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刻の匣庭
しおりを挟むベランダの柵が腐っていたのだ。
築六十年近くになるから、仕方のないことだった。頑健な顔をした木製の支柱達だったが、実際は白アリに中身を食われてとっくに見掛け倒しになっていたのだろう。
だから、彼らの上っ面を信じてうっかり柵に身を預けてしまった私がそこから落ちたことも仕方がない。クッキーが割れるような軽快な音ともに、柵は崩壊してしまった。
一瞬だけ私を包み込んだ浮遊感。すぐに無慈悲な圧力に変わって、私の体を十メートルほど下の地面にたたきつけた。
折れてはいけないものが折れる音と、砕けてはならないものが砕ける音。それらが同時に私の体の中から聞こえた。私の体もまたクッキーのようにもろかった。
――どくん、どくん、どくん。
それでも辛うじて、まだ心臓は動いている。
どこか調子の悪そうな心音を子守歌に、私の意識は白い闇に沈殿していったのだった。
生まれた時から腐っていたのだ。
私、嘉新凜という人間は、人間という種族に生まれながら、人間として生きていくのにはあまりに致命的な欠陥を抱えている。
即ち殺戮嗜好である。
もしかすると、この嗜好は先天的なものではなく、あまり幸福とは言えなかった幼少期に由来するものかもしれないが、起源なんて些事なことだ。大事なのは、私が生き物を殺したくて仕方がないという事実である。きっと生まれる時代を間違えたのだ。戦国時代以前に生まれていれば、女だてらに有名な武将として歴史に名を残せていたかもしれない。
どうして生き物嫌いになったのかはわからないが、殺したい理由ははっきりしている。生き物というものは総じて醜いからである。
ああ、違うとも。人間は他の動物を殺して生きているから汚いとか、人間の優しさなんて所詮は上っ面だから醜いとか、そういうことを言いたいのではない。私が言いたいのは、もっとわかりやすく視覚的な話だ。
即ち、内臓である。
内臓の、生き物の腹の中に入っているあの組織群の気持ち悪さはなんだ。どろどろに赤く、厭な臭いを放ち、不気味に胎動する。あんなものが私の中にも入っているのだと思うと、今すぐにでも愛用のナイフで喉から下腹までを切り開いて、中身を掻き出したくなる。まっとうな衛生観念を持っていれば当たり前の欲求と言えるだろう。
なのに、どいつもこいつもそんな汚らしい内臓を皮膚と肉の下に隠して、不感症ないし鉄面皮のようなツラで生きている。特に人間という生き物は滑稽だ。洋服、メイク、ヘアアレンジ、マニキュア等々。うわべばかり取り繕ってやれ美人だのやれかわいいだの言っている。裡に宿す穢れのことなど忘れて! あるいは顔や体の造形、肉と皮のつき方だけで綺麗とかそうでないとか言っているのである。私に言わせてもらえば、どれもこれも肉ダルマだし、醜いことに変わりはない。絶世の美人と、薄汚いホームレス、それと一振りのナイフを用意してほしい。どちらの人間も不気味に張り巡らされた赤い蔓と、黄色い脂肪と、不格好な果実で出来上がっていて、等しく気持ちが悪いということを、ものの数分で証明してみせる。
――いずれ私は人を殺すだろう。
平和ボケ面して、安穏と毎日を享受している人間に、自分がどれだけ醜い存在かを思い出させるために、私は人を殺すだろう。それが私の生まれてきた意味で、使命で、この身に宿すただ一つの欲求だ。
けれど、今はまだ早い。
なぜなら、私は高校二年生の女子に過ぎないからだ。
殺しの技術にもう不足はないが、それ以外の面が脆弱すぎる。特に金銭面がだ。せめて大学生になって、できることを増やしてから行動に移さなければ、数人殺して逮捕なんて間抜けな結果になりかねない。たかが人間相手にそれでは割に合わない。せめて百人は殺してから捕まらなくては、自分で自分が許せない。かといって、それまで殺戮嗜好を抑えきれるほど、私は器用でもない。
だから、今日も私は裏山に行くのだ。
裏山に行って、動物を殺すのだ。
相手は犬か猫がいい。アイツらも人間ほどではないにせよ、その「可愛らしい」とかいう外面で得をしている生き物である。特に子犬と子猫とか、あの媚び切って潤んだ瞳で見上げられると、頭蓋骨を踏み潰して粉々にし、染み出た脳みそを地面に吸わせてやりたくなる。とはいえ今の時代、これを町中でやってしまうと下手すると――実に、本当に、心底馬鹿馬鹿しいことに――逮捕である。けど、山中なら話は別だ。緑の中にある動物の死骸は、食物連鎖の殉教者と判断される。処理も保健所ではなく、スカベンジャーたちが行ってくれる。山の中で動物が死んでいることは、まったくもって自然で、浮かないことなのだ。その上、殺すべき獲物に町中よりはるかに遭遇しやすいとなれば、私にとっては天国といえる。私という存在が唯一許容される地上の楽園。そんな場所が、学校から徒歩十分程度のところにあるのだ。同級生たちが学校帰りにカラオケやファミレスに向かうのときっと同じ感覚で、私は山へ足を運ぶ。
さて、今日はどんな動物に会えるだろうか。
久々に大物を捌きたい気分だった。このところ虫とか……いいとこ鳥くらいしか殺していない。そろそろ野犬くらい手ごたえのある生き物をバラバラにしたい。わざわざ冬の寒空の下を徘徊しているのだし、それくらいのリターンが欲しかった。
ブレザーのポケットに手を突っ込む。中でうずうずしている折り畳みナイフを手で抑え込みながら、周囲に生き物の気配を探す。
冬の日暮れは早い。まだ午後四時前だというのに、辺りは薄闇に満たされていた。とはいえ、私の視界を阻むほどではない。動物と殺しあっているうちに私は夜目もきくようになっていた。無感動に殺戮性能を向上させ続けている私の肉体は、もはや人間よりは機械に近いのかもしれない。しかし、どれだけ殺戮性能が高かろうと動物に会えなければ意味がない。町に近い山とはいえ、冬山は日が沈むと一気に冷え込む。そうなったら寒さで動けなくなってしまい、殺しどころではない。この時期だと活動限界は六時あたりだ。この時間制限が、近頃大物を殺せていない大きな理由なのだった。
獣道を進んでいくと、固い草木が私の太腿に触れる。空気も乾燥しているし、タイツを穿いてきていなかったら足が切傷だらけになってしまっているだろう。
私は歩を進める。何食わぬ顔で、通い慣れた道のように、草をかき分ける。
――けれど、この山にこんな道は存在しないはずだった。
ここはそう大きな山ではなく、そしてもう何年も私はここに通っている。この山の道なき道の全てを、私は知り尽くしたつもりでいる。けれど、今歩いているこの道は知らない。もちろん、あちこちに似たような風景が広がっているから、私の勘違いという可能性も全く否定できないわけではないのだが、極めて考えにくいことだった。
注意深く周囲を観察しながら進むと、やがて開けた場所に出た。そして、面食らった。
……屋敷だ。
大きな西洋風の屋敷が建っていた。その周辺だけまるで聖域のように木々が存在しない。冬だというのに青々とした草原が広がっているのである。
おかしい。こんな場所があったら、私が知らないはずがない。最近できたというのなら話は別だが、だとしても建設途中のそれに出くわすはずだ。
館に近付いてみると、くすみや絡みつく蔓から、相当年季の入った建物だということがわかった。混乱は深まるばかりだった。生まれたばかりのはずのそれは、けれど、まるで何十年も前からここにいるような顔で鎮座しているのだから。
