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ー「すごいなあ時生さん…毎日こんな料理を作ってもらえるなんて、灰枝さんがうらやましいです」
7時半。いそいそと未来の部屋を訪れた沢尻は、なんの変哲もない家庭料理を前にして、嬉しそうにヒゲ面をほころばせた。むろん服はいちいち小綺麗なよそいきに着替えるわけもなく、一応人の家ということで気を遣ったのか靴下は履いているが、先ほどドッグランで見たときとまったく同じ格好だ。
ダウンの下はサーフ系のメーカーが量販店に卸している、今にもひび割れそうなロゴプリント入りのTシャツと、下には白いハイビスカスが描かれた黒い長袖のカットソーを重ね着していた。これも体型やサイズ感という概念をまったく無視した、野暮ったく田舎くさい最高のフォルムを生み出していた。知性も一切感じさせない。
(ううん…このギャップは悪くない…)
まだ姿勢の良さに沢尻の面影は残るが、寝起きで洗面所よりも先に階下のコンビニにやってきた独身男のだらしなさには近づいている。
「全部残りモンだからな、気兼ねなく食えよ」
「いただきます」
「最近時生さん節約料理にハマってるんですよね」
「ああ。メシの金を浮かせるのが今の趣味だ。反動で贅沢するときもあるがな」
「なるほど、大事なことです。俺は時間が惜しいから、ひとりのときでもデリバリーばっかり使ってますよ。だからむしろ冷蔵庫の残りみたいな、こういう夕飯が恋しいです」
「俺は3食マックか牛丼でいいけどな。未来がそういうのを嫌がる。優くんとじいさんも。だから昔からこんなメシばっかりだ」
「なるほど…」
沢尻はこの何気ない言葉からも、同棲カップルの部屋に招かれたかのような居心地の悪さを感じた。ただの友人ならどうということはないし、恋人のふたり暮らしの部屋には時折り遊びに行くこともあるが、片思いの相手と同居する男という図式だからこんなにも心がざわめくのだ。
「一応おつまみ的なのも用意しときましたよ。せっかくお酒を持ってきてくれたんですから、一緒に開けちゃいますか」
「やあ、わざわざすみません。時生さんお酒飲まなかったんですね。知らなくて」
「俺はコーラかサイダーさえあればどうでもいい」
「(舌まで子供じみてるのか…)言っといてくれたらそれも買ってきたのに」
「大量にストックしてあるから構わん」
未来が沢尻のグラスに酒を注ぎ、時生は「手酌」でコーラを注ぐと、ふたりは乾杯をして時生は気にせず先にグビグビと飲み下した。
「…それで…」
沢尻が静かに切り出す。
「灰枝さんって、本当にこういう感じがお好きなんですか?」
単刀直入に問われ、未来は軽く酒にむせ、時生は食べ物をほしがるルイを手で遮りながら、我関せずでむしゃむしゃと煮付けを食っている。
「え…ええ…まあ」
「人間性までも…なんというか…"こういう感じ"の人が良いんですか?」
「人間性はひとくくりに語れませんけど、でもどうしようもない人に魅力を感じてしまうことはありますね」
「そういう人は幸せにしてくれないと思いますよ」
「はい。だから俺が幸せにしてやれたらいいなって思います」
「(ええ…)それはなかなか…愛が深いと言いますか…」
「こら犬、毎日ちゃんとメシをやってるのに餓えたようなツラしやがって!どーゆーしつけされてるんだお前は!おい未来、人のモンを食いたがらないようにちゃんとしつけろと言ったろ」
「ああ、ごめんなさい…ルイ、おすわり」
「ちっ、こいつ俺以外にはこーゆーことやらねえんだ」
「それで、灰枝さん。あの、単刀直入に聞きますけど、俺がもしこういうスタイルを貫き続けたら、俺にもチャンスってありますか?」
「え…?」
「あなたの前ではあなたの好む男でいますよ。仕事中まではちょっと無理ですけど」
「い、いや…そう言われても」
「こういう料理だって覚えますし、休みの日は風呂にも入りませんし、だらしないけど適度に家庭的な男になります。家事だって頼まれたら何だってしますよ。スマホを捨てることは出来ないけど、スマホに取り憑かれた生活もやめます。何だったらお金はあるから会社も何個か手放したっていい。平日の昼から小銭だけでぶらぶらその辺を散歩して回るような、余裕のあるライフスタイルに変えます」
