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天使の矢
しおりを挟む二日酔いでズキズキする頭を押さえる友彦は、ベッドの上であぐらをかき、それを眺めていた。
組んだ足の前で、ベランダから射し込む朝陽に輝くふたつの品。
人差し指と親指がつくる弧ほどの小さな黄金の弓と、それに見合うサイズの、三本の白銀の矢である。
これがあるってことは、昨夜のことは夢じゃない……のか?
友彦は眉を寄せた。
たたでさえ、たっぷりと残ったアルコールで鈍った頭が、ますます混乱する。
夢じゃないってことは、あれは本物ってことに……そんな馬鹿な。
あれ……天使である。
気の合う同僚と上司の悪態で盛り上がり、相当、グラスを重ねたことは覚えている。
駅前の飲み屋を三軒、はしごした。
ふらつく足取りで、このマンションの五階、自分の部屋にたどり着いたことも、なんとか覚えている。で、
友彦は黄金の弓を手にとった。
で、気がつくと、天使と向かい合っていたのだ。
小さな天使は、童話の絵、そのままの姿をしていた。
どういういきさつかは、きれいさっぱりと忘れてしまったが、友彦は、その天使と賭けをしたのである。
何をかけたのか、残りの寿命か、魂か?
何の賭であったのか、カードかコインの裏表であったのか。
そのどちらも同じくきれいさっぱりとアルコールの霧の中に消えてしまっていたが、とにかく勝ったのだ。
その証拠に天使の賭けたふたつの品、黄金の弓と白銀の矢がここにあるのである。
ニャア
考えこむ友彦の耳に、猫の鳴き声が届いた。
見ると、わずかに開いたドアの隙間から、ペットのミケネコのミームが顔を出していた。
と、友彦は天使の言葉を思い出していた。
『これはね。人間以外にも効くんだよ。犬に射れば、彼は君の忠実な騎士になるだろうし、花に射れば、彼女は君のために美しく咲き誇るだろうね』
友彦は思い出すままに矢をつがえ、器用に弓を引いた。狙いはミームである。
ゆっくりと指をはなすと、澄んだ音をたてながら、白銀の矢はただようように飛び、きょとんとしているミームに吸い込まれていく。
そして、ミームに当たる寸前、矢はかげろうのように淡く消えた。
その途端、ミームの体が、一瞬ポッとピンク色に染まった。
ミャ~~ン
甘えた声を出したミームは、走り寄ってくると、軽々と友彦の膝の上にとびのり、頭をこすりつけてきた。
やっぱり天使の言っていたことは本当……ちょっと待てよ。
二本目の矢を弓につがえてもて遊び、満足そうにうなずきかけた友彦は、あることに気付いた。
ミームは、最初っから友彦になついているのである。
ニャン
不意にミームが友彦の手にじゃれついた。
「あ!」
友彦が声をあげた時には、すでに矢は宙にただよい出していた。このままいけば、棚のうえにある目覚まし時計に命中する。
そこで友彦は、また天使の言葉を思い出したのである。
『命のないもの、無機質を射るとね、そのものは君に向かって……』
すべてを思い出すまでもなかった。一瞬、ピンク色に染まった目覚まし時計が、弾けるように友彦に向かって飛んできたのだ。
「痛ッ!」
まともに頭に当たったその時計は、友彦の頭からアルコールの残滓を、きれいに吹き飛ばした。
完全に目の覚めた友彦は、当然のように大声で叫んだ。
「な、なな、何てもったいないことに使っちまったんだ! あ、あと一本しかないじゃん! そうだ!」
手にした時計を見た友彦は、急いでベランダに飛び出した。
道路を一本はさんだ向かいのマンションの五階に、ちょうど今の時刻、友彦が恋いこがれている女性が、窓辺にならんだ花に水をやりに現れるのだ。
友彦がベランダに出た時、目当ての彼女は、最後の花に水をやるところであった。
動くな!
心の中で叫びながら、友彦はあわてて最後の矢を放った。
白銀の矢はフワフワと頼りなくただよっていく。
これなら間に合う。
ホッとし、矢の行方を追う友彦の眼が、ギョっと見開いた。あわてすぎて、狙いがわずかにズレているのである。
このままいくと……。
「ひィ!」
友彦はかすれた悲鳴をあげた。
彼女が花に水をやる隣の窓で、カバのように大あくびをしているオバさん。矢はそのオバさんへと、勇敢にも突き進んでいるのだ。
あ、当たるな!
友彦は恐怖に引きつった顔で祈った。
当たれば、とんでもないことになる。
当たるな! 当たるな! 当たるな!
その必死の願いが通じたのか、矢はどうにかオバさんのいる窓をはずれ、マンションの外壁に当たって、あっ気なく消えた。
「あ、ああ、最後の矢が……」
友彦は安堵と失望の入り交じった溜め息を吐き出した。
その時、向かいのマンション全体がボッとピンク色に輝き、こちらにむかって……。
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