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【ゾンビの章】第10幕「真相の入り口」
【ゾンビの章】 第10幕「真相の入り口」
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【 翌日 2月1日 町田 】
変わり果てた姿で秀明が蘇り、そして消えていったあの日から6日が過ぎていた。
我が家にも、表面上は、平穏な日常が戻ってきていた。ふみえはまだ寝ていることが多かったが、なんとか少しずつ食事も摂れるようになっていた。
秀明が最後に消える直前、玄関の壁に掛けられた肖像画を指さして、(私にはそう見えたのだが、)「とうさん、たのんだよ」と口を動かしたことは、まだふみえには話していなかった。わずかずつだが良くなりつつあるふみえに余計な心配をかけたくなかったからだ。話すのは、全快してからでも遅くはない。
遅い午後には、カプチーノを入れ、二人で学生時代の話をよくした。初めてのデートの話、当時観た映画のこと、一緒に働いたドーナツ屋でのバイトの想い出。たわいもない話ばかりだったが、恋人時代に戻ったように、ふみえは無邪気によく笑った。
あの頃、私はふみえだけを見ていたし、ふみえも私だけを見つめていてくれた。
秀明はまだ生まれてもいない。私は義父に会ってもいない。だから、ふみえの話の中に秀明や父親の事が出てくることはなかった。
恐ろしい体験が部分的に記憶を忘れさせてしまったのか。
それとも、忘れようとしているのか。
それはわからない。
私も、あえて触れないようにした。
龍刑事からは定期的に「全力で捜しているが、秀明の遺体は見つからない」と電話が入った。
秀明が生き返って家に戻ってきた、などと話せるはずもなく、「引き続き捜索を続けますので」という龍刑事に「よろしくお願いします」と答えて、電話を切るしかない。
秀明が殺害した当直医の首と腕は庭の片隅に埋めた。
幸い、我が家の生け垣は高く、裏の公園に面した側には家が建っていない。深夜ならば、周囲から見られる心配はなかった。
もう一杯カプチーノを入れて、私は2階へと向かった。
ふみえの使ったマイセンのカプチーノ・カップは台所のダイニングテーブルの上に置いたままだ。午後4時を回ったところだったが、ふみえは「少し疲れたから横になるわ」と寝室に引きあげていた。
階段を一段上がる度に、手の中でカプチーノ・カップとスプーンがぶつかり軽い音を立てた。
秀明の部屋に入り、机のパソコンを開く。
P国での「黒い神」信仰に関する唯一の手掛かりである、例の女子大生のブログにアクセスしてみようと思ったのだ。
「マユコのP国ひとり旅」をブックマークからクリックする。
前のブログの日付から2週間以上たっている。「黒い神の祭」が行われるという隣国との国境近くの山村から、インターネットが使えるF市に戻ってきて日記をアップデートする、と書いてあったので、そろそろ新しい書き込みがあるかと思ったからだ。
しかし、画面を開いて「おや」と思った。
ブログは更新されていたのだが、日付を見ると、あの翌日だったのである。
すると、国境には向かわなかったのだろうか。
『1月15日 19:32 雨で出発は延期
信じられない!
日本では考えられないくらい凄いスコールが降って、国境に向かう道が通行止めになっちゃった。それで、グエンの生まれ故郷への出発は、2,3日遅らせることになっちゃった。グッスン・・・、涙、涙です。
でも、いいか、おかげでホテルでグエンと二人っきりで、ゆっくり過ごせるしね(何をゆっくりするのかはヒ・ミ・ツだけど)。
ベットでグエンは「黒い神」についても、もう少し詳しく教えてくれたの。
「黒い神」はね、破滅を司る神なんですって。
9本も手があるのに、指は三本ずつしかなくて、それぞれの手には人間の生首を握っているんだって。5人の女の首と、4人の男の首をね。(グロイよね!!!)