気味悪さを感じながらも、けれど観察のために館の周りを歩き出した。
そうして、人が倒れているのを発見した。
ゆったりとした黒いドレスを着ていたから、遠目からでも女性であることがわかった。彼女を見つけた私の胸に湧きあがったのは高揚だった。人間であれば、最初に浮かぶのは焦りの類の感情なのかもしれない。助けなきゃとか、大丈夫なのかとか……。けれど、人間失格である私には真逆の発想しか浮かばない。
――人を殺せるかもしれない。
ここは山奥で、女が倒れていて、それは私のせいではなくて。
私はこういう状況を今日まで何度も夢見てきた。
女がどういう理由で倒れているのかはわからない。けれど、それが事故であれ事件であれ、これはローリスクで殺戮が行えるまたとない機会だ。たまたま通りすがった人間が犯す殺人ほど、警察の捜査が難航する事件はないのだから。相手が女だというのも私に味方している。適当に服を切り刻んで性器をズタズタにしてやるだけで、変質者の男性の犯行に仕立て上げられる。その上で死体を埋めてやれば完璧だろう。なにせこんな山奥だ。埋めてしまえば、そもそも見つからないという幸運にも期待できる。捜査をかく乱する方法が次々と頭に浮かんでいく。
人でなしである私は、倒れ伏す女性を見てそんなことしか考えなかったのである。
唯一の問題は……すでに女が死んでいる可能性だった。
私は生き物を殺したいけれど、死体をどうこうする趣味はない。死んでいると判明すれば、即座に興味を失うだろう。かと言って、放置するわけにもいかない。他の人間に見つかれば、事件が顕在化して、しばらくこの山には立ち入れなくなる。それは私のライフワークを禁じられることに等しい。アレが死体であったら、私は面白くもなんともない死に物の隠匿に奔走させられることになるのだ。
どうか無事でいてほしい。
心の底からそう願って、私は彼女の下に歩を進めた。
結論から言って、残念なことに彼女は死んでいた。
黒いドレスに白い肌。抱き上げると、肩まで伸びた黒髪がさらりと揺れた。
生きているのなら上下するはずの胸元は静止したままだし、なにより肌が氷のように冷たい。腐敗の様子は見受けられないから、死んだのは一日以内のことだろうが……。私は歯噛みした。あと一日早くここに来れていたのなら。
けれど、悔しく思う一方で、私はこの死体に不思議な魅力を感じていた。
彼女は美しかった。
人形のように整った顔立ち。小さな顔。ドレスはアンティークで痛んで入るものの、意匠は巧みではっと息を飲んでしまう仕上がりだ。
けれど、本来それらの要素は、私が毛嫌いするものであるはずだ。
なのに、何故だろう。この女に対しては、そういう嫌悪感をまるで覚えない。
……死んでいるからだろうか。
私の殺戮衝動は、生き物にしか向けられない。だから死に物は憎悪の対象にならないということだろうか。でも、それでは矛盾する。汚らしい内臓を取り繕う人間が私は大嫌いなはずだった。この死体が、全身の皮膚が剥がされているとか、内臓をぶちまけているとかだったのなら、私が好意を覚えるのも納得なのだが……。彼女はまるで逆で、あまりに綺麗に仕上がりすぎている。
私の心に、生まれて初めての……よくわからない感覚がこみあげてきた。
それは、彼女をもっと見ていたいという気持ち、もっと一緒に居たいという気持ち、もっと触れていたいという気持ち。
だから私は動けなかった。死体を抱きかかえた格好で、冷たく硬い肉を掌に埋めて、雪のように白い顔を、眠るように閉じられた瞳を見つめ続けた。
――ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ。
どこからか微かに音が聞こえた。
古びた柱時計が時を刻むような、軋んだ音。ともすれば聞き逃しかねないほどに小さな音量だった。けれど、周囲を見回しても発生源と思しきものは存在しない。幻聴かもしれなかった。
それから、どれくらい時間が経っただろうか。
これから、どれくらいの時間が経つだろうか。
その現象が起きなければ、私は力尽きるまで彼女に魅入っていたかもしれない。
――死体の目が開き、私を捉えることがなかったのなら。
言葉を発することができなかった。あまりに不意の事態だった。
こんなにも冷たいのに、こんなにも強張っているのに、こんなにも白いのに。
彼女は確かに、意思の宿った瞳で私を見返していたのだから。
石のように静止した私に、黒衣の少女は人差し指を突きつけ、そして言った。
「メロメロです」
何を言われたかわからなかった。
「ですから、人間、あなたはメロメロです。運がなかったですね。私に見つかった以上は、逃げられません。あなたは私の虜になって、死ぬまで搾り取られるのです。どこまでも冷酷に、そして残虐非道に。残念でしたね、人間」
頭の中がほんの一瞬だけ真っ赤になる。
腕の中で死体がしゃべりだしたことに対する驚きより、人間呼ばわりされた怒りの方が強かった。私は人間が大嫌いなのだ。無論、私自身もその人間ではあるのだが、そんな詭弁で自分を許せたのなら私は殺戮衝動なんて抱かずに済んだろう。
私が人間なら、さしずめおまえはゾンビか何かか。
嘲るように聞き返したが、彼女はそれに気付かず機械的な声で答えた。
「いいえ」
温度のない淡泊な否定。やはり死体がしゃべっているかのような感情も抑揚もない声だったが。
「私は、魔女です。人を惑わし、絶望を啜る魔性です。残念です、あなたは私に見つかってしまいました。ここであなたは終わりです。あなたはこれから、私に意識を操られ、メロメロになって、卑猥なことをされて死ぬのです。さあ、私の目を御覧なさい。それで意識の操作は完了です」
別に言われたことに従おうとしたわけではない。たが露骨に目をそらせば、何かに負けてしまう気がした。だから、私は死体少女の目を睨むように見つめ続けた。
一分くらい経っただろうか。
私の体にも意識にも、なんら変化は起こらなかった。
「運がいいですね。どうやら今の私に魔法は使えないようです」
少女が頭上を見上げる。目線の先には柵が崩壊したベランダがあった。よく見れば、少女の周りには木片が散らばっている。どうやら彼女はベランダから落ちたようだった。
「衝撃による記憶の混濁および器官への損傷。魔法の行使に必要な組織に致命的な傷を負ってしまいました」
死体が私の腕から体を起こす。上体の動きに連動して、彼女の体からバキバキと何かが折れる音がした。少女が体の調子を確かめるような仕草で首を回すと、人の体が発してはならない致命的な崩壊の音が鳴る。小気味のいい音色だった。
「……なるほど、生命維持器官にも損傷有。私に残された時間は七十六時間四十三分二十一秒。なおのこと、あなたをメロメロにしなくてはならなくなりました」
再びビシッという効果音でも聞こえそうな勢いで、死体は私に人差し指を突きつけた。
私は半ば置いていかれ気味に彼女の話を聞きつつ、そして呆れていた。
それは、少女が「魔女」というファンタジックな生き物を自称したからではない。この世界にはそういう種族が存在することは惟子から聞いていたから、そこに対した驚きはない。私が呆れていたのは、彼女が魔法を使えないことについてだった。魔法を使えない魔女なんて、麺の入ってないラーメンみたいなものじゃないか。とても魔女とは呼べない。
