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第二章
4月16日(火):苦い思い出
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【京一】
「…………」
その日の魔法少女の活躍劇は、調理実習が舞台だった。今日の授業と同じだ。
これは、凛が見ている夢である。
とはいっても彼女が眠りながら半無意識で思い描く映像ではなく、もっと深い眠りによる夢――完全な無意識、意識の源泉によって造られる夢世界。だから決して凛が稚拙な妄想を思い描いているとかそういうわけではないのだ。
ただ、確かに無意識とはいえ、現実での凛の意識や感情がこの夢に反映されることはあるらしい。
それは、カエルの解剖授業を翌日に控えた夢がカエルの怪物に懸命に立ち向かう内容であったこともそうだし、――今回、お菓子作りがテーマとなっているのも、この日に調理実習を行ったことが反映されているのだろう。
舞台は僕も通っていた小学校、その家庭科室。
チョコレートの魔人が消え去り、危機が脱せられた教室内。郷に従えられて当時の幼い体となった僕のもとへ、戦い終え、変身を解いた凛が爽やかな笑みを携えて近寄って来る。
「きょーいち、ほら、これ食べて?」
凛は、紙皿に乗せたチョコケーキを僕に差し出してくる。
本日、十七歳の凛からもらったあの一切れに比べると、かなり分厚く切られた一個分である。
……どうしよう。
このチョコケーキは、元々あの魔人であったモノだ。それを思うと口に入れるのに抵抗があるが、――そうでなくとも。僕には食べ難いものである。僕はチョコが苦手なのだ。
そういえば生チョコが嫌いだと認識したのは、ちょうど今のこの体格の時期で、そのときに食べた量もこのぐらいだった。
「どしたの? とってもおいしいよ?」
凛が、無垢な目を向けてくる。あくまで善意で差し出してくれている少女に向かって、嫌いだからいらない、とは、言い難い。いくら夢の中の凛であるとはいえ、幼い女の子の厚意を無下にするのはさすがに憚られる……。
いや、でも、そうだ。
これは夢の中なのだ。
ということはもしかしたら、食べても平気なのではないか。頬をつねっても痛みはないように、苦手なものを食べても気分が悪くなったりはしないのではないか。
きっとそうだ。
僕は少女の差し出す紙皿を受け取り、チョコケーキにかじりついた。…………。
結果、凛がものすごく謝ってきて、逆に僕もものすごく謝って、気まずい空気になってしまった。
……
…………
目が覚める。
「う……」
夢の中の出来事のはずなのに、どうにも甘ったるい味が口の中に残っている感じがしてならない。ひどい寝覚めだ。
/
例によって始業開始直前に教室に入る僕。
「おはよう」
「……おはよう」
凛は相変わらず遅刻寸前の僕を咎めるような鋭い目つきで見る。
しかし、いつもならそれだけ言ってすぐに前に向き直るのだが、今日はそのまま、なにやら言いたげにこちらを見てくる。 それから思い立ったように口を開く。
「京一……あのさ」
「なに?」
「昨日の調理実習のとき、チョコケーキ渡したでしょ。あれって、あのあと食べたの?」
「え? ああ、食べたよ。なんか晃と山本がいいって言うから、一切れ全部僕がもらったよ。……えっと、美味しかったよ」
「本当に?」
「うん……」
じっと僕を見てくる凛。どうしたのだろうか。というかなぜ朝一番に昨日の件を話題に出してきたのか。
「……そっか。じゃあ、チョコは苦手じゃなくなったのね」
「え?」
「昨日、渡すときはすっかり忘れてたんだけどさ。あんた、チョコ苦手だったんだよね。確か子供の頃、私があげたチョコケーキで気分が悪くなっちゃったことあったじゃない」
「ああ、あったな……」
つい数時間前に夢でも再現されたかつての出来事だ。やはり、昨日チョコを渡してきたときはそのことを忘れていたらしい。
しかし、なぜそのことを今になって思い出したのだろうか。
――もしや、と、脳裏にある予感が過る。
「も、もしかして凛、昨日の夢の事、覚えて……」
「夢? 何言ってんの?」
「いやだって、昨日の今日で、そのこと思い出したりなんかして……」
「…………。朝起きたら、なんだかふと思い出しただけだけど。別に夢なんか見てないし。さっきから何言ってんの? ていうかこの前保健室でもそんなこと言ってたね。一体なんなの? 頭おかしいの?」
露骨に眉をひそめる凛。
「あ、いや……。なんでもない」
