あなたのいない世界でバージンロードを歩く

駄文のヒロ

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第2章 止まった運命、始まる人生

1、愛する者へ遺す世界

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 美麗の介入を示すログが走ると同時に、結奈と真里奈の視界から、通常のレイヤーが消えた。

 端末の画面は意味を失い、代わりに白くぼやけた空間がゆっくりと立ち上がる。

 床も、壁も、数値ではなく「記憶」で構成された領域。
 ここが、参照不可領域だった。

「……入ったのね」

 真里奈の声が、わずかに震える。

 結奈は答えず、ただ一歩、前に進んだ。
 その瞬間、背後で静かな気配が整う。

 黒いスーツの美麗が、二人を包み込むように立っていた。
 端正な立ち姿。
 感情を抑えた、静かな気配。

「ここから先は、
 許可された“真実”だけが見えるわ」

 そう告げて、美麗は歩き出す。

 結奈と真里奈は、その背中を追って、もう戻れない深部へと足を踏み入れた。

 参照不可領域が、ゆっくりと“裏返る”。

 灰色だった空間が、奥から光を帯びていく。

 結奈の視界が、白に満たされ――
 次の瞬間、別の場所に立っていた。

 そこは、制御コンピューターラウンジ。

 高い天井。
 円形に配置された制御卓。
 無数のホログラムが、静止したまま宙に浮いている。



 炎はない。
 警報音もない。

 ――事故の直前で、時間が固定されている。

 結奈は、息を呑んだ。

「……ここ……」

 真里奈が、震える声で呟く。

「……あの人が、働いてた……」

 その時。

 中央の制御卓の前で、ひとつの人影が輪郭を持ち始めた。

 粒子が集まり、光が線を結び、
 やがて――

 白衣をまとった、32歳の男が、そこに立っていた。



「……結奈」

 声は、はっきりと届いた。
 結奈は、動けなかった。

 目の前にいるのは、記憶の中でしか知らない父。
 それでも、間違えようがなかった。

「……パ、パ……?」

 雅人はゆっくりと頷いた。

「大きくなったな、結奈」

 それだけで、結奈の視界がにじんだ。

 だが、
 再会の余韻は、長く続かなかった。

 雅人は、ゆっくりと振り返り、結奈と真里奈を見た。

 そして、告げる。

「……真相を、話すよ」

 制御卓のホログラムが淡く灯り、2035年6月15日のログが展開される。

「レイヤー移行実験は、事故じゃない」

 結奈の胸が、強く脈打つ。

「熱暴走は、確かに起きた。
 でも――引き金は、俺だ」

 真里奈が、息を吸い込む音がした。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 レイヤー移行実験の準備フロアは、いつもより照明が落とされていた。

