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124 漂流者を迎える場所
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この街に足りないものは何か。と聞かれて、すぐさま「情緒!」と答えたくなるのが俺の悪癖だが、近ごろはもう少し現実的な答えを用意しなくてはならない気がしていた。なぜなら、情緒だけではスーツ姿の濡れ鼠を受け止めるには力不足であるからだ。
近頃、海は機嫌がいいのか悪いのか、漂流者を頻繁に吐き出す。かつては神の導きのごとき奇跡だったのが、今や「また来た」で済まされる程度の日常。スーツ、シャツ、ネクタイ。どれも洗いざらし、もしくは海水で味付け済みの新品ばかりである。いや、表現が間違っている。新品ではない、新品“風”の絶望をまとった人材たちである。
その絶望のなかに、ひときわ見慣れた顔が立っていた。スーツを脱ぎ捨ててもなお社畜臭をまとった男――カズマである。
「いやあ、増えましたね……」
と、カズマは自分の腹のような鈍い目で海を眺めた。
「増えたよ。なんかのバグかもしれないって医者が言ってた」
「でも、バグって言って片付けていい規模じゃないですよね。もう完全に、これは“現象”ですよ。“海産ヒューマノイド現象”」
名前をつけるな。現象は名前を与えられた瞬間、社会問題になる。俺は名づけという行為に本能的な嫌悪を抱いている。が、街は現象の対処に追われていた。
まず、医者が怒鳴った。
「なぜ! 全裸に近い濡れ鼠にタオル一枚で対応しようとするのだ! 我々は猿か! 猿か!」
彼はどこかの王宮に仕えていたとか言っていたが、王よりも風呂上がりの母親のような存在感を放つこの男は、すでに街の健康をすべて抱えている気でいる。
「いいか、この街はもう個人主義でどうにかなる規模ではない。制度が要る! 流れ作業! 検温! 消毒! 問診!」
次に教育者が静かに言った。
「世界を記述するには、まず彼らの言語を知る必要があります」
その目はすでに七冊目の辞書を編纂し終えた哲学者のような濁りと輝きを宿していた。彼はメモ帳をめくりながら、「この街の漂流者は九割五分、第一声が“ここどこ”か“死んだ?”なんです」と語り、ついでに「それだけで分類ができるかもしれませんね」と、勝手に分類学を始めていた。
そして料理人は黙って鍋に火を入れた。
「この人たち、体温が低い。だから、スープ」
すべてを包み込む優しさと、内臓に染み込む塩分濃度で、彼はまた一人、魂を湯に溶かした。異世界というのは、優しさの在庫が尽きることのない台所である。
それでも、彼らが抱え込むのは限界がある。
そこで、俺は言った。
「支援センターを作る」
誰もが一瞬沈黙した。次に動いたのは、カズマだった。
「……あの、俺、また巻き込まれる感じですか?」
「すでに巻き込まれている」
「ですよねぇ……」
そうして始まった。支援センター計画。
建物の設計は教育者がやると言い出し、「東洋と西洋、文と武、昼と夜が交わるような設計思想を……」と語りだしたが、三分後には医者が「使いにくい!」と叫び、設計図は紙飛行機にされて空を舞った。
カズマは言う。
「……なんか、みんな好き勝手言ってませんか」
「いつものことだ」
「ですよね……」
それでも、建物はできた。いや、“形”ができた。温かいスープが出る部屋、言語習得用の石版、ベッドのようでベッドでない寝台。そして何より、「誰かがいる」場所。それがこの街の支援センターである。
カズマは、そこに座っていた。自分でも理由がわからないまま、座っていた。
「俺、なんかの係なんですかね……?」
「君は、いてくれるだけでいい係だ」
「それ……何か仕事してない感じに聞こえますけど……」
それでも彼は座り続ける。新たな漂流者が扉をくぐるたび、「ああ、また来たな」と思いながら、「いらっしゃい」とは言えないまでも、お湯を沸かす。タオルを渡す。記憶が曖昧な誰かと一緒に、「死んだっぽいですね」と静かに頷く。
そして時々、医者が「次!」と叫び、教育者が「単語帳を」と言い、料理人が「スープ足りてない」と鍋を叩く。
街は、少しずつ“受け入れる”ことを覚えていく。
制度ではない。体制でもない。
これは、“気配”だ。
この街のどこかに、誰かが「いてくれる」と思えること。それがこの世界における、最大の支援なのだ。