ちょうどそのタイミングで一限目の授業の担当教員が教室に入って来た。僕との会話を切り上げ、学級委員長の凛が起立の号令を出す。
なんとか、追及されずに済んだ。……言うわけにはいかない。
実は、僕はここ最近君の夢に入り込んでいるのだ、ただし夢と言っても普通の夢じゃなく、深層意識による夢で、それというのが君の場合『マジカルリンちゃん』という魔法少女モノの夢なのだけど――などと。
そんなこと、たとえ口が裂けても、いっそ裂け目が後ろ頭まで繋がってずるりと肉が剥がれて頭蓋骨が丸裸になろうとも、……言えない。
授業を聞き流しながら、ぼんやりと考える。
やはり凛は、あの夢の内容に関して全く記憶はないらしい。それは小人の言っていた通り、あれは深層意識――すなわち無意識の中の夢だから。表層意識上には、あんな夢を見ているという記憶は昇らないのだ。
でも、僕がチョコ嫌いであるということを昨日は忘れていたのに、今朝になって不意に思い出した――というのは、あの夢がきっかけになったのではないかと思える。
昨晩の夢で、昔の出来事の再現が行われた。夢の内容自体は忘れていても、それがきっかけとなって昔の記憶を思い出す、ということはあるのか。
相変わらず、夢世界というのは不思議なものである。
夢の不思議さについて考えを巡らせていると、そのうち、睡魔がひょこりと顔を出す。授業が始まると決まって現れるやつだ。こいつは絶対王政下の君主のように強大な権威を持っている。抗おうなどととても恐れ多い。僕は、王にひれ伏すがごとく机に突っ伏し、居眠りを始めた。
授業終了後、案の定、隣の席から差すような鋭い視線が向けられた。
「…………」
その日の魔法少女の活躍劇は、調理実習が舞台だった。今日の授業と同じだ。
これは、凛が見ている夢である。
とはいっても彼女が眠りながら半無意識で思い描く映像ではなく、もっと深い眠りによる夢――完全な無意識、意識の源泉によって造られる夢世界。だから決して凛が稚拙な妄想を思い描いているとかそういうわけではないのだ。
ただ、確かに無意識とはいえ、現実での凛の意識や感情がこの夢に反映されることはあるらしい。
それは、カエルの解剖授業を翌日に控えた夢がカエルの怪物に懸命に立ち向かう内容であったこともそうだし、――今回、お菓子作りがテーマとなっているのも、この日に調理実習を行ったことが反映されているのだろう。
舞台は僕も通っていた小学校、その家庭科室。
チョコレートの魔人が消え去り、危機が脱せられた教室内。郷に従えられて当時の幼い体となった僕のもとへ、戦い終え、変身を解いた凛が爽やかな笑みを携えて近寄って来る。
「きょーいち、ほら、これ食べて?」
凛は、紙皿に乗せたチョコケーキを僕に差し出してくる。
本日、十七歳の凛からもらったあの一切れに比べると、かなり分厚く切られた一個分である。
……どうしよう。
このチョコケーキは、元々あの魔人であったモノだ。それを思うと口に入れるのに抵抗があるが、――そうでなくとも。僕には食べ難いものである。僕はチョコが苦手なのだ。
そういえば生チョコが嫌いだと認識したのは、ちょうど今のこの体格の時期で、そのときに食べた量もこのぐらいだった。
「どしたの? とってもおいしいよ?」
凛が、無垢な目を向けてくる。あくまで善意で差し出してくれている少女に向かって、嫌いだからいらない、とは、言い難い。いくら夢の中の凛であるとはいえ、幼い女の子の厚意を無下にするのはさすがに憚られる……。
いや、でも、そうだ。
これは夢の中なのだ。
ということはもしかしたら、食べても平気なのではないか。頬をつねっても痛みはないように、苦手なものを食べても気分が悪くなったりはしないのではないか。
きっとそうだ。
僕は少女の差し出す紙皿を受け取り、チョコケーキにかじりついた。…………。
結果、凛がものすごく謝ってきて、逆に僕もものすごく謝って、気まずい空気になってしまった。
……
…………
目が覚める。
「う……」
夢の中の出来事のはずなのに、どうにも甘ったるい味が口の中に残っている感じがしてならない。ひどい寝覚めだ。
/
例によって始業開始直前に教室に入る僕。
「おはよう」
「……おはよう」
凛は相変わらず遅刻寸前の僕を咎めるような鋭い目つきで見る。
しかし、いつもならそれだけ言ってすぐに前に向き直るのだが、今日はそのまま、なにやら言いたげにこちらを見てくる。 それから思い立ったように口を開く。
「京一……あのさ」
「なに?」
「昨日の調理実習のとき、チョコケーキ渡したでしょ。あれって、あのあと食べたの?」
「え? ああ、食べたよ。なんか晃と山本がいいって言うから、一