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103 帰還の足音
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この街に戻ってきたのは、風でもなければ鳩でもなく、一人の少女だった。
彼女はふらりと森の道から現れ、俺たちの前に立った。肩までの黒髪、年の頃は十四か十五、素朴な服装に土の匂い。どこか見覚えがあるようで、しかし確かに知らない顔だった。
「ここって、昔あった街ですよね?」
そう言って彼女は、あたかも十年前の約束を果たしに来たような、そんな顔をしていた。
俺はその場で水をこぼしそうになり、セリアは目を細めて少女を観察し、リュナは「おかえり!」とよく分からない歓迎を叫んだ。エリスは、何も言わずに手帳を開いていた。たぶん、何かを記録する気満々だったのだろう。
彼女の話によれば、数年前に森に消えたという人物──正確には「父」と名乗る男が、森の中で生きており、そこに“人の暮らし”が存在していたという。
「おとうさんが、教えてくれたんです。西の空が赤くなった日を数えて、川を三つ越えて、鳥が二回鳴いたら、次の曲がり角をまっすぐ──って」
もはや宝探しの暗号のような道案内だったが、それが不思議と“この街”にぴたりと一致する地点へと導いていたのだから、父親の空間認識能力か記憶力か、あるいは単なる偶然か、どれを取っても常人離れしている。
問題は、その“父親”が誰なのか、俺たちが誰一人覚えていなかったということである。
森に消えた人々の記録は、正直なところあやふやだ。出入りが激しく、誰がいつどこでどうなったかを正確に把握している者はまずいない。そもそも、あの森のせいで「昨日いた人が二年前に消えていた」なんてことも平気で起きる。時間と存在の整合性が、あの場所ではやたらと軽んじられているのだ。
俺たちは少女をとりあえず案内し、風呂を貸し、ご飯を出し、街の地図を見せた。
「なんか、昔と変わらないですね」と彼女は言った。
その“昔”が何年前のものなのか、彼女の中でも曖昧らしかった。俺たちは曖昧さに慣れていたので、あまり気にしなかった。むしろ、そこに妙な親近感すら抱いた。
夜になってから、彼女はぽつりとこう言った。
「おとうさんは、もう歳をとりすぎて森を出られないけど……“戻れるなら、行っておいで”って、言ってくれたんです」
俺はその言葉を聞いて、不思議な気持ちになった。森の中に、人が残っている。消えたと思っていた誰かが、生きていて、そこに“街の記憶”を持っていた。時間が歪み、空間が捻れても、記憶だけは意外と丈夫なのかもしれない。
翌朝、街の中央通りを歩いていた少女に、「おかえりなさい」と声をかける老婆がいた。
少女は一瞬きょとんとして、しかしすぐに笑って、「ただいま」と言った。
そのやりとりを見ていた俺は、なぜか涙が出そうになった。
午後になると、もう一人森から来た者が現れた。今度は青年。背が高く、筋張った腕と落ち着いた口調。服装は古びていて、どこか“前の時代”を思わせた。
「うちのばあちゃんが、こっちに来てたらしいんです」
そう言って彼は、街の中心にある広場で立ち止まり、空を見上げた。
「話には聞いてたけど……なんか、懐かしいですね」
俺は、「来たこと、あった?」と聞いた。
青年は、「たぶん、生まれたとき」と言った。
それが正確な記憶なのか、植えつけられた物語なのかは分からない。ただ、彼の目が、この街の輪郭を知っているように見えたのは、確かだった。
こうして、“森から帰ってくる者たち”が、ぽつりぽつりと現れ始めた。
彼らは口を揃えて「ここがふるさとだった気がする」と言った。記録はない。証拠もない。ただ、“感じる”というだけの根拠が、なぜかこの街では通用する。
俺たちの街は、いつのまにか、そういう場所になっていた。
言葉より、空気と匂いと足音で、「ああ、ここだ」と分かるような──そんな不思議な場所。
セリアは「この現象には名前が必要だ」と言った。
エリスは「記録を集めましょう」と言い出し、リュナは「迎える準備しなきゃね!」と張り切っていた。俺はといえば、ぼんやりと境界の森を眺めていた。
夕暮れの森は、いつにも増して静かだった。
風が揺れ、枝がさやさやと鳴る。小さな気配が、どこかで動いている。
