リンドグレーン大佐の提案

高菜あやめ

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第一部

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「は? なんだって?」

 小さなテーブルを挟んで対面に座る男は、やたらこめかみから流れる汗をハンカチで拭いながら肩をすくめている。

「たった今、申し上げた通りでございます。こちらの土地はすでに売却済みでして」
「冗談じゃない、こちらが先に申し入れたじゃないですか! どうして黙って、別の人に売ってしまったんです?」
「でもあちら様は、一括払いでのご購入を希望されましてね」

 十年の返済期間を見込んでいたテオドアにとっては、痛いところを突いてくる。だが資産家ならいざ知らず、一般的に考えて土地を購入する場合、十年の返済期間は妥当だろう。

「あの辺りの土地は、なかなか買手がつかなくって、こちらも持て余していたもので。願ってもない話だったんですよ……しかも隣接の土地も併せて三つも、三つもですよ? 買い上げてくださった! ああ、本当にありがたいことです。これで肩の荷が下りたってもんですよ!」

 やや前のめりで話す店主は、悪びれずに自分の正当性をまくし立てる。これ以上この男と話しても無駄だろう。こうなったら買い手と交渉するしかないと、購入した人物についてたずねるも、店主は頑なに首を振った。

「とんでもない、他のお客様の情報などお渡しできませんよ。なんせあちらは、然るべき御身分の方ですからね」
「……俺には知る権利がある。あれは俺が買うはずの土地だったんだ!」

 とうとうテオドアが怒りにまかせて声を荒らげると、店主は小馬鹿にしたように目を細め、嘲るように顎をしゃくった。

「軍人さんだからって、強引な真似をされても困りますな。こちらも商売なんです」

 話は終わりだとばかり店主は立ち上がると、身分を示す為だけに着てきたテオドアの軍服を、蔑みの目で見下ろした。





 太陽は徐々に傾きつつあった。見渡す限りの平野には青々とした草が茂り、空の色を吸い上げて、赤くまだらに染まりつつある。
 テオドアは舗装されてない、歪んだ道の端に鞄を下ろすと、その上に座り込んで地平線に目を凝らす。
 ここからは見えないが、この先には国境を分断する鉄条網が張り巡らされているはずだ。その事実を知らなければ、のどかな草原がなだらかに連なる、平穏で面白味に欠ける風景に映ることだろう。

(懐かしいな……)

 夕日を浴びて赤くゆらめく草原は、テオドアに五年前の戦火を思い起こさせた。
 過去の記憶にのまれないよう、必死に堪えていたせいか、近づいてきた人物に気づけなかった。

「……いつまで、そうしているつもりだ」

 我に返って顔を上げると、いつの間にか視線の先に大佐が立っていた。
 逆光で表情はよく見えないが、いつもの軍服ではなく、グレーのフロックコートにアスコットタイを身につけている。もともと軍人らしからぬ綺麗な容貌だが、こういう格好をしていると苦労知らずな貴族の御曹司にしか見えない。
 彼の登場で、テオドアは全てが腑に落ちた。

「ここ、あんたが買ったんだな」
「ああ」

 こんな辺鄙な荒地を欲しがる奇特な人間なんて、テオドア以外にいないと思っていた。いるとすれば、テオドアに対して何かしら思惑のある人物以外に他ならない。
 大佐がどういうつもりか知らないが、ここまできたのだ。テオドアは、あきらめるつもりはなかった。

「じゃあ、俺に売ってくれ」
「……」
「いくらなら売ってくれる? 何年なら返済を待ってもらえる?」

 大佐は目を細めると、思案するように腕組みをしてみせた。

「君が例の『取引』の返事を保留にした理由だが……時間稼ぎが目的なのは明白だった。あまり他人の事情を詮索する趣味はないが、一応調べさせてもらったよ」

 テオドアは視線を落として首を振った。大佐の財力をもってすれば、テオドアの事情など容易く調べられただろう。

「ここはかつて、君の父親が継ぐべき領地だった」

 大佐はゆっくりとテオドアへ向かって歩を進める。

「今から五十年程前、この地域で国境をめぐる争いがあった。当時、分隊長として果敢に戦った男が、その功績を認められて、退役後に爵位と土地を与えられた」

 それは父親から、飽きるほど聞かされた話だ……テオドアは冷めた目を大佐に向けた。

「だが彼が領主だった期間は、それほど長くはなかった。妻に先立たれ、不毛な地での領地経営はうまくいかず、やがて病に倒れた。そして彼の死後、幼い息子一人が残された……それが君の父親だ」

 テオドアの父親がいつも誇っていた事だ。事あるごとに『いつか、お前のお祖父様のような立派な軍人になりなさい』と言われた。
 しかし戦果をあげた祖父が、国から爵位とともに『押し付けられた』土地は、褒美とは名ばかりのただの荒地だった。
 当時はまだ鉄道も通ってなかった為、さまざまな物資が不足していたと聞く。不毛の土地に加えて、定住者も少なく、領地経営がうまくいくわけがなかった。

(今もたいして変わんねえな……)

