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刺し込まれた刃
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いつの間にか夜になっていた。
若党が静かに部屋に入ると、灯りを灯していった。
「しかし、両方を断るわけにはいかぬ。なぜだかわかるか。片瀬家の生きる道がなくなるからだ。又右衛門の意に従い、片瀬の家名を残すことを選べば、幽閉同然の暮らしが待っていよう。だが、それはそなたの性格から考えても無理がある」
藩士の子弟の多くが通う道場で、めきめきと頭角を表し強くなっていった。
身分の垣根を越えて、吉村右京とも対等に付き合うことができる。目立たないはずがない。
今更隠すことなどできないだろう。
「されど、兵衛介が判断に困って死を選んだと思うのは早計というもの。軽々しく死を選ぶ男ではござらぬ。ましてや乱心などでもない。己の死がもたらす効果を計算し尽くした上での決行でござる」
涙を溜めた目が、式部を睨みつけていた。
燭台の炎がゆらめき、その瞳をキラキラ輝かせている。
ゾクゾクした。
その胸に、事実という鋭い刃を刺し込まなければならない。
どんな結果を招くことになっても。それが式部の仕事だ。
「己の主張を通すためには、兵衛介は平然と生きていなければならなかった。死ねば事実を認めることになる。だが、兵衛介はあえて死を選んだ。決行の日の七月十八日は、光徳院さまのご命日。殉死という形で、生き証人である己を葬ることで、事実を見せつけ、同時に証拠を抹殺したのだ。もはや確かめる術はなくなった。確たる証拠もなしに片瀬景三郎を処分できない。できることは、切腹を咎として、片瀬家を潰し、放逐することぐらいだ。そしてそうなれば、それがしにも手は出せぬ。あとはどう生きようと勝手次第。兵衛介は全てをそなたに委ねたのだ。兵衛介が死を選んだのは、そなたを信じていたから。そうは思わぬか」
涙が頬を伝い落ちた。
言葉を発すれば、崩壊しそうな危ういところで堪えている。
「これはあくまでも推測ゆえ、信じよとは言わぬ」
「もういい・・・わかった。わかったから、やめてくれ・・・俺のためなんだな。父上を殺したのは俺なんだ」
嗚咽になった。
体を支えきれずに、畳に突っ伏した。
そうだ。刺し込んだ刃の痛みに、のたうち回って苦しむだろう。
その刃を溶かし、腹に収めることができるか。
できなければ、全てが終わりだ。
兵衛介だけでなく、式部も景三郎に全てをかけていた。
部屋を出ると、若党が控えていた。
「伊織、あとは頼む」
「はい」
ここは極楽なんかじゃなかった。
地獄だ。
身体が受け止めきれない。
食べ物も水さえも受け付けなくなった。
気持ち悪くなって、吐くことを繰り返した。
苦しい。このまま死ねたら楽になるのに。
「伊織、俺を殺してくれ」
世話をしてくれる伊織に何度言っただろう。
そのたびに、子供をあやすように抱きしめてくれた。
「ここで死んではなりませぬ」
「・・・わかってる」
頭ではわかっているのだ。
だが、どうしていいかわからない。
嘘だと言って欲しい。
何もかもなかったことにしてほしい。
でも、父はもう帰ってこないのだ。
(父上・・・俺はそんなに強くない。かいかぶりだ)
受け止められない。
怖くて怖くてたまらないのだ。
このままでは前に進むこともできない。
縁に座り、柱にもたれかかって庭をぼんやり眺めている。
緑の色が薄くなり、秋の色に変わろうとする葉が、風もないのに落ちてくる。
もう何日そうしているだろうか。
終わりが見えないというのは、こんなにも不安になるものなのか。
ぱん、ぱん。
と、乾いた音が響いてきた。
(竹刀の音・・・)
聞き慣れた懐かしい音だ。
庭に降りた。
音のする方に体が勝手に動いた。
剣術の稽古だ。
式部が、小姓たちに稽古をつけていた。
眺めていると、ふらふらだった足元に力が蘇ってくるようだった。
小姓たちは式部に鍛えられているせいか、さすがによく遣う。
そのことがいっそう、闘争心を掻き立てる。
「やってみるか」
式部が竹刀を渡してくれた。
振りかぶり、素振りをしてみたが、腕に力が入らず、力強さがない。
少年たちに笑われている。
「三人まとめてかかって来い」
景三郎が挑発すると、少年たちがいっせいに構えをとった。
無心に向き合ううちに、道場で修行した日々の記憶が体に蘇ってくる。
(強くなりたい)
だが、立っているだけなのに、息が上がってきた。
「やあっ!」
