TOKIO

めめくらげ

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カフェを出るとルイはドッグランの方角にリードをぐいぐいと引っ張りはじめ、「今日はお散歩終わりだよ」と未来に言われてもらんらんとした目で彼を見上げ、尻尾をバタバタと振った。

「お前は先に帰っていろ。少し遊ばせたら戻る」

「え…じゃあ俺も行きます」

「…?そうか」

ルイと時生にはただの散歩だが、未来はすっかりデートの気分である。また夜から作業はあるものの、今日は久しぶりにのんびりとした休日となった。
だがミドリホームに着くと時生は「あいつが居やがるな」と面倒そうな口ぶりでつぶやいた。駐車場に停められたあの男の車が目に入ったからだ。

「あいつ?」

「お前の知り合いだ。沢尻とかいう」

「…ああ」

未来は迂闊だと思った。ずっと訪れていなかったからすっかりその存在を忘れていたが、自分が時生に散歩を託したのは、何も多忙だからというばかりではない。"彼"に会いたくなかったのだ。

「…時生さんも知り合いになったんですか?」

「お前の犬とあいつの犬が知り合いだったせいで、自動的にそうなった」

「ですよね…。彼のこと話さなかったから、てっきりもう来てないのかと」

「ときどき会うぞ。そのたびお前は元気かと聞いてくる」

「え、そうだったんですか」

「お前に報告すればよかったか?別に伝言など何もないから特にお前には話さなかったが」

「いえ、全然その必要はないです。すみませんね気を使わせて」

「別に気を使っちゃいないがあいつは面倒な男だ。何をされたというわけでもないが友達にしたくないタイプだな」

「同感です。ジェイクたちはかわいいけど」

「あれがかわいい…?」

ゲートをくぐると顔なじみの犬たちが寄ってきて、ルイは彼らと順繰りにふんふんと鼻であいさつを交わした。未来の姿を久しぶりに見た他の飼い主たちも寄ってきたが、そのちょっとした犬だかりと人だかりの向こうに、ひときわ目立つ真っ白なエイリアンと死神のように真っ黒なコートの男が目に入った。

(見てる・・・)

時生はそちらに目を向けぬようにしていたが、ルイのリードをはずすと彼は案の定「親友」のもとへ駆けていってしまった。「あ、ルイ待って」と未来が追うが、あの男のそばへ近寄りたくない飼い主の気持ちなどおかまいなしだ。

沢尻の顔は遠目からでも満面の笑みなのが見て取れた。あの異様に真っ白な歯が西陽に照らされ輝いている。時生はにぶいが、会うたびしつこく未来のことを聞いてくる沢尻の心情はうっすらと察していた。彼はおそらく未来をいちばんの友達だと勝手に思い込んでいるのだ。

ルイと未来が行ってしまったため、時生はひとりベンチに腰掛けあたりを見回すと、「おい坊主」とパグと遊んでいた少年を呼んだ。

「今日は何か本持ってるか?」

そう聞くと少年はボールを片手に母親のもとへ駆けていき、彼女のバッグからまたしてもポケット図鑑を取り出すとパグと共に時生のもとへやって来た。

「お前はなぜいつも図鑑を持ち歩いている?」

「うるせえな、どうでもいいだろハゲ」

「その口の悪さはどうにかならんのか。ろくな大人にならんぞ」

「借りといて文句言うな。お前こそろくな大人じゃないくせに」

「…まあそれもそうだな」

今日の図鑑は宇宙探査機とロケットである。宇宙は動物より興味がないが、暇よりはマシなのでさっそく目を通した。
すると半分ほど読み進めたところで、「時生さん、それは?」と未来が戻ってきてとなりに座った。だがさらにそのとなりには沢尻も腰を下ろしてきて、「やあ、ロケットですか。ちょっと見せてくださいよ」と鬱陶しく絡んできた。

「おい坊主、この男もお前の図鑑を見たいそうだが貸していいか」

ボールを投げていた少年に尋ねると、こちらも見ずに「汚すなよ」とだけ返されたので、時生は無言で手渡した。

「あの子のですか。こないだの犬のも」

「ああ。クソ生意気なガキでな。賢いんだろうが口が悪い」

「はは、昔の俺にそっくりだ」

沢尻が笑うと、時生と未来は同時に(たしかに似てそうだな・・・)と思った。するとルイがボールをくわえて未来に投げるよう促してきたので、「時生さん、ちょっと遊んできますね」とまるで沢尻から離れたがるようにそそくさとそこから立ち去った。

(座ったばかりなのに…よほどこの男が嫌なんだな)

