「いっすん坊」てなんなんだ

こいちろう

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母さんの記憶

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 母さんはヨシキが小学校に入学した年に交通事故で亡くなった。

 母さんは、外出するときは必ずくるぶしまでの長いスカートをはいていた。左足が細いんだ。子どもの頃の病気のせいで、左足が極端に細い。それを気にして、足もとまでが隠れる長いスカートをはいていた。いつもはツエをついてゆっくり歩く。でも、ヨシキと一緒に歩くときは、ツエを持たずにできるだけヨシキの歩調に合わせて歩いていた。
「良樹には、ふつうのお母さんでいたいものね」
そう父さんに話していたことがあった。
 いや、母さんはふつうのお母さんなんかじゃない。とてもとてもやさしい最高のお母さんだったんだ。
「三つめの約束だ。これからおまえが小学校に入った最初の夏休みの光景に変わるぞ」
「えっ、それ母さんが亡くなった頃じゃないか。止めろよ、絶対に!そんなの思い出したくないぞ。それだけはだめだ!オレはたのんでないぞ。たのんでもない映像を出すんじゃないよ」
そう抗議した。でも、勝手に周りの景色が変わった。
 新幹線だ。夏休みに入ってすぐ、母さんと二人で高洲島に帰省することになったんだ。
 最寄りの新幹線の駅までは五時間近く乗りっぱなしだ。小学校一年生なんだぞ。五時間なんてたまらなく退屈だ。最初はうれしくて、外の景色を見たり、車内の人たちを見たりしていたが、富士山を通り過ぎてからは、もう退屈で仕方なくなった。買ってもらったマンガ雑誌なんて、すぐに読んでしまう。ゲーム機なんて、そんなに長い時間やってられない。
 前の車両から後ろの車両まで行ったり来たり、母さんに何度も叱られた。
 でも座席にすわらされて、
「じっとしてなさい!」なんて叱られても、勝手に手と足が動いてしまう。シートの上で手足をバタバタして思いっきり座席を揺すぶって、母さんがたびたび周りのお客さんに謝っている。
 ちょっとの間もおとなしくなんてできなかった。
「オレ、チビの時はずいぶん母さんに迷惑かけてたんだ。悪い子だったんだ。でも、母さんはいつもやさしかった」
 弁当を食べるとき、揺れてもこぼれないように、ヨシキの弁当をしっかり支えてくれた。水筒のお茶をコップに注いで、口元まで運んでくれた。母さんの作ったお弁当はおいしかったなあ。のり巻きがあって、だし巻き卵や昆布巻き、かき揚げなんかも朝早くから作っていた。あの日、弁当に入っていたものをみんな覚えているんだ。
 腹一杯になって、動き疲れてちょっとウトウトしていたら、やっと駅に到着だ。駅前にじいちゃんが車で迎えに来ていた。あの頃は車を運転していたんだ。お坊さん姿のじいちゃんが、大きく手を振っている。
「おーい、良樹。元気じゃったか」
じいちゃんの大きな声がした。

 あのときはうれしかったんだよ。じいちゃんの顔が見えたこともだけど、きゅうくつな新幹線の座席からやっと解放されたんだ。
 母さんは足が悪いから急げない。階段の手すりを持って、ゆっくりと降りている。だから思わず一人で駆け出した。駅から車道に飛び出したんだ。
「じいちゃん、久しぶり!」
じいちゃんが手を振る方にいちもくさん。
「停まれえっ!危ないぞっ!」
じいちゃんの声がした。母さんが
「だめっ!ヨッちゃん、だめ!」と叫んだ。
悲鳴のような声だった。
 目の前に車が迫っていた。
ガシャン!・・・
あとは分からない。
 気がついたら、母さんが救急車で運ばれていくところだった。頭から真っ赤な血が流れ落ちていた。ヨシキを助けようと必死で駆け寄ったんだ。悪い足で、でも必死に駆け寄ったんだ。そして、ヨシキを抱き留めたまま母さんが車にはねられた。
「ヨッちゃん、頭打ってない?だいじょうぶ?だいじょうぶだった?」
立ち上がったヨシキにそう母さんが言ったような気がした。手をオレの方に伸ばして、目にいっぱい涙をためて。
「オレのために母さんは死んだんだっ!」
 死ぬのは本当はオレなんだよ!母さんじゃなくて、オレなんだよ。
 オレだったんだ死ぬのは!そうだよ オレが母さんを死なせたんだ。
「アアアーッなんでこんなことを思い出させるんだ。見せるなよ!いっすん坊の意地悪!」
悲しみがどっと胸にこみ上げる。
「これを思い出すのは怖いんだ。絶対思い出したくないんだ。思い出しかけては、いつも頭がこわれそうなくらい痛くなってしまうんだ。いやなんだ、いやだ、いやだ、いやなんだよ!オレ、今でも悲しくて悲しくて、たまらないんだぞ・・・」
 苦しいよ、悲しくて悲しくて、胸が痛くなって息ができないくらい苦しいよォ!
「そうさ、母さんを殺したのはオレなんだ。オレなんだよ。オレのせいだ。オレのせいで母さんは死んだんだ。オレ、オレは本当に悪いやつなんだ」
「ちがうわよ。ちがうわ!ちがうよッ、ヨッちゃん。絶対ちがうのよ!」
ユキちゃんが言った。
「ヨッちゃんは悪くないの。お母ちゃんは、ヨッちゃんを助けることができて、とってもうれしかったんだから」
 えっ、ユキちゃんの声?
「母さんの声だ。母さんだ!絶対、母さんだ!」
 ユキちゃんがいつの間にか母さんになっていた。ずっとユキちゃんだと思っていたら、そばにいたのは母さんだった。
 ユキちゃんの代わりに母さんが笑って立っていた。
「ヨッちゃんは一つも悪くないのよ。だって、こんなに元気で大きくなってくれたんだもの。ヨッちゃんはいい子よ。お母ちゃんは、あなたが楽しそうに毎日をおくってくれてるのが、何よりうれしいんだからね」
「お母ちゃん!」
「ヨッちゃんはいい子。お母ちゃんはね、ずっとずーっとあなたを見守ってるんよ」
ユキちゃんは、いや母さんはそう言うと、すっと姿を消していった。
         