ちょっと、怖いお話でしょ。
でも大丈夫。「黒い神」はね、善を司る「白い神」に「覇王覇魔の剣」で退治されたそうだから。
「黒い神」は、その「覇王覇魔の剣」でしか倒せないんだって。
魔力の宿る9本の手はバラバラに切断されて、P国の各地に封印されたそうよ。(めでたし、めでたし。)
ただね、「黒い神」は今も地獄の底で復活を祈りながら苦しんでいるんだって。
もう一度、9本の手と9個の生首がそろう日を待ち望んでね。
それが全部そろって復活を果たした時、「黒い神」は、あらゆる神の能力を上回り、あらゆる神の上に君臨する「絶対神」となって、世界を破滅に導くんだそうな。(まあ、ありがちな神話よね)。
でも、こっちの人は純朴っていうか、グエンも若いのに、結構マジでこの話信じてるの。
小さい頃から、村の長老とかに繰り返し聞かされたんだって。
よそ者には絶対にしゃべっちゃ駄目だとも言われたって。
だけど、私とグエンはもう「深い仲」だからさ、彼も話してくれたっていうわけ。(ウレシー)。
ただ、あたし、こういうオカルト話は全然信じないの。
幽霊もUFOも一度も見たことないしね。
アジアもいろんな所を旅してきたけど、こういう類の話って、よくあるじゃない。
だけど、普通は絶対に見られないお祭りだっていうからチョー期待してる。「奇祭」ってやつだからね。
どこにでもあるお祭りなんかより、卒論のテーマにぴったりだと思うの。
もう教授から「A」の成績をもらえるのも間違いないわ。
雨が止んだら、通行止めも解除されそうだから、マイダーリンと一緒に国境に向かうつもり!
詳しい報告は、またF市に戻ってからね。
期待しててね。 マユコ 』
彼女が日記を更新してから17日もたっている。
その後は更新されていないから、まだF市に戻っていないのだろう。
だが、ブログの中にどうしても引っかかる記述があった。
「黒い神」の手には指が三本しかないという点。
それと、9本ある手にそれぞれ生首を握っているという話だ。
我が家の押し入れに眠っている「黒い手」にも指が三本しかない。
すると、あの手は「白い神」に切断され、P国各地に封印されたという「黒い神」の手なのだろうか。
秀明は4人の女性を殺害して、遺体から切り取った首と片腕を冷蔵庫に保管していた。
蘇った時にも男性当直医の首と腕を持ち帰った。
「黒い神」が9本の腕に持つのは、5人の女の首と4人の男の首だという。
数は足りないが、伝説と一部重なる所がある。
いずれにしても、彼女が国境から戻れば、もう少しはっきりした事がわかるはずだ。
今は待つしかなかった。
私にはもうひとつ、気になって、調べてみたいことがあった。
あの絵のことだ。
秀明のマンションの玄関に飾ってあった、あの不気味な絵。
絵と作者の名前は、忘れないように手帳にメモしてあった。
『 ヤン・ファン・エイク作 アルノルフィーニ夫妻の肖像 』
検索してみて驚いたのは、私は知らなかったが、意外にも有名な絵だったことだ。
本物は、ロンドンのナショナル・ギャラリーに飾られている。
作者のヤン・ファン・エイクは、謎の多い画家だった。年齢も、生い立ちもよくわかっていない。現存する作品も世界中にわずか二十点ほどしかないらしい。
あの絵は西暦1434年、今から六百年ほど前に描かれたものだという。エイクがあるイタリアの豪商から依頼されて描いた肖像画だった。婚約の証として描かれたとある。
あれが婚約の証だって!