「あ、あの…そうは言っても、そう簡単にいくことでは…」
(すごい分析能力だ…俺が時生さんのどこら辺が好きなのかこの部屋に来ただけでしっかり悟ってる)
「なあ未来、そういや病院行くときって、なんか証明書みたいなやつって要るのか?」
「証明書…?保険証は要りますよ」
「おおそれだそれ!保険証って俺も持ってるもんなのか?」
「持ってるはずですよ…優さんに聞いてみてください。それより病院なんてどうかしました?」
「こないだチャリでこけた時にヒジ打ったろ、あれがずーっと痛てえんだよな」
「えっ…だめですよ、何で早く診せに行かないんですか」
「ひとりで病院なんか行けるか。受付とかどうしていいかわからん」
「じゃあ今までどうしてたんです?去年インフルエンザで病院にかかったって言ってたじゃないですか」
「全部優くんにしてもらった」
「もう…。じゃあ明日俺も一緒に行きますから、優さんに保険証どこにあるかだけ聞いてくださいね」
「おう」
「…沢尻さん、ここまでなれます?」
一連の流れの中で押し黙っていた沢尻に問うと、彼は人ならざるものを見る目で時生を見つめており、そして静かにかぶりを振った。
ー
だがその夜、事態は未来が酔い潰れたことによって一変した。沢尻もほどよく酒が回ってソファーで眠ってしまい、唯一シラフの時生が未来をベッドに運んでやると、彼は真っ赤な顔をして時生の肩に手を回し、寝転がったままその身をぎゅっと抱き寄せてきたのだ。
「時生さん…俺、時生さんが好きです」
「わかったわかった。ほら、いいからもう寝ろ」
「俺のいうこと本気にしてないなぁ…」
「(こないだよりも酔ってやがる…)お前は酒が入らないと感情を出せないんだな。そーゆーのアル中に多いらしいぞ。気を付けろよ」
「出せますよ…出してるじゃないですか…今はお酒入ってるけど、時生さんのこと好きって言ったときは酔っ払ってなかったでしょ」
「今言われてもなんとも思わん。とりあえず片付けもあるから寝てくれ。てゆーかお前仕事いいのか?また夜中に目覚ましセットするか?」
「…いま何時です?」
「12時半」
「じゃあ2時間後に…」
「おう。…セットするから腕を離せ」
「待って…もう少しだけ…」
すると背後から、「時生さん、俺そろそろ帰ります」という沢尻の声がして、少し間を置いたあとに「な、何してるんですか…」という少し呂律の怪しい驚嘆が続いた。時生は厄介なことになったとため息をつきながら振り返り、「帰るんならとっとと帰れ」と言うと、「俺がこんなに灰枝さんのこと好きだって知ってるくせに、見せつけるようなことしなくたって…」となぜか部屋に押し入ってきた。
「馬鹿なこと言うな、お前が勝手に入ってきたんだろ!あとこいつは酔うとこうなるだけで別に見せつけているのではない!出てけ!」
「ねえ灰枝さん、俺の気持ち少しはわかってくださいよ!俺めちゃくちゃ仕事も頑張って死ぬほど金稼いでいろんなこと我慢してきたんですよ、少しくらい報われたっていいじゃないですか」
「(そ、それはお前の勝手だろォ~…コイツこういうバカさもあったんだな…)おい起こすな、離れろ。くそ、ふたりして面倒な奴らだな…」
「沢尻さん…俺は時生さんが好きだから…ごめんなさい」
寝言のようだがはっきりとした返答に、沢尻は打ちのめされたように崩れ落ちる。単に酔いが回って立っていられなかったのかもしれないが、寝転がる未来の身体に顔を押し付けて、まるで死体にすがる遺族のようにめそめそと泣いた。
「沢尻、お前そんなんで帰れるのか?タクシーで寝るだろ。手伝いのフィリピン人とかいうのは家にいないのか?」
「この時間はもう帰ってますよ…しばらくほっといてください」
「ここは未来の家だぞ」
「あなたと灰枝さんのね」
「おい拗ねるなって。なんかお前の会社の社員が気の毒だな。…まあいいや、とりあえず騒ぐなよ。何があっても俺のせいじゃないからな。おい未来、お前が酔ってるのが悪いんだからな」
「はい…」
半分眠っている未来の腕からようやく脱け出し、時生はふたりを置いて部屋を後にした。廊下で様子をうかがっていたルイに「お前の飼い主はしばらく酒禁止だ」と吐き捨て、ようやく片付けにとりかかる。そして全てを終えた深夜1時過ぎ。静かに眠っているかと部屋の様子をのぞいてみた時生の目に飛び込んできたのは、酔い潰れたはずのふたりのあらぬ光景であった。
