【完結】龍王陛下の里帰り

笹乃笹世

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「花芋がそろそろ取れそう……青豆はもう終わりにして畑休ませよっかなぁ……あの辺の草もそろそろ取らないと……」
 少女は自宅近くに作られた畑を見回りながら家への道を歩いていると、自宅の方から若い男の怒鳴り声が聞こえてきた。
「……ばっちゃ、またからかって遊んでんのか……」
 その声だけで現状を把握した少女は、困ったように苦笑いを浮かべながら家へと進んでいく。
 フェイロンたちもギュー……と、迷惑そうに小さく鳴きながら少女の後ろを飛んでいった。
「ねー、うるさいねぇ? でも大丈夫だからさっさとミカヅキの処理しちゃおうねー」
 そう言いながら少女は二匹を振りかえり、頭を撫でたり首の下をくすぐったりしながら話しかける。
 フェイロンたちは、すぐさまご機嫌に尻尾をぶんぶんと振り回す。
 そして甘えるように少女の首筋にグリグリと頭を擦り付けた。
「歩きづらいって……――ばっちゃ、ただいまー」
 未だに男をからかっている祖母、美羽蘭みうらんに声をかけて、さっさと脇を通り過ぎる。
「――ああ、お帰り春鈴しゅんりん
 男の問いかけには「はぁー……?」「へぇ……」と、大した反応を見せなかった美羽蘭だったが、少女――春鈴の声にはすんなりと反応してみせた。
 
「――は……?」
 そんな美羽蘭の変わりように、口をあんぐりと開けて驚く男。
「これ片付けたらご飯作るねー」
 春鈴はフェイロンたちにくくりつけたカゴを取り外しながら美羽蘭に話しかける。
こうの嫁御が鹿肉を持ってきてくれたよ」
「本当⁉︎ じゃあ今日は鹿肉と香茸の炒め物にしようかなー?」
 春鈴と美羽蘭が楽しそうに会話をしていると、それを遮るように男が大声を出した。
「なんだよ⁉︎ ババァちゃんと聞こえてんじゃねーかよ⁉︎」
「――なんですとぉ……?」
 耳に手を当てて、しょぼしょぼの声でたずね返す美羽蘭。
(……私、孫だけど相当ムカつくから、この人とか最高潮に腹立ってんだろうな……)
 ハハ……と乾いた笑いを浮かべながら、取り外したカゴを両方肩にかける。
 けっこうな重さを感じるが、ここから台所まで行くぐらいならば問題はなかった。
 
 そんな時だった――
美羽蘭にからかわれていた男は、顔を真っ赤に染めて、腰に差していた剣に手をかける。
 ……しかし、春鈴も美羽蘭もそのことに恐怖を感じることはなかった。
 
 男が剣に手をかけた瞬間、ホケホケと笑っていた美羽蘭が弾けるように飛び上がる。
 そして手にしていた杖で、男の腕、足、背中と老人とは思えない素早さで打ち据えていき、次の瞬間には痛みで体を小さく縮こませた男の尻を、大きく打って庭の真ん中に転がしていた。
「……こんな老いぼれ相手にわざわざ獲物に手をかけるなんざ……とう家も底が知れるねぇ?」
「くっそ……い、いいか⁉︎ 俺はちゃんと伝えたからなっ! 十日後までに二反だ! いいなっ!」
 男はそう言いながら帰っていったが、八つ当たりのように庭にあったものを蹴散らし、庭に立つ小屋の壁を蹴飛ばす。
「しつけのなっていないガキだね……」
 美羽蘭は呆れた顔でそう呟くと、スッと片手で印を結んだ。
 するとその頭上に小さな雲が現れる。
 その雲はスーッと男に向かって飛んでいき、真上に来ると小さな雷をいくつもいくつもその尻目掛けて、落としはじめる。
「ギャッ⁉︎ ギャッ――な、なん……痛え!」
 伝令の男は、その雷からのがれるように尻を押さえながら、家の前の坂道を、転がるように逃げ帰るのだった。

 台所の土間一面にミカヅキを広げ、その実をくりぬくていく春鈴。
 そして残った皮を大きな桶に入れていく。
 皮は皮で食材になるため、これは後で水洗いをして乾かすのだ。
 そんな作業中の春鈴の近くには、フェイロンたちが二匹が陣取り、春鈴の手の中にあるミカヅキの行方を、よだれを垂らしながら観察している。
「なんだい、見張られているのかい?」
 そんな二匹の様子に、ケラケラと笑いながら声をかけ、土間へと降りてくる美羽蘭。
「……ちょっと傷んでるの口に入れようとすると、分け前を要求してくる……」
 傷んだ箇所は捨ててしまうのだが、そこをこそぎ落としたものは万が一を考えジャムにはしない。
 しかし、もったいない精神から、残った部分をつまみ喰いしていた春鈴だったのだが、フェイロンたちの中では、春鈴が口に入れた場合は二匹の口にも入れなければならない、というルールになっているようだった。
「はははっ 小さな頃の春鈴にそっくりさね」
「わ、私こんなによだれなんか垂らしてないもん!」
「――さーて、どうだったかねぇ……?」
 からかうように言い、美羽蘭は腕まくりしながらミカヅキの皮が入った桶を手に取り、他に置いてあった野菜やキノコと共に洗い始めた。
 
「――あの人、新しい人?」
 その手は止めないまま、春鈴は美羽蘭に話しかける。
「ああ。 ……あの家の得意技さ、やりたくない仕事は下の者に下の者に押し付けていく。 大方、昨日今日入った新人だろうね」
「ならあんなにからかっちゃダメじゃん。 かわいそうだよ」
「口の聞き方を知らないガキにちょいと灸をすえてやっただけさね」
(そんな言い訳しながら、ご機嫌にニヤニヤしてるところを見る限り、確実にからかってたんだって確信しかないです……)
 上機嫌の祖母の背中を眺め、やれやれ……と、肩をすくめる春鈴。
 そしてちょうど手にしたミカヅキが半分傷んでいることに気がつくと、ほぼ無意識のうちにその部分を切りとり、残りするりと自分の口に収納したのだった。
 当然、ギュッ⁉︎ ギュー! とうるさく抗議し始めるフェイロンたち。
「あ……ごめ」
 春鈴の口に自分たちの顔を近づけ、クンクンと匂いを嗅ぎ、口の中にまだミカヅキが残っていることを確認した二匹は、抗議の声をさらに大きくする。
(……これは口に入れるまで絶対にゴネ続けるヤツ……)
 そんな二匹から逃れるように顔を背け、春鈴は理解していた。
「ははっアンタらのが食われたのかい? かわいそうにねぇ?」
「ばっちゃ……」
 ケラケラと愉快そうに笑う美羽蘭に、むぅ……と口を尖らせる明明だったが、フェイロンたちはそんなことで許してくれる訳もなく、二匹からの抗議はミカヅキを一口ずつ口に入れるまで続いたのだった――
 
 ――その日の夕食。
 春鈴と美羽蘭は向かい合って、出来たてホヤホヤの料理に舌鼓を打っていた。
「んー! ばっちゃのキノコ汁めっちゃ美味しい!」
「そりゃ上々。 桂花酒けいかしゅもいい塩梅だね。 これなら良い取引が出来るだろう」
「父ちゃんが喜ぶね!」
可馨かかの方が喜びそうだがねぇ?」
「……母ちゃんは酒なら何でも喜ぶじゃん?」
「ははは! 違いないねぇ」
 
 春鈴の両親、そして兄の三人は、仕事で家を空けている。
 ――というよりも、ほとんど家に帰ってこない。

 三人の仕事は、ここにいるフェイロンたちの親フェイロンに荷物を持たせて、様々なものを売り歩く行商人だ。
 その顧客には交通の不便な村や集落や、一人山奥で修業を行う仙術師、訳ありの夫婦などが多い。
 人のいい両親は頼まれるがままに訪れる先を増やしていく。
 それでもフェイロンたちの翼ならば一番遠くの集落からも二日程度で帰れる距離ではあるのだが、顧客の中には高齢者ばかりで医者もいない村や集落が数多く含まれていた。
 そのため結構な数の顧客から、なるべく早く来てくれ! とせっつかれているのが現状だった。
 なので両親たちは大量の売り物をフェイロンに乗せ、自分たちの背中にも背負い、それが無くなると家に帰ってくるというサイクルで生活をしていた。
 そして結局、家族は月に一度も自宅に帰ってこないでいた。
 そんな生活に慣れっこになってしまった春鈴は、ほとんど祖母と二人暮らしをしているようなものだったのだ。
 
 キューッと甘えた声をあげて、フェイロンの片割れ、オスのフェイロン――イーミン――がパサパサっと飛び上がる。つられるようにメスのフェイロン――メイメイ――も翼を動かし始めた。
「ご飯の時は飛ばないの!」
 春鈴の一喝に「キュ……」と鳴くと、翼をたたみシッポをくるんと体に巻きつけうなだれる二匹。
 その姿に、すこし可哀そうになった春鈴は、苦笑を浮かべながら、たてがみのような首周りの毛をワシャワシャと撫でて、鹿肉を一つずつ口に入れてやった。
 キュー! と機嫌よく鳴きながらもぐもぐと口を動かす二匹の姿に、春鈴も美羽蘭も頬を緩ませる。
(この肉は君たちのご飯にも混ざってる訳だけど……いつも最後まで残して私のご飯狙うよねぇ……?)
「――あ、そういえばあの人、何の用だったの?」
「あの人……菫家のガキかい?」
「ん。 玄関の前で会った人」
「……十日後までに稀布まれぬのの反物を二反用意しろ、とか言ってたねぇ?」
「――え? だって先月分の納品は終わってるし、今月分はもっとずっと先じゃん? しかも二反とか、私どれだけ仕事早いと思われてんのさ?」
「この婆が織ればいいだろう、との事だ」
「ばっちゃ織ってくれるの?」
 春鈴は期待のこもった眼差しを美羽蘭に向けた。
「まさか。 もう織らないよ。 組紐ならともかく、機織りなんて足も腰も喉もついていかないさね」
「……ですよねぇー?」
(二、三ヶ月に一反でも助かるんだけどなー。 ……そんなこと言ったら「甘えなさんな!」って怒られちゃうから言わないけどー……)
「――……待って? じゃあ十日で二反織るのは私⁉︎ 絶対イヤだし、そもそも無理だけど⁉︎」
「……お前が昔に作った布でも出しとけばいいさね」
「……私が昔織って、まだ家にある稀布って――あの練習用のヘッタクソなやつしかなくない?」
「十日で二反織ろうと思ったら、その程度のものしかできないだろう?」
「でも……あれって糸がもったいないから取っておいただけで、布としては売り物にしちゃいけないレベルだよ……?」
「――なら二反織る気かい?」
「――……十日で織れとか、その程度のクオリティーになっちゃうよね! うん。 間違いないね! だから問題ないと思う!」
 一生懸命織った所で、借金のカタにタダ同然で菫家に奪われていってしまう稀布。 春鈴は貰える小金よりも、自分の時間を優先したようだった。
 
「でも……なんで急に稀布二反もよこせって言い出したんだろうね?」
 春鈴は食後のお茶を飲みながら、美羽蘭に向かって首を傾げた。
 その足元では、ようやく自分たちのご飯を食べ終え、満足したフェイロンたちが、カゴの中で寄り添い合い、すぴすぴと寝息をたてている。
「ああ、王様が――龍王陛下が体調を崩したらしい。 その見舞いだろうさ」
「……え? あのヘタッピな布が、龍王へのお見舞いの品に……?」
「はっ 大方、最低限の数は揃えてあるのさ。 その上でもっと集められれば箔も付くし、でかい顔に高い鼻がひっつくだろう?」
「あー! 「うち、こんなに用意できるんですわぁー」をやりたいんだ……」
「稀布は稀布。 ――あれが金に代わるなら僥倖ってなもんさ。 今月はいいこずかいが稼げるってなもんさね」
 美羽蘭がクイっと酒を飲み干し、ふふふっと上機嫌に微笑んだ。
 その笑顔は孫の春鈴から見ても実に蠱惑的なもので、祖母がよく口にする「若いころは求婚してくる男たちがこの山の麓まで列をなしていたもんさ!」という言葉に少しの真実味を持たせていた。
「はいはいはい! 私、かんざしとおしろいと紅が欲しい!」
 臨時収入と聞いた春鈴は、目を輝かせて大きく手を振り上げ、自分が欲しいものを主張する。
「一つにしな」
「……オシャレセット」
「一つにしな!」
「……かんざし」
 食い下がった春鈴だったが、美羽蘭に一喝され、口をすぼめながら渋々一つに絞り込む。
「よかろ」
「可愛いやつね? そんで豪華なやつ!」
 春鈴は少しでも良い物を買ってもらおうと、必死に食い下がる。
「はいはい」
「中古じゃなくて新品ね⁉︎」
「ーー春鈴」
 美羽蘭が低い声を出して孫の名を呼ぶ。
 生まれてからずっと一緒に暮らしている春鈴には、それが『そこまでにしろ』という警告だと、はっきりと理解できた。
「……はい」
と頷き、すぐに口を閉ざす春鈴。
 美羽蘭はそんな孫の姿に肩をすくめると、苦笑まじりに口を開く。
「……お茶が覚めるよ」
「はぁーい……」
「――今度みんなが帰ってきたら、市で探せばいいさ」
「みんなでお出かけ⁉︎ ――楽しみ!」
 はしゃぐ春鈴の声で起きてしまったのか、寝ぼけたフェイロンたちは春鈴の膝によじ登り始める。
「ふふっ その時はお前たちも一緒に行こうねー?」
 上機嫌の春鈴は二匹を抱き上げながら、嬉しそうに話しかける。
 楽しそうにはしゃぐその姿を、美羽蘭は目を細め、にこやかな顔つきで眺めていた。
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