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第二部
2
「なぜ彼は、あなたを傍に置きたがるのでしょうね」
テオドアの心を、たった今のぞいたような言葉が聞こえた。隣にはいつからいたのか、どこかで見た男の顔があった。
(ああ、大佐の取り巻き連中の一人か……)
年は三十前半ぐらいだろうか。デイヴィスと名のるその男は、不躾とも取れる第一声とは打って変わって、礼儀正しく握手を求めてきた。
間近で見た男の顔の造作は、茶色い瞳や同色の髪と相まって、あまり記憶に残りそうもなかった。彼のすぐ後ろには、似たような印象の若い女性が黙って立っている。簡単に妹だと紹介された。
「リンドグレーン大佐は、人を惹きつける何かを持ってますから、黙っていても人が寄ってきます。そんな風に、あの方に魅せられた者たちは、彼の意のままに操られてしまうのですよ」
落ち着きのある、淡々と評価するような口振りは、これまで遭遇した信奉者たちとは、少々毛色が違うようだ。
テオドアはデイヴィスと並んで壁際に立つと、視線を中央のダンスフロアへ向けた。周囲の喧騒が少し遠くなった気がする。
「憐れな隷属者たちですね」
デイヴィスが示す方向には、大勢に取り囲まれた大佐の姿があった。
「皆揃って彼に夢中だ……しかし、あなたの場合は、どうやら逆のようですね」
「逆?」
「ええ、彼があなたに隷属しているのでしょう」
隣に顔を向けると、デイヴィスの凪いだ表情があった。まるで軽い世間話でもするように、控えめに微笑んでいる。
「妹を紹介したくて連れてきましたが、どうやら出る幕はなさそうです。まあ、もともと高嶺の花過ぎましたけど」
「そんなこと……妹さん、かわいいじゃないですか」
デイヴィスはやや驚いたように目を見開いた。そうすると、印象の薄かった容貌に色が差しこまれ、初めて男の顔を見た気がした。
「あなたが、そんな社交辞令を仰るとは思いませんでした」
「いや、別にそういうつもりでは」
「でも大佐の前では、そういった事は口にしない方がいいですよ。あれでなかなか嫉妬深い……違いますか」
うっかりそうだと言いそうになったが、寸でのところでのみこんだ。男が去ってしまうと、テオドアは一人壁の隅でぼんやりと立つ。
(変わった奴だったな……デイヴィス……ディヴィス。繰り返えしとかないと、すぐ忘れちまいそうだ……)
「何をブツブツ言っている?」
「わっ……」
急に話し掛けられ、今度は声を抑えられなかった。隣にはいつの間にか、スラリとした若い軍人が立っていた。
その人物はテオドアと同じ詰襟の軍服姿だが、胸元と腕を飾るおびただしい数の勲章やバッチは、明らかに地位の高さを物語っている。テオドアは居住まいを正すと、背筋を伸ばして敬礼した。
「そう堅苦しくしなくてもいい、マレット少尉」
「はっ……」
そこでテオドアは、初めてその人物が男装の麗人であることに気がついた。赤味がかったハニーブロンドは、短く刈り込まれているものの粗野には見えず、化粧っ気のない整った面立ちには品位すら感じる。
(誰だ、この人……軍司令部では見た事無い顔だ)
恐らく地方に駐在している高官だろう。なぜならこれほど印象の強い人間なら、その場に存在するだけで人の口に上り、必ずテオドアも噂を耳にしてるはずだ。
「ああ、自己紹介がまだだったな。エレン・アーミテイジだ。普段は西側の、国境沿いの砦に常駐している」
アーミテイジ家といえば、ロイシュベルタ帝国の三大貴族のひとつで、リンドグレーン侯爵家と並ぶ名門だ。現当主のアーミテイジ伯爵は、何年も前に退役したものの、かつては西側の陣営を守り抜いた将軍として名高い。
「テオドア・マレットと申します。もうご存知かもしれませんが……」
「ああ、話はルイスから聞いている。幼馴染なんだ」
そういえば大佐のファーストネームはそんな名前だったと、テオドアは小さく頷く。
