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少年
しおりを挟む土曜の夕暮れの町。
住宅街の通りを、ひとりの少年が、盗んだバイクで走り回っていた。
やたらとアクセルを開いては爆音をたて、ぐねぐねと蛇行し、買い物帰りの主婦や、学生たちの眉をひそめさせる。
周囲の人々が、自分のことを怖がることに、少年は心を満足させていた。
ははは。
無茶苦茶に、空ぶかしをする。
ひひひ。
クラブ帰りの女性とたちの一団に、わざと接近する。
――!
と、調子にのりすぎた少年は、バイクの運転をあやまり、派手に転倒した。
数瞬の間、意識を失い、気がついた時には、自分の右脚が、バイクとゆがんだガードレールの間にはさまり、妙な角度に折れ曲がっていることを知った。
悲鳴を押し殺し、少年は右脚を引き抜こうとする。
が、激痛が走るばかりで、右脚はとても抜けそうにはなかった。
右脚ばかりではなく、頭からも血が流れている。
周囲の人々は、そんな少年に冷たい視線をむけ、あるいは視線をそむけ、素知らぬ顔で早足に通り過ぎていく。
――くそ!
少年は自分の不運を呪った。
ここから早く逃げないと、おせっかいなヤジ馬が警察に通報し、自分は補導されることになるかも知れないのだ。
しかし、右脚は熱をもったように痛むだけで、少しも動かない。
くそ! このバイクが盗んだものと分かれば、家裁だけじゃすまないかな……。今度こそ少年院に……?
不安とあせりに顔を歪める少年は、ふと不審な表情になって、スマホを取りだした。
転倒したショックで壊れている。
スマホが壊れたせいで、正確な時間は分からないが、事故を起こしてから、少なくとも20分は過ぎている。
しかし、警察はおろか、救急車のサイレンの音すら近づいてこないのだ。
陽の傾きがはっきりと分かるほどの時間が過ぎた。
頭の血はとまったが、右脚の痛みはたえきれないほどに激しくなっていた。
しかし、何の助けもこない。
ただ、通り過ぎていく人々が、冷たい視線を向けていくだけである。
……まさか?
少年の背に、冷たいものが降りてきた。
事故を知った人々は、誰かが警察に連絡をしただろうと、たがいに想像しあって、じつは誰一人として、連絡などしていないのではないかと考えたのだ。
「ち、ちょっと」
少年はしかたなく、そばを通り掛かった三人組の女の子たちに声をかけた。
「……?」
三人がふりかえる。
「なあ、救急車を……」
「いやーね」
少年が頼もうとする前に、三人は汚いものを見るように、顔をしかめた。
「バカみたい」
「行こう」
少年の言葉を聞こうともせず、三人は去っていく。
「くそッ。てめェら、おぼえてやがれ!」
罵り声をあげた少年に、ひとりの中年の婦人が近づいてきた。買い物帰りなのか、右手にエコバッグをさげている。
「あ、あの、すいません」
少年は救急車を呼んでもらおうと、近づいてくる婦人に、こびを売るような作り笑いで話しかけた。
「あなたねェ……」
「え?」
少年は、自分を見下ろす婦人の冷たい眼と言葉にとまどった。
「あなたね、そんなバイクで騒音をたてて、周囲の人に迷惑だと思わないの」
「い……いや、それより」
「それよりじゃないでしょ。一体、どういう教育を受けてきたのかしら」
「分かったよ! 分かったから、早く救急車を呼んでくれよ!」
「ま。なんて言葉づかいなの」
「うるせェ! 早く救急車を」
「まったく、どうしょうもない子ね」
婦人はこれ以上話しても仕方がないといったふうに、首をちいさく振り、その場から去っていった。
「お、おい! 待てよ!」
あわてて少年は叫んだが、婦人は、もう振り返りもしなかった。
「くそばばあ!」
叫んだ少年は、すこし離れたところを、ひとりで歩くクラスメートを見つけた。
「おい、田村。田村!」
「え? あ、三島くん」
クラスメートは、少年に呼びとめられたことを知ると、びくりと身をこわばらせた。
「ぼ、ぼく、今日はお金、もってないよ」
「そうじゃない。頼むから救急車を」
「ぼく、塾に行かなくっちゃ。さようなら」
クラスメートは、逃げるように駆け出していった。
「田村!」
どんよりとした雲が、満月を隠している。
「お願いです。き、救急車を……」
「き、君ね、人に迷惑をかけて喜ぶなんて愚の極みだぞ。男はね、将来におおきな夢をもたなくっちゃ……ひっく」
弱々しく助けをもとめる少年に、酔っ払いはくどくどと説教をつづけていた。
明け方になり、冷たい雨が降りはじめた。
「分かりましたか?」
動かなくなった少年を調べていた検死官に、刑事がたずねた。
「大体ね。頭の傷と右脚の骨折は、死因には直接関係ないですね」
「ははあ。じゃあ死因は」
「衰弱死。死亡時刻は……三日前かな」
「なるほど」
刑事は何度もうなずいた。
「まる一週間、誰ひとりとして、この少年を助けようとしなかったわけですな」
うなずきながら、もう一度少年の死体を見おろした。長い間、近隣の住人を困らせていたのであろう。
まあ……。
刑事は、言葉に出さずにうなずいた。
しかたないだろうな……。
金曜の昼下がりであった。
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