私なら、自分の婚約祝いに、あんな暗い絵を描いてもらいたくはない。
夫妻の向こうに見える壁には縁がぎざぎざの円い鏡がかかっているのだが、その上に「ヤン・ファン・エイク ここにありき」という文字が書かれているという。
絵をよく見ると、確かに壁には字があった。
しかも、その鏡の中には夫妻の他に2人の人間の姿が小さく映っているのだという。あるサイトにはご丁寧に拡大図まで載っていて、確かに夫妻の正面には2人の人物が立っているのがわかった。一説ではこの内の1人がヤン・ファン・エイク自身で、アルノルフィーニ夫妻の結婚の証人としてここにいたことを表しているのだ、と書かれていた。
私は考え込んでしまった。
秀明のマンションにあった装飾品は、あの絵「たった一枚」だけだった。
なにか特別な意味があるような気がしてならない。
最初に絵を見た時には、私は右側の女性が妊娠していると思った。ドレスのお腹の部分が大きく膨らんでいたからだ。
しかし、婚約の証に描かれたというからには、女性が臨月なはずはない。腹部がふっくらとしているように見えるのは、おそらく当時の衣装のせいなのだ。
妻が臨月に見えた事と、夫の暗い表情のせいで、私はてっきり妻の胎内に宿った「なにか」に、夫が深く悩んでいるのだと思いこんだ。それほど、黒いマント姿の夫の眼差しは、暗く沈んで見えた。しかし、それは全くの思い違いだったことになる。
調べてゆくと、興味深い記述がいくつかあった。
作者のエイクは、写真のように正確で精密な筆使いから、『神の手を持つ男』といわれていた、という。
『黒い手』と『神の手を持つ男』・・・・。
奇妙な一致だった。
さらに、この絵の中には様々な『隠された意味』があると書かれていた。
正直言って、驚きだった。
そんな種類の絵画があるとは今まで知らなかったからだ。
絵の端々に描かれた一見意味のない物に、深い意味が隠されている、というのだ。
解釈には様々な説があった。私はいろいろなサイトを行ったり来たりしながら、絵に描かれた「秘密の意味」を探る作業に熱中した。
一本だけ灯された蝋燭は「契約」を意味するのだという。
夫妻の足下に描かれている「犬」は「忠誠」を。
窓辺に置かれた「果物」は楽園でイブが食べてしまったリンゴ、つまり「原罪」を表す。
さらに意味深なのは、床に転がっている木製のサンダルだ。神の御前では履き物を脱げ、ということで、「神聖な儀式」を意味するというのだが、サイトによっては「女性の性器」や「性的なもの」を意味するとも書かれていた。
つまり、こういうことなのだろうか。
豪商の夫が描かせたというこの絵は、婚約したばかりの美しい妻に、「貞節」と「服従」を誓わせた、一種の契約書だったということなのか?
私はネット上に表示された絵を、もう一度眺めてみた。
「女性器」
「契約」
「忠誠」
「原罪」
絵の中に隠された意味を、ひとつひとつ反芻してみる・・・・。
そのうち突然、パズルのピースがぴったりとはまるように、ひとつの仮説を思いついた。
秀明は、あの絵を見た誰かに、こう訴えたかったのではないのか。
『自分はある女性と契約を交わし、深く忠誠を誓い、重い罪を重ねているのだ』と。
いや・・・、首をひねる。
だとしたら、その女性とは一体誰なのだろう?
私達夫婦が知らないだけで、やはり秀明には深い契りを結んだ女性がいたという事か?
あの部屋に残されたものを、もう少し詳しく調べてみる必要がありそうだ。
そんな事を考えながらマウスのクリックを繰り返し、関連サイトを調べていると、あるページで手が止まった。
全く予想もしなかった絵が載っていたからだ。
それは、家の玄関に飾ってある絵だった。
変わり果てた秀明が、消える寸前に指さした「あの絵」だ。
1433年に描かれた「赤いターバンの男」という作品だった。この絵も「アルノルフィー二夫妻の肖像」と同じくロンドンのナショナル・ギャラリーに飾られている。
そして、なんと絵のモデルの赤いターバンの男は、作者のヤン・ファン・エイク自身だと言われている、と書いてあるではないか。
つまり、作者の自画像なのだ。
あの絵はもともと秀明が「美大出身の友人の結婚式の引き出物としてもらった」と言って玄関に飾ったものだ。
だが、いくら美術に造詣の深い友だちとはいえ、「エイクの自画像」を晴れの門出の引き出物に選ぶ新婚カップルなどいるだろうか。
それに、なぜ、秀明は最後にエイクの自画像を指さし、「とうさん、たのんだよ」などと言ったのだろう?