(しかし幼馴染って、つまり大佐の子どもの頃を知ってるのか、この人……きっとこまっしゃくれた、クソ生意気なガキだったんだろうな。いや、どちらかというと、大人の前じゃ猫被ってそうだよな、あいつ)
アーミテイジはテオドアと並んで壁際に立つと、小さく忍び笑いを漏らした。何がおかしいのかと隣をうかがうと、彼女は愉快そうにダンスフロアを眺めていた。
「目が回りそうだな。本当に、ご令嬢方は尊敬に値する。リードされているようで、彼女らが相手をコントロールしているのが分かるか? まるで世の中の縮図を見ているようだ」
「そう見えますか」
テオドアは曖昧に返答しながら、踊る令嬢たちを眺めた。あんなに何度も回転して目が回らないのかとか、足に絡みつくスカートの裾が邪魔じゃないだろうかとか、どうでもいいことを考えていたら、再び隣の人物の体が小刻みに揺れた。
「あんなに睨んでる。まずいな」
「え?」
アーミテージの指し示す方角に顔を向けると、ちょうどフロアを横切って近づいて来る大佐の姿に気づいた。その表情に、テオドアは少しばかり怯む。怒っているのではない、むしろにこやかで機嫌が良さそうなのに、なぜかどす黒いオーラが見える。
周囲の誰もが、彼に熱のこもった好意的な視線を向けている。テオドアは自分の目がおかしいのかと、焦りながら視線をさ迷わせていたら、突然強い力で手首を取られた。
「こんなところにいたのか……探したよ」
そのまま強引に引っ張られた為、よろけた一瞬、額が大佐の肩にぶつかった。
「エレン、いたのか」
「ご挨拶だな。久しぶりに会った幼馴染に対して、そうあからさまな敵意を向けるなよ」
二人とも小声で話しているので、傍から見れば微笑ましいやり取りにしか見えないだろう。だが微笑み合う二人の視線は鋭く、まるで相手の出方を探っているようだ……少なくともテオドアの目にはそう映った。
「テオドア、君はアーミテイジ中佐と面識がなかったな。彼女はキンバリー少佐同様、新しい国境警備隊長だ。西側のね」
大佐の言葉を受けたアーミテイジは、軽く顎を引いて同意を示す。小さく持ち上がった口角に、彼女の揺るぎない自信と余裕を垣間見た気がした。
テオドアの心を、たった今のぞいたような言葉が聞こえた。隣にはいつからいたのか、どこかで見た男の顔があった。
(ああ、大佐の取り巻き連中の一人か……)
年は三十前半ぐらいだろうか。デイヴィスと名のるその男は、不躾とも取れる第一声とは打って変わって、礼儀正しく握手を求めてきた。
間近で見た男の顔の造作は、茶色い瞳や同色の髪と相まって、あまり記憶に残りそうもなかった。彼のすぐ後ろには、似たような印象の若い女性が黙って立っている。簡単に妹だと紹介された。
「リンドグレーン大佐は、人を惹きつける何かを持ってますから、黙っていても人が寄ってきます。そんな風に、あの方に魅せられた者たちは、彼の意のままに操られてしまうのですよ」
落ち着きのある、淡々と評価するような口振りは、これまで遭遇した信奉者たちとは、少々毛色が違うようだ。
テオドアはデイヴィスと並んで壁際に立つと、視線を中央のダンスフロアへ向けた。周囲の喧騒が少し遠くなった気がする。
「憐れな隷属者たちですね」
デイヴィスが示す方向には、大勢に取り囲まれた大佐の姿があった。
「皆揃って彼に夢中だ……しかし、あなたの場合は、どうやら逆のようですね」
「逆?」
「ええ、彼があなたに隷属しているのでしょう」
隣に顔を向けると、デイヴィスの凪いだ表情があった。まるで軽い世間話でもするように、控えめに微笑んでいる。
「妹を紹介したくて連れてきましたが、どうやら出る幕はなさそうです。まあ、もともと高嶺の花過ぎましたけど」
「そんなこと……妹さん、かわいいじゃないですか」
デイヴィスはやや驚いたように目を見開いた。そうすると、印象の薄かった容貌に色が差しこまれ、初めて男の顔を見た気がした。
「あなたが、そんな社交辞令を仰るとは思いませんでした」
「いや、別にそういうつもりでは」
