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十三(二)
しおりを挟む「……いずれにせよ、僕たちはもうお別れです。貴正さんのところに行ったら、あなたの前に現れることはできない。僕はもう幽霊をやめます。長らくここに取り憑いて、あの男を苦しめるだけの無意味な存在でしかなかった。……もしも地獄があるのなら、地獄に落ちるのかもしれません。この世では罪を犯しても裁かれない者はあるけれど、誰しも死後の裁きからは逃れられない。」
「何でアラタが……お前はあの男に理不尽に人生を奪われたんだぞ。」
「けど、僕もあの男の人生を奪いました。同じ罪には変わりない。」
「それならキツネに頼んでやるよ。この力をやる代わりに、お前が幸せに暮らせるように頼んでやる。それでも足りないってんなら、俺の人生半分くらいやってもいい。お前と一緒に居れるんなら死んだっていい。」
「あなた、まだ僕の呪いが解けてないみたいですね。」
「呪いなんかじゃない。貴正さんがお前を好きになったのと同じだよ。呪われる前にあっさり惚れてたんだ。……出会って少ししてからお前がこの世の人じゃないってわかってたけど、好きになっちまったから気付かないフリして、ずっと無理やりこんな幽霊屋敷に住み続けてただけだ。お前もそのことわかってたんだろ。それをお互いにずっと知らないフリして……」
「やめてください。」
冷たく言い放ち振り向いたアラタは、八雲さんよりもずっと鋭い眼をして俺を睨んだ。
「あなたは門の男に魅入られてここにやってきただけの、取るに足らない無力な男です。あの男に洗脳されては厄介だから、僕に気持ちが向くように仕向けただけだ。……それが、妙なキツネに目をつけられ、運悪くあの海の化け物からも庇護の力を与えられ、僕にとっては最早あなたも悪霊のようなものだ。近づきたくもない。」
「……………。」
「もう潮時です。すべて終わり。愛する人を奪われ、その男を殺め、苦悩の末にひとりで死んでからも、結局またあの男を恨み続けて………死んだらすべて消えて楽になると思ってたのに、死んでも尚苦しみが続くだけの、心底くだらない人生だった。貴正さんに会いたかったけれど、会わせる顔もない。生きているあなたには到底理解できぬ苦しみです。惚れた腫れたのくだらない感情を僕に押し付けないでください。」
アラタを通り越して見える窓の外の空が早くも薄青い。まもなく夜明けだ。
俺はなぜ、アラタにべったりくっついて暮らしながら、これほどに息苦しさを伴ったこの苦しみに気付いてやれなかったのだろう。自分の喜びだけを優先し、あの白黒の悪夢を振り払いながら、動かぬ時の中に閉じ込められたアラタの苦痛を理解してやることができなかった。
これじゃあ俺もあの門の男と同じだろう。身勝手に振る舞い、少年を傷付けるだけ。
「………ごめん。」
出てくる言葉に意味はない。それしか言えないが、言いたいことは言葉にできない。いつだってそうだ。人間は胸のうちの感情を、人に伝えることなんてできない。でもひとつだけ伝えられるものがある。身勝手に流れる涙だけは、言葉を超越した唯一の手段だ。
いま、アラタの右目の端から流れるものだって同じ。男は黙って背中で泣くものだと、仕事で失敗してヘコんだ俺に酔った親父が得意げに話してたが、俺は到底その域には達せない。
「死んでも涙って涸れないんだな。」
笑ってみせても、アラタは床を睨みながら黙っている。それでもやっぱり、言葉にしないことのほうが手に取るように伝わってくる。これは霊感じゃない、人の心の領域だ。人に対しては人一倍鈍い俺でも、今のアラタの心情を得るのは、鏡を覗くことのようにたやすい。
「……アラタ、お前がこの先どこに行くのか分かんないけど、もしも神様とか仏様がほんとにいるんなら、お前は絶対にそこに行けるよ。だから心配するな。」
当然、人間の俺にそんなことが分かるわけない。けど何となく思うんだ。もしもアラタが罰を受けるべき魂だったんなら、俺に力を与えたあの海のオバケに、とっくに引きずり込まれてたんじゃないかって。あのオバケは俺の中のものを「流した」んじゃない。アラタの中にくすぶるものを、清めようとしたんじゃないだろうか。
もしもあれがアラタにとっての脅威であったなら、1週間もあそこで暮らせるわけがない。神様の姿を直視すらできなかっただろう。もしかしたら、心のどこかであの神様に救われたいと願っていたんじゃないのか?砂浜をさまよう海の亡者たちがすがるように、アラタもまた心の底で助けを求めていたのかれない。
「……お父さんとお母さんも、もしかしたら同じとこにいるかもしれない。あるいはまた、違う誰かに生まれて、どっかで達者に暮らしてるかもな。」
左目からも涙が伝う。アラタは泣いてる顔すら人形のように冷たくて、やっぱり綺麗なままだった。生きてるときからこんなふうに血の気を感じさせない子供だったんだろう。ただの使用人だったなんて、本当にもったいない男だ。でも、この子を人目に触れさせたがらぬ貴正さんの気持ちはよくわかる。誰かに見つかったら奪われてしまいそうな美しさだ。だから、怖かったのだろう。
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