そう指摘すると、自称魔女は小鳥のように小首をかしげ、おとがいに指を当ててしばし考えこんだ後。
「どうしたらいいでしょう?」
硝子のように澄み切った目で疑問を投げかけてきた。
私は答えた。惟子曰く魔女は蠱惑的な体を持ち、それで人間を誘惑するという。魔法が使えなくても、私を魅了することができれば魔女の証明になるのではないかと。
……もっとも、こんなことを人間である私に聞いている時点で、この子は魔女として終わっていると思うのだが。
少女はぽんと両手を合わせて、そうでしたなどと宣った。どうして聞きかじりの知識しかない私の方が魔女に詳しいのか。
少女は腰に手を当てて胸を張った。薄い乳房が控えめに自己主張をする。
「どうでしょう」
なにがどうでしょうなのか。
「ですから、どうでしょう、私の体は。欲情してきましたか? 今に、あなたをムラムラです」
否定の言葉は嘆息とともに吐き出す。
そもそも私は女であるから、乳に欲情することはないのだが。
「そんなことはありません。魔性の魅力は、性別を凌駕するのです。今、あなたは強がっているだけです。本当は私の肉付きにムラムラなのです」
肉付き。
そう言われてハッとした。肉体に欲情しないのは、私の方に問題があるからかもしれない。私は肉とか皮が嫌いなのだ。相手が同性であれ異性であれ、人体に嫌悪感を覚えるという欠陥を抱えて生まれてきた私には、そもそも欲情というトリガーが存在しないのかもしれない。
「それは困ります」
少女はきっとした目つきで私を見る。
「さっきも申し上げた通り、私に残された時間は三日強しかないのです。あなたにはなんとしも私にメロメロになって、ムラムラになって、ボロボロになって死んでもらいます。何故ならあなたが私にとって最初で最後の獲物なのですから」
引っかかる。何やらこの自称魔女には活動時間に制限があるようだから「最後」というのは納得できる。だが「最初」というのは……。
「はい、私は魔女見習いなのです」
「ありえなくはねえな」
時刻は七時。山から下りてきた私は東崎惟子の家にいた。森の洋館で出会った少女の話を、紫煙の向こうで聞いていた惟子は肯定した。
枝っ毛だらけの傷んだ髪を頭の後ろで結わき、安物のワンピースに身を包む三十代の女性。ずぼらを全身で表現したかのような風体だが、何より目を引くのはその顔だろう。彼女の顔は酷く醜かった。美人、いや人並みの容姿すら毛嫌いする私ですら、ほんの少し同情してしまうほどに。けれど、だからこそ私はこの女の所に来られるのだろう。体の中に宿す内臓と同じくらい醜い顔を晒している惟子だからこそ、他の人間に抱くよりは少ない嫌悪感で対話することができるのだ。
東崎惟子は頭のおかしな女だった。
彼女曰く、この世界には人間の理を越えた生き物がたくさんいて、けれど人々は彼らの存在に気付くことはないのだという。その化け物の代表格が魔女という種族らしい。普通の人なら笑い飛ばして相手にもしない妄言だが、私は彼女の言葉に奇妙な説得力を感じていた。何故ならば、そもそも惟子と知り合ったきっかけが、町中ですれ違った際に私が宿す異常性に気付き、声をかけてきたことだったからだ。彼女は、化け物だけでなく、化け物じみた性質を有する人間を見抜く目も持っていたのである。旅の先々で面白そうな人間を見かけては声をかけているとのことだが、私にはそれが逆に面白かった。以来、惟子の借りているこの家は、裏山に次ぐ私の憩いの場になっていた。
部屋には生活に必要最低限のものしか置いていない。目につくのは木製のデスクと人が寝れそうなソファー。あとは開けられてもいない段ボールがいくつか、隅に積みあがっている。引っ越してきたばかりという印象だ。
「魔女が多次元的生物であると言っても、所詮は生き物であることに変わりはない。多次元に交渉できる生き物の中では、体の構造は比較的人間に似てるし、内臓器官を傷付ければ魔法が使えなくなる可能性は否定できない。本来なら自己再生の能力も有しているはずだが、運悪くそこも壊してしまったんだろうな」
それでは、やはり普通の人間と変わらないのか。
「いや、そうとも言えんよ。彼女本人に証明させるのはもう無理だろうが、状況証拠は魔女のそれを示している。古びた洋館が突然現れたんだろう? その洋館は、それまで魔法の庇護にあったのだろうさ。奴らが一番得意とするのは、意識の操作だからね。魔女の巣は何十年も昔にそこにありながら、けれど我々の意識の外に置かれていたんだ。魔女が傷を負ったことでそれが解けた……となれば、突如現れたというのに合理的な説明がつく」
あと魔女って黒いドレスとか大好きだし、と惟子は付け加える。
惟子の推察はおそらく正しい。私はあの山を自分の庭のように知り尽くしている。なのに、あんな大きな屋敷に何年も気付かなかったなんてことは、それこそ魔法でも持ち出さなければ説明がつかない。
「理由はもう一つある。嘉新、おまえは言ったな。彼女は『美しかった』と。それはおまえにとって『殺したい』の枕言葉だったはずだ。なのに、そうは続けなかった。人間嫌いのおまえが殺意を抱かなかった……。自分でもわかってんだろ? それこそが、彼女が人間でないことの何よりの証だ」
何故だか少し恥ずかしくなって、私は目を伏せてしまった。惟子は短くなったタバコの火を灰皿に擦り付けて潰した。
「ただね、気がかりなのは……。この辺りに魔女がいるなんて話、聞いたことがねえんだよ。大物も小物もな。そのあたりは俺の方でも調べてみるか」
それは、一緒に彼女に会いに行くということだろうか。
「いいや、ポンコツ魔女に興味はない。その気になりゃあ、俺一人でも探せるだろうし。こっちはこっちの伝手で、情報を集めるだけ。面白そうだったら足を運ぶかもしらんが……。……ていうか、おまえ、また会いに行くつもりなのか? すでにメロメロじゃねえかよ」
無論、そんなことはない。ただ案内係が必要だと思っての提案だった。
そういうことにしておこう、と惟子はくつくつと笑った。
「案外、魔女の魔性は、完全に壊れきってないのかもしれないよ」
翌日、再び学校帰りに裏山へ向かった私は、再び例の屋敷に赴いた。
無論、あの魔女にメロメロだからではない。ただ少しばかり話をしたくなったからだ。
傾いた朱色の日差しを浴びて、魔女見習いの少女は、出迎えをする給仕か何かのように屋敷の扉の前に立っていた。そして、私の姿を認めるやいなや「やはりあなたはメロメロです」などと言って、昨日と同じように私を指差した。
聞いてみると、今朝から直立不動で私が戻ってくるのを待っていたらしい。
「戻ってくるのはわかっていました。メロメロなので」
健気というか、愚直というか。
立ち話もなんですからと屋敷に通される。
木の温かみというやつだろうか、近代的な暖房器具が見当たらないにもかかわらず、建物の中は思いのほか暖かかった。内装が古びてはいるが、衛生状態も悪くない。一人で住むにはいささか大きい。掃除するだけでも大変だろう。
「ひとり暮らしではありません。母がいますから」
魔女は、ちょうど通り過ぎるところだった傍らの扉に目をやった。
「この書斎に母がいます。ですが、決してお会いにはなりませぬように」
ま、母は掃除はしないのですけど、と言って、魔女は歩みを進める。私もそれに従った。書斎につながる扉から厭な臭いないし重圧のようなものを感じたからだ。
魔女の私室に通された。