「でも大佐の前では、そういった事は口にしない方がいいですよ。あれでなかなか嫉妬深い……違いますか」
うっかりそうだと言いそうになったが、寸でのところでのみこんだ。男が去ってしまうと、テオドアは一人壁の隅でぼんやりと立つ。
(変わった奴だったな……デイヴィス……ディヴィス。繰り返えしとかないと、すぐ忘れちまいそうだ……)
「何をブツブツ言っている?」
「わっ……」
急に話し掛けられ、今度は声を抑えられなかった。隣にはいつの間にか、スラリとした若い軍人が立っていた。
その人物はテオドアと同じ詰襟の軍服姿だが、胸元と腕を飾るおびただしい数の勲章やバッチは、明らかに地位の高さを物語っている。テオドアは居住まいを正すと、背筋を伸ばして敬礼した。
「そう堅苦しくしなくてもいい、マレット少尉」
「はっ……」
そこでテオドアは、初めてその人物が男装の麗人であることに気がついた。赤味がかったハニーブロンドは、短く刈り込まれているものの粗野には見えず、化粧っ気のない整った面立ちには品位すら感じる。
(誰だ、この人……軍司令部では見た事無い顔だ)
恐らく地方に駐在している高官だろう。なぜならこれほど印象の強い人間なら、その場に存在するだけで人の口に上り、必ずテオドアも噂を耳にしてるはずだ。
「ああ、自己紹介がまだだったな。エレン・アーミテイジだ。普段は西側の、国境沿いの砦に常駐している」
アーミテイジ家といえば、ロイシュベルタ帝国の三大貴族のひとつで、リンドグレーン侯爵家と並ぶ名門だ。現当主のアーミテイジ伯爵は、何年も前に退役したものの、かつては西側の陣営を守り抜いた将軍として名高い。
「テオドア・マレットと申します。もうご存知かもしれませんが……」
「ああ、話はルイスから聞いている。幼馴染なんだ」
そういえば大佐のファーストネームはそんな名前だったと、テオドアは小さく頷く。
(しかし幼馴染って、つまり大佐の子どもの頃を知ってるのか、この人……きっとこまっしゃくれた、クソ生意気なガキだったんだろうな。いや、どちらかというと、大人の前じゃ猫被ってそうだよな、あいつ)
アーミテイジはテオドアと並んで壁際に立つと、小さく忍び笑いを漏らした。何がおかしいのかと隣をうかがうと、彼女は愉快そうにダンスフロアを眺めていた。
「目が回りそうだな。本当に、ご令嬢方は尊敬に値する。リードされているようで、彼女らが相手をコントロールしているのが分かるか? まるで世の中の縮図を見ているようだ」
「そう見えますか」
テオドアは曖昧に返答しながら、踊る令嬢たちを眺めた。あんなに何度も回転して目が回らないのかとか、足に絡みつくスカートの裾が邪魔じゃないだろうかとか、どうでもいいことを考えていたら、再び隣の人物の体が小刻みに揺れた。
「あんなに睨んでる。まずいな」
「え?」
アーミテージの指し示す方角に顔を向けると、ちょうどフロアを横切って近づいて来る大佐の姿に気づいた。その表情に、テオドアは少しばかり怯む。怒っているのではない、むしろにこやかで機嫌が良さそうなのに、なぜかどす黒いオーラが見える。
周囲の誰もが、彼に熱のこもった好意的な視線を向けている。テオドアは自分の目がおかしいのかと、焦りながら視線をさ迷わせていたら、突然強い力で手首を取られた。
「こんなところにいたのか……探したよ」
そのまま強引に引っ張られた為、よろけた一瞬、額が大佐の肩にぶつかった。
「エレン、いたのか」
「ご挨拶だな。久しぶりに会った幼馴染に対して、そうあからさまな敵意を向けるなよ」
二人とも小声で話しているので、傍から見れば微笑ましいやり取りにしか見えないだろう。だが微笑み合う二人の視線は鋭く、まるで相手の出方を探っているようだ……少なくともテオドアの目にはそう映った。
「テオドア、君はアーミテイジ中佐と面識がなかったな。彼女はキンバリー少佐同様、新しい国境警備隊長だ。西側のね」
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