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第236話 視察の旅 その40 視察の旅の終わり

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 里と契約が終わり、その日の夜は僕が用意した酒で大いに盛り上がった。集落に住む者たちへも出来る限り酒が振る舞われ、集落をあげての騒ぎとなった。特にゴモンは久々の酒のせいか、ひどい醜態を晒し、皆から失笑されていた。僕が飲んでいると、神妙な顔をしたハトリが横に座ってきた。どうやら、酒を飲んだらしく顔が赤くなっている。

 「ロッシュ……殿は、どうしてオレを人質にすることで里を信頼することにしたんだ? オレが、ロッシュ殿を裏切るとか考えたりしないのか?」

 ふむ。ハトリが裏切るか……考えたこともなかったな。ハトリの目がなんとなく裏切りとか縁がなさそうな顔をしていたからかな。だが、そんなことを言ったらハトリは怒るかも知れないな。

 「さぁな。なんとなくだ。正直に言えば、里との信頼関係の話をしたときに、里から何かを引き出せればそれで良かったのだ。まさか、ハトリを差し出してくるとは思っていもいなかったがな」

 ハトリは訳が分からないという表情を浮かべていたが、むしろ次の質問のほうが聞きたかったようだ。

 「じゃあ、どうしてクイチを連れて行こうとするんだ?」

 クイチ? 誰のことだ? 僕が考えていると、ハトリが許嫁だと教えてくれた。確かに、そんなことを言ったな。僕はなんとなくハトリを一人にしておくのが可哀想と思い、身近に信頼できるものがいれば安心するだろうと思ったのだ。僕がその時思いついたのが許嫁ってだけでいるかどうかの確信なんてなかったのだ。というのが、半分。もう半分は裏切り防止かな。ハトリに対する評価は変えるつもりはないけど、きっと、周りの人が信用しないだろう。許嫁を切り札にしておけば、すこしは周りの人達は落ち着くだろうという打算もある。

 「一人だと、寂しいだろ? 僕の優しさだと思ってくれ。まぁ、クイチという子が嫌であれば、誰でもいい。連れてくるがいい」

 すると、ハトリが顔を殊更に赤くして、クイチがいい、と小さな声で呟いた。僕はハトリのその態度を見て、大笑いしてしまった。やはり、子供はかわいいな。しかし、話題に出たとなると気になるな。僕がクイチという子がいるのか? と聞くと、ハトリが頷いたかと思うとすぐに席から離れていった。よく分からないな。僕は、酒の続きをしていると、女の子を伴ったハトリが現れた。どうやら、連れてきてくれたようだ。

 「君がクイチか?」

 僕がそう聞くと、クイチはコクっと頷いた。なんとも可愛らしい仕草をする子だと思って、次々と質問するのだが、全てがコクっと頷くだけなのだ。これでは、会話が続かないぞ。最後に甘い菓子は好きか? と聞くと、初めて別の反応を見せた。どうやら、興味があるようだな。僕は鞄の中から、エリス特製のクッキーを取り出し、クイチに手渡した。初めて見るものなのか、自分の手に乗っているクッキーと僕の間を何度も往復している。

 「これはこうやって食べるんだ」

 僕がそう言って、クイチの手に乗っている小さなクッキーを口に放り込んだ。うん、旨いな。それに心配していたが、傷んでもいなさそうだ。僕がホッとしていると、クイチが恐る恐るクッキーを口にいれた。それからは、さっきの態度と打って変わって、お菓子についていろいろと質問してきたのだ。ハトリに止めてもらおうと思ったのだが、なぜかハトリの機嫌が相当悪くなっていた。僕は気にせず、クイチを引き下がらせるようにハトリに頼んだ。

 僕がクイチを下がらせたのには理由があった。クイチの後ろに美しい壮年の女性が立っていたからだ。僕に話しかけるのをずっと待っているようで、少し前からかなり気になっていたのだ。クイナとハトリが少し離れると女性が僕の方に近づき、膝が当たりそうな位置に座った。その時、ふわっといい香りが漂った。

 「ロッシュ殿。いきなりごめんなさい。頼みがあってきたんです」

 なんだろ。この女性からの妖艶な雰囲気は。しかし、僕はこの雰囲気に飲まれることはなかった。これより強力なものを何度か経験しているからな。エルフの秘薬を凌駕しなければ、僕を騙すことは出来ないぞ。とはいえ、この雰囲気の正体も気になるところだが。僕があれこれ考えている、目の前の女性は僕の目をじっと見つめ、首を傾げた。

 「全然効いてないみたいですね。流石ですね。里のもの以外でこれが通用しなかったのは、ロッシュ殿が初めてかもしれませんね。それとも私の腕が落ちてしまったのでしょうか?」