コーヒーカップを差し出されたが、中には何も入っていなかった。丸いテーブルの上に洒落た皿が置かれているが、その上も同じように何もない。
「私は人間の食べ物を必要としませんから。形だけでしか、もてなせないのです」
別に構わなかった。鞄の中にペットボトルの水が入っている。裏山に行くときは、学校の自販機で必ず水を買うことにしているのだ。これは動物と殺し合いになって運動した時の水分補給と、うっかり体を返り血で汚したときに洗い流すための備えである。
――ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ。
どこからか何かが軋む音が一定のリズムを持って聞こえてくる。それは昨日、倒れている魔女を見つけた時にも聞こえてきた音だった。壊れた時計の針の音。しかし、この部屋にもそのよう音を発生させそうな機器類は存在しなかった。
「それで、私にお話というのは」
魔女は真摯な瞳で私に問いかけてきたので、部屋を見渡すのをやめ、本題に入ることにした。まあ、そうかしこまることでもないのだが。
私は世間話をしに来ただけなのだ。
つまり、殺しについての話である。
魔女という種族は生物、特に人間に対してとことん残虐な生き物だと惟子から聞いている。そういう奴らが相手であれば、腹を割って話せるかもしれない。
私は、私の裡なる欲求について赤裸々に語りだした。
自分が人間を殺したいと思っていること、生き物の内臓が気持ち悪くてしかたがないこと、見かけばかり取り繕う連中を引き裂きたいこと、裏山に来るのも生き物を殺すためだということ。
話を聞くうちに、魔女の瞳には幼い少女のようにきらきらとした光が宿っていった。
「素晴らしいです。人間のくせにそんな崇高な思想をお持ちなんて。本当に大したものです、人間の分際で!」
瞳の輝きがなければ、間違いなく皮肉としか取れない言葉だったが。人間より高次の存在からしてみれば純粋な賛辞なのだろう。
「お恥ずかしい話なのですが、私はまだ生き物を殺したことはないのです。その点では、あなたは人間風情ではありますが、私の先輩と言えます」
魔女は、頬にかかる髪に触れながら物憂げに目を伏せた。マッチでも乗せられそうに長いまつ毛が際立つ。
「私は昨日までこの館に封じられていたのです。ですから、昨日あなた……いえ、人間を見たのは四十六年と二百三十二日三時間二十一分十四秒ぶりでした。人間、私はあなたが羨ましい。僅か十七年しか生きていないのに、いくつもの命を奪っているあなたが……。私にはもう約二日しか時間が残されていないのに、もはや殺戮の仕方もわからない」
魔女の沈痛な面持ちには自身の不甲斐なさへの失望がありありと見て取れた。彼女の表情は、研ぎ澄まされ刃物のように直截に私の心を貫いた。種族は違えど、互いに殺戮の上にしか存在理由がない生き物である。故に殺したくても殺せない絶望は、まるで自分のことのように痛ましかった。
だから、私は提案した。
一緒に殺しをしようと。
やり方は、私が教えてあげるからと。
私の提案に、魔女はぱっと顔を上げて「良いのでしょうか」と聞いてきた。
もちろん良いに決まっている。
私は、私の中に人間的な感情が残っていることに自分のことながら驚いた。
……ああ、悔しい。けれど、やっぱり惟子の観察眼は本物だ。
つまるところ、私は友達が欲しかったのかもしれない。一緒に遊んで、好きなことを話せる相手が。昨日までは、それらの条件に見合う相手が存在しなかっただけ。けれど、今は違う。魔女である彼女ならば、私の嗜好に同調してくれる。
窓の外から森の影を見やる。日はもう沈み、木々は漆黒に染まっていたが、その陰鬱な印象とは裏腹にあそこには暖かな命が溢れている。
まずは動物から始めよう。
言って、私は魔女の手を取り立ち上がった。
魔女は、まだわずかに戸惑いの色を残しながらも、それでも嬉しそうに私に引っ張られていた。
落ち葉を踏みしめる足音が二つ。
魔女の足取りはおぼつかなかった。平行な屋敷の廊下しか歩いたことがないからか、枯れ葉の絨毯を前に、最初はどこに足を踏み出せばいいのかさえ迷っているような有様だった。転びそうに危うい歩みを傍らから抱くようにして支えて歩いた。
「怪我のせいで体の機能にガタが来てるみたいです。万全なら、こんな不甲斐ない姿は見せないのですが」
そういった矢先、彼女は日陰の霜を踏み抜いた音と感触に小さな悲鳴をあげた。
歩は遅々として進まなかった。だから、私は屋敷での話の続きをしながら進むことにした。この森の生き物ならば、何を殺したいか。私はできるだけ大きな生き物を殺したいのだとつなげた。熊が出たりしないかと魔女が心配したのを私は笑った。残念ながらこんな小さな山に熊はいない。でも、いつかは殺したいねと返した私の口元は緩やかに曲線を描いていた。それくらいの大物でなければもう私は強いスリルは感じられないだろう。
「人間、あなたならきっと熊も殺せますよ。たくさんの武勇伝をお持ちなのですから」
虚構を生業とする魔女のくせに、私の先の話を完全に彼女は信じ切っていた。嘘を話していないからかまわないのだが、こうも疑いを持たれないと私の方が面食らってしまう。
微かな、小さな肢の音。
狩りの経験のない人間であれば、自分たちの足音に掻き消されて聞き取れない微小な音量だった。
私は魔女を抱きとめて制止させた。彼女は何事が起きているかわからず惑っていたが、私が人差し指を口に当てて静かにするようジェスチャーするとコクリとうなずいた。
耳を澄ませる。もう肢音は聞こえなかったが、代わりに……どういうわけか例の時計の音がまた聞こえた気がした。どこまであの音はついてくるのか。
周囲に首を巡らせる。影絵のようにそびえたつ木々が高速で右から左へ飛んでいく。溶け込むようにそれはいた。
野犬だ。
体高は私の腰ぐらい。真っ黒の毛並みの中で双眸だけが爛々と光っている。野犬は私の視線に気付くと、牙をむき出しにして唸りだした。
久しぶりの大物だ。
身体の奥が歓喜と興奮で打ち震えるのがわかる。持っていたカバンを地面に放り出し、ポケットから私も牙を取り出した。
刃渡り十二センチほどの折り畳みナイフである。鈴のように玲瓏な展開音が森の闇を通り抜けていった。
私の腕にしがみつく魔女の力が強くなる。初めて殺意に当てられて怯えているのだろうか。縋るように抱きついてくる彼女を一瞥することもなく私は振り払った。小さな手は簡単に私の腕から離れていった。見てはいないが、彼女の表情が恐怖していたことは間違いない。というのは、野犬の視線が明らかに私ではなく、魔女の方に向けられていたからだ。奴らの目は弱者を見逃さない。
しゃくり、しゃくり。
枯れ葉の軋む音がする。
魔女が後ずさっているのか、逃げ出そうとしているのか。どっちでもいい。大事なのは、野犬という生き物は、自分より弱い相手に対してとことん強気に出る習性を持っていることだ。
獣にのみ許された瞬発力を以て黒い矢が飛び出した。極限まで引き絞られてから射られたかのように疾い。十メートル近くあった距離が一瞬で詰められる。直線的に魔女へと向かう軌道に私は割って入った。ほうき星のように軌跡を残して動く鈍色の双眸が私を見咎める。標的が私に移ったことを理解する。
刹那、バネのように強靭な後ろ肢が地面に沈んだかと思うと、次の一瞬には獅子のように力強い跳躍を見せた。狙うは首筋。私の一番太い血管を食い破っておしまいにするつもりなのだろう。けれど、そんな狙い、私はとっくの昔に知っている。
