の笑みになった。
「旦那ひとりぼっちだと思って、朝飯迎えに来たんだけど・・・ごちになりやす」
用意されている膳の前に座ると、ゆきが茶碗を差し出す。
「本当によかった。元気そうで」
眩しそうに、ゆきを見た。
「でも旦那、お染が見つかったんだから、その・・・」
「ああ。お染が引き取るそうだ」
「そうですか・・・やっぱり」
平助がうつむいて、茶碗を持ったまま、箸を取らずに目をこすった。
「泣くな」
「あっしは旦那の気持ちを代弁してんですよ」
「バカっ」
「ゆきちゃんもそれでいいのかい? 芸者にはならないって、言ってたんじゃ・・・」
「・・・」
ゆきの顔も曇る。
「事情が変わったんだ。今までは引き取り手のいないゆきを保護する名目があったが、お染が出てきたからにはそうもいかない。それに、紗江を説得できるか?」
「いや、それは・・・無理」
お染が見つかるまでという約束を覆すのは、至難の業だ。
紗江に口で敵うわけがない。
家に戻ってきても、別れはすぐにやってくる。
平助は肩を落とした。
いつもよりも食欲がないようで、飯をおかわりしなかった。
昼過ぎになって、紗江がやってきた。
箒で庭をはいていると、無言で近づいてきた紗江が、そっと抱きしめてきた。
「なんてこと・・・辛かったでしょう。ほんと、兄上ったら情けないわ。ごめんなさいね。八丁堀の名折れよ。浪人者にむざむざと・・・」
一気にまくし立てた。
「紗江さま・・・」
紗江はもう、何もかも知っているという口ぶりだった。
「でも、叔母さまが見つかってよかったわね」
「はい」
「芸者になるのかしら」
「・・・」
「やはり、芸者になろうとする人は、強いのね」
紗江はゆきをまじまじと眺めた。
好奇心と、憐れみが入り混じっている。
「もっと落ち込んでいると思って来たのだけど・・・」
言いにくそうに、口ごもった。
「元気そうでよかったわ」
落ち込んでいないわけはない。
武家の娘なら、自害する人がいないとは言えない辱めを受けたのだ。
もっと泣けばよかったのだろうか。
でも、泣いていても何もならないことを、ゆきは知っている。
さんざん泣いてきたのだ。
紗江は、不思議なものを見るような目をした。
何も変わらないように見えるゆきに、違和感を覚えるのかもしれない。
どうしてそんなに平気な顔でいられるのか。
この子は、やっぱりそういう子なのだ、と。
それが、大方の見方なのだろう。
私は、普通の感覚とは、ずれているのか。
違う。
ただ、和馬のそばにいたいだけだ。
でも、もう、それも終わり。
「短い間でしたが、お世話になりました」
その目から逃れるように、ゆきは頭を下げた。
もうここには居させない、と紗江は思っているだろうか。
何度も奉公先を変えてきた、勘が働く。
そのうち、芸者の子が、旦那を誘惑していると噂が立つ。
武士は体面を何よりも重んじる。
変な噂が立っては、片桐家の家名に傷がつく。嫁に来る人がいなくなる。
投げつけられる言葉まで想像できてしまう。
わかっていたのに、慣れているはずなのに、胸が痛んだ。
そんな世間の目に耐えられるか、と何度も問われても、踏みとどまってきた。
それなのに・・・。
もう遅い。
身に降りかかったことを、なしにはできない。
嵐はまだ、終わっていなかったのだ。
いたたまれなくなったのは、ゆきの方だった。
紗江の顔が見られなくて、屋敷を飛び出した。
(もうここには、居場所がない)
ここが唯一の居場所だと思ってきたのに。
家族になりたいという夢は、どうしても叶えられないのだ。
夢を見てしまった自分は、なんて馬鹿なんだろう。
永代橋の袂に来てしまった。
橋を渡れば、向こうは深川だ。
橋の中ほどまできて、立ち止まった。
大川が海にそそぐ。
(私には、もう、舞しかない)
この橋を渡って行こう。
芸者になろう。
覚悟を決めた。
仕方なくではなくて、自分の足で歩いていくと決めた。
でも、まだ、心残りが。
(和馬さま・・・)
ゆきは、引き返した。
この橋を渡ったら、もう二度と会えないかもしれないのだ。
そのまま、湯屋に向かった。
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