花浮舟 ―祷―

那須たつみ

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後書

花浮舟

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 この『花浮舟』という物語を執筆するにあたって、筆者は電車を乗り継ぎ、古都翁庵府・・・を訪れた。観光名所として有名な翁庵の街並みにぽっかりと空いた虚無。
 かつて『沖去京』と呼ばれたその地は、現在忌み地として一般人の立ち入りは固く禁じられている。国としては小さな京といっても、さすがに航空地図などで見ると、広域の表示でもかなり目立つように思う。

 この地は建物も営みの痕跡も、滅亡の日から人の手が加わることなく保存されており、ドローンで撮影された映像を視聴するだけでも背筋が凍るほど不気味だった。その印象が強烈過ぎて、当時の華やかな街並みを想像するのに大分苦労した。

 この地の滅亡には、日本三大怨霊の一人として知られる幻驢芭京宵が深く関わっているのだが、そのあたりは現在執筆中の後編『花浮舟―あがない―』にて詳らかにしていけたらと思う。


 また、宵君の出自についても諸説あり、その中でも『花浮舟―贖―』においては、筆者の推す説を史実と仮定し展開させていくので悪しからず。どの説を推しているかについてはネタバレになってしまうので言及を控えるが、歴史マニアの読者の中には、既にピンときた方もいるかもしれない。

 戦国時代、特に宵君周辺の戦国武将たちは日本史の花形と言える。そのため既存の漫画やアニメ、ゲームも多く存在し、それぞれの解釈によってキャラクターデザインの差がある。共通しているものと言えば、やはり宵君の美貌と醜悪な病の後遺症の対比、それを隠す陶器の仮面。暁光の珍しい髪色。

 そして宵君と美瞳のマリンブルー色の瞳。筆者は数々の文献を読み漁る中で、この二人の瞳の色を南国の海の色と想像した。また、なぜどの資料にも宵君と美瞳の瞳の色が同じであると強調してあるのか。兄妹説を唱える学者もいるようだが、筆者はその説はさすがに安直ではないかと思う(炎上覚悟で言うが)。

 確かに兄妹であるならば、宵君が美瞳を生涯庇護し続けたこと、その扱いの丁重さにも合点がいくが、それならそもそも美瞳が廓に売られた経緯が謎である。それに加え、兄妹にしては美瞳を放置し過ぎのような気もする。筆者が思うには、宵君はただ単に瞳の色が己と同じだから、美瞳を気にかけていたのではないかと思う。そのくらい拍子抜けする理由のほうが、気まぐれな宵君らしい。あくまで筆者の主観だが。

 さて、様々な謎や魅力を秘めた幻の小国、沖去京。現存する作品のほとんどが洸清を主人公に据えたもので、史実を塗り替え宵君を倒すストーリーとなっている。いわゆる「もしも~だったら」というIF作品だ。大衆受けするコンテンツを作ろうとすると致し方のないことだが、洸清が宵君にかすり傷を付けることすら不可能なように思う。
 古くから存在する文献も多少の脚色はされているだろうが、火のないところに何とやらと言うし、やはり宵君は現実離れした強さを誇っていたのではないだろうか。

 話は逸れたが、洸清を主人公、宵君を悪役とする作品が世に溢れる中、敢えて筆者は宵君を主人公にした物語を書きたくなった。無論、史実を忠実に描いた作品もあることにはあるが、やはり洸清派が圧倒的に人気である。筆者自身、鳴かず飛ばずは覚悟の上だ。ただどうしても、巷に溢れる作品にはない宵君への解像度を表現したかった。

 悪役であっても宵君は暁光や洸清に劣らぬ人気キャラクターだが、蓋を開けてみると「クズなところが好き」や「初見の絶望感が推せる」といった声ばかり。手記の写しや図書館の伝記を読めば、宵君は「クズ」で片付けて良い人物ではない。もちろん現代の価値観ではそういった声もあるだろうが、それはあくまで戦のない時代に生きる者の価値観だ。ただやはり現代人は活字に弱く、目と脳に優しい漫画や映像作品に流れがちで、そこで見たものを史実と誤解してしまうパターンも少なくない。高校の日本史の授業を真面目に受けていればそんなことにはならないが。

 まぁ、もしまかり間違ってこの『花浮舟』が映像作品化し、世間の宵君に対する印象が深まればこんなに嬉しいことはないが。何はともあれ、文末になってしまったがここまでお読みいただいた読者へのお礼でこの後書を締めようと思う。また取材を進め、後編が完結したら順次アップロードしていくので、気が向いたらまた見に来ていただけたらと思う。

 これにて前編『花浮舟―祷―』は完結といたします。最後までお付き合いありがとうございました。また後編にてお会いしましょう。


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