TOKIO

めめくらげ

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「うおっ!」

「えっ…?!」

翌週。久しぶりに未来と共にドッグランへ赴くと、ふたりはそこで衝撃的なものを目にし、時生は目を見開いてたじろいだ。となりでルイを抱いた未来も丸い目で硬直している。視線の先には片手をあげて笑う沢尻がいるが、先週と様子が一変しているのだ。

「沢尻さん…?どうしたんです、その格好」

いつも自分の体型にマッチしたすっきりとした衣服を好む彼が、今日は量販店の見るからに安いだぶだぶのダウンジャケットに身を包み、下は部屋着のスウェット穿きで、おまけにボアが仕込まれている冬用サンダルを素足で履いていた。
しかし何より驚いたのは首から上の変貌ぶりだ。しゃれっ気のない実用的な形のメガネをかけているが、口まわりと顎ともみあげが生えかけの髭でつながっており、頬にも同じような無精髭が散らばって、おまけに髪には一切手を入れていないのか、ニットキャップからあきらかにパーマなどではないただのうねった癖毛がのぞいていた。

ジェイクたちはいつもどおり整った身だしなみ(毛並み)を保っているが、とても彼らの飼い主とは思えない男がふたりの前に現れたのだ。

「いやあ、ははは。たまにはいいかと思いまして。久しぶりに今日は誰とも会いませんし」

「けど、それにしたって…」

「休日はけっこうこんな感じなんですけどね。誰にも会わないのに、いちいちよそいきなんて着てられませんよ」

見た目のだらしなさに反して得意げだが、明らかに嘘だ。なぜならこのヒゲは1日やそこらで伸びる量ではないし、彼の性格を思えば休日でも外に出る格好までこんなに気を抜くわけがない。何より彼がこのようなダウンジャケットやスウェットを自らの意思で選ぶとは到底思えない。

その証拠にすべてが新品同様で、着古したようなヨレや汚れが全く見当たらない。おそらくヒゲは先週から伸ばし始め、頭から足先までは未来に見せるためにここ数日で買ったおろしたてであろう。
しかし未来はその姿をまじまじと見つめたあとで、思わず「…けっこう良い感じですね」と本音を漏らし、時生が慌てて「おい目を覚ませ!!これは沢尻だぞ!!」と彼の肩をぐらぐらと揺らした。

「お前、コイツに好かれたいからってここまでやるか…?人目とか誰よりも気にしてるくせに…」

「どういうことです?単なるオフの格好ですってば」

「いやどーー見ても無理やり着てる感がすごいぞ。こればっかりは服に着られてる感満載だ。ヒゲも伸ばしてる途中だろ」

「いえ、今朝は剃ってないってだけですよ。実はけっこう伸びるの早くて」

「おい未来、コイツすごく努力してることをひた隠しにしてくるぞ。なんとか言ってやれ」

「え…いや…でもまあ、ワイルドでいいと思いますけどねえ…普段とのギャップがあって」

「本当ですか?!」

(ダメだこりゃ…)

「嬉しいなあ。いやあ、金のかからない服って最高ですよね。休みの日にまで気を使ってられませんよ。できれば仕事中もこれでいたいくらいだ」

あきらかに本意とは正反対のことを口にする姿がけなげで痛々しい。犬たちは人間の服などに構っていないが、飼い主の奇行と出で立ちのせいで凛々しい彼らまでかわいそうに思えてきた。

「ところで灰枝さん、今日もし良ければ夕飯でも一緒にいかがです?もちろん時生さんも」

「今日ですか?…まあいいですけど…」

「おい!!」

「やった!どこにします?できればこの格好で入れるところがいいんですけど」

「じゃあうちでいいですか?」

「もちろん!」

「未来…」

唖然とする時生をよそに、未来はあれだけ避け続けた誘いをあっさり承諾し、来訪の時間までさっさと決めてしまった。


ー「おい、お前は趣味が悪いというよりも単なる弩級のアホだな」

帰り道で時生が指摘すると、「そ、そうですか?」と照れたように笑ったので、「褒めてるのではない」とすかさず続けた。

「ちょっと服装を変えただけであっさり陥落しやがった。あれはまやかしの汚さだぞ、お前の好きな生粋のゴキブリ男みたいなタイプとは違うだろ」

「(自分で言ってて虚しくならないのか…?)陥落なんてしてませんよ。ただいつもより親しみやすい雰囲気になったから、なんとなく気張らずにいられそうというか…ただそれだけです。だから呼びました。でも時生さんが嫌ならお断りします」

「嫌だが別に断らんでいい。ところで何を食いたいのか聞き忘れたな…また寿司の出前でもとるか?」

「なんでもいいと思いますよ」

「お前は何がいい?食いたいものがあるならそれにする」

「俺ですか?そうだなあ…」

彼が自分の好みを尋ね優先しようとしてくれるところに、また不覚にもときめいてしまいニヤケそうになる。だが平静を装い「冷蔵庫の残り物でいいです」と返した。これがおそらく時生が最も望む答えだからだ。

「そうだな、それがベストだ」

「あとは沢尻さん用にお酒のおつまみがちょっとあれば」

「わかった」

未来の"心変わりのようなもの"はともかくとして、今夜はまたも気が重い食卓となりそうだった。それにしても、振り向いてもらえない沢尻に対する同情心などはカケラも沸き起こらないが、あの男にも直向きなだけではないいじらしさのようなものがあったのかと、その意外性には少し驚かされた。
中身はあのままなので単なる仮装でしかないが、彼にとってはおそらく重要であるはずの「人目」を、今日ついに未来のために犠牲にしたのだ。
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