蟠龍に抱かれて眠れ

鍛冶谷みの

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 片瀬景三郎けいざぶろうは、ぼんやりと町を歩いていた。
 前を行く増蔵に遅れないように気をつけているだけだ。
 あの日から一年が経っていた。
 十六になった。前髪だったのが、手入れをせずに伸ばした髪を無造作に束ねただけの、薄汚れた浪人姿に変わっている。
 垂らした前髪が顔を半分隠していて、ちょっと見ただけでは、景三郎だと気づかれることはない。

 桑名は東海道の宿場町であり、伊勢神宮への東の玄関口でもあるので、旅人の数は相当なものである。
 道を行き交う人の波に呑み込まれてしまいそうだ。
「どうした」
 増蔵が振り向いて声をかけた。
 苦笑が浮かんでいる。


 あの日、とは、父片瀬兵衛介ひょうえのすけが切腹した日だ。
 あまりにも突然のことに、景三郎はわれを失った。
 葬儀のうちは呆然とおとなしくしていたが、一段落して、親戚のものたちがほっとしたのも束の間、刀をつかんで飛び出そうとした。
「おい、どこへ行く!」
「ご家老、吉村様のところへ」
「ならぬ。行ってはならぬぞ!」
 伯父たちの制止を聞かずに押し通ろうとした。
「堪えよ、景三郎!片瀬の家を潰す気か」
「行かせて下さい!このままでは、父上が浮かばれませぬ。訳を聞きに行くことが、何故なにゆえならぬのですか」
「そなたが行ったとて何になる。体良くあしらわれるに決まっておる」
「できませぬ。このまま黙っていることなど、できませぬ」
 とうとう泣き出した。
 評判の美少年が悲嘆にくれるさまは、同情を集めたが、それでおとなしくなる景三郎ではなかった。
 暴れて抵抗したが、数人がかりで取り押さえられて柱に縛り付けられた。
 その夜は嵐になった。
 親戚たちも慌てて屋敷へ帰っていき、景三郎と、下僕の加平次だけが残された。
 加平次は、母親のいない景三郎の母親がわりとなって育ててくれた爺やだった。
「加平次、縄を解いてくれぬか」
 握り飯を持ってきてくれた爺やに言った。
 解いてはならぬと言われているのだろう。加平次は首を横に振った。
「頼むよ。こんな嵐に、何にもできないだろう」
 桑名は嵐に弱い。
 揖斐川、長良川、木曽川の三大川が海に流れ込む西の端、揖斐川の河口に接して城下町がある。
 尾張熱田から渡し舟が出ると、まず見えてくるのが桑名城で、城を起点に扇のように町が広がっている。
 町そのものも堀で囲われているので、まるで水上に浮かんでいるように見えた。
 常に水の脅威にさらされている。
 風雨が激しく雨戸を叩いていた。
「若さま・・・」
 それでも加平次は首を横に振った。
 これくらいのことで、景三郎がおとなしくならないと知っているのだ。
「世話になったな。もう、片瀬の家はなくなるやもしれぬ。国に帰ってのんびり暮らすが良い」
「何をおっしゃいます。吉村右京さまにご相談なされては」
 吉村右京は、筆頭家老、吉村又右衛門の末子で、景三郎とは同じ道場で剣を学んでいる。
 藩士たちが多く通う道場だが、その中でも一番仲がよく、うまがあった。
 景三郎が、ご家老に会いに行くと言ったのは、右京から、
「兵衛介どのが、親父と会っていたようだが、何かあったのか」
 と、こちらが問う方だろうと言いたくなるような言葉を聞いていたからだった。
「それはどういうことだ」
 聞き返す景三郎に、右京は、
「知らないのか。俺にまつりごとを聞くな。俺が親父に何かを聞いたとて、答えてくれるわけがなかろうが。屋敷で兵衛介どのを見かけて、何だろうと思っただけだ。何もなければいいがな」
 と、お気楽なことを言っていた。
 右京に相談したことろで、何もわからないだろう。ご家老本人に聞くしかない。
(なぜ父上は、何も言わずに逝ってしまったのだろう)
 悔しくてたまらない。
「加平次、わかった。右京に相談してみるよ。わかったから、縄を解いてくれるよな」
 景三郎の言葉にホッとしたのか、加平次が縄を解いた。
「ありがとう。恩に着るよ」
 と抱きつくと、次の瞬間、鳩尾に当て身をくわせた。
「すまぬ・・・達者でな」
 そっと横たえ、灯りを吹き消した。


 一年前のあの日、屋敷を出たきり戻ってはいない。
 右京にも会っていない。
 あの夜、ご家老の屋敷にたどり着けなかったのだ。
 吉村の屋敷は、大手門の内側にあり、城の中と言ってもいい。
 門のすぐ内側は奉行所になっており、宿直とのいが居るはずなのだが、戸をどんなに叩いても、喚いても開けてはくれなかった。
 激しい風雨にさらされて、倒れそうになりながら、己の浅はかさを呪った。
 別の門の方へ回ろうかとも思ったが、もうそんな気力もなくなってきた。
(俺は何をやってるんだ!)

 景三郎の行手を阻んだ大手門が、見えている。




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