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第四話 退魔の巫
しおりを挟むいわゆる『勾玉の血脈』と呼ばれる者たちを束ねる鎮護官の詰め所ともいうべき場所は、この国の首都の某所にある。
窓はなく、黒い壁面に覆われた箱のような部屋。
そこで、事務官らしいスーツ姿の女性と、その女性よりはひと回り程は若いであろうと思われる小柄な女性が向かい合っていた。若い方の女性はオフホワイト系の柔らかな雰囲気の服装に身を包んでいる。
「遠路ご苦労様でした、雅」
スーツの女性――漣環は、相手の女性をそう呼んだ。
雅と呼ばれた女性――年の頃は四十路になるかならないかといったところだろうか――は、漣の言葉に、静かに答える。
「これも仕事の一環だから。仕方がないわ」
雅は、月次の報告のためにこの場所を訪れたのだった。
仕方がないというのは、今のご時世、情報のやり取りだけであればネットなどを介していくらでも簡易にできるところ、彼女が毎月決まった日取りでこの場所を物理的に訪問しなければならないことを指していた。
この場所へ、雅のように外から訪れるためには、いくつか通らなければならない関門がある。その関門を通り抜けてこの場所へ至れることが、来訪者の霊的な意味での健全さを担保するのである。それは、勾玉の血脈を保持する者がその適格性をも保持しているかを定期的に検査することにもなっている。
雅は、いつもであればその短い遣り取りだけでこの場所を後にする。しかしその日はひとつ思い及んだことがあって、足を止めた。
「そういえば、もう夏越の祓がすぎたわね。今年も、皇の『鬼』とは会ってきた?」
『鬼』、と。
雅は言い切った。
とはいえ、皇の社の主は鬼と化した。勾玉の血脈の者たちにとっては、それはすでに周知のことであった。――だけでなく、そもそも雅はかつて皇の社が異様の者たちに大挙して襲われた時、それを退けた退魔の巫本人であったのだ。
雅は、草薙と同じく太刀を使って退魔の術をおこなう神社の女宮司である。その守護域は西にあり、雅が宮司を務める社は、その長となる。ゆえに雅の退魔の能力は強力であり、当時まだ十代半ばであった雅は配下の者数名だけを連れ立ち、皇神社を守ってくれた。
「今年も、変わりはない?」
雅が問い、
「ええ」
と、漣が頷いた。
「――そう……」
あれから数十年の時が過ぎ、雅はそろそろ己の務め自体を次代の者たちに引き継ごうと考えてる。漣の返答に返した雅の声が、どこか悔しそうな、残念そうな、心を残した響きになったのはそのためであった。
勾玉の血脈は代々おおむねその血に力を伝えゆく。ゆえに、代を譲るとするならば己の子供に、であることがほとんどであり、雅も例外ではなかった。もし、この次も皇の神社で何かがあれば、おそらく雅と同じように雅の子が――子は、娘だ。その能力は雅ほどではないものの、雅の娘は、現在優秀な神職として修業中の身であった――駆り出されることになる。
雅の心境からすれば、いっそ今あの鬼とも人ともつかぬところにいる皇の現当主が、なにか問題を起こしてくれたほうがいいのに、となるのは当然であろう。
皇の処遇は、今は鎮護官に委ねられていると雅も知っている。しかし、鎮護官をさらに束ねる勾玉の血脈の最高管理者が皇のあの者を不要と判断すれば、相手は鬼だ、封じて亡き者とすることもできる。
それに、退魔の巫から言わせてもらえば、鬼は忌むべき存在以外の何物でもない。
それでも、あれが『人』であればまだよかった。なのに――あれは、今から十五年ほど前であったか――人の身を棄てて、皇の神主たる者が、皇の神主でりながらのまま、鬼に成ろうとは。いや、なるというより戻ったというべきか。もともと、あの者はこの世に生を受けた時に鬼であったのだから。
その時も、皇の当主は排斥すべきだ、鬼とみなし殺せないまでも封殺すべきだという議論にはなった。しかし、どういうわけか桜御護――未来視の巫女――の進言もあり、上が、その必要はまだないと判断したのだった。