秀明は私に何をさせたいのだろう?
考えても、考えても、わからなかった。
Macの電源を切り、椅子の背に深くもたれた。
秀明の机の上には、事故の直後に会社から受け取った遺品が置いたままにされていた。
グリコのおまけに入っていた怪獣ペギラやカネゴンのフィギュア。見ているうちにまた幼い頃の思い出がこみあげてきて、頭が痛んだ。
その脇にパスポートがあった。
手にとって広げてみる。
パスポートに張られた秀明の小さな顔写真が、こちらを見上げている。
私の宝物だった秀明・・。
パスポートをパラパラとめくってみた。おやっ、と思った。
たしか秀明が海外旅行に行ったのは、大学の卒業旅行で悪友3人とグアムに行った1回だけのはずだった。それにしては、出入国のスタンプが多すぎる気がした。
ひとつひとつ確認してみると、グアム以外は全部が同じ国だった。
東南アジアのP国だ。
この数ヶ月で4回も入国していた。仕事で出張するという話も秀明からは聞いたことがなかった。
秀明が借りていたマンションの管理人は、海外出張だと言って秀明がよく大きなスーツケースを転がして出掛けていた、と語っていた。あの時は首と腕を切断した被害者の遺体をどこかに捨てに行ったのだろう、と思っていた。だが・・・・。
本当に海外にも出掛けていたのだろうか?
一体、何をしに?
パスポートを握りしめながら、考え続けた。
しかし、これも答えが思い浮かばない。
冷め切ってしまったカプチーノを一口飲む。砂糖を入れたはずなのに苦さしか感じなかった。
考えるのをあきらめて、部屋を出た。階段の途中でカップとスプーンを起き忘れたことに気がついたが、まあ後で片づければいいか、とそのままにして階下におりた。
それから、サンダルを引っかけ、大きく背伸びをしながら、外の郵便受けに向かった。ずっとコンピューターの画面を見つめていたので、肩と背中がひどくこわばっていた。
郵便受けから夕刊を抜き出し、歩きながら広げる。
一面のトップ記事は、解散総選挙が噂されるなか総理大臣の支持率が急落している、という世論調査の記事だった。今日は大きな事件もないらしい。社会面を開いても、特に興味をひかれる記事はなさそうだった。ところが、ひとつの見出しを見て、私の足が止まった。
四コマ漫画の脇にある三段見出しの記事だった。
『 女子大生、P国で不明
外務省に入った連絡によると、P国を旅行中だった女子大生が1日、行方不明になっていることがわかった。行方がわからなくなっているのは、東京都八王子市在住の東京外語大四年、奥村真由子さん(二一)。』
この名前が足を止めさせたのだ。マユコ・・・。P国旅行中の外語大生・・・。
もしかして、あのホームページの女の子ではないのか。
『奥村さんは先月初めからP国各地を一人で旅行していた。定期的に旅行の様子を自分のブログに書き込んでいたが、ブログによると、奥村さんは現地で知り合った男性と隣国との国境近くの山間地帯を訪れる予定だった、という。その記述を最後に、消息を絶った』
現地で知り合った男と国境に向かう予定・・。さっき見たブログの記述と一致している。
間違いない。「マユコのP国ひとり旅」を書いていた女子大生だ。
『P国の日本大使館では、何らかの事件に巻き込まれた可能性もあると見て、現地警察と密接な連絡を取りながら、行方の捜索に全力を挙げている』
記事の片隅に、彼女の写真があった。
入学式か何かの小さい写真をかなり引き伸ばしたらしく、あまり鮮明ではないが、眼鏡をかけた目立たない感じの女性だった。
私の周りで何が起きているのか。
目眩がして、思わず玄関のドアに右手をついていた。