 制御卓の前で、被験者である桜樹敬司さくらぎ けいじの生体ログが安定して流れている。
 美麗はその横で、手早く補助用パラメータを調整していた。

「心拍、安定。
 神経同期も問題ありません」

 業務的な声。
 それでも、桜樹の表情にわずかな緊張を見つけると、美麗は一瞬、視線を和らげる。

「……大丈夫よ。
 今回は、私がついてる」

 それを聞いて、少し離れた位置にいた雅人が、ふと顔を上げた。

 白衣の袖をまくったまま、美麗と桜樹を交互に見る。

「君……」

 美麗が振り返る。

「はい、朝霧主任」

 雅人は、しばらく言葉を探すように黙り、それからぽつりと漏らした。

「ずいぶん、人間らしい対応をするんだな」

 美麗は一瞬、きょとんとする。

 演算でも、ログ参照でもない。
 理解に少しだけ時間がかかった表情だった。

 それから――
 ふっと、柔らかく笑う。

 業務用の微笑でも、設計された安心表情でもない。

「……そう見えますか?」

 声に、ほんのわずかな温度があった。

 雅人は小さく息を吐き、独り言のように言う。

「君は……
 もう“人間”なんだな」

 その言葉に、美麗ははっきりと笑った。
 少し照れたように、それでも誇らしげに。

「ありがとうございます」

 桜樹が、不思議そうに二人を見る。

 美麗はすぐに視線を戻し、また補助作業に入る。

 けれど、
 その横顔には、確かに――

 感情を持った存在の、微笑みが残っていた。

 そして雅人は、その光景を胸のどこかに刻みつけた。

 この世界は、ただの仮想ではない、と。

【レイヤー内、制御コンピューターラウンジ】

 白く拡張された空間に、五つの作業卓が浮かぶように配置されている。

 朝霧雅人、そして他の4名の被験者は、それぞれのポジションで順行通りのレイヤー構築工程を進めていた。
 その中には、桜樹がいた。

 仮想地形の基礎座標。
 演算層の同期。
 感覚遅延の微調整。

「第三層、安定値確認」

「こちらも問題なし」

 ログは静かに流れ、空間は完成へ向かって、正しく組み上がっていく――はずだった。

 その時。
 一瞬、空気が重くなる。
 数値が、わずかに跳ねた。

「……負荷、上昇?」

 桜樹が呟いた直後、制御卓の表示が赤に染まる。

 警告音。
 遅れて、熱量の数値が異常値を示す。

「おかしい、演算負荷が――」

 言い終わる前に、空間そのものがきしんだ。

 視界の端が揺れ、仮想であるはずの床に、熱の揺らぎが走る。

「熱暴走だ!」

 朝霧が即座に声を張り上げた。
 主任としての判断に、一切の迷いはなかった。

「全員、手を止めろ!
 構築プロセスを切り離す、私が制御に入る!」

 彼は自分の制御卓に両手を置き、権限コードを次々と展開していく。

「冷却系、応答しろ……!」

 だが、返ってくるのは遅延ログばかりだった。

 数値は下がらない。
 むしろ、加速している。

「主任、これ以上は――」

 桜樹の声が震える。

 朝霧は歯を食いしばり、視線だけで状況を把握した。

 熱は、さらに上がる。

 制御コンピューターラウンジの光がゆがみ、白い空間がけるように揺れ始めていた。

 そして――
 取り返しのつかない臨界点が、確実に近づいていた。

 制御コンピューターラウンジは、すでに限界を超えていた。

 白かった空間は赤く染まり、仮想演算であるはずの熱が、実感を伴って迫ってくる。

 冷却系は沈黙したまま。
 警告ログが、重なり合って視界を覆う。

 朝霧は一瞬だけ、手を止めた。

 冷却作業に切り替えれば、この場の人間は助かるかもしれない。

 だが――
 世界は未完成のまま消える。

 朝霧は、静かに息を吸った。

「……構築を優先する」

 その一言は、主任としての決断だった。

「主任!何を言ってーー」
「世界を完成させる。
 それが、この実験の目的だ」

 彼の視線の先には、まだ形を持たないレイヤーの基盤があった。

「……」

 短く息を吐き、朝霧は操作を続行した。

 世界構築プロセス、固定。
 優先度、最大。

 炎が、床を這うように広がる。

「主任、もう無理だ!」

 桜樹の叫びが届く。

 朝霧は振り返らなかった。
 ただ、静かに――

「……みんな、すまない」

 その一言は、
 言い訳でも、命令でもなかった。
 ただの、謝罪だった。

 次の瞬間、補助レイヤーの干渉波が空間を切り裂く。

 赤い光の向こうに、美麗の姿が現れる。

「朝霧主任、一体何が!」
「……美麗さん」

 朝霧は、彼女を一目だけ見た。

「……あとのことを頼む」

 それだけを言い残し、彼は制御卓から手を離した。
 炎が、彼の輪郭を包み込む。



 美麗は、消えゆくその姿を、ただ目の当たりにするしかなかった。
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