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第三章 戸惑い
5 過ぎ去ったこと
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そこまで話したところで、額にぽたりを水滴が落ちた。
「いよいよ降り出したか。それじゃあそろそろ……ん?」
身体を起こしてパッヘルに顔を向けると、彼女のどこか気恥ずかしそうな表情が目に入った。よく見ると少し頬が赤い。
「なんちゅう顔をしとるんじゃ」
「あ、いや……」
パッヘルは慌てて顔を隠した。
「なんか聞いてて恥ずかしくなってさ。どんな顔してればいいか分かんなくなっちゃった」
「失礼なやっちゃのう」
ふうと溜息をつく。
「だ、だってさ。パッヘルってつまりは。私なわけじゃん? 自分の恋愛話を聞かされてるって思うと……」
「想像ぐらいはしておったんじゃろう。わしとおぬしがどんな関係じゃったか」
「いや、そうなんだけど……」
「まあ、心配はいらん」
立ち上がりながら、グラントは言った。
「そこから更にわしらの関係が進展したというわけではない」
「え?」
一転して、パッヘルは不満げな表情になった。
「まさか、私の――パッヘルの告白を聞き流したんじゃないでしょうね」
「まだ理解しておらんのか? おぬしは悪魔と契りを交わしておるんじゃよ」
「そんな……」
一瞬だけ絶句したあと、今度は何かを期待するように上目遣いになる。
「でも……当時はあなただって、若かったんでしょ?」
「ふむ」
とグラントは鼻を鳴らした。
雨が断続的になり、さすがにそろそろ帰らねばと思ったが、もう少しだけ付き合ってやることにする。
「そうじゃな。一度だけ気の迷いを犯したことはある。数日後……いや、数ヶ月後の話じゃったかのう。いつものように散歩がてらに魔女の墓を訪れておった時、脇に座るおぬしに何気なく言ったんじゃ。『俺もお前のことが好きだ』とな」
「数ヶ月後に?」
「数年後かもしれん」
「はあ?」
パッヘルは呆れたような表情を浮かべた。
「そんなの、パッヘルだって戸惑っちゃうでしょうが」
「そうだったのかもしれんな。その時は見事に聞き流されてしまったわい」
「ええ? 眠ってたとかじゃなくて?」
「しっかりまなこは開いておった」
「それじゃあ先にあなたが聞き流したから、その仕返しとか……」
「なくはない」
「なくはない、じゃないでしょ!」
突然、パッヘルは声を荒げた。
「だったら意地を張らないで、もう一度告白して返事を聞きなさいよ! ったく、面倒くさい性格ね」
「それはお互いさまじゃ」
二人はしばしのあいだ睨み合った。
その最中、グラントは得体の知れない胸のざわめきを覚えた。
この感覚はたしか以前にも……
雨はだいぶ強くなっていた。大きな魔女帽子のつばに阻まれているとはいえ、パッヘルもそのことには気がついているだろう。しかし、彼女はその場から動こうとはしなかった。
「或いは思い直したのかもしれん」
敢えて平然を装いながらグラントは言った。今はパッヘルに胸のざわめきを悟られたくはなかったのだ。
「自分は悪魔と契りを交わした身であり、人間との色恋沙汰などご法度なはずだと」
「ううん」
パッヘルはゆっくりとかぶりを振った。
「きっと、パッヘルは待ってたんだと思うよ。何年も何十年も、ずっとずっと……」
「どうしてそう思う?」
「だって……パッヘルは私だから」
「そうか」
パッヘルを帰路へと促しながら軽く頷く。
「まあよい。すべては過ぎ去ったことじゃ」
もう少しこの場に残りたいというグラントの言葉に不審がっていたパッヘルだったが、結局は一人で館に帰っていった。
彼女は彼女で思うところがあったのだろう、立ち去る際の何か思い詰めたような横顔が印象的であった。
彼女との昔話は大なり小なり彼女に影響をもたらしたようだ。もしかしたら話すべきではなかったのかとやや後悔の念を抱かされるも、はっきりいって今はそれどころではなかった。
雨空に向けて、グラントは大きく両手を掲げた。
彼が毎日この場所を訪れるのにはもう一つ理由があった。彼の得意とする魔法の一つ――感知魔法の存在である。
それはその名の通り、自分を中心とした特定の区域の生物の動きを感知できる魔法だ。
感知できる範囲は、魔法を使用した場所の高さによって変わる。魔力が緩く弧を描きながら上空へ跳ね、地面に着地するまで広がっていくイメージ。
すなわち、高い場所で使ったほうが範囲は広い。丘になっている魔女の墓からなら、おおよそ二十キロ先まで感知できる。
感知魔法はもともと数分で効き目が切れてしまうのだが、こうして毎日のように同じ場所で同じ魔法を繰り返し使い続けていると、魔力が洗練されていくのか効果時間外でもわずかに異常を感じ取ることができるようになった。先ほどの胸のざわめきがそれだ。
やはり、くる……!