変わり果てた姿で秀明が蘇り、そして消えていったあの日から6日が過ぎていた。
我が家にも、表面上は、平穏な日常が戻ってきていた。ふみえはまだ寝ていることが多かったが、なんとか少しずつ食事も摂れるようになっていた。
秀明が最後に消える直前、玄関の壁に掛けられた肖像画を指さして、(私にはそう見えたのだが、)「とうさん、たのんだよ」と口を動かしたことは、まだふみえには話していなかった。わずかずつだが良くなりつつあるふみえに余計な心配をかけたくなかったからだ。話すのは、全快してからでも遅くはない。
遅い午後には、カプチーノを入れ、二人で学生時代の話をよくした。初めてのデートの話、当時観た映画のこと、一緒に働いたドーナツ屋でのバイトの想い出。たわいもない話ばかりだったが、恋人時代に戻ったように、ふみえは無邪気によく笑った。
あの頃、私はふみえだけを見ていたし、ふみえも私だけを見つめていてくれた。
秀明はまだ生まれてもいない。私は義父に会ってもいない。だから、ふみえの話の中に秀明や父親の事が出てくることはなかった。
恐ろしい体験が部分的に記憶を忘れさせてしまったのか。
それとも、忘れようとしているのか。
それはわからない。
私も、あえて触れないようにした。
龍刑事からは定期的に「全力で捜しているが、秀明の遺体は見つからない」と電話が入った。
秀明が生き返って家に戻ってきた、などと話せるはずもなく、「引き続き捜索を続けますので」という龍刑事に「よろしくお願いします」と答えて、電話を切るしかない。
秀明が殺害した当直医の首と腕は庭の片隅に埋めた。
幸い、我が家の生け垣は高く、裏の公園に面した側には家が建っていない。深夜ならば、周囲から見られる心配はなかった。
もう一杯カプチーノを入れて、私は2階へと向かった。
ふみえの使ったマイセンのカプチーノ・カップは台所のダイニングテーブルの上に置いたままだ。午後4時を回ったところだったが、ふみえは「少し疲れたから横になるわ」と寝室に引きあげていた。
階段を一段上がる度に、手の中でカプチーノ・カップとスプーンがぶつかり軽い音を立てた。
秀明の部屋に入り、机のパソコンを開く。
P国での「黒い神」信仰に関する唯一の手掛かりである、例の女子大生のブログにアクセスしてみようと思ったのだ。
「マユコのP国ひとり旅」をブックマークからクリックする。
前のブログの日付から2週間以上たっている。「黒い神の祭」が行われるという隣国との国境近くの山村から、インターネットが使えるF市に戻ってきて日記をアップデートする、と書いてあったので、そろそろ新しい書き込みがあるかと思ったからだ。
しかし、画面を開いて「おや」と思った。
ブログは更新されていたのだが、日付を見ると、あの翌日だったのである。
すると、国境には向かわなかったのだろうか。
『1月15日 19:32 雨で出発は延期
信じられない!
日本では考えられないくらい凄いスコールが降って、国境に向かう道が通行止めになっちゃった。それで、グエンの生まれ故郷への出発は、2,3日遅らせることになっちゃった。グッスン・・・、涙、涙です。
でも、いいか、おかげでホテルでグエンと二人っきりで、ゆっくり過ごせるしね(何をゆっくりするのかはヒ・ミ・ツだけど)。
ベットでグエンは「黒い神」についても、もう少し詳しく教えてくれたの。
「黒い神」はね、破滅を司る神なんですって。
9本も手があるのに、指は三本ずつしかなくて、それぞれの手には人間の生首を握っているんだって。5人の女の首と、4人の男の首をね。(グロイよね!!!)