7時半。いそいそと未来の部屋を訪れた沢尻は、なんの変哲もない家庭料理を前にして、嬉しそうにヒゲ面をほころばせた。むろん服はいちいち小綺麗なよそいきに着替えるわけもなく、一応人の家ということで気を遣ったのか靴下は履いているが、先ほどドッグランで見たときとまったく同じ格好だ。
ダウンの下はサーフ系のメーカーが量販店に卸している、今にもひび割れそうなロゴプリント入りのTシャツと、下には白いハイビスカスが描かれた黒い長袖のカットソーを重ね着していた。これも体型やサイズ感という概念をまったく無視した、野暮ったく田舎くさい最高のフォルムを生み出していた。知性も一切感じさせない。
(ううん…このギャップは悪くない…)
まだ姿勢の良さに沢尻の面影は残るが、寝起きで洗面所よりも先に階下のコンビニにやってきた独身男のだらしなさには近づいている。
「全部残りモンだからな、気兼ねなく食えよ」
「いただきます」
「最近時生さん節約料理にハマってるんですよね」
「ああ。メシの金を浮かせるのが今の趣味だ。反動で贅沢するときもあるがな」
「なるほど、大事なことです。俺は時間が惜しいから、ひとりのときでもデリバリーばっかり使ってますよ。だからむしろ冷蔵庫の残りみたいな、こういう夕飯が恋しいです」
「俺は3食マックか牛丼でいいけどな。未来がそういうのを嫌がる。優くんとじいさんも。だから昔からこんなメシばっかりだ」
「なるほど…」
沢尻はこの何気ない言葉からも、同棲カップルの部屋に招かれたかのような居心地の悪さを感じた。ただの友人ならどうということはないし、恋人のふたり暮らしの部屋には時折り遊びに行くこともあるが、片思いの相手と同居する男という図式だからこんなにも心がざわめくのだ。
「一応おつまみ的なのも用意しときましたよ。せっかくお酒を持ってきてくれたんですから、一緒に開けちゃいますか」
「やあ、わざわざすみません。時生さんお酒飲まなかったんですね。知らなくて」
「俺はコーラかサイダーさえあればどうでもいい」
「(舌まで子供じみてるのか…)言っといてくれたらそれも買ってきたのに」
「大量にストックしてあるから構わん」
未来が沢尻のグラスに酒を注ぎ、時生は「手酌」でコーラを注ぐと、ふたりは乾杯をして時生は気にせず先にグビグビと飲み下した。
「…それで…」
沢尻が静かに切り出す。
「灰枝さんって、本当にこういう感じがお好きなんですか?」
単刀直入に問われ、未来は軽く酒にむせ、時生は食べ物をほしがるルイを手で遮りながら、我関せずでむしゃむしゃと煮付けを食っている。
「え…ええ…まあ」
「人間性までも…なんというか…"こういう感じ"の人が良いんですか?」
「人間性はひとくくりに語れませんけど、でもどうしようもない人に魅力を感じてしまうことはありますね」
「そういう人は幸せにしてくれないと思いますよ」
「はい。だから俺が幸せにしてやれたらいいなって思います」
「(ええ…)それはなかなか…愛が深いと言いますか…」
「こら犬、毎日ちゃんとメシをやってるのに餓えたようなツラしやがって!どーゆーしつけされてるんだお前は!おい未来、人のモンを食いたがらないようにちゃんとしつけろと言ったろ」
「ああ、ごめんなさい…ルイ、おすわり」
「ちっ、こいつ俺以外にはこーゆーことやらねえんだ」
「それで、灰枝さん。あの、単刀直入に聞きますけど、俺がもしこういうスタイルを貫き続けたら、俺にもチャンスってありますか?」
「え…?」
「あなたの前ではあなたの好む男でいますよ。仕事中まではちょっと無理ですけど」
「い、いや…そう言われても」
「こういう料理だって覚えますし、休みの日は風呂にも入りませんし、だらしないけど適度に家庭的な男になります。家事だって頼まれたら何だってしますよ。スマホを捨てることは出来ないけど、スマホに取り憑かれた生活もやめます。何だったらお金はあるから会社も何個か手放したっていい。平日の昼から小銭だけでぶらぶらその辺を散歩して回るような、余裕のあるライフスタイルに変えます」
「あ、あの…そうは言っても、そう簡単にいくことでは…」
(すごい分析能力だ…俺が時生さんのどこら辺が好きなのかこの部屋に来ただけでしっかり悟ってる)
