【完結】龍王陛下の里帰り

笹乃笹世

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 ――それから少し経った頃の紫釉の離宮――
 
 豪華な応接室に紫釉と人間の役人たちが集まり、到着の報告と挨拶を兼ねた面談が開かれていた。
 ――なぜか魅音までもが、当然と言わんばかりの顔つきで祖父である泰然の隣に座っている。
「――紫釉様におかれましては、ご機嫌うるわしく……」
 泰然がにこやかに始めた挨拶。
 この場にいる役人たち全員が後に続こうとする気配を感じ取り、紫釉は半ば強引に割って入った。
 そこまで時間を取ってやるほど暇ではない……と心の中で毒づきながら。
「――わざわざのご来訪誠にありがたく存じます。 ……ですが緑春祭は春の訪れを祝う祭り、くれぐれもご無理をなさいませんよう」
「ははっ ご心配には及びませんよ」
「……だと良いのですがね」
 魅音の状況を把握している紫釉は、なぜ泰然がこんなにも堂々と胸を張っていられるのか、甚だ疑問だった。
(自分たちは大丈夫だと慢心している……? なんと厄介な……)
 紫釉がかすかに眉をひそめたその瞬間、この場に似つかわしくない明るくのんきな声が庭園のほうからかけられた。
「――まぁ大丈夫だと言うておるのじゃから、大丈夫なのだろうさ?」
 そんな言葉と共に現れた橙実は、ホケホケ笑いながら当然のように部屋へと入ってきた。
 紫釉の護衛たちや侍女、侍従たちもこの高貴な侵入者にどう対応していいのか分からず、互いに目くばせし合っている。
「――橙実殿……」
 紫釉は顔を歪めながら勝手に自分の隣に腰掛ける橙実に非難の眼差しを送った。
 しかし橙実はそんな紫釉など歯牙にもかけずに、にこやかな笑顔を泰然たち役人に向けていた。
 戸惑う泰然たちだったが、自分たちに友好的に見える龍族の登場に戸惑いつつも笑顔を浮かべていた。
「――……なに、いざとなればそこの歌い手殿ように、湧泉村でゆっくりなさればよろしいじゃろうて」
 橙実のその言葉に魅音の肩がギクリと跳ね上がり、それを見た泰然の眉がピクリと跳ね上がった。
 そのほかの役人たちはサワサワと隣同士で「なんの話しだ?」 「……温泉、か?」などと囁き合っている。
 そんな役人たちの動揺する姿を見ていた紫釉は、小さく息を吐くと、
「そうなった場合はご連絡を。 末端とはいえ、これだけの人数の空席は見苦しい」
と、気だるげに言い放った。
 その言葉から明らかな侮蔑、嫌悪感を感じ取り、泰然を始めとした人間たちはスッと目を細め口元を隠してみたり、軽く微笑んだりと、少しの仕草で不快感をあらわにしたのだった。
 
 人間の役人と交渉する役目を担っている紫釉からしてみれば、今回の役人たちのゴリ押し訪問は、迷惑以外の何物でもなかった。
 ただでさえ、押しつけられた歌い手の扱いにすら頭を悩ませていたというのに、こんなに大量のひ弱そうな役人たちが祭りの五日も前に押しかけてきたのだ。
 紫釉とてほう家の当主。
 祭の準備に忙しいこの時期に、面会を、交渉を、話し合いを……と、なにかと騒がしく、その上万が一がおこるかもしれないか弱い生き物など、里に受け入れたくはなかったというのが本心だった。
 
「――私にとって緑春祭は可愛い孫娘の大事な晴れ舞台でもございます。 ぜひ眺めたいと思うが祖父と言うものでして……」
 泰然は笑顔を張り付けながら魅音のほうへ視線を送る。
「まぁっ がんばりますわね!」
 この場にはそぐわない、はしゃいだ声で答える魅音。
 しかし、そのキャラキャラとした声はこの場の空気を少しは緩ませる効果ぐらいはあったのかもしれない。
「……孫は可愛いものだと、昔から言うしな……――わしも春鈴の愛くるしい歌声が好きじゃ」
 橙実の言葉に魅音が少し不思議そうな表情を作ったが、すぐにニコニコと可愛らしい笑顔を浮かべる。
 そして春鈴の名前に反応した紫釉は反論するように口を開く。
「――否定はしませんが、あの子は大切な大切な稀布の織り手。 芸人たちのように見せ物になどさせません」
 紫釉の言葉に、魅音は今度こそ驚愕の表情を浮かべた。
「ぁ――え……?」
 ヒクリとほほを引きつらせた魅音は、混乱のままに声を漏らし、視線を彷徨わせていたが、その場にいたほとんどの者がそれを黙殺した。
 そして唯一の例外である祖父である泰然は、無理矢理に笑顔を貼り付けると、なにかを誤魔化すように用意された茶器に手を伸ばした。
 