ちょっと、怖いお話でしょ。
でも大丈夫。「黒い神」はね、善を司る「白い神」に「覇王覇魔の剣」で退治されたそうだから。
「黒い神」は、その「覇王覇魔の剣」でしか倒せないんだって。
魔力の宿る9本の手はバラバラに切断されて、P国の各地に封印されたそうよ。(めでたし、めでたし。)
ただね、「黒い神」は今も地獄の底で復活を祈りながら苦しんでいるんだって。
もう一度、9本の手と9個の生首がそろう日を待ち望んでね。
それが全部そろって復活を果たした時、「黒い神」は、あらゆる神の能力を上回り、あらゆる神の上に君臨する「絶対神」となって、世界を破滅に導くんだそうな。(まあ、ありがちな神話よね)。
でも、こっちの人は純朴っていうか、グエンも若いのに、結構マジでこの話信じてるの。
小さい頃から、村の長老とかに繰り返し聞かされたんだって。
よそ者には絶対にしゃべっちゃ駄目だとも言われたって。
だけど、私とグエンはもう「深い仲」だからさ、彼も話してくれたっていうわけ。(ウレシー)。
ただ、あたし、こういうオカルト話は全然信じないの。
幽霊もUFOも一度も見たことないしね。
アジアもいろんな所を旅してきたけど、こういう類の話って、よくあるじゃない。
だけど、普通は絶対に見られないお祭りだっていうからチョー期待してる。「奇祭」ってやつだからね。
どこにでもあるお祭りなんかより、卒論のテーマにぴったりだと思うの。
もう教授から「A」の成績をもらえるのも間違いないわ。
雨が止んだら、通行止めも解除されそうだから、マイダーリンと一緒に国境に向かうつもり!
詳しい報告は、またF市に戻ってからね。
期待しててね。 マユコ 』
彼女が日記を更新してから17日もたっている。
その後は更新されていないから、まだF市に戻っていないのだろう。
だが、ブログの中にどうしても引っかかる記述があった。
「黒い神」の手には指が三本しかないという点。
それと、9本ある手にそれぞれ生首を握っているという話だ。
我が家の押し入れに眠っている「黒い手」にも指が三本しかない。
すると、あの手は「白い神」に切断され、P国各地に封印されたという「黒い神」の手なのだろうか。
秀明は4人の女性を殺害して、遺体から切り取った首と片腕を冷蔵庫に保管していた。
蘇った時にも男性当直医の首と腕を持ち帰った。
「黒い神」が9本の腕に持つのは、5人の女の首と4人の男の首だという。
数は足りないが、伝説と一部重なる所がある。
いずれにしても、彼女が国境から戻れば、もう少しはっきりした事がわかるはずだ。
今は待つしかなかった。
私にはもうひとつ、気になって、調べてみたいことがあった。
あの絵のことだ。
秀明のマンションの玄関に飾ってあった、あの不気味な絵。
絵と作者の名前は、忘れないように手帳にメモしてあった。
『 ヤン・ファン・エイク作 アルノルフィーニ夫妻の肖像 』
検索してみて驚いたのは、私は知らなかったが、意外にも有名な絵だったことだ。
本物は、ロンドンのナショナル・ギャラリーに飾られている。
作者のヤン・ファン・エイクは、謎の多い画家だった。年齢も、生い立ちもよくわかっていない。現存する作品も世界中にわずか二十点ほどしかないらしい。
あの絵は西暦1434年、今から六百年ほど前に描かれたものだという。エイクがあるイタリアの豪商から依頼されて描いた肖像画だった。婚約の証として描かれたとある。
あれが婚約の証だって!
