5 / 59
第一幕
兄弟
しおりを挟む一方、当の暁光と洸清は、鯨一郎をはじめとする護衛を先に邸に帰らせ、未だ森の中で馬を休ませていた。無論、鯨一郎は聞き渋ったが、「二人で話したいことがある」と暁光に頼み込まれ「夜半を過ぎても戻られぬようでしたら、如何に大切な御話のさなかであっても呼びに参りまするぞ」とだけ言い残し、仕方なく帰路についたのである。
水面に落ちた上弦の半月が、暁光の放った小石により大きく歪んだ。どこか遠くで梟が鳴くのを聞きながら、再び手頃な石を池に投げ込む。
「大の男二人に『夜半までに戻れ』とは。鯨一郎の中ではいつまでも我らは幼子のようだ」
「致し方ありますまい。兄上が鯨一郎に心配ばかりお掛けになるからだ」
洸清の溜息に、暁光はこれではどちらが兄やら分からぬな、と苦笑いを零した。暁光にとってはほんの小さな、何気ない呟きであったが、洸清は不機嫌に眉を潜めた。
「それは、あんまりなお戯れではありませんか、兄上。洸清は物心ついたときから一度も兄上を越したことも、越そうと思ったこともございません。兄上にとってはほんの軽口でございましょうが、私には兄上への忠義を軽んじられたように捉えられまする」
驚いたように目を瞬かせる暁光を見上げ、洸清ははっとした後、苦い顔をして「申し訳ございません、口が過ぎました」と頭を下げる。それでも暁光が黙っているので、怒りに触れたかと洸清は踵を返した。
「ご無礼を申しました、頭を冷やして参ります」
「洸清」
速やかに去ろうとする洸清をなるべく穏やかに呼び止め、暁光は髪と同じ色をした睫毛を伏せる。月の冷たい神秘さというよりは、陽の光の力強さを湛えた髪が夜風に静かに漂う。静寂を破った暁光の声は普段と変わらぬ色をしており、洸清は安堵した。
「否、済まなんだ。其方の申す通りであろう。口が過ぎたのは私の方だ」
「いえ、私の方こそ……」
しばし静かな時が流れたが、そのどこか気まずい空気も暁光は平然と破った。
「時に洸清。隋分と話が逸れてしまったが」
「あぁ、件の盗人、でございますか」
洸清も手慰みに馬の鼻を撫でながら、本来こうして人払いをした目的を思い出す。暁光は頷いて、珍しく険しい面持ちで「それがどうやらただの盗人ではないらしい」と続けた。
「ただの盗人ではない? 多少なり我らに所縁のある者ということでございますか」
「どちらかというと因縁だな。『加賀党』は其方も知っておろう」
「えぇ、無論存じております。あれは厄介な連中でございますゆえ」
加賀党とは、京の西方に根城を構える徒党である。その信条は、公主こそがただ唯一のこの京の王であり、幻驢芭、白爪両家は即権威を公主に奉還すべきである、というものだ。
「どうやら件の盗人は加賀党の末席らしいのだ。先の戦で宵殿を廃し公主を擁立すると嘉阮にそそのかされ、敵方に加勢した。……は良いが、兵糧に困り民家を襲い、その際に恐らく件の童の両親も」
「……目も当てられぬ者どもにございまするな」
「加賀党はそういう輩の巣窟だ。……抑、彼らの主張は現実性に欠ける。所詮は徒党の絵空事よ」
「しかし兄上、公主殿下が髪上げをなされば、宵殿は摂政から退き、両家はただ、近臣としてお支えするのでございましょう。公主殿下は今年で十二になられます、髪上げは来月にでも、という頃合いです。ゆえに宵殿は事を急いておられたのではないのですか? 近々公主殿下に全ての権限を奉還するのならば、加賀党などお気に留める必要もありますまい」
洸清の問いに暁光は答えなかった。その沈黙が何を意味するのか。洸清はまさか、と暁光に詰め寄るが、暁光は視線を外し「京を思うのならば、と宵殿と決めたことだ」と呟いた。
「兄上! それはまかりなりませぬ、元より宵殿と兄上は亡き陛下より詔勅を賜り、公主殿下にお仕えするのではなかったのですか」
「……嘉阮の執拗な侵攻も気にかかる。宵殿が釘を刺しておられるが、それで退く相手なら苦労せぬ。公主殿下はまだこの京を背負うべきではない」
「兄上は仰っていたではありませんか、近頃の公主殿下は政も軍略も大変な上達であられると。隣国の動向ならば、実権を握らずとも両家で監視していればよろしい筈」
洸清は一瞬言い淀んだが、兄の目を見て、「……御野心でないならば」と付け足した。
「……なぜ、何も答えて下さらないのですか」
「……」
「兄上!」
暁光は洸清と視線を合わせたまま黙っていたが、やがて馬の蹄の音、鯨一郎の声が近づくとただ一言だけ口にした。
「野心と呼べぬこともないのであろうな」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜
上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■
おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。
母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。
今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。
そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。
母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。
とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください!
※フィクションです。
※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。
皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです!
今後も精進してまいります!
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
偽夫婦お家騒動始末記
紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】
故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。
紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。
隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。
江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。
そして、拾った陰間、紫音の正体は。
活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる