Forbidden fruit

春蠶 市

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Eli Eli Lema Sabachthani

□Eli Eli Lema Sabachthani_03 *

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「ッ――!」

 反射的に俊輔が膝を使って身体の軸を整える。しかし、重心が安定しきる前にナが俊輔の形の良い肩を押した。
 しかもさり気なく肩関節の隙間に親指を捩じ込みながら突き飛ばした兄の加減の無さにロキは口笛を吹く。

「え、ナオさ――うわっ!」

 実戦であれば俊輔は足首を傷めるのもお構いなしに身を捻ってバランスを取るだろうが、生憎といまの相手は飼い主と師匠。
 無駄に抵抗してロキに余計な負荷と怪我を負わせてしまわないよう配慮してか、彼は存外大人しくロキに引っ張られた。

「あの、ボス。……なにか?」

 困惑と不安を入り混じらせた濃い緑の瞳で窺って来る忠犬に「わん」と鳴いた後、ロキは俊輔の鼻に噛み付いた。
 甘噛みだが、途端に俊輔の肩が大きく飛び跳ねる。

「いま兄様とデート中。分ッかんねーかー? んー?」

 彼の首に両腕を絡めながら口を放したロキが笑みを深めれば、言いたい意味を察したらしい俊輔は申し訳なさそうに眉を下げた。

「……すみません。ロキさん」
「よーしよーし」

 意図的に呼び方を変えて謝った俊輔の髪を犬でも構う手付きで大きく撫で回してからロキは俊輔から距離を取った。完全に彼の間合いから出る前に項垂れた頭をもう一度ポンポンと撫でてやる。

「ちゃーんと空気は読めよ。次、間違えたら鼻の骨噛み砕く」

 俯いていた俊輔は勢い良く顔を上げ、これまた勢い良く「はい!」と頷いた。脅しではないと理解しながらも彼の表情に恐れや怯えは微塵もなく、まったく逸らさない双眼は眩しいほどに直向きで忠実だった。こういうところが彼の強みであり、敵にとっては最大の脅威でもある。
 従順すぎる飼い犬にロキは喉奥をくくっと震わせながら完全に俊輔の間合いから出た。

「にーいさま。ソレ、死んでどれくらい?」
「二時間半」

 黒い背中を真後ろから覗き込めばナオがすかさずそれだけ言う。
 ナオはしゃがみ込んで懐中電灯の光を路上の隅に転がる肉塊に当てていた。

 冷たくなっている肉の性別は女。年齢は二十代半ばほど。自分で染めただろう明るい金髪は毛先が痛んでおり、頭のてっぺんは地毛の茶髪が覗いている。
 まだ曇っていない眼球は溢れ落ちそうなほど見開かれ、前歯が欠けて内壁がズタズタになった口腔は舌が喉奥に詰まっているのか血液がたっぷりと溜まっていた。覗く歯と濃い血は濁った明度のせいで色味がぼやけ、マグカップに注いだマシュマロの浮くココアにも見えた。
 大きく乱れたノーカラーコートの裏地はどす黒く染まり元来の柄が分からない。タートルネックのロングニットワンピースは引き裂かれ、ついでにその下の身も臍部から股間まで真っ直ぐに切れ込みを入れられていた。
 裂けた筋繊維の中から蕩ける黄色い脂肪とともにピンク色の臓腑が引き摺り出されている。
 骨盤の一部がうっすらと覗くが、そこにおさまるべき子宮は正規の位置から引っ張り落とされた胃や膵臓、絡まった腸など他の臓腑に押し潰されていて窺えない。寒さのせいか表面の脂と粘液は黒く渇き、色が悪くなっていた。が、そんなことはどうでも良い。
 目を引く部分はそこではなく、ひっちゃかめっちゃかになった変色する臓腑の隙間に捻じ込まれている紙切れ。
 破かれた大量の紙がこれでもかというほどたっぷりと臓腑の間でひしめき合っている。体液を吸って赤黒く滲んだ紙切れの上にさらに何枚も何枚も紙を捩じ込まれる様は、まるで人間の中身を総取っ替えしようとしているかのよう。

「シュン。見付けたのはテメー?」
「いえ。住人からの通報です。その方とはいつでも話せるようにしてあります。連れて来ますか?」
「どうせ関係ねー奴だろ。ポイしとけ」
「分かりました。そのように」
「で、他には? 聞いてやるからうまく言えよ」