私なら、自分の婚約祝いに、あんな暗い絵を描いてもらいたくはない。
夫妻の向こうに見える壁には縁がぎざぎざの円い鏡がかかっているのだが、その上に「ヤン・ファン・エイク ここにありき」という文字が書かれているという。
絵をよく見ると、確かに壁には字があった。
しかも、その鏡の中には夫妻の他に2人の人間の姿が小さく映っているのだという。あるサイトにはご丁寧に拡大図まで載っていて、確かに夫妻の正面には2人の人物が立っているのがわかった。一説ではこの内の1人がヤン・ファン・エイク自身で、アルノルフィーニ夫妻の結婚の証人としてここにいたことを表しているのだ、と書かれていた。
私は考え込んでしまった。
秀明のマンションにあった装飾品は、あの絵「たった一枚」だけだった。
なにか特別な意味があるような気がしてならない。
最初に絵を見た時には、私は右側の女性が妊娠していると思った。ドレスのお腹の部分が大きく膨らんでいたからだ。
しかし、婚約の証に描かれたというからには、女性が臨月なはずはない。腹部がふっくらとしているように見えるのは、おそらく当時の衣装のせいなのだ。
妻が臨月に見えた事と、夫の暗い表情のせいで、私はてっきり妻の胎内に宿った「なにか」に、夫が深く悩んでいるのだと思いこんだ。それほど、黒いマント姿の夫の眼差しは、暗く沈んで見えた。しかし、それは全くの思い違いだったことになる。
調べてゆくと、興味深い記述がいくつかあった。
作者のエイクは、写真のように正確で精密な筆使いから、『神の手を持つ男』といわれていた、という。
『黒い手』と『神の手を持つ男』・・・・。
奇妙な一致だった。
さらに、この絵の中には様々な『隠された意味』があると書かれていた。
正直言って、驚きだった。
そんな種類の絵画があるとは今まで知らなかったからだ。
絵の端々に描かれた一見意味のない物に、深い意味が隠されている、というのだ。
解釈には様々な説があった。私はいろいろなサイトを行ったり来たりしながら、絵に描かれた「秘密の意味」を探る作業に熱中した。
一本だけ灯された蝋燭は「契約」を意味するのだという。
夫妻の足下に描かれている「犬」は「忠誠」を。
窓辺に置かれた「果物」は楽園でイブが食べてしまったリンゴ、つまり「原罪」を表す。
さらに意味深なのは、床に転がっている木製のサンダルだ。神の御前では履き物を脱げ、ということで、「神聖な儀式」を意味するというのだが、サイトによっては「女性の性器」や「性的なもの」を意味するとも書かれていた。
つまり、こういうことなのだろうか。
豪商の夫が描かせたというこの絵は、婚約したばかりの美しい妻に、「貞節」と「服従」を誓わせた、一種の契約書だったということなのか?
私はネット上に表示された絵を、もう一度眺めてみた。
「女性器」
「契約」
「忠誠」
「原罪」
絵の中に隠された意味を、ひとつひとつ反芻してみる・・・・。
そのうち突然、パズルのピースがぴったりとはまるように、ひとつの仮説を思いついた。
秀明は、あの絵を見た誰かに、こう訴えたかったのではないのか。
『自分はある女性と契約を交わし、深く忠誠を誓い、重い罪を重ねているのだ』と。
いや・・・、首をひねる。
だとしたら、その女性とは一体誰なのだろう?
私達夫婦が知らないだけで、やはり秀明には深い契りを結んだ女性がいたという事か?
あの部屋に残されたものを、もう少し詳しく調べてみる必要がありそうだ。
そんな事を考えながらマウスのクリックを繰り返し、関連サイトを調べていると、あるページで手が止まった。
全く予想もしなかった絵が載っていたからだ。
それは、家の玄関に飾ってある絵だった。
変わり果てた秀明が、消える寸前に指さした「あの絵」だ。
1433年に描かれた「赤いターバンの男」という作品だった。この絵も「アルノルフィー二夫妻の肖像」と同じくロンドンのナショナル・ギャラリーに飾られている。
そして、なんと絵のモデルの赤いターバンの男は、作者のヤン・ファン・エイク自身だと言われている、と書いてあるではないか。
つまり、作者の自画像なのだ。
あの絵はもともと秀明が「美大出身の友人の結婚式の引き出物としてもらった」と言って玄関に飾ったものだ。
だが、いくら美術に造詣の深い友だちとはいえ、「エイクの自画像」を晴れの門出の引き出物に選ぶ新婚カップルなどいるだろうか。
それに、なぜ、秀明は最後にエイクの自画像を指さし、「とうさん、たのんだよ」などと言ったのだろう?