既に私の体高は倒れる寸前にまで低められていた。向こうが獣ならば、こちらは殺戮マシーンである。人間ではとても駆動できない無理な体勢からでも次の動きにつなげることができる。飛び掛かった犬の腹に潜り込み、私は天井に牙を差し出した。意趣返しとばかりに、白刃は喉笛を突き刺さった。喉から旨、胸から腹へ。チーズでも裂くように滑らかな動きで、犬の体を開きにしていく。血が零れるよりも速く、私は後ろ脚の間からトンネルを脱出し、犬に向き直った。
まだ宙にいる犬の向こうに、魔女が見えた。
口に両手を当て、目を見開いている彼女は、驚いてこそいるがそれはショックによるものではない。純粋に私の殺戮の技巧に感嘆しているようだった。殺戮の時に覚える高揚とは別種の高鳴りが胸にこみあげてきた。それは、私の技術を存分に見せつけることができた満足感や優越感によるものだろう。
飛び上がる前の力強さはどこへやら。犬は濡れ雑巾のように無様に木の葉の海に墜落した。二、三度、寒さに凍えるように痙攣したが、それで終わりだった。
私は魔女の足元に落ちている鞄を取りに戻ると、中からペットボトル入りの水を取り出した。ナイフに付着した血液を洗い流していると、魔女が震える声で私に話しかけた。
「す……すごいです……! あんな一瞬で何のためらいもなく……。その……すごくきれいでした」
ああ、そうとだけ淡泊に返したが、内心まんざらではなかった。気恥ずかしくて魔女の目を見ることができなかった。魔女は賛辞を続ける。
「まるで魔法みたいに!」
たまらず私は噴き出した。魔法使いはおまえの方だろうと突っ込むと、魔女は口に手を当てて「そうでした」と笑った。
けれど、魔法に見えるのも無理はない。
自分で言うのもなんだが、私の殺戮技法はそれほどまでに洗練されている。
殺した犬の方を見る、横ばいになって死んでいる犬の腹からはあらゆる内臓こぼれ出ていた。すれ違いざまの一瞬で、ナイフを臓物に絡ませて引きずり出したのだ。はらわたをぶちまけさせ、自分がどれほど醜い存在であるかを露呈させて殺すのが、私の殺戮ポリシーなのだ。初めのうちは幼児の泥遊びのように手を汚していたものだが、今では自分の体に血がかからないように気を遣う余裕まである。
私の作品を魔女も眺めていた。その目からは涙が流れていて、それを見て私も涙しそうになった。生きている間に私の所業を理解し、涙してくれる存在に出会えるなんて思ってもいなかったからだ。
けれど、それは大きな勘違いだった。
魔女は骸に近寄るとしゃがみ込み、くたびれた頭を抱きかかえた。言葉なく、森の静けさに染み入るように泣き続ける姿は、とても感動して泣いているようには見えなかった。
なぜ。
私は聞いた。
魔女はかぶりを振って答えた。わかりません、と。
「ただ……ただただ悲しくて」
しばらく魔女は犬の骸を抱いていた。やがて、零れた内臓をかき集めると、犬の体の中に戻し始めた。自分の手が汚れることも厭わずに。それがせめてもの弔いとでも言いたげだった。
見ていられなくなって、私は彼女を残して森を後にした。
「ありえないね」
私が今しがた見てきた魔女の行動を惟子は即座に否定した。
「魔女が生き物に慈悲の心を持つなんて。少なくとも俺は見たことない。あいつらは自分以外の命……いや、ときには自分の命すら軽んじる種族だ。それが犬畜生のために涙を流すなど」
惟子の見てきた魔女は、そういう冷酷無比な存在なのだろう。犬を殺すまでは、あの魔女もそういう人物像にそぐう言動をしていたのに。そこで、私は彼女が魔女見習いを名乗っていたことを思い出す。見習いだから非情に徹し切れていないのではないか。
「だから、それがありえないんだよ。いいか。確かに未熟な魔女はいる。奴らは大別して……無垢の魔女、魔女、大魔女に分類される。無垢の魔女が半人前の存在だが、それは使える魔法が弱いとか、優しい心を持っているからとかが理由じゃあない。知性がないから半人前なんだ。どの魔女も使える魔法の強さは大差ない。知性的に使えるかどうかで影響力がまるで変わるんだよ。もしおまえが逢引きしているのが無垢の魔女だったとしたら、むしろやつらは殺戮を喜ぶはずなんだがねえ。あのレベルだと原始の欲求に忠実だから」
ただね、と惟子は繋げた。
「無垢の魔女ってのは喋れないんだよ。口を利くだけの知性すら持ち合わせていない。せいぜい叫び声をあげるのが関の山だ。言葉が通じるなら、少なくとも並の魔女クラスのはずなんだが……。それでは『殺しをしたことがない』という発言と矛盾する」
人を殺さずに知性だけを得たのではないか。例えば本とかで。
「本で得られるのは知性じゃなく知識。魔女は、知的生命体と関わることで知性を得る。そして、原始的欲求に忠実な無垢の魔女は、出会った人間は必ず殺そうとする。故に『無殺の魔女』なんて存在には成長しえない」
そこまで話したところで、惟子の携帯電話がけたたましく鳴り響いた。
惟子は表示されている番号を見て、ジャストタイミングだと呟いてから電話に出た。五分ほど通話して、電話をデスクの上に置いた。会話の最中、惟子の眉が顰められたのを私は見落とさなかった。
「依頼してた調査に進展があった。ひとまずこの町に出入りした魔女の情報を可能な限りさかのぼって調べてみたが、少なくともここ百年は魔性の類が侵入した記録はない。神に愛されてるな、この町は」
じゃあ、屋敷の少女は魔女ではないということだろうか。でも、確かにあの屋敷は昨日まで裏山に存在しなくて……という反論を惟子は遮った。
「話は最後まで聞け。確かに魔性の出入りはない。だがね、人間の出入りはあるんだ。レナードという外人の女なんだがね。六十年ほど前にこの町に入ってそれきり消息不明らしい」
……惟子の話していることがわからない。そのレナードという女がなんなのか。魔女ならともかく、六十年前の人間の女がこの話に何の関係がある。
「ただの人間の情報をわざわざ記録しておくわけないだろ。こいつはねえ、とんでもないんだ。プロフィール自体はよく聞く話でね。ヨーロッパで細々と時計職人をやっていたらしいが、ひょんなことから不思議の世界に巻き込まれちまってね。以来、魔女の虜になっちまった。ここまでならありふれてるんだが……問題はこの先さ。魔女に憧れるレナードは自分が魔女になろうとして、魔法を習得しようとした。人間の体では魔法は扱えないはずなんだが、レナードは何を間違ったか成功しちまったらしい。つまり限りなく魔女に近い人間ってことだ。こんな東洋くんだりまでやってきたのも、その手の研究をひそかに進めるためだろうな」
……つまり、こういうことだろうか。
私が会っている少女が、そのレナードという女だと。
「わからん。だが、そうであればいくつか説明がつく。魔法を身につけておきながら人を殺したことがないとなれば、確かにそれは魔女見習いだろうよ。若い見た目なんざ魔法でどうとでもなるし」
惟子はデスクの上に転がっていた煙草を手に取り、うち一本を取り出して火をつけて吸いだした。吐き出す白い煙が殺風景な部屋に溶けていく。甘ったるい臭いが鼻を掠めた。それを何度か繰り返してから、続きを話しだした。
「ここからは俺の勘だがね。これ以上、深入りすると取り返しがつかなくなるぞ。今だって相当に危ういはずだ。俺は今日まで生きてきて、魔女と関わって幸福になった人間は見たことない。このまま逢引きを続ければ、間違いなくおまえは死ぬだろうよ」