 ロキが意地悪に口角を上げれば、躾の良い番犬は気を引き締め、背筋を伸ばした。

「報告します。発見時刻は約十三分前。移動の形跡もなく、殺害現場はここで間違いありません。使用された得物は今回もガットフックナイフでしょう。調べると北区歓楽街の風俗嬢だと判明しました。お店に連絡を入れたら今日は早退したそうで……帰宅中に襲われたんでしょう」

 俊輔の瞳が仰向けに横たわる女へと向かう。緑の眼差しには強い炎が滾っているがそれは憐憫の情からくるものではない。
 俊輔は白い息とともに「……またですか 」と呟いた。

「本当に、このまま泳がせていいんです?」

 俊輔が静かに言った。
 静かに、だが冷静というわけでは決してなく、むしろ煮え滾る焦燥と鬱憤に無理矢理蓋をして押し殺している低い声。
 俊輔は瞋恚の眼でロキを見詰める。

「これで十七件目。被害者に共通点はありませんが手口は一緒。しかもこれ、犯人は明らかに南区の出身ですよね? ……ロキさん。ここはうちのシマです。南区の狂信者にこんな勝手は」
「気に食わねー?」

 俊輔の訴えを遮って先にロキが吐き出せば彼は半端に開いた唇をぐっと閉じ、頷いた。
 噴き出す激情を押さえ付けるようにきつく握られた拳にロキは思わず一笑を零す。

「まッ、確かに人の庭で勝手する奴にはお仕置きが必要だな」
「それなら!」
「シュン。さッき言ッたの、本気か?」
「え?」
「共通点がねーッて? ……ふーん」

 ロキは意地悪に口角を持ち上げると素直な犬から意識を逸らした。一人黙々と遺体を確認する兄の肩に両腕を置く。

「兄様。いままでの殺された奴らッて共通点ねーの?」
「あるよ」

 ナオが死体に黒い視線を落としたまま言う。

「聞いたかシュン?」

 ロキは聖なる紙の詰まった臓腑をぬらぬらと陰鬱に照らす懐中電灯をナオの手から奪い取ると顔だけで振り返る。
 後方で、俊輔が露骨に表情を曇らせて落ち込んでいた。
 感情がそのまま表に出てしまう俊輔の素直さにロキはケラケラと肩を揺らしながら懐中電灯を彼の顔面狙って放り投げる。
 見もせずにそれを捕まえた俊輔は右手の中で懐中電灯を素早く持ちかえると明かりをロキとナオへ向けた。
 闇に慣れ親しむ兄弟の眼球を刺激しないよう、けれど周囲にある程度の光が滲み互いの表情が見やすくなるよう位置や明るさを調整して気を配る俊輔。よく出来ている俊輔の行動にロキは目元に深い弧を描く。
 彼を躾けた己自身の腕前に満足しつつロキはナオへ意識を戻した。

「にーいさま。共通点どーこだ?」
「左利き」
「理由は?」
「左手にペンダコがあったり、左手の皮のほうが厚いし固いね。筋肉も右に比べてあるし、使うそれを支えて右の筋肉は疲労じゃなくて力みで凝ってるから……全員左利きだよ」

 ナオは無数の防衛痕の這う冷たい左手を持ち上げた。
 動きに連動して繋がる筋肉が引っ張られ、振動で正しい位置にない内臓達が蠢く。奥のまだ乾いていない粘液がにちゃりと滑り、沈黙していた臭気が再び色濃く立ちのぼった。

「悪魔は左手に宿り、病気は左手からやってくる……ッてか?」
「左手に告げるなかれ、だね」
「左手に厳しいですこと。ハハッ、差別すんじゃねーよ」

 冬にも関わらずべたついた濁り気を含む路地裏の、夜気に滲んだ悪臭にロキは嘲笑を反響させる。
 それを耳にしながらナオは掲げた彼女の左手に顔を近付けた。女の手には腹に詰められているものと同じ言語が綴られた紙切れが握らされている。

「Eli Eli Lema Sabachthani」

 ぽつり。
 と、雨音のように兄が歌った。

「ロキ。同じページみたい」

 聖人が最期に口にしたとされる言葉が記された聖なる書物。
 女の左手に強制的に握らされているのはその一頁であり、腹の中に詰められているのも聖なる書の頁達だった。
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