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最終幕
慟哭
しおりを挟む三度に渡る銃声が響いたとき、暁光は耐えきれず本陣の将に出陣の号令を出させた。止め処なく涙を散らしながら、将は声の限り叫び、自らも前線へ駆けて行く。
「殺せ! 一人残らず殺すのだ!」
部隊長達の嘆きが響く。赤鱗と共にその背を追った暁光はほどなくして前線を率いる形となり、嘉阮の最前線にある盾兵隊諸共そこに居る人間を余さず蹴散らす。纏わりつく歩兵を薙ぎ払い、迫り来る騎兵を斬り伏せ、沖去軍の焔は嘉阮軍を焼き尽くさんばかりであった。
「陛下!」
円陣の中へ暁光が飛び込んだ時には、白馬に乗った見たことのない将が雑兵から宵君を護り刃を振るっているところで、暁光の姿を認めるや否や、その将は叫んだ。
「疾く宵君を! 武功に飢えた兵どもを俺だけでこれ以上捌くのは無理だ」
その言葉に暁光は頷き、赤鱗とその男の白馬で月香を挟むようにしてまばらに群がる歩兵を踏み殺す。月香の瞳を覗き込み、赤鱗が嘶いた。
「月香、お前……」
右眼を負傷しているらしく、頬を血で濡らしたその将は月香を一瞥し、微笑んだ。
「月香というのか、良い馬だ。主上のことが大好きだったのだな」
月香は必ず護るゆえ、其方は宵君を連れて戻られよ。蘇芳がそう口にする前に、月香の黒い影が動いた。暁光も蘇芳も、目を見張ることしかできない。宵君の手が力強く鈍色の手綱を引き、それに呼応して月香が嘶いたのだ。
「その傷で、生きていたのか」
「否……」
二人が呆然としているうちに宵君は毅然として振り返る。その口元は柔らかな笑みを浮かべ、どこか悪戯をする童のような目をしていた。
「戻るぞ、暁光。……嗚呼、蘇芳。惜しいのう。もう一度、其方と刃を交えてみたかった」
相手は敵国の王である。にも拘わらず、蘇芳は思わず馬上で拝手した。月香、赤鱗が駆け出し、追い縋るように嘉阮の兵が群がる。暁光はそれを振り払っていたが、宵君が最早その余力すらないことに気づく。当然であった。
宵君の脚にしがみついた兵が、それを斬り落とそうと腿に刃を突き立てる。素早く暁光がその喉を突き殺したが、既に宵君の右脚は地を転がり、遥か後方に取り残されていた。しまった、と暁光の眼が揺らぐが、乱戦の中に居た騎兵が声高に叫ぶ。
「将軍! ご安心下され! 陛下のおみ足、この頼鹿が決して嘉阮兵などに渡しはしませぬ!」
その声に背を押され、暁光は再び前を向いた。本陣まであと数歩である。
――陛下が生きておられる! 陛下は御無事だ!
そのような歓声が背後で起こり、沖去軍から発せられる熱気が増すが、宵君は最早限界であった。本陣の天幕の前に、白爪の車が控えている。
徐々にその脚を緩める月香の歩んだ跡には、主従どちらのものとも分からぬ血がだらだらと続いていた。車の前に立ち止まった月香の首に顔を寄せ、宵君は丹桂を取り落とした手で優しくそこを撫でてやる。
「月香、よう駆けたのう。……もう良い」
その瞬間月香の脚が折れ、その場に崩れ落ちた。宵君はゆっくり休め、と動かなくなった月香の鼻に触れる。
「暁光、刻がない」
「は。ご無礼を」
片脚を失い立ち上がることも出来ぬ宵君を抱え上げ、御簾の内にそっと降ろした。自らも傍に乗り、馭者に車を出すよう指示する。
平坦な砂利道に床から染み出した血が落ちる。御所までを駆ける間、民に気づかれるかもしれないが、そのようなことを気遣う場合ではない。尋常ではない慌ただしさで街を過ぎ去る馬車を、京の民は何事かと見送った。
紫桜門に車を停め、暁光が降りると、すぐに高官だけでなく全ての官、侍女までもが跪いて迎える。一同は暁光の後ろを后妃の待つ紫楽殿へ歩んだ。
朱の階段を昇り、荘厳な昇龍の柱を過ぎて、玉座の前に跪いていた后妃に近づく。戦場の喧騒とは遠く離れた、酷く静かな殿内に、数人の血を帯びた息遣いが響いた。祈りを捧げていた両手を冷たい床につき、后妃は目を見開く。
「……陛下?」
絹の敷布を何重にも敷いた上に、宵君の身体は横たえられた。ふらふらとおぼつかぬ足取りで歩み寄り、后妃はすとん、とその傍らに座り込む。数歩後ろには、今にも頽れそうな淡海の姿があった。
后妃、淡海、とほとんど音にならぬ声に、まだ幼さの残る瞳が涙で溢れた。陛下、陛下、と何度も呼びかけ、最も出血の酷い腹の傷を袖で覆うが、后妃の薄紅色の衣が赤く染まるばかりで、粘度の高い血潮は零れ続ける。
「な、何をしている。堕們、早う陛下をお助けせぬか」
后妃の訴えに、堕們は静かに目を伏せた。それが何を意味するか、后妃は理解を拒む。その様子を悟り、宵君は静かに息を吐いた。それが后妃を呼んだ声であったのだと、気づいたのは呼ばれた后妃のみである。
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