秀明は私に何をさせたいのだろう?
考えても、考えても、わからなかった。
Macの電源を切り、椅子の背に深くもたれた。
秀明の机の上には、事故の直後に会社から受け取った遺品が置いたままにされていた。
グリコのおまけに入っていた怪獣ペギラやカネゴンのフィギュア。見ているうちにまた幼い頃の思い出がこみあげてきて、頭が痛んだ。
その脇にパスポートがあった。
手にとって広げてみる。
パスポートに張られた秀明の小さな顔写真が、こちらを見上げている。
私の宝物だった秀明・・。
パスポートをパラパラとめくってみた。おやっ、と思った。
たしか秀明が海外旅行に行ったのは、大学の卒業旅行で悪友3人とグアムに行った1回だけのはずだった。それにしては、出入国のスタンプが多すぎる気がした。
ひとつひとつ確認してみると、グアム以外は全部が同じ国だった。
東南アジアのP国だ。
この数ヶ月で4回も入国していた。仕事で出張するという話も秀明からは聞いたことがなかった。
秀明が借りていたマンションの管理人は、海外出張だと言って秀明がよく大きなスーツケースを転がして出掛けていた、と語っていた。あの時は首と腕を切断した被害者の遺体をどこかに捨てに行ったのだろう、と思っていた。だが・・・・。
本当に海外にも出掛けていたのだろうか?
一体、何をしに?
パスポートを握りしめながら、考え続けた。
しかし、これも答えが思い浮かばない。
冷め切ってしまったカプチーノを一口飲む。砂糖を入れたはずなのに苦さしか感じなかった。
考えるのをあきらめて、部屋を出た。階段の途中でカップとスプーンを起き忘れたことに気がついたが、まあ後で片づければいいか、とそのままにして階下におりた。
それから、サンダルを引っかけ、大きく背伸びをしながら、外の郵便受けに向かった。ずっとコンピューターの画面を見つめていたので、肩と背中がひどくこわばっていた。
郵便受けから夕刊を抜き出し、歩きながら広げる。
一面のトップ記事は、解散総選挙が噂されるなか総理大臣の支持率が急落している、という世論調査の記事だった。今日は大きな事件もないらしい。社会面を開いても、特に興味をひかれる記事はなさそうだった。ところが、ひとつの見出しを見て、私の足が止まった。
四コマ漫画の脇にある三段見出しの記事だった。
『 女子大生、P国で不明
外務省に入った連絡によると、P国を旅行中だった女子大生が1日、行方不明になっていることがわかった。行方がわからなくなっているのは、東京都八王子市在住の東京外語大四年、奥村真由子さん(二一)。』
この名前が足を止めさせたのだ。マユコ・・・。P国旅行中の外語大生・・・。
もしかして、あのホームページの女の子ではないのか。
『奥村さんは先月初めからP国各地を一人で旅行していた。定期的に旅行の様子を自分のブログに書き込んでいたが、ブログによると、奥村さんは現地で知り合った男性と隣国との国境近くの山間地帯を訪れる予定だった、という。その記述を最後に、消息を絶った』
現地で知り合った男と国境に向かう予定・・。さっき見たブログの記述と一致している。
間違いない。「マユコのP国ひとり旅」を書いていた女子大生だ。
『P国の日本大使館では、何らかの事件に巻き込まれた可能性もあると見て、現地警察と密接な連絡を取りながら、行方の捜索に全力を挙げている』
記事の片隅に、彼女の写真があった。
入学式か何かの小さい写真をかなり引き伸ばしたらしく、あまり鮮明ではないが、眼鏡をかけた目立たない感じの女性だった。
私の周りで何が起きているのか。
目眩がして、思わず玄関のドアに右手をついていた。
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「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
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