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第4章
異世界、魔都上海へ(15P)<エピソード>
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芳子を乗せた日華連絡船『上海丸』は、定刻の午前9時きっかりに長崎を出航した。長崎~上海は二十六時間。当時としては、最速の豪華客船である。
浪速は、愛想をつかした芳子を兄に押し付け、上海に送り返したのである 芳子は、生まれ故郷に帰ると決まって、何かが、吹っ切れた気分である。山家のいない松本には、もう未練はなかった。
ならば、これからはだれにも気兼ねせずに、自分の信じる道を進んでいこう。巣立つ時は、一人でいい。
夕食前のひと時、デッキで潮風を楽しんでいた。パラソルとベンチが設えられた甲板では、少女が二人、身を寄せあって座っていた。粗末な着物一枚しか着ておらず、脛はむき出しである。そこへ、どかどかと足音をたて、ずんぐりむっくりの男がやってきた。
「お前ら、さっさと部屋へ帰れ!」
怒鳴られて、少女達は怯えたように走り去った。
男は、芳子に気がついて「やぁ」と軽く会釈する。仕立てのいい背広姿は、一等客に違いない。
「失礼ですが、川島芳子さんですか?」
「ああ」
「新聞記事の写真と、よく似ていらしたから。つい、声をかけてしまいました」
「いや、いいんだ。ボクも一人旅で退屈していた所だ」
「ありがたいお言葉です。私は、長崎で会社を営んでおりまして、金賀大治と申します。
これも、何かのご縁。”旅は道ずれ世は、情け”ということわざもあります。
今夜は、是非夕食をご一緒いたしましょう」
金賀は、芳子を伴って一等のレストランに入る。ずらりと並んだ四人掛けのテーブルは空いていた。
金賀は、喉を鳴らしてシャンパンを飲み込んだ。
「いい酒だ。私は、これを飲むのが、楽しみなんですわ」
「よく、上海に行くのかい?」
「もう、何度も往復しております。
上海は、パスポートもいらんし日本みたいなもんですわ。
海岸沿いのバンド(外国人居留地)では、大きなデパートが並んで、銀座より羽振りがいいぐらいです。
一旗揚げようって男達が溢れていますから。血気盛んな連中だ。
満州でも、姑娘(クーニャン)より“からゆきさん”が人気者じゃ。
おかげで私も、大儲けできますわ。ははは」
“からゆきさん”と聞いて、芳子は金賀を睨みつけた。
甲板にいた少女達は、売られていく娘なのだ。
「子供達を大陸に連れて行くのか―――いったい何をさせるつもりなんだ?」
「人聞きの悪い事言わないでくれませんか。
あの子達は、貧しくてメシもろくに食われん生活をしておったのです。
私は、ちゃんと親に大金を払って娘さんを預かってきた。親孝行な子供達ですからな。大切にしています。白いご飯が食えると大喜びですわ」
「欧米では、そんな考え方は通用しません。日本の女は、アジアやロシア、米国まで出かけて商売していると、世界中から非難されている」
「はいはい。おっしゃるとおりです。でも――残念ながら、今の我が国では、外国のきれいごとは通りませんよ。
いや、失礼。別に芳子様を責めているわけじゃない。
飢え死に寸前だから、子供を売る。こんな、辛い事がありますか?
貧しい日本を豊かにする為に、新天地で金儲けをしているんです。
軍人さんも、政治家も、お国が一緒になってその経済活動を助けている。私も、そのひとりなんですわ」
金賀は、運ばれて来たステーキに、フォークを突き立て、黙々と食べ始めた。
芳子は、少女が身体を売らなくても食べていけるようにしたい、と思った。実父である粛親王も、民の幸せを望んでいた。残された命は、民の為に捧げよう。そう心に誓った。
浪速は、愛想をつかした芳子を兄に押し付け、上海に送り返したのである 芳子は、生まれ故郷に帰ると決まって、何かが、吹っ切れた気分である。山家のいない松本には、もう未練はなかった。
ならば、これからはだれにも気兼ねせずに、自分の信じる道を進んでいこう。巣立つ時は、一人でいい。
夕食前のひと時、デッキで潮風を楽しんでいた。パラソルとベンチが設えられた甲板では、少女が二人、身を寄せあって座っていた。粗末な着物一枚しか着ておらず、脛はむき出しである。そこへ、どかどかと足音をたて、ずんぐりむっくりの男がやってきた。
「お前ら、さっさと部屋へ帰れ!」
怒鳴られて、少女達は怯えたように走り去った。
男は、芳子に気がついて「やぁ」と軽く会釈する。仕立てのいい背広姿は、一等客に違いない。
「失礼ですが、川島芳子さんですか?」
「ああ」
「新聞記事の写真と、よく似ていらしたから。つい、声をかけてしまいました」
「いや、いいんだ。ボクも一人旅で退屈していた所だ」
「ありがたいお言葉です。私は、長崎で会社を営んでおりまして、金賀大治と申します。
これも、何かのご縁。”旅は道ずれ世は、情け”ということわざもあります。
今夜は、是非夕食をご一緒いたしましょう」
金賀は、芳子を伴って一等のレストランに入る。ずらりと並んだ四人掛けのテーブルは空いていた。
金賀は、喉を鳴らしてシャンパンを飲み込んだ。
「いい酒だ。私は、これを飲むのが、楽しみなんですわ」
「よく、上海に行くのかい?」
「もう、何度も往復しております。
上海は、パスポートもいらんし日本みたいなもんですわ。
海岸沿いのバンド(外国人居留地)では、大きなデパートが並んで、銀座より羽振りがいいぐらいです。
一旗揚げようって男達が溢れていますから。血気盛んな連中だ。
満州でも、姑娘(クーニャン)より“からゆきさん”が人気者じゃ。
おかげで私も、大儲けできますわ。ははは」
“からゆきさん”と聞いて、芳子は金賀を睨みつけた。
甲板にいた少女達は、売られていく娘なのだ。
「子供達を大陸に連れて行くのか―――いったい何をさせるつもりなんだ?」
「人聞きの悪い事言わないでくれませんか。
あの子達は、貧しくてメシもろくに食われん生活をしておったのです。
私は、ちゃんと親に大金を払って娘さんを預かってきた。親孝行な子供達ですからな。大切にしています。白いご飯が食えると大喜びですわ」
「欧米では、そんな考え方は通用しません。日本の女は、アジアやロシア、米国まで出かけて商売していると、世界中から非難されている」
「はいはい。おっしゃるとおりです。でも――残念ながら、今の我が国では、外国のきれいごとは通りませんよ。
いや、失礼。別に芳子様を責めているわけじゃない。
飢え死に寸前だから、子供を売る。こんな、辛い事がありますか?
貧しい日本を豊かにする為に、新天地で金儲けをしているんです。
軍人さんも、政治家も、お国が一緒になってその経済活動を助けている。私も、そのひとりなんですわ」
金賀は、運ばれて来たステーキに、フォークを突き立て、黙々と食べ始めた。
芳子は、少女が身体を売らなくても食べていけるようにしたい、と思った。実父である粛親王も、民の幸せを望んでいた。残された命は、民の為に捧げよう。そう心に誓った。
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