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しおりを挟むー「まあ簡単に言うと、会社を立ち上げては譲り渡すのを繰り返してる方ですね」
帰り道で未来に沢尻のことを尋ねると、彼の素性を簡単に話してくれた。
「…なぜそんなわけのわからんことを?」
「理由は人それぞれでしょうが、彼は野心のかたまりみたいな人ですから、手広くいろんなことに挑戦したかったんじゃないですか。若い頃から投資でかなりの蓄えがあるって言ってましたけど、たしかに今はお金を集めることには重きを置いてるようにも見えないですし。いわゆる篤志家のような、人一倍こころざしの高い人なんですきっと」
「見事に俺と正反対の人間なんだな。ここまで性格が違う人間もなかなか出会えなそうだ。…お前にはいい友達なんじゃないのか?」
未来に買ってもらった缶のホットココアを飲みながら、冬の夕暮れ道を並んで歩く。遠回りをしようと言ったのは未来だが、時生はなぜと問うこともなく黙って従った。彼の横顔には、チャイムが鳴ってもまだ帰りたくないと言っていた小学生時代の友人が重なる。
「良い方だと思いますよ。ちょっとお節介で、無意識に人を俯瞰するところはありますけど…そのぶん面倒見もいいでしょうし、人がついてきてるのだから相応の人望はあるんじゃないですか。…ただ僕にはそれが良い友達とは限りません。もちろん悪い人でもないですけど」
「友達を選んでいるのだな」
「そ、そういうことでは…ないとは言えないか。でも僕は優れている人とかああいう自信満々な人に対して、気後れするというか引け目を感じるんです。プライベートで一緒にいたいとは思わない」
「お前は一人前に仕事をしているのになぜ気後れするんだ?ツラはお嬢ちゃんのようだが立派な男じゃないか」
「お…お嬢…ちゃん」
「それよりあいつは俺に仕事のアテを探すと言ったぞ」
「え」
数歩ほど黙って歩き、「…そうですか」と雇い主にしてはあいまいな返答をする。
「優さんには朗報でしょうね」
「アイツを見たらうさんくさいと一蹴しそうだ」
「…わからなくもないけど。でも時生さんはどうしたいんです?」
「お前に契約を切られたときのことを考えたら、あいつについていくしか今のところ優くんの望む道筋はない」
そう言うと未来が立ち止まり、先を歩いていたルイも連動して首輪を引っ張られ、不思議そうにこちらを振り返った。
「俺はあなたのこと見捨てません」
「…?」
「とは言えあなたをふつうに自立させてやれるかと言ったら…難しい気もしますけど」
「自立というが俺はしょーじき今の家を出てくつもりはないぞ。どんなに鬱陶しがられたってひとりで暮らすのなんか嫌だ」
「じゃあ俺と暮らすのはどうです?」
「……んん??」
その突拍子もない提案に、時生は驚いたように首を突き出し細い目を少しだけ大きく開くが、未来はいたって真剣な顔をしている。
「1日たりとも時生さんをひとりにさせませんよ。…ずっと一緒が嫌ならたまに優さんのところに帰ればいいし…。いずれにせよ家事は変わらずしてもらえるとありがたいですけど」
「お前、俺のことなんだと思ってるんだ?」
「……」
確かにあまりにも図々しくて、彼の意思を一切無視した身勝手な提案だ。未来はハッと自覚して気まずそうにうつむき、勝手に舞い上がっていた恥ずかしさで頬を赤くした。
「ごめんなさい」
だがあとに続く時生の言葉はそれを責め立てるものではなかった。
「俺はなあ、近所でも腫れ物扱いの厄介者なんだ。客は気を遣って優くんには何も言わないが、外で俺を見かけたときの冷ややかな目ったらないぞ。もし俺を招き入れたら、今度はお前もほかの住人に何を言われるかわかったもんじゃない」
「…いえ、それは」
「自分で言うのもなんだがお前には人を見る目がなさすぎる。あんまりお人好しすぎると、若い頃の木下さんみたいに悪い親戚にカモにされるってじいちゃんも言ってたぞ」
「き、木下さん…?…がどなたかは存じませんが、俺はそこまでお人好しじゃないです。ただ…その、時生さんを…なんというか」
気に入っている、と言ったら秘めていた気持ちを彼に見透かされ、気味悪がられて去られてしまうかもしれない。しかし他に言いようもなく、未来はどぎまぎとしながら「良い人と信じているので」と彼への好意をマイルドに伝えた。
「俺は良い人ではない」
「俺には良い人だからいいんです」
「何か妙な期待をしているなら本気でやめろ」
「いえ、俺は期待できるようなまっとうな人間がそもそも好きじゃないんです」
「はあ?」
「俺は…」
だらしなくてどうしようもなくて童貞でニートで子供じみてて近所では腫れ物扱いの厄介者のあなたのような人が理想の男なのです…そう打ち明けてしまいたいが、二重にも三重にもタブーな告白だ。男が好きだと告白する前に単なる彼への悪口になるからだ。しかし彼のこういうところが好きで好きでたまらないのだ。
「…俺は、全然たいした人間じゃないというか、ダメ人間だから…だからあなたといると落ち着くというか…」
しかし上手い言葉が見つからず、ついうっかり口走ったセリフに(けっきょく単なる悪口ーーー!!!)と心中で突っ込んだ。
しかし時生は困惑したように未来を見つめながら、「お、俺はゴミ溜めから生まれた人間の形のゴキブリだと優くんに言われるくらいの男だぞ…」としどろもどろとなっていたので、「それはいくらなんでも優さんの言いすぎですよ」と自分を棚上げして冷静に返した。
「沢尻さんのもとで社会経験を積むのもいいと思います。むしろそうするべきかもしれない。でも…嫌なことをいいますけど、たとえばどこかでくじけてしまったとき、帰る場所が優さんのところだけじゃない方が、あなたにも気が楽じゃないですか」
「俺が出戻りするのにいちいち気兼ねするタチだと思うのか?」
「…思わないですけど」
「むしろお前は軽はずみにそんなことを言っていいのか?俺は優くんに出て行けと言われたら今夜にも荷物をまとめてお前の家に押しかけるぞ。まあまず止められるけどな」
「…!俺は全然、今夜からでも!止められても来てください、待ってますから」
「お前は変わったやつだなあ。ダメな奴に好かれるだろ」
「…じゃあ時生さんも俺のこと好きなんですか?」
「…な、何を聞くんだ。まあ俺のようなダメな奴にとっちゃ、おそらくお前はいいカモだからな」
時生の言葉に、未来の頬は先とは違う意味で赤くなっていく。好きとは言われていないどころか単なるカモ扱いをされただけのような気もするが、ともかく彼なりの好意は抱いてくれているのかもしれない。胸の中にパッと花畑が広がっていき、寂しい夕暮れが新たに生まれた朝陽のように瞳に差し込んでくる。
「それより俺はお前に切られない限りは他に仕事に行くつもりなど無いぞ。お前が困窮して優くんのように働けと迫ってこない限りは、今の楽な仕事を続けるつもりだ。そこらへんはハッキリさせておく」
情けないことを偉そうに告げるが、未来は「それでいいです!俺も頑張りますから」とすっかりのぼせあがった顔で返した。ふたりを見上げるルイだけが、人間よりもまっとうな判断をできているのか、今までに見たことのない不安そうな表情を浮かべていた。
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