 不毛の地は、何年経ても不毛のままだ。鉄道が通るようになっても、ここだけは変わらない。その理由として、かつての敵国の国境が近いことが挙げられる。
 戦いが過ぎ去った今も、常に不穏な空気が拭えない。無骨で堅固な北の砦が、それをよく表している。

(本当に、馬鹿馬鹿しい)

 要するに国は、祖父を体よくこの地に縛り付けて、国境の見張りを命じたのだ。退役した軍人の末路としては、生活の保障があるだけましな方かも知れない。
 だが彼の死後、残された家族をこの地に留めておく理由などない。爵位だって一代限りのもので、祖父の死と同時に抹消されている。
 どの道、祖父が最後の『任務』を全うした後、残された家族はこの地を去るしかなかったはずだ。

「君の父親の後見人だった男は、事業の資金繰りに失敗し、この土地を担保に金を借りた。その後、借金返済の目途がつかなくなり、土地の所有権を失っている。そして、この地を去った……それが五年前のことだ」
「……大方、戦時下のどさくさに紛れて借金を踏み倒した挙句、夜逃げしたってとこだろ」
「まあ、そうだな」

 五年前――隣国との戦いが激化し、この辺りは最前線だった。多くの住民が戦火を逃れる為、住み慣れた土地を捨てていった。
 テオドアの大叔父にあたる男は、その状況を逆手に取り、戦場の混乱に乗じて行方をくらました。

「それで、君がこの土地にこだわる理由だが」
「そんなこと、どうでもいいじゃありませんか」

 テオドアは、土埃にまみれた鞄を手に立ち上がった。軍帽を目深に被っても、赤く燃える草原は足元まで広がっている。すると視界に、黒い革靴のつま先が飛び込んできた。

「君の考えていることだけが、どうしても分からなかった」
「……あんたには関係ない」
「そうかな」

 テオドアが視線を上げると、大佐の髪が夏の生温い風に吹かれて波を打った。水の底を思わせる双眸には、水面に小石を落とした波紋のように、感情が揺らいでいる。

「五年前のあの夜……君は命令に背き、敵を引きつける為、独断で陽動作戦を決行した」
「それと、今の話に何の関係が……」
「僕はちょうどその頃、参謀として秘密裏に北の砦を訪れていたんだ」

 それはテオドアにも初耳だった。だが戦時下において、参謀が所在を知られないよう駐留先を転々とするのはよくあることだ。
 まさか、わざわざ戦況が苦しい場所へ赴くとは、敵方も想像に及ばないだろう。大佐は微かに口角を持ち上げる。

「君の無謀とも言える行動で、結果的に命を救われた形となった」
「大げさですよ……俺は小さな補給チームを護衛したに過ぎない」
「あれはただの補給チームではない。アシュバートンに送り込んだ諜報員が一人紛れこんでいた。彼の情報が、その後の戦況を変える要となったんだ」

 テオドアは驚きに一瞬目を見開いたが、顔を背けると小さく首を振った。それはただの偶然の産物に過ぎず、テオドアが命令に背いた事実に変わりはない。

「そりゃよかったですね、結果的にうまい具合に貢献できたみたいで……苦労したかいかあったってもんです」
「だが疑問も残った。君は敵を引きつける為、ずいぶんと遠くまで移動を重ねた。負傷して意識の無い君が発見されたのは、砦からかなり離れた草原の中だった。身を隠す術もない、まるで自殺行為とも取れる場所だった……そう、まさに」

 大佐はスッと右手を水平に掲げた。

「この場所だ……君は、この草原の真ん中で倒れていた」
「……」
「君は、生きて戻るつもりはなかった」

 草原はいつの間にか青く染まっていた。
 完全に日が沈む前の刹那、青いベールが空と大地を覆い、天と地をひとつにする。それはまるで、現在と過去がひとつに重なる瞬間のようだ。

(あの時と同じだ)

 あの夜、確かにテオドアは戻ることなど念頭になかった。しかし命を捨てようと思ったわけでもない。
 ただ、この地に辿り着きたかっただけだ。
 幼い頃から聞かされていた、本当なら自分が存在していたはずの場所……そこでは何も困る事など無く、幸せに暮らせるのだと父親が話していた理想郷を、ただひたすら目指した。

(そんな場所、在るはずがない)

 物心ついた頃から『こんなはずじゃなかった』と言われる度に、どんな気持ちにさせられたか。無理して金を工面し、頼んでもない士官学校へ入れられた時も同じだ。
 父親は、あるはずもない場所に焦がれていた。

(在るはずがないんだよ……そんなもん、どこにもない!)

 あの夜……敵の砲撃を耳にしながら、ひたすら走った。心の中で何度も否定した、父親の語る理想郷を目指して、走った。
 あれは、どこにもない。あれは彼が創り上げた妄想なのだ。きっと、その場所へ行けば『存在しない』ことを証明できる。その一心で、草原を駆け抜けた。
 父親が望んだ通り、テオドアは軍人になった。軍人になって功績を挙げれば、爵位と土地が与えられる。そうすればきっと、あの理想郷が手に入るのだと、父親はそんな夢ばかり見ていた。
 その夢を、この草原で……打ち砕くつもりだった。




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