打ち込みがきた。
一撃をかわし、小手を打ち据え、もう一人は肩を、もう一人が打ち掛かってきたところをかわし、踏み込んで胴をとらえた。
肩で息をしながら、竹刀の先を式部に向ける。
三人を打ち負かした刺激が引き金となって、怒りの矛先が外に向く。
「立ち合え!」
「そのようなふらふらの構えで、それがしに勝てると思うのか」
勝つとか負けるとかじゃない。
いったん外へ出ようとする思いを、もはやとどめておくことはできない。
勝負ではなく、八つ当たりに近い。
式部が竹刀を手に取った瞬間に襲いかかった。
力任せに押したので、鍔元で受け止められ、横へいなされた。
踏ん張りがきかず体勢が崩れ、地面に這う。
「それでは人は斬れぬ」
立ち上がって、打ちかかる。
「脇が甘い。太刀筋が丸見えだ」
何度も打ち据えられ、地に這った。
体がついていかなかった。
それでも景三郎はやめなかった。
「まだだ!手を抜くことは許さん!」
激情がおさまらない。
式部は、竹刀を捨てると、景三郎の襟を掴んで池のそばまで引きずっていった。
「そのように激昂しておっては、討てるものも討てはせぬ。頭を冷やせ」
池に放り込んだ。
清水を引き込んだ池で、膝の上あたりまでの深さがある。
式部もすかさず入っていき、景三郎を捕まえると頭を水の中に沈めた。
引き上げられたところで喚く。
「討つって誰を討つんだよ。役立たずの俺を討てよ!生きてたって誰のためにもならないんだ」
「それがどうした!」
また水に沈められる。
「甘ったれるな!その程度の器なら、生きていても仕方ない。兵衛介も死に損だな。死ぬる価値もないわ」
「そうだ、今頃気付いたのか。ばーか!」
胸ぐらを掴まれて、水の中に突っ込まれた。
意識が薄れてくる。
(言いたいことは、そんなことなのか。違う。己を責めたところで何も変わりはしない。父上は、生きろと託してくれたんじゃないのか)
朦朧とする意識下で、何かが目覚めようとする感覚があった。
言ってしまえ、とその声がそそのかす。
「貴様の目的は何だ!俺を使って何か企んでるんだろう。その手には乗らない!俺は、光徳院さまじゃない!好きなように生きる。誰にも邪魔はさせないっ」
ふり絞るように言い切ると、張り詰めた糸が切れたように意識が遠のいた。
「生きる・・・か」
力を失った景三郎の体を抱きしめて、式部が震えた。
若党が静かに部屋に入ると、灯りを灯していった。
「しかし、両方を断るわけにはいかぬ。なぜだかわかるか。片瀬家の生きる道がなくなるからだ。又右衛門の意に従い、片瀬の家名を残すことを選べば、幽閉同然の暮らしが待っていよう。だが、それはそなたの性格から考えても無理がある」
藩士の子弟の多くが通う道場で、めきめきと頭角を表し強くなっていった。
身分の垣根を越えて、吉村右京とも対等に付き合うことができる。目立たないはずがない。
今更隠すことなどできないだろう。
「されど、兵衛介が判断に困って死を選んだと思うのは早計というもの。軽々しく死を選ぶ男ではござらぬ。ましてや乱心などでもない。己の死がもたらす効果を計算し尽くした上での決行でござる」
涙を溜めた目が、式部を睨みつけていた。
燭台の炎がゆらめき、その瞳をキラキラ輝かせている。
ゾクゾクした。
その胸に、事実という鋭い刃を刺し込まなければならない。
どんな結果を招くことになっても。それが式部の仕事だ。
「己の主張を通すためには、兵衛介は平然と生きていなければならなかった。死ねば事実を認めることになる。だが、兵衛介はあえて死を選んだ。決行の日の七月十八日は、光徳院さまのご命日。殉死という形で、生き証人である己を葬ることで、事実を見せつけ、同時に証拠を抹殺したのだ。もはや確かめる術はなくなった。確たる証拠もなしに片瀬景三郎を処分できない。できることは、切腹を咎として、片瀬家を潰し、放逐することぐらいだ。そしてそうなれば、それがしにも手は出せぬ。あとはどう生きようと勝手次第。兵衛介は全てをそなたに委ねたのだ。兵衛介が死を選んだのは、そなたを信じていたから。そうは思わぬか」
涙が頬を伝い落ちた。
言葉を発すれば、崩壊しそうな危ういところで堪えている。
「これはあくまでも推測ゆえ、信じよとは言わぬ」
「もういい・・・わかった。わかったから、やめてくれ・・・俺のためなんだな。父上を殺したのは俺なんだ」
嗚咽になった。
体を支えきれずに、畳に突っ伏した。
そうだ。刺し込んだ刃の痛みに、のたうち回って苦しむだろう。
その刃を溶かし、腹に収めることができるか。