改めて感知魔法を使ったことで、グラントはその異常の正体をはっきりと読み取った。
数千人と思われる大群が、ゆっくりと森に向けて押し寄せていたのだ。
もう少し猶予があると思っていたが、まさかこんなに早いとは……
大群の正体は魔女討伐隊に他ならなかった。
このままのペースなら、夜更けまでに森の入り口まで到着するのは容易だろう。それから機会を伺い、夜のあいだに奇襲を仕掛けてくるつもりか。
今夜が勝負……それまでに……
雨に濡れた髪を掻き上げ、グラントも魔女の墓をあとにした。
「いよいよ降り出したか。それじゃあそろそろ……ん?」
身体を起こしてパッヘルに顔を向けると、彼女のどこか気恥ずかしそうな表情が目に入った。よく見ると少し頬が赤い。
「なんちゅう顔をしとるんじゃ」
「あ、いや……」
パッヘルは慌てて顔を隠した。
「なんか聞いてて恥ずかしくなってさ。どんな顔してればいいか分かんなくなっちゃった」
「失礼なやっちゃのう」
ふうと溜息をつく。
「だ、だってさ。パッヘルってつまりは。私なわけじゃん? 自分の恋愛話を聞かされてるって思うと……」
「想像ぐらいはしておったんじゃろう。わしとおぬしがどんな関係じゃったか」
「いや、そうなんだけど……」
「まあ、心配はいらん」
立ち上がりながら、グラントは言った。
「そこから更にわしらの関係が進展したというわけではない」
「え?」
一転して、パッヘルは不満げな表情になった。
「まさか、私の――パッヘルの告白を聞き流したんじゃないでしょうね」
「まだ理解しておらんのか? おぬしは悪魔と契りを交わしておるんじゃよ」
「そんな……」
一瞬だけ絶句したあと、今度は何かを期待するように上目遣いになる。
「でも……当時はあなただって、若かったんでしょ?」
「ふむ」
とグラントは鼻を鳴らした。
雨が断続的になり、さすがにそろそろ帰らねばと思ったが、もう少しだけ付き合ってやることにする。
「そうじゃな。一度だけ気の迷いを犯したことはある。数日後……いや、数ヶ月後の話じゃったかのう。いつものように散歩がてらに魔女の墓を訪れておった時、脇に座るおぬしに何気なく言ったんじゃ。『俺もお前のことが好きだ』とな」
「数ヶ月後に?」
「数年後かもしれん」
「はあ?」
パッヘルは呆れたような表情を浮かべた。
「そんなの、パッヘルだって戸惑っちゃうでしょうが」
「そうだったのかもしれんな。その時は見事に聞き流されてしまったわい」
「ええ? 眠ってたとかじゃなくて?」
「しっかりまなこは開いておった」
「それじゃあ先にあなたが聞き流したから、その仕返しとか……」
「なくはない」
「なくはない、じゃないでしょ!」
突然、パッヘルは声を荒げた。
「だったら意地を張らないで、もう一度告白して返事を聞きなさいよ! ったく、面倒くさい性格ね」
「それはお互いさまじゃ」
二人はしばしのあいだ睨み合った。
その最中、グラントは得体の知れない胸のざわめきを覚えた。
この感覚はたしか以前にも……
雨はだいぶ強くなっていた。大きな魔女帽子のつばに阻まれているとはいえ、パッヘルもそのことには気がついているだろう。しかし、彼女はその場から動こうとはしなかった。
「或いは思い直したのかもしれん」
敢えて平然を装いながらグラントは言った。今はパッヘルに胸のざわめきを悟られたくはなかったのだ。
「自分は悪魔と契りを交わした身であり、人間との色恋沙汰などご法度なはずだと」
「ううん」
パッヘルはゆっくりとかぶりを振った。
「きっと、パッヘルは待ってたんだと思うよ。何年も何十年も、ずっとずっと……」
「どうしてそう思う?」
「だって……パッヘルは私だから」
「そうか」
パッヘルを帰路へと促しながら軽く頷く。
「まあよい。すべては過ぎ去ったことじゃ」
もう少しこの場に残りたいというグラントの言葉に不審がっていたパッヘルだったが、結局は一人で館に帰っていった。
彼女は彼女で思うところがあったのだろう、立ち去る際の何か思い詰めたような横顔が印象的であった。
彼女との昔話は大なり小なり彼女に影響をもたらしたようだ。もしかしたら話すべきではなかったのかとやや後悔の念を抱かされるも、はっきりいって今はそれどころではなかった。
雨空に向けて、グラントは大きく両手を掲げた。
彼が毎日この場所を訪れるのにはもう一つ理由があった。彼の得意とする魔法の一つ――感知魔法の存在である。
それはその名の通り、自分を中心とした特定の区域の生物の動きを感知できる魔法だ。
感知できる範囲は、魔法を使用した場所の高さによって変わる。魔力が緩く弧を描きながら上空へ跳ね、地面に着地するまで広がっていくイメージ。
すなわち、高い場所で使ったほうが範囲は広い。丘になっている魔女の墓からなら、おおよそ二十キロ先まで感知できる。
感知魔法はもともと数分で効き目が切れてしまうのだが、こうして毎日のように同じ場所で同じ魔法を繰り返し使い続けていると、魔力が洗練されていくのか効果時間外でもわずかに異常を感じ取ることができるようになった。先ほどの胸のざわめきがそれだ。
やはり、くる……!
改めて感知魔法を使ったことで、グラントはその異常の正体をはっきりと読み取った。
数千人と思われる大群が、ゆっくりと森に向けて押し寄せていたのだ。
もう少し猶予があると思っていたが、まさかこんなに早いとは……
大群の正体は魔女討伐隊に他ならなかった。
このままのペースなら、夜更けまでに森の入り口まで到着するのは容易だろう。それから機会を伺い、夜のあいだに奇襲を仕掛けてくるつもりか。
今夜が勝負……それまでに……
雨に濡れた髪を掻き上げ、グラントも魔女の墓をあとにした。
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