また、桜御護の言によれば、皇の現当主は、この先、草薙の巫女を取り戻すためにも必要となるかもしれない、と告げられているらしい――。
草薙の巫女を、取り戻す、と。
「貴女は、まだ希望を持っているのね」
雅は漣にそう向けた。
「私情、ではなく」
「……ええ」
あの皇の社でとんだ事態のさ中、雅たちの手で救出したはずであったのに、消えてしまった草薙の巫女。自分と同じ、神刀の巫であった彼女が、神刀の力に呑まれて暴走するのを、雅は見ていた。
皇の娘であるのに、同時に草薙の巫女でもあった彼女。雅の見たところでは、彼女は神刀の巫女として雅の目から見ても稀代とわかる能力を有していたがため、草薙と皇、どちらの神刀にも選ばれてしまった。神刀は、巫女を選ぶのだ。
草薙の巫女としてきちんと神刀を扱えるようになっていれば、あるいは結果は違ったのかもしれない。しかし彼女は皇の家に生まれたとされる子供であり、かつ神道の修行には一切触れていなかったようだった。そこへ、皇の神刀の力が流れ込んだのだ。
ただでさえ生まれながらに強い霊力を持っていた者。それが無防備に神刀に選ばれればどうなるか。結果は推して知るべしだ。
希望は、桜御護が、草薙の巫女がまだ生きて存在していることと、取り返せる可能性があることを預言しているから繋がれている――が。
「……では、もし。もし、それで草薙の巫女が取り戻せたら。あるいは取り戻せないことがこの先確定してしまったら。……皇の鬼はどうなるのかしら」
雅が言外にほのめかしていることを、漣は否定しなかった。
「……あの者と。対峙、しなければならなくなるとしたら。それは、致し方ないでしょうね」
感情の読み取れない声で、漣は答える。
雅は、漣が本当に私情を職務に交えていないか、と、確かめている。
だが、たとえ漣が草薙の巫女に私情を入れていたとしても。
皇の当主の本性は、今や、疑いようもなく『鬼』である。
漣にとっても。他の、勾玉の血脈にある者のすべてにとっても。
辛うじて勾玉の血脈の最高管理者が皇の当主であることを認定しているから、あの者はいまも社の主でいられるのにすぎない。だが他の誰もが、あの者のことは、忌避すべき、厭悪すべき、人外の存在だと認識していた。あの者が、どれほど皇の当主としてふさわしい力を有し、そのように破綻なく行動しているとしても。
むしろ、問題は、あれがただの鬼ではなく、『緋の禍鬼』であるということであろう。
だから漣も、雅にそうと示す。
「あなたこそ。……あなたに、できますか。『それ』が」
「……」
その存在がどういうものであると伝えられてきたかということは、退魔を生業とするものであれば知っている。
鬼の種族自体がそもそもは、『緋』と『蒼』に分類されている。『緋』は生き物の血肉を好む。『蒼』は精を好む。その中で、『緋の禍鬼』と呼ばれる存在は、『緋』にまつわる眷属すべてを従えその頂点に立つ者だ。人の生きた血肉を好む、鬼や異形、人ならざる、人を喰おうとする者たちの、長。
雅は、漣に、少しだけ眉根を寄せ、唇の端を歪めるような笑みを見せた。
そして、わざわざ訊くのね、とでもいうような口ぶりで、
「それこそ私が今あらためて答えるまでもないわ。――草薙の巫女を、わたくしが凌げば良いのでしょう」
「……――」
そう言い放ち、光の届かぬ、しかし一種、聖域、とも言えるその場所を。
神刀の巫女は、あとにする。
その、涼しくどこか自信にもあふれた背中を見送りながら――。
漣環は、何かに祈りたい気持ちになるのを止められないでいた。
確かに。
草薙の巫女は、本来、いかなる怪異も邪悪も寄せつけぬ清浄な霊力を、その身に宿す巫女の名だった。
ゆえに、引き継がれてきたその名は、退魔の巫女の中でも最強を示す称号でもある。
そのことは、なにより草薙家の生まれである漣自身が知っていた。だからこそ、当代の巫女をこのまま失うわけには――いかないのだということも。
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