できなければ、全てが終わりだ。
兵衛介だけでなく、式部も景三郎に全てをかけていた。
部屋を出ると、若党が控えていた。
「伊織、あとは頼む」
「はい」
ここは極楽なんかじゃなかった。
地獄だ。
身体が受け止めきれない。
食べ物も水さえも受け付けなくなった。
気持ち悪くなって、吐くことを繰り返した。
苦しい。このまま死ねたら楽になるのに。
「伊織、俺を殺してくれ」
世話をしてくれる伊織に何度言っただろう。
そのたびに、子供をあやすように抱きしめてくれた。
「ここで死んではなりませぬ」
「・・・わかってる」
頭ではわかっているのだ。
だが、どうしていいかわからない。
嘘だと言って欲しい。
何もかもなかったことにしてほしい。
でも、父はもう帰ってこないのだ。
(父上・・・俺はそんなに強くない。かいかぶりだ)
受け止められない。
怖くて怖くてたまらないのだ。
このままでは前に進むこともできない。
縁に座り、柱にもたれかかって庭をぼんやり眺めている。
緑の色が薄くなり、秋の色に変わろうとする葉が、風もないのに落ちてくる。
もう何日そうしているだろうか。
終わりが見えないというのは、こんなにも不安になるものなのか。
ぱん、ぱん。
と、乾いた音が響いてきた。
(竹刀の音・・・)
聞き慣れた懐かしい音だ。
庭に降りた。
音のする方に体が勝手に動いた。
剣術の稽古だ。
式部が、小姓たちに稽古をつけていた。
眺めていると、ふらふらだった足元に力が蘇ってくるようだった。
小姓たちは式部に鍛えられているせいか、さすがによく遣う。
そのことがいっそう、闘争心を掻き立てる。
「やってみるか」
式部が竹刀を渡してくれた。
振りかぶり、素振りをしてみたが、腕に力が入らず、力強さがない。
少年たちに笑われている。
「三人まとめてかかって来い」
景三郎が挑発すると、少年たちがいっせいに構えをとった。
無心に向き合ううちに、道場で修行した日々の記憶が体に蘇ってくる。
(強くなりたい)
だが、立っているだけなのに、息が上がってきた。
「やあっ!」
打ち込みがきた。
一撃をかわし、小手を打ち据え、もう一人は肩を、もう一人が打ち掛かってきたところをかわし、踏み込んで胴をとらえた。
肩で息をしながら、竹刀の先を式部に向ける。
三人を打ち負かした刺激が引き金となって、怒りの矛先が外に向く。
「立ち合え!」
「そのようなふらふらの構えで、それがしに勝てると思うのか」
勝つとか負けるとかじゃない。
いったん外へ出ようとする思いを、もはやとどめておくことはできない。
勝負ではなく、八つ当たりに近い。
式部が竹刀を手に取った瞬間に襲いかかった。
力任せに押したので、鍔元で受け止められ、横へいなされた。
踏ん張りがきかず体勢が崩れ、地面に這う。
「それでは人は斬れぬ」
立ち上がって、打ちかかる。
「脇が甘い。太刀筋が丸見えだ」
何度も打ち据えられ、地に這った。
体がついていかなかった。
それでも景三郎はやめなかった。
「まだだ!手を抜くことは許さん!」
激情がおさまらない。
式部は、竹刀を捨てると、景三郎の襟を掴んで池のそばまで引きずっていった。
「そのように激昂しておっては、討てるものも討てはせぬ。頭を冷やせ」
池に放り込んだ。
清水を引き込んだ池で、膝の上あたりまでの深さがある。
式部もすかさず入っていき、景三郎を捕まえると頭を水の中に沈めた。
引き上げられたところで喚く。
「討つって誰を討つんだよ。役立たずの俺を討てよ!生きてたって誰のためにもならないんだ」
「それがどうした!」
また水に沈められる。
「甘ったれるな!その程度の器なら、生きていても仕方ない。兵衛介も死に損だな。死ぬる価値もないわ」
「そうだ、今頃気付いたのか。ばーか!」
胸ぐらを掴まれて、水の中に突っ込まれた。
意識が薄れてくる。
(言いたいことは、そんなことなのか。違う。己を責めたところで何も変わりはしない。父上は、生きろと託してくれたんじゃないのか)
朦朧とする意識下で、何かが目覚めようとする感覚があった。
言ってしまえ、とその声がそそのかす。
「貴様の目的は何だ!俺を使って何か企んでるんだろう。その手には乗らない!俺は、光徳院さまじゃない!好きなように生きる。誰にも邪魔はさせないっ」
ふり絞るように言い切ると、張り詰めた糸が切れたように意識が遠のいた。
「生きる・・・か」
力を失った景三郎の体を抱きしめて、式部が震えた。
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