 なにやら、勝手に落ち込んでしまっているが。どうやら、里の秘術で男を誑かすことができるらしい。僕になぜ秘術を使ったのかを聞くと、僕の実力を探るためと言っていた。果たしてそれが本当なのかどうか分からないが、この里の奥深さの一端を覗けた気がした。とはいえ、この秘術の効果というのを見てみたいな。僕がお願いすると、私のお願いを聞いてくださったら、と言ってきた。そういえば、そんなことを言っていたな。

 「私は、オコトと申します。実は、私はクイチの母なのです。娘がロッシュ殿に従って里を離れると聞いて、居ても立ってもいられませんでした。どうか、私も娘と共に同行させてもらえないでしょうか?」

 僕は二つ返事で了承した。それはそうだろう。親子が離れて暮らすなどありえない。ここにトニアがいれば、すぐに意気投合していたであろう。しかし、オコトは僕の返事に苦しそうな表情を浮かべていた。オコトが言うには、僕が了承するとは思っていなかったようだ。色々と勘ぐった考えではあったが。そのため、秘術を使って弱みを握り、了承を得ようと企んだようなのだ。オコトは謝罪をしてきたが、特に実害があったわけでもないし、むしろ娘のために手段を選ばない母親に好感を持てた。

 僕はゴモンにオコトも連れて行く旨を伝えると、すでに了承済みだったようで僕次第だったみたいだ。ちなみにクイチの父親について聞くと、どうやらクイチが産まれてすぐ戦死したようなのである。そうなると、オコトは未亡人ってことになるのか……。

 僕はオコトの元に戻り、話をすることにした。その時に家事が出来るか? とか料理が出来るか? とか質問して、決心した。

 「オコト。僕の方から頼みがあるのだが……」

 僕が頼んだのは、オコトに屋敷の家政婦になってもらうことだ。今は僕と妻たちしか暮らしていないが、子供が産まれたり、身ごもったりして十分に家事をこなすことが出来ていないだろう。そこで、オコトに家事をこなしてもらえば、妻達も安心するだろうと思ったのだ。決して、未亡人だからとかきれいだから、とかそんな理由ではないぞ。もちろん、クイチも一緒だ。ハトリ……も別の部屋だが一緒にしてもいいぞ。

 オコトは一瞬考えてから、すぐに応じてくれた。僕は何故か心の中で大喜びしていた。さて、ハトリに用意できる部屋ってあったっけ?

 オコトの秘術で少しは気分の高まりを感じてしまったので、シェラとシラーにその高まりをぶつけて、素晴らしい朝を迎えることになった。里から三人の新たは移住者を引き連れ、僕達はラエルの街に向かって出発することにした。ゴモンと別れる時に、この里の名前を聞いた。しかし、里には名前がないらしい。僕は勝手に呼ぶことにした。忍びの里、と。

 ここからラエルの街に向かうために、一旦坑道を戻ることにした。これはゴモンとの約束で直通で行き来できる道は作らないということになっている。そのために戻り、穴を塞ぎ、その上で進路を変更してラエルの街に向かうことにしたのだ。ハトリに忍びの里との連絡の方法を聞くと、秘密の抜け道があるそうだ。さすがに僕には教えてくれなかったけど。

 進路を変えたせいだろうか、僕達はすぐに外への道を開くことが出来た。目の前に広がる広大な土地は、ずっと山岳地帯を歩いていた僕にはひどく懐かしく感じる景色だった。僕達はそのまま道を整備しながら、進むことにした。この道は温泉街への物流の経路となるので、整備はしておかなければならないのだ。数キロメートルほど進んだところで、街道に出ることが出来たのだ。これはラエルの街から北に向かうための街道だ。

 ついに、ラエルの街までもう少しというところまで来たな。途中、廃墟となった村々を目撃することになった。この村々の者たちが今はラエルの街に暮らしていると思うと不思議な気持ちになる。公国内ではこういう村が存在しないことを願いたいものだ。

 街道を南下していくと、僕達はラエルの街の外壁を見ることが出来た。すると、ラエルの街から人が何人か馬に乗ってやってきた。どうやら出迎えのようだ。発見が早いな。王国軍襲撃以降、外壁には常に人が監視をするようになっているのだが、うまく機能しているようだ。僕が手を振りながら、出迎えの者たちを迎えると、その者たちは僕に報告する姿勢を取った。

 「ロッシュ公。無事のお戻り、嬉しく思います。エリス様の容態が急変したとの知らせがやってまいりました。至急、村への帰還を」

 僕は一気に血の気が抜けたような気持ちとなり、気づいたらハヤブサに全速力で走るように命じ、村へと向かっていった。
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