惟子の言葉に、どうしてか胸の奥がチクリと痛んだ。裁縫針で突いたような小さな痛み。
会うな、と言われたのが少し辛いようだった。
なぜ。
彼女は犬の死に涙した。
生き物の死を悼むなど、私からは最も離れた場所にある感情のはずだ。
ならば、彼女は私の理解者足りえない。会うべき理由などどこにもない。
けれど。
けれど、彼女が殺戮の技巧に見惚れていたのも真実だ。
館や森での語らい、あの時に見せた笑顔が嘘だとは思えない。思いたくない。犬を殺すまでは私達の間には何も問題はなく、まるで双子のように共感しあっていたのだ。それは一時間ばかりのほんの短い間だったけれど、私が生まれて初めて自分に素直になれた時間だった。
だから、私は確かめたい。
彼女が自分の同族であることを。いや、そんな方言い方はやめにしよう。
彼女が私の友達であること、それを確認したい。
「……だろうな。関わるなと忠告して、素直に聞いた人間も見たことない」
ため息のように長く白い煙が惟子の口から流れ出した。
翌日。
屋敷に到着した私を、魔女が扉の前で待っていることはなかった。彼女は屋敷の外、何故だか背の高い草の生えておらず庭のようになっている場所の一角にいた。
彼女の目の前の土はこんもりと盛り上がっていて、木の枝で組み合わせられた十字架が突き立てられていた。十字の下に緑の野草が供えられている。
「こうしてあげた方がいいと思いまして。冬なので花が見つけられなかったのが心残りですが」
魔女の視線は、土の中に眠っているであろう野犬を見透かして悼んでいる。その様子は、私なんかよりもよほどニンゲンラシイ。
「名前も考えたのです。死んでから名前をつけても仕方ないとは思いますけれど。一晩考えぬいて、ケンと名付けました。野犬のケンです」
一晩かけた割にはひねりが感じられないネーミングだった。
名前の話題が出たことに乗じて、私は彼女の名前を尋ねた。
「私の名前ですか。ごめんなさい。覚えていないのです。先日、ベランダから落ちた際に、記憶に障害が発生してしまったので、ほとんどのことを覚えていません」
重ねて私は尋ねた。
おまえの名前はレナードというのではないかと。
少女は口元に手を当てて驚いてみせた。
「そうかもしれません。はっきりとは思い出せませんが、その名前は私にとても近しいものだと感じます」
私は昨日と同じように彼女の私室に通され、形だけのもてなしを受けた。魔女は空っぽのコーヒーカップに口をつけるそぶりをした後、カップを受け皿の上に置いて話を切り出した。
「私にはあと三十時間五分四十一秒しか残されておりません」
私は無言でうなずいた。
「刻限までに、一人前の魔女にならなければ死んでも死に切れません。ですが……残念ながら私に生き物は殺せないことが昨日判明しました。ですので、別のアプローチから魔女になろうと思います。魔女と言えば、姦淫の化身。すなわちメロメロです」
初めて会った日と同じように、少女は私に人差し指を突きつけた。
「私にあなたを犯させてください」
うん、いいよと間を置かずに答えると、魔女は目をむいて驚いた。
「そんなに即答してよいのですか。もっと嫌がるものかと思っていました」
正直に言って、惟子から魔女の生態について繰り返し説明をされていた私にとっては、彼女の提案は想定の範囲だった。私はブレザーを脱いでソファーの上に放ると、部屋に備え付けられていたベッドに横たわった。
おずおずといった様子で魔女はベッドの上に近寄ってきたが、けれど、すぐに覆いかぶさってくるようなことはしなかった。気遣うような瞳で、私の顔を覗き込んでくる。
「あなたは自分の体が大事じゃないのですか」
私は嗤った。
どうして私が私の体を大事にするのだろう。私が他人の体を憎悪するように、私も私の体を憎悪している。この体の中で胎動するおぞましき臓器の群れを想像して、自殺衝動にかられなかったことはない。もし世界中の生き物を皆殺しにする使命を全うしたのなら、次にとるべき行動は間違いなく自殺である。
だから、こんな不細工な造形には爪の先ほどの未練もない。こんなもので友達の役に立てるのならば好きにすればいい。
私の説明を彼女は理解したようだったが、それでも次の行動には移せずにいた。理解と納得は違うところにあるのだろう。だから、私は一度起き上って彼女の腕を掴み、ベッドの上に引きずり込んだ。倒れ込んだ彼女は、私の上に覆いかぶさらざるを得ない。キスできそうな距離にまで顔が近づいた。
そのまま時間が止まった。
魔女は赤面して私と目を合わせようともしない。しばらくそれを眺めていたがこのままでは彼女の生命活動が停止するまで次のステップに進まないと思われた。
なので、私は彼女の肩を掴むとベッドに押し倒した。今度は、私が覆いかぶさる形になる。提案した。できないのなら私がしてあげると。肉体の交わりに全く興味はないけれど、彼女の助けになれるのならばそういうこともできる気がした。
黒いドレスのボタンに手をかける。首元から胸元へ、ぷつりぷつりと外していく。陶器のように白い肌が露わになっていく。魔女の体は震えている。
必要なボタンを外し、上半身の服を剥こうと手をかけた段階で。
「ダメです!」
魔女は私のことを突き飛ばした。
彼女はそそくさとはだけた衣服を正すと、肌を見られるのを避けるように私に背中を向けた。それきりだった。
さすがの私もこれには戸惑った。
私は彼女の願いに応えようとしただけだった。曰く、彼女の死期は明日の夜頃なのだ。それまでに一人前の魔女になりたいという彼女の夢を叶えるべく、まったく興味のない性行為をもするつもりでいたのに、いざその段になると拒絶してくるときた。性交は彼女の望みではなかったのか。姦淫の化身を自称していたではないか。私自身が今日までこの手のことに全く関心を持たずに生きてきたせいで、彼女の拒絶は昨日の涙以上に理解不能だった。
どんな言葉をかければいいかわからなかった。魔女はベッドの上で背中を向けたままで、その表情はうかがい知れない。結局、一言も言葉を交わすことなく、私は部屋を……屋敷を後にした。
今日は惟子の家に寄らず家に帰る。今回の件について、彼女は間違いなく何の役にも立たないだろう。
あの奇跡的ブスに誰かと寝た経験があるとはとても思えなかったからだ。
翌日、私は学校を休んだ。
魔女に残された時間が二十四時間もないと思うと、学校なんて行っている時間はなかった。
サボりではあるが、外出のために制服を着る。衣服に関心がないから、外出できる服は制服くらいしか持っていない。ローファーを履き、玄関の戸を開ける。冬のからからに乾いた陽射しが直撃し眩暈がした。昨晩はまるで眠れなかった。魔女が一晩犬の名前を考えていたように、私も夜通し、魔女のことを考えていたからだ。誰かのことをこんなにも考えたのは生まれて初めてだった。
一人前の魔女になりたいという彼女の願いを私は叶えてやりたかった。
一夜暖めたアイデアを胸に、ふらつく足取りで山へ向かう。
魔女は屋敷の前で私を待っていた。
そんなに健気に出迎えてくれなくていいのに。そう言ってから、せめて一日前に口にしなければ、この言葉に何の意味もないことに気付く。
「私にはあなたしかいませんから」
魔女は少し困ったような笑顔を浮かべ、私を部屋へ案内した。