 泰然やほかの役人たちは『龍族に招かれ祭に出席する』という事実は、大変に名誉あることであり、その祭りで歌を披露する魅音も、選ばれた特別な歌い手である――と認識していたのだが、それが龍族にとっては単なる芸人の一人に過ぎないと、たった今判明したのだ。
 役人の――泰然の動揺は決して少なくはなかった。
 
 ――そして、その泰然よりも大きく動揺した人物が一人。
 と称されたこともそうだったが、橙実や紫釉が口にした『春鈴』『稀布の織り手』という言葉が当てはまる人物に心当たりがありすぎた。
 しかし認めることなどは到底できなかった。
 ……認めれば理解してしまう。
 龍族が歌を誉め、自分よりも大切に扱う少女がなのかを……
 自分がバケモノ憑きよりも価値のない存在だと突きつけられていることに――
「わ、わたくしは! 国でも数々の賞を獲得し、龍王陛下のために何度も歌ったことがありますのよ⁉︎」
「これ魅音、そのようなこと紫釉様はご存知でいらっしゃるとも……」
 急に紫釉に食って掛かった魅音。
 そんな魅音に驚きながらもその腕をつかみ、目だけが笑っていない冷たい笑顔を向け泰然は言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
 
 ――泰然は理解していた。
 目の前にいるのは、龍族の代表を務めるほど身分の高い人物なのだと。
 歌を披露する小娘ごときが口答えをしていい相手ではないということを――
 
「ぁ、私……あの、ごめんなさ……」
 強く腕をつかまれ、冷たい目で見つめられ、泰然が怒りを理解した魅音は顔色を悪くしながら謝罪の言葉を口にした。
(――場も白けてしまったことだし、この辺で退出願おうか……)
と、紫釉が考え始めた時だ。
「龍王のために何度もなぁ……?」
 ニヤニヤと笑いながら橙実が独り言のように呟く。
 その瞳に魅音を映したままで……
 そんな橙実の態度に顔をしかめたは紫釉は「橙実殿……」と咎めるように声をかけた。
 しかし声をかけられた橙実は肩をすくめつつ「たまには人王の機嫌をとってやってもバチは当たるまい?」と、言い放ち泰然と魅音に向かって口を開いた。
「人王――ああ……そなたたちは龍王と呼ぶらしいが、我らにとって龍の王とは陛下ただお一人であるからな、許されよ。 ――それで、その人王なのだがな? 以前からそろそろ新しい歌い手や踊り手を……と言ってきておってなぁ……」
「ぇ……」
 橙実の言葉に魅音は呆然と小さな声を漏らす。
 魅音の耳にそんな意見が届いたのは初めてのことだったようだ。
 そんな魅音を置き去りに橙実はさらに言葉を重ねる。
「――どの世界も新しい風は必要じゃろう?」
「……人間には人間の事情があるのです。 あまり口を出すものでは……」
 橙実をたしなめるような言葉をかけたのは役人でも祖父の泰然でもなく、龍族の紫釉だった。
 ……しかしその内心は(余計なことを言って人間たちの機嫌を損ねては、今後の交渉に響く……)などと、魅音を思っての言葉ではなかったのだが……
「しかしなぁ……――我ら龍族は“美しいもの”を好む。 ……人王の心を少しでも慰める手伝いができればと思うたのじゃ……」
 紫釉にたしなめられた橙実は、わざとらしいほど大げさな仕草でとぼけながらも、魅音の歌をのくくりから外す。
 そんな、どこか人を馬鹿にしたような橙実の態度に紫釉はさらに眉間のしわを深くしたのだが――
 
 それよりも不快感をあらわにした人物がもう一人……
 ハッキリと自慢の歌声を貶された魅音だった。
 その怒りや悔しさから、膝の上で服ごと手を握りしめ、その大きな激情を魅音なりにやり過ごしていた。
 そしてその隣では、大勢の役人の前で恥をかかされたと、少し困ったような笑顔の裏で奥歯を噛み締め、その手が白くなってしまうほどきつく握りしめた泰然の姿もあった。
 
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