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しおりを挟むー「いいんですか?沢尻さんも帰ったんだから、もっとゆっくりしていけば良かったのに」
「いい。…どうせ夜には奴の男が来る」
未来と共に自宅を出て、年がいもなく自転車で2人乗りをして帰路に着く。靴下は履いているが、今日は特にサンダル履きの足にはこたえる寒さだ。冷たい川風の吹く土手を走っていると、近くの高校の野球部員とおぼしき少年たちが群れとなってランニングをし、のんびりと漕ぐふたりを追い越していった。
「それにしても沢尻の野郎、職権濫用ってのはまさしくあーゆーことだろ」
「ですね。…でも優さんに協力的ですし、仕事の面ではいいんじゃないですか」
「てめえの会社の事業なんだから協力するのはとーぜんだろ。…それにしてもあいつ相当な暴走タイプだ。お前のことが好きで仕方ないみたいだが、ありゃ完全にストーカーだぞ」
「…好かれても困るんですけどねえ」
「そうお前の口からはっきり言ってやれ」
「うう…そうなんですけど…。でも別に悪い人じゃないから、あんまり無下にできないというか」
「じゃあ一生つきまとわれるんだな」
「……」
「シカト攻撃が効かないんだぞ。キッパリと突っぱねるしかないだろ」
「はあ…めんどくさい人だなあ」
「お前こそ」
「…わかってます」
先月、ドッグランでの沢尻とのやり取りを伝えた晩、あらためて未来に「本当のタイプ」を尋ねたが答えは同じだった。からかっているのかと聞くと彼はまじめな顔で否定し、どうやら本当にその野生児のような人間を好んでいるらしいことを確認した。そしてそれ以降、タイプについての話はしていない。沢尻からのアプローチをのらりくらりと交わすだけで、時生と未来の共同生活や話題には何の変化もなかった。
だがしばらく漕ぐと、未来が思わぬことを切り出した。
「時生さん」
「んあ?」
「…俺のことどう思います?」
「…んん?」
唐突な質問についブレーキをかけ、背後の未来をまじまじと見つめる。
「すみません急に。でも気になって」
心なしか未来の頬が赤い。寒さのせいだろうか。時生は今まで誰からもされたことのない問いかけに動揺したが、停止したまましばらくまじめに考え、言った。
「…い、犬がそんなに好きじゃないのに犬を飼うような優柔不断な男」
「好きじゃなくはないですよ」
「嘘つけ、お前本当は犬より猫が飼いたいんだろ。いつも手が空くと猫の動画観てるじゃないか」
「ね、猫もそのうち飼いたいなとは思ってますけど。…ていうかそれだけですか」
「それだけだ」
「…そうですか」
再びゆっくりと漕ぎ出し、大橋の真横を通り過ぎ、マンションにつながる路地への坂にさしかかる。だがその下る手前でまたもブレーキをかけ、時生はしばらく前を向いたまま地蔵のように固まった。
「…どうしました?」
未来が顔をのぞきこむように背後から問いかけると、彼は眉間に深いシワを刻んで振り返った。
「…お前の好きなタイプって俺か?」
「え…」
「てゆーか俺みたいな奴が好きってことだよな?」
「あ、…あの…」
「今気づいたんだが、お前が言ってた特徴がほぼ俺に当てはまるような気がする」
「(気づくの遅っそ…)…ま、まあ…」
「沢尻みたいなのはあんまりいないが、俺っぽい奴なんか腐るほどいるだろう。すぐそこの汚い団地とかにいっぱい棲みついてるぞ」
「そんなゴキブリみたいに…」
「今から探しに行くか?」
「いえけっこうです!」
「そうか、行くならいつでも付き合ってやろう。ふう~謎が解けた」
満足げにゆるやかな坂を下り、軽快に口笛を吹く。未来は熱くなる頬をさますように冷たい手のひらでおさえ、たくましい背中にそっと肩をもたれかけた。
「…時生さんて好きな人は」
「いないと言ったろ」
「これからもそういう人を作らないつもりですか?」
「作らないも何も、ないだろうな。そういう人間が現れること自体が」
「好きと言われたら?」
「そんなやばい奴に関わりたくない」
「…俺、やばい人間ですけど」
「だろうなあ~。そんなイカれた趣味はちょっとな~。まだ沢尻の方がマシだ、僅差で」
「趣味っていうか…あの、時生さん」
「ああ?」
「俺、あなたのことが好きなんです…けど」
「だから趣味が悪りいなあって…」
と言いかけると、時生は突如自転車ごと横転し、未来も一緒に地面に投げ出された。
「と、時生さん?!」
どうにか受け身は取れたが、時生は地面に横たわっており、未来は蒼白で駆け寄った。
「ちょっと!大丈夫ですか?!」
「うぐ…」
「頭打ちました?!」
「いや頭は打ってないが…おお~痛ってェ~…思いっきりヒジぶつけたぞ」
「ええ…起きれます?」
「起きれ…るけど、お、お前…」
時生は痛みのせいか鋭い目で未来を仰ぐが、どこか怯えたような表情をしている。
「今とんでもないこと言わなかったか」
「…す、すみません。まさかそれで転ぶとは」
転がったまま未来を見つめるが、のぞきこむ彼とは反対にその顔はみるみるうちに青ざめていく。
「…俺が好きなのか?」
「好きです」
「…な、なぜ」
「だから、俺のタイプがまさにあなたなんです」
「嘘つけ…」
「嘘じゃないですって。…わ、悪口に聞こえたと思いますけど、俺は本当にあなたみたいな人が好きなんです。でも一緒に暮らしてくうち、他の似たような人のことは何にも思わなくなって、だんだんあなただけが…」
「や、やめい!!」
慌てて制止すると、未来は我に返ったようにハッと肩を震わせ、「……ごめんなさい」とつぶやいた。時生は痛むヒジを押さえながらゆっくりと起き上がるが、背を丸め数秒ほど地面を見つめたまま座り込んだ。
「…それ、チャリ乗ってっていいぞ」
「え?」
「今日は帰る」
「…そんな」
「悪いな」
「時生さん…」
時生がのそりと立ち上がるが、未来は膝をついたまま立ち上がれなかった。引き裂かれたような胸の痛みと、身体中の血が凍りついたような感覚だ。
「時生さん、ごめんなさい」
「謝ることじゃないが…とにかく今日は帰らせてくれ」
「……」
そう言い残すとさっさと背を向け、のそのそと立ち去って行ってしまった。未来は自転車も直さぬまましばらくその背を茫然と見つめていたが、やがて通りすがった制服の少女に「大丈夫ですか?」と声をかけられ、「…大丈夫です」と消え入りそうな声で返した。
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