いつものようにうわべだけのもてなしを受ける。けれど、今日くらいは私もコーヒーカップに口をつけることにした。中に何も入ってはいないのだけれど。
昨日の気まずさを引きずるように、私達の間にはしばらく会話がなかった。聞こえるのは定期的に聞こえる何かが軋むような音。けれど、部屋を見渡しても相変わらずそのような機器は存在しない。
どうして言葉を発せないのだろう。こうしている間も、彼女の時間は減っているのに。一刻も早く、私が一晩かけて考えたアイデアを口にしなければいけないのに。
私は何かを恐れていた。
何を。
知れたこと。また昨日のように彼女に拒絶されることをだ。
ああ、そうなのか。
私は、生まれて初めて、嫌われたくないと思っているらしい。
けれど、否、だから、無言のまま時間が過ぎていってしまう。
「残り十二時間を切りました」
魔女の報告は、私の優柔不断をなじっているかのように聞こえた。
「死が近づいてくるのを感じます。体の自由がきかなくなってきているのです」
椅子に腰かけている彼女は小刻みに震える手を口元に当てて笑った。
いよいよ言わなくてはならない。
本当に彼女にはもう時間がないのだ。
私はポケットの中の折り畳みナイフを強く握った後、意を決してそれを取り出した。
ナイフを展開する。刃が窓から差す冷たい日光を反射し、煌めいた。
私は魔女へ近づくと、その手にナイフを握らせ、一晩かけたアイデアを語った。
やはり、おまえは人を殺すべきだと思う。
昨日のような卑猥なことについては、魔女はまるっきり耐性がない。けれど、殺人の方法については話しているときは彼女は確かに楽しげにしていた。だったらやっぱり人を殺すべきだ。
最初に会った時、彼女は言っていた。
私を殺すのだと。
ならば、やはり当初の目的を達成するべきだろう。幸いにしてここには、自分の体に未練のない人間がいる。
人間を一人も殺せずに死ぬことが悔しくないと言えば嘘になる。だから一つだけ条件を付けた。私を殺したら、すべての内臓を掻き出して捨ててほしいと。汚れを全て掃き出して死ねるのならば、悔しさも帳消しにできる。
私の提案を魔女は黙って聞いていた。
しばらくして、小刻みに肩を震わせ出した。体に不調が現れたのかと思ったが違うようだ。
「どうして……そんなことを言うんですか」
彼女は泣いていた。
「ケンが殺されたときに泣いてしまった私が、どうしてあなたを殺せると思うのですか。あなたが死ぬ姿を想像するだけで、こんなにも胸が張り裂けそうに痛いのに」
魔女の手に無理やり握らせていたナイフが、紅の絨毯の上に力なく落ちた。
ああ、そうか。
私はわかっていたんだ。だから、口に出すのをためらったんだ。
私の提案を聞いたら彼女が泣いてしまうと、無意識のうちにわかっていたんだ。
「私の願いを聞いてくれますか」
私は頷く。
どんな願いであっても応えよう。
それが再び彼女を泣かせてしまった私にできるせめてもの償いだ。
「最後の瞬間まで、私の傍にいてください。私の死を看取ってくだされば、この上ない慰めなのです」
それは、惟子から聞かされていた魔女像では決して口にすることのない言葉だった。
穏やかな時間だった。
ともすると退屈と言い換えることも可能かもしれない。けれど、私達の間には、春の陽射しのように柔らかな充足感が満ちていた。
彼女は私のことを聞きたがった。
私のこれまで……学校ではどんな風に過ごしているのかとか、家で何しているのかとか。私はひとつだって面白い返答はできなかった。動物の殺戮にしか精を出してこなかった人生だ。それ以外に何もなかったから淡泊な解答にならざるを得なかった。それでもできる限り懸命に真摯に返事をした。私の世界一短くつまらない返事を、彼女は楽しそうに聞いていた。
壊れた時計の針の音。緩やかに、けれど確実に時間を刻んでいく。
冬の太陽はあっという間に南中し、そして森の向こうに姿を隠してしまう。
部屋は薄闇に満たされていた。ランプのない部屋に照らす唯一の灯りは、青い月光のみ。死を連想させる冷ややかな色。
彼女の死まで残り十五分というところまで来てしまっていた。
彼女はもう椅子に座っていることすらできなかった。ベッドの上で横たえられた彼女に許されたのは微かに首を巡らせることだけ。
「私は結局……魔女にはなれませんでした」
声も消え入るように小さかった。
「私の母は、私に魔女になることを望みました。私はそれに応えたかった。けれど、私の心はあまりに幼すぎた。生き物が死ぬと泣いて、肌を見られると恥ずかしくて。本当は殺人の話も卑猥な話も、結構無理して話していたのです。だから……私はあなたが羨ましかった。無感動にケンを裂いたあなたが、私を押し倒したあなたが。あなたは、私が目指す魔女そのものだった」
もはや指先だって動かせる力は残っていないだろう。なのに震える人差し指で、彼女は自分を指差した。
「メロメロなのは、私の方だったんです」
人間を惚れさせるどころか惚れてしまうなんて、本当に魔女失格ですと彼女は力なく笑った。
初めて正面から突きつけられた好意に、私はうまく言葉を返せなかった。
殺戮嗜好は周囲に隠しているつもりだが、どことなく異常な雰囲気を纏っているのだろう、クラスからは浮いていて友達なんていない。親でさえ私を疎んでいる。そんな私に、抜き身の好意はまぶしすぎたのだった。
私が返答を考えつくよりも、魔女が次の話題を振る方が早かった。
「私はあなたに嫌われたくない。けれど……ああ、ダメだ。ここまで口にしてしまえば、もう言うしかありません。私の最後の我儘を聞いてくださいますか」
私は頷いた。
「服を脱がせてください。胸元がはだけるように」
昨日の焼き直しのように、私は彼女の服のボタンに手をかける。
ぽつり、ぽつり。
ただ昨日と違うのは、魔女が抵抗しないことだった。
そして私は彼女の上衣を脱がせ、胸を外気に晒させて。
言葉を失った。
「醜いでしょう」
胸元に空いていたのは、巨大な傷痕。そこから中身が覗いている。
――ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ。
壊れた時計の音が、ひときわ大きく部屋にこだまする。
「ベランダから落ちたときにつくった致命の創です。あなたが内臓を嫌悪していることはもちろん存じております。けれど、どうしてもあなたに見てほしかった。なぜなら私は、私の命をあなたに終わらせてほしいから。私の魔女の手で、無慈悲に」
私は彼女の中心で回る、ひときわ大きな臓器に目を奪われている。
天啓のような衝撃。
ああ、こんなこと。
私が嫌っているのは内臓ではなくて。
私は内臓が嫌いなのではなくて。
全ては反転だったなんて。
「――きれい」
言葉は意識を越えて、十七年かけて醸成された人格を軽々と超越して、自然と口をついていた。
私は今、生まれて初めて、はらわたを、否、生き物を見てきれいだと感じている。
「嘘でもそう言ってくれて嬉しいです」
私はかぶりを振った。
嘘などであるものか。
すべて繋がった。
どうして私がこんなにも彼女に惹かれたのか。
どうして一晩も彼女を気にかけたのか。
どうして彼女のことを友達だと思いたかったのか。
私達は、互いが互いの理想の魔女だったのだ。
「もう、時間がありません」
最後に彼女の瞳を見てから、私は一番大きな臓器に触れた。ナイフなど使わない。素手で触れることで、私が彼女の中身を心からきれいだと思っている証明になると思った。
魔女は目を閉じている。