森の奥から帰ってくるのは、声ではなく、足音だ。
確かに聞こえた気がする。
懐かしさは、ときどき、記憶より先に歩いてくる。
彼女はふらりと森の道から現れ、俺たちの前に立った。肩までの黒髪、年の頃は十四か十五、素朴な服装に土の匂い。どこか見覚えがあるようで、しかし確かに知らない顔だった。
「ここって、昔あった街ですよね?」
そう言って彼女は、あたかも十年前の約束を果たしに来たような、そんな顔をしていた。
俺はその場で水をこぼしそうになり、セリアは目を細めて少女を観察し、リュナは「おかえり!」とよく分からない歓迎を叫んだ。エリスは、何も言わずに手帳を開いていた。たぶん、何かを記録する気満々だったのだろう。
彼女の話によれば、数年前に森に消えたという人物──正確には「父」と名乗る男が、森の中で生きており、そこに“人の暮らし”が存在していたという。
「おとうさんが、教えてくれたんです。西の空が赤くなった日を数えて、川を三つ越えて、鳥が二回鳴いたら、次の曲がり角をまっすぐ──って」
もはや宝探しの暗号のような道案内だったが、それが不思議と“この街”にぴたりと一致する地点へと導いていたのだから、父親の空間認識能力か記憶力か、あるいは単なる偶然か、どれを取っても常人離れしている。
問題は、その“父親”が誰なのか、俺たちが誰一人覚えていなかったということである。
森に消えた人々の記録は、正直なところあやふやだ。出入りが激しく、誰がいつどこでどうなったかを正確に把握している者はまずいない。そもそも、あの森のせいで「昨日いた人が二年前に消えていた」なんてことも平気で起きる。時間と存在の整合性が、あの場所ではやたらと軽んじられているのだ。
俺たちは少女をとりあえず案内し、風呂を貸し、ご飯を出し、街の地図を見せた。
「なんか、昔と変わらないですね」と彼女は言った。
その“昔”が何年前のものなのか、彼女の中でも曖昧らしかった。俺たちは曖昧さに慣れていたので、あまり気にしなかった。むしろ、そこに妙な親近感すら抱いた。
夜になってから、彼女はぽつりとこう言った。
「おとうさんは、もう歳をとりすぎて森を出られないけど……“戻れるなら、行っておいで”って、言ってくれたんです」
俺はその言葉を聞いて、不思議な気持ちになった。森の中に、人が残っている。消えたと思っていた誰かが、生きていて、そこに“街の記憶”を持っていた。時間が歪み、空間が捻れても、記憶だけは意外と丈夫なのかもしれない。
翌朝、街の中央通りを歩いていた少女に、「おかえりなさい」と声をかける老婆がいた。
少女は一瞬きょとんとして、しかしすぐに笑って、「ただいま」と言った。
そのやりとりを見ていた俺は、なぜか涙が出そうになった。
午後になると、もう一人森から来た者が現れた。今度は青年。背が高く、筋張った腕と落ち着いた口調。服装は古びていて、どこか“前の時代”を思わせた。
「うちのばあちゃんが、こっちに来てたらしいんです」
そう言って彼は、街の中心にある広場で立ち止まり、空を見上げた。
「話には聞いてたけど……なんか、懐かしいですね」
俺は、「来たこと、あった?」と聞いた。
青年は、「たぶん、生まれたとき」と言った。
それが正確な記憶なのか、植えつけられた物語なのかは分からない。ただ、彼の目が、この街の輪郭を知っているように見えたのは、確かだった。
こうして、“森から帰ってくる者たち”が、ぽつりぽつりと現れ始めた。
彼らは口を揃えて「ここがふるさとだった気がする」と言った。記録はない。証拠もない。ただ、“感じる”というだけの根拠が、なぜかこの街では通用する。
俺たちの街は、いつのまにか、そういう場所になっていた。
言葉より、空気と匂いと足音で、「ああ、ここだ」と分かるような──そんな不思議な場所。
セリアは「この現象には名前が必要だ」と言った。
エリスは「記録を集めましょう」と言い出し、リュナは「迎える準備しなきゃね!」と張り切っていた。俺はといえば、ぼんやりと境界の森を眺めていた。
夕暮れの森は、いつにも増して静かだった。
風が揺れ、枝がさやさやと鳴る。小さな気配が、どこかで動いている。
森の奥から帰ってくるのは、声ではなく、足音だ。
確かに聞こえた気がする。
懐かしさは、ときどき、記憶より先に歩いてくる。
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