「なあ未来、そういや病院行くときって、なんか証明書みたいなやつって要るのか?」
「証明書…?保険証は要りますよ」
「おおそれだそれ!保険証って俺も持ってるもんなのか?」
「持ってるはずですよ…優さんに聞いてみてください。それより病院なんてどうかしました?」
「こないだチャリでこけた時にヒジ打ったろ、あれがずーっと痛てえんだよな」
「えっ…だめですよ、何で早く診せに行かないんですか」
「ひとりで病院なんか行けるか。受付とかどうしていいかわからん」
「じゃあ今までどうしてたんです?去年インフルエンザで病院にかかったって言ってたじゃないですか」
「全部優くんにしてもらった」
「もう…。じゃあ明日俺も一緒に行きますから、優さんに保険証どこにあるかだけ聞いてくださいね」
「おう」
「…沢尻さん、ここまでなれます?」
一連の流れの中で押し黙っていた沢尻に問うと、彼は人ならざるものを見る目で時生を見つめており、そして静かにかぶりを振った。
ー
だがその夜、事態は未来が酔い潰れたことによって一変した。沢尻もほどよく酒が回ってソファーで眠ってしまい、唯一シラフの時生が未来をベッドに運んでやると、彼は真っ赤な顔をして時生の肩に手を回し、寝転がったままその身をぎゅっと抱き寄せてきたのだ。
「時生さん…俺、時生さんが好きです」
「わかったわかった。ほら、いいからもう寝ろ」
「俺のいうこと本気にしてないなぁ…」
「(こないだよりも酔ってやがる…)お前は酒が入らないと感情を出せないんだな。そーゆーのアル中に多いらしいぞ。気を付けろよ」
「出せますよ…出してるじゃないですか…今はお酒入ってるけど、時生さんのこと好きって言ったときは酔っ払ってなかったでしょ」
「今言われてもなんとも思わん。とりあえず片付けもあるから寝てくれ。てゆーかお前仕事いいのか?また夜中に目覚ましセットするか?」
「…いま何時です?」
「12時半」
「じゃあ2時間後に…」
「おう。…セットするから腕を離せ」
「待って…もう少しだけ…」
すると背後から、「時生さん、俺そろそろ帰ります」という沢尻の声がして、少し間を置いたあとに「な、何してるんですか…」という少し呂律の怪しい驚嘆が続いた。時生は厄介なことになったとため息をつきながら振り返り、「帰るんならとっとと帰れ」と言うと、「俺がこんなに灰枝さんのこと好きだって知ってるくせに、見せつけるようなことしなくたって…」となぜか部屋に押し入ってきた。
「馬鹿なこと言うな、お前が勝手に入ってきたんだろ!あとこいつは酔うとこうなるだけで別に見せつけているのではない!出てけ!」
「ねえ灰枝さん、俺の気持ち少しはわかってくださいよ!俺めちゃくちゃ仕事も頑張って死ぬほど金稼いでいろんなこと我慢してきたんですよ、少しくらい報われたっていいじゃないですか」
「(そ、それはお前の勝手だろォ~…コイツこういうバカさもあったんだな…)おい起こすな、離れろ。くそ、ふたりして面倒な奴らだな…」
「沢尻さん…俺は時生さんが好きだから…ごめんなさい」
寝言のようだがはっきりとした返答に、沢尻は打ちのめされたように崩れ落ちる。単に酔いが回って立っていられなかったのかもしれないが、寝転がる未来の身体に顔を押し付けて、まるで死体にすがる遺族のようにめそめそと泣いた。
「沢尻、お前そんなんで帰れるのか?タクシーで寝るだろ。手伝いのフィリピン人とかいうのは家にいないのか?」
「この時間はもう帰ってますよ…しばらくほっといてください」
「ここは未来の家だぞ」
「あなたと灰枝さんのね」
「おい拗ねるなって。なんかお前の会社の社員が気の毒だな。…まあいいや、とりあえず騒ぐなよ。何があっても俺のせいじゃないからな。おい未来、お前が酔ってるのが悪いんだからな」
「はい…」
半分眠っている未来の腕からようやく脱け出し、時生はふたりを置いて部屋を後にした。廊下で様子をうかがっていたルイに「お前の飼い主はしばらく酒禁止だ」と吐き捨て、ようやく片付けにとりかかる。そして全てを終えた深夜1時過ぎ。静かに眠っているかと部屋の様子をのぞいてみた時生の目に飛び込んできたのは、酔い潰れたはずのふたりのあらぬ光景であった。
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