先ほど未来に遊んでもらったジェイクたちはひと休みをしているのか、石像のようにかたわらの犬用遊具の上に揃ってたたずんでいる。そして沢尻は脚を組んでポケットに片手を突っ込み、いやに気取った姿で図鑑に読み耽っていた。だが身なりの良さやスタイルの良さのせいか絵になっており、自分でもそれを理解しているのだろうということが彼のまとう空気からよくうかがえた。
時生は猫背にガニ股でぼーっと広場を見つめ、たったいま頭におさめたロケットについての知識をぼんやりと反芻していた。

「柊さん、灰枝さんにずいぶん信頼されているみたいですね」

「?」

彼の唐突な問いかけに思考を中断させると、沢尻はいつの間にかこちらをじっと見つめていて、ギョッとした。

「俺を見つめるな、気色悪い」

「話すときは目を見ないと」

「俺はそれが苦手なんだ」

「…そうですか」

すると彼は再び図鑑に目を落とし、「宇宙っていいですよね」とつぶやいた。

「俺は犬にも宇宙にも興味がない」

「おや、そうなんですか。それなのに図鑑を?」

「あの小僧がそれしか持ってないからだ」

「なるほど」

「未来はお前のことが苦手みたいだな。雰囲気でわかる」 

そういうと沢尻は再びゆっくりとこちらを見やり、「雰囲気?」と返した。

「お前に対しては人見知りの犬のような顔をしているぞ」

「はっはっは、それは雰囲気じゃなくて表情ですね。雰囲気よりもっとダイレクトだ」

(なんだこいつ・・・)

「じゃあ彼があなたに散歩を頼んだのも、俺に会いたくないからだと?」

「それは知らん」

「知らないわりにずいぶんうがった見方をしているんですね」

「お前はおそらくうがった見方の意味を間違っているぞ」

「……」 

沢尻がスマホの辞書で調べ「あ、ほんとだ」とつぶやく。

「…別に嫌われるようなことは何もしていません」

「俺に言われてもな」

「あなたはどうなんですか?灰枝さんに好かれているとか、そういうこと意識します?今の仕事といい、いやに特別なように思えてならない」

なんだか変な話になっているな、と思いつつ、「好きも嫌いも感じたことはない」と返す。

「じゃああなたは?」

「ん?」

「あなたは灰枝さんのこと、どう思ってるんですか」

「…好きも嫌いも感じたことはない」

沢尻がフウとため息をつき、図鑑を閉じると時生の前に立ちはだかった。

「仕事探しにお困りなら、俺でよければ力になりますよ」

「…?」

図鑑を返され、そのあとに彼は内ポケットのカード入れから名刺を取り出しそれも手渡した。

「…オフィス沢尻…」

その後に続く彼の名の前に記された肩書きに首をひねりつつ、「お前はシャチョーか何かか?」と尋ねる。

「一応会社もいくつか持ってますけど、社長と名乗ることはあまり」

「??」

「取材なんかでは実業家とよく名乗ってますね。…ただそれも今はあまり正確ではなくなってきたから、自分で自分をなんと紹介するべきかよくわかってないんですよ」

爽やかに笑うと口笛を吹き、ジェイクたちを呼んだ。おとなしくやって来た彼らをしゃがんで撫でながら、彼はどこか得意げな顔をする。

「その名刺の肩書きも、やっぱり未だにしっくりこないし。そろそろ変えなくちゃな」

「しりあるあんとれ…」

「シリアルアントレプレナーです。長ったらしくて何がなんだかわからないでしょ?なんか、典型的な意識高い系って感じですよね。はは」

(意識高い系ってなんだ…?)

「でも今は特にそっち方面の活動はしてなくて…。いま主だってやってることは、ソーシャルビジネスとしてのサービスや商品開発をメインとした事業ですね。あとそれに関連したクラウドファンディング会社の立ち上げと運営。これはすごく意義深いしやり甲斐もあるので、しばらく続けて行こうかなって。カンパニー・フォゲイラって会社…最近CMも流してるんですけど。ちなみにそんなことしてても、だれも俺のこと社長なんて呼びませんし、俺もテキトーな名前で呼んでって社員たちには言ってます」

「…なるほど。お前のことを適当な名前で呼べと言ってることくらいしか理解できん」

「長年さまざまなミッションに取り組んでいますが、特にあなたのように職に就けなくて困難な生活を強いられている人にも、等しく就業のチャンスを与えることが今後の俺たちの課題のひとつです」

「こ、困難…まあ優くんには困難だろうが」

「灰枝さんのこの仕事だって、明日には契約を切られるかもしれない。おじいさんと弟さんにいつまでも頼りきりの生活はできませんよ。あなたに適した支援先を探しますから、この仕事はあなたから打ち切ったらいかがです?」

「……」

「…ま、今すぐにとは言いません。でもいいお返事を待ってますよ」

そう締めくくるとにこりと笑い、「そろそろ失礼します」と言ってジェイクたちにリードをつけ、ボール投げをしている未来にも別れを告げに行った。
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