 いのこ いのこ もちついて はんじょうせえ はんじょうせえ
 子どもたちがうたうそんな風変わりな声が聞こえてくる。「亥ノ子まつり」っていう。高州島の子どもたちが一軒ずつ玄関の前に立ってこの歌をうたうのだ。それぞれの地区ごとに子どもが集まって、たくさんのヒモでくくった亥の子石を地面に打ち付けながらうたう。もう寒い季節だ。
「亥ノ子亥ノ子 餅ついて 繁盛せえ繁盛せえ」
そう言って何度も歌えば、その家の人からお菓子がもらえるんだ。まだ五才か六才くらいだろうか、ヨシキのそばにとうさんとかあさんがいる。小さなヨシキが一緒に仲間に入れてもらってヒモを一本引っ張っている。それを、父さん母さんが並んでうれしそうにみている。父さんがパシャリとカメラで写真を撮った。その時の写真はまだうちに飾ってある。
 三人がそろって高州島に帰ったのはこれが最後だ。やがて冬を迎えるころの行事だが、あの時、とうさんとかあさんとの間に挟まれてとてもあったかかった。三人で石段を上がった。とうさんが左手、かあさんが右手、子どもには石段の一つ一つが高いんだ。でも、楽しかった。両方にぶら下がるようにして、一段ずつ上がっていったんだ。かあさんは足が悪いのに、でもうれしそうに笑いながら、ヨシキの右手を持ち上げてくれた。
 いのこいのこ はんじょうせえはんじょうせえ ってかあさんが何度も歌ってた。
「子どもは高州島の宝だものね」


 かあさんがベッドに横になってこっちを向いている。
「ヨッちゃん、産まれてくれてありがとう」
なんだ母さん、元気そうじゃないか。なんかうれしそうな顔をしてヨシキを見ている。
 そうか、オレの産まれた日だ。これは産まれたばかりのヨシキが見た初めてのかあさんだ。
「由起子、ようがんばったね。元気な男の子よ」
お寺のおばあちゃんだ。
「タカシさん、おめでとう」
父さんのでかい顔がのぞき込んだ。
「ヨシキだ。おまえの名前はヨシキだぞ。かあさんと二人でずっと考えて決めたんだ。ヨシキ、お前のとうさんだぞ」
 そうか、タカシとユキ子がヨシキの父さんと母さん!やまだのかかしとユキ女が結婚したんだ。
「由起子さん、ありがとう。本当に元気なかわいい子よ」
今度は山田のばあちゃんがのぞき込んだ。
 次から次に色んな顔がのぞき込む。お寺のじいちゃんだ。あれ、なんかいっすん坊に似たような顔をしている。
 オレ、こんなにみんなから祝福されて産まれてきたんだ。

 おいいっすん坊!なんでこんなの見せたんだ?涙が止まんないぞ。
 止まんない。止めようと思っても全然止まんないじゃないか。涙で何にも見えないよ。
 勝手にオレの歴史ドラマなんか作んなよ。なんて悲しいドラマなんだ。これはあきらかに作為的な編集だぞ。泣かせるなよ!泣けるじゃないか、泣けて泣けてしょうがないよ・・・

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