私に終わらせられる時を静かに待っている。
私はそれに応えて。
中心で駆動する大きな臓器を、彼女から取り外した。
針音が、止まった。
「別れは済んだか」
館の外にはコートを着込んだ惟子がいた。どうやら私が出てくるのを待っていたらしい。冷え込み具合からして時刻は九時ぐらいだろうか。夜更けと呼ぶにはまだ早いが、標高の関係で「町の夜九時」とは比べ物にならないほど寒いというのに、意外と気が利くところがある。
「別に。こっそり館を探検していたから、退屈も寒い思いもしなかったし」
それに人外に惹かれる奴には少しだけ便宜を図ると決めている。そう付け加えた惟子は遠い目をしていた。
「一階の書斎は見たか」
私は首を横に振った。
惟子が言っているのは、魔女の母がいるという部屋のことだろう。
「あそこには死体があったよ。白骨化した女の死体。そっちがレナードだった」
そんなこと、今の私には聞かなくてもわかっていた。
「机の上には書きかけの手記。そこにすべての回答が記されていたよ」
手記にはこうあった。
レナードが魔法を習得したというのは正確ではなかったらしい。魔法の原理を理解、解明こそしたものの、それは人間の身体では構造上どうしても習得できないものだった。時計職人だったレナードは、そこで別のアプローチを思いついた。すなわち、魔法を再現する機器を発明したのである。そして、その機器を人形に取り込ませることで、若き日に恋した魔女を再現することにした。人形作りは専門外であったが、天才的技巧師であるレナードはすぐにコツを掴み、美しい人形を完成させた。
技術、道具、素材。あらゆるものが揃っていた。レナードの望む魔女を完全に再現したオートマタが作り上げられるはずだった。
けれど、レナードの方に問題が起きてしまった。
レナードは持てる技術の全てをその人形に注ぎ込んだ。人形として完成させるのに三年もの歳月を要した。そこまでしてしまうと何が起こるか。
人形に対して、腹を痛めて生んだ子供に抱くような愛着を持ってしまったのである。
人間でさえ、子供作りに十月十日しかかけないというのに、そこに三年も費やしてしまったら、愛情の発生は当然と言えた。人形職人ではなかったレナードはそういう種類の愛情の存在を知らなかったのだ。
レナードは葛藤した。
自分の娘同然の存在に、自分の理想を押し付けて良いものか。
魔女の心ではなく、人の心を与え、優しい子として産み落とすべきではないのか。
魔女を作るには、レナードの心はあまりに人間的過ぎた。
そうして生まれたものは半端だった。
表面上は魔女としての残虐性を有しながらも、本質は虫一匹殺せない。
どっちつかずの存在に仕上げてしまったことへの謝罪が手記には繰り返し記されていたらしい。愛娘に何度も謝りながらも、それでもレナードにはどちらに寄らせるのが正しいかはわからなかった。
だが、ついにレナードは決意した。
彼女を人間にすると。
『翌日、彼女の心を人間にする修繕を行う。もっと早く気付くべきであった。彼女を作った……否、生んだ時点で、私は恋する乙女ではなく母親となっていたのだから』
手記はそこで止まっていた。
「哀れだね。決意を固めたときに、運悪く天に召されたらしい。もともと心臓に欠陥を抱えていたんだとさ」
話し終えた惟子が短くなった煙草を放る。小さな赤い光が夜闇吸われて消えていった。
「最初に調査の依頼をしちまったからね。すぐにこの館にも調べ上げられる。人形は貴重なサンプルとして組織に回収されちまうだろう。隠匿するなら今のうちだぞ」
私は首を横に振った。
彼女の体の構造は私の頭の中に入っている。そのためにこんな遅い時間まで山の洋館にいることにしたのだ。それに、万一忘れることがあっても、鞄の中に入っている大きな歯車に触れれば、克明に思い出せる確信がある。これでも普通の人間より、はるかに多くの内臓を見てきたのだ。
「大したもんだよ、おまえは。まがい物とはいえ、魔女に関わって生き延びたのだから」
私はまたしても首を横に振った。
彼女は確かに魔女だった。まがい物などであるものか。
だって、私の運命は彼女によって決まってしまった。
あの日、惟子に宣告された通りに。
彼女と関わったせいで死ぬことになると、決まってしまったのだから。
彼女の中身を見て美しいと思った。
回転する歯車の計算され尽くした配置。
木々が噛み合って奏でる心地の良い音色。
滑らかに光を弾く光沢。
汚らしい体液が存在しない、なのに温かみのある空間。
私は、内臓が嫌いだったんじゃない。
美しい内臓を有した生き物がいないことに苛立っていただけなのだ。
だから、もしそういう生き物を見せられてしまったら。
私の殺戮衝動なんて、マッチの火よりも微かで弱弱しく、いとも簡単に吹き消えてしまう。
私はブレザーのポケットからナイフを取り出すと、それを森の闇に向かって放った。流れ星のように月光をなびかせながら消えていく。
もう私に殺しの道具は必要ない。
これからは作る側にまわるのだから。
私の中心に手を当てる。
――どくん、どくん、どくん。
今は気味の悪い心音でしかないけれど。
やがて、軋んだ針音に変わるのだろう。
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拝読させていただきました。
書かれた方の情熱がこもっている作品で、読んでいて創作を楽しんでいる様子が伝わりました。
描写も緻密で、伝奇モノの実現には不可欠な、世界観や情景を想像するのが容易という点をクリアしている。表現力に努力をされていることでしょう。
また、あるものを礼賛するラストには歪だった主人公に対して救いがありました。外に向かう終わり方に美しさを覚えるとともに、またこの世界を見てみたいです。
ただ情熱を感じる作品だからこそ忌憚なく感想を書きたいのですが、やはり影響を受けた方がはっきりわかってしまうのが残念でした。
本来、創作とは何もないところから生み出すことであり、1→10の作業ではなく、0→1の作業です。
読んだのが本作のみである私が言うのも憚られますが、影響元の方を投影するのでなく、東崎さん自身の文体、メッセージ、キャラクターを生み出して欲しいと思いました。
また、伝奇にしようと肩の力が入りすぎているのも事実です。作品世界を固めすぎて意外性を感じない。面白い伝奇とは、固めてきた世界を作者自身がぶち壊すからこそ読者は離れられないのです。一つ、目の覚めるような何かが欲しいと思いました。
最後にアドバイスで結びとしますが、より多くの作品に触れていって欲しい。
それは、ジャンルにとらわれない吸収の仕方です。ラブコメ、スポ根、SF、コメディなどを、それもアニメや漫画、小説にとどまらず、映画、ドラマ、舞台など、多くのものを雑多に吸収し、内面世界を広げるのが良いでしょう。
吸収したものから再び世界を構築することで書きたい世界に深みを増せるはずです。
今後ますますのご発展をお祈りしております。
コメントありがとうございます!
長文で、しかも丁寧にご感想をいただけてとても嬉しいです!
差し支えなければ教えていただきたいのですが、「影響元になった作家」さんがどなたのことか教えていただけないでしょうか?可能ならば作品も……。
今後の参考にしたいと思っております!
アドバイスありがとうございます😊
現在色々な本を読んで勉強しているところです!これからも頑張ります!