俺は今日もまた、支援センターの片隅で、カズマの肩がほんの少しだけ下がるのを見ている。
疲れているのではない。
気を抜いているのだ。
それは、ある意味でこの街が、“家”になってきている証拠かもしれない。
近頃、海は機嫌がいいのか悪いのか、漂流者を頻繁に吐き出す。かつては神の導きのごとき奇跡だったのが、今や「また来た」で済まされる程度の日常。スーツ、シャツ、ネクタイ。どれも洗いざらし、もしくは海水で味付け済みの新品ばかりである。いや、表現が間違っている。新品ではない、新品“風”の絶望をまとった人材たちである。
その絶望のなかに、ひときわ見慣れた顔が立っていた。スーツを脱ぎ捨ててもなお社畜臭をまとった男――カズマである。
「いやあ、増えましたね……」
と、カズマは自分の腹のような鈍い目で海を眺めた。
「増えたよ。なんかのバグかもしれないって医者が言ってた」
「でも、バグって言って片付けていい規模じゃないですよね。もう完全に、これは“現象”ですよ。“海産ヒューマノイド現象”」
名前をつけるな。現象は名前を与えられた瞬間、社会問題になる。俺は名づけという行為に本能的な嫌悪を抱いている。が、街は現象の対処に追われていた。
まず、医者が怒鳴った。
「なぜ! 全裸に近い濡れ鼠にタオル一枚で対応しようとするのだ! 我々は猿か! 猿か!」
彼はどこかの王宮に仕えていたとか言っていたが、王よりも風呂上がりの母親のような存在感を放つこの男は、すでに街の健康をすべて抱えている気でいる。
「いいか、この街はもう個人主義でどうにかなる規模ではない。制度が要る! 流れ作業! 検温! 消毒! 問診!」
次に教育者が静かに言った。
「世界を記述するには、まず彼らの言語を知る必要があります」
その目はすでに七冊目の辞書を編纂し終えた哲学者のような濁りと輝きを宿していた。彼はメモ帳をめくりながら、「この街の漂流者は九割五分、第一声が“ここどこ”か“死んだ?”なんです」と語り、ついでに「それだけで分類ができるかもしれませんね」と、勝手に分類学を始めていた。
そして料理人は黙って鍋に火を入れた。
「この人たち、体温が低い。だから、スープ」
すべてを包み込む優しさと、内臓に染み込む塩分濃度で、彼はまた一人、魂を湯に溶かした。異世界というのは、優しさの在庫が尽きることのない台所である。
それでも、彼らが抱え込むのは限界がある。
そこで、俺は言った。
「支援センターを作る」
誰もが一瞬沈黙した。次に動いたのは、カズマだった。
「……あの、俺、また巻き込まれる感じですか?」
「すでに巻き込まれている」
「ですよねぇ……」
そうして始まった。支援センター計画。
建物の設計は教育者がやると言い出し、「東洋と西洋、文と武、昼と夜が交わるような設計思想を……」と語りだしたが、三分後には医者が「使いにくい!」と叫び、設計図は紙飛行機にされて空を舞った。
カズマは言う。
「……なんか、みんな好き勝手言ってませんか」
「いつものことだ」
「ですよね……」
それでも、建物はできた。いや、“形”ができた。温かいスープが出る部屋、言語習得用の石版、ベッドのようでベッドでない寝台。そして何より、「誰かがいる」場所。それがこの街の支援センターである。
カズマは、そこに座っていた。自分でも理由がわからないまま、座っていた。
「俺、なんかの係なんですかね……?」
「君は、いてくれるだけでいい係だ」
「それ……何か仕事してない感じに聞こえますけど……」
それでも彼は座り続ける。新たな漂流者が扉をくぐるたび、「ああ、また来たな」と思いながら、「いらっしゃい」とは言えないまでも、お湯を沸かす。タオルを渡す。記憶が曖昧な誰かと一緒に、「死んだっぽいですね」と静かに頷く。
そして時々、医者が「次!」と叫び、教育者が「単語帳を」と言い、料理人が「スープ足りてない」と鍋を叩く。
街は、少しずつ“受け入れる”ことを覚えていく。
制度ではない。体制でもない。
これは、“気配”だ。
この街のどこかに、誰かが「いてくれる」と思えること。それがこの世界における、最大の支援なのだ。
俺は今日もまた、支援センターの片隅で、カズマの肩がほんの少しだけ下がるのを見ている。
疲れているのではない。
気を抜いているのだ。
それは、ある意味でこの街が、“家”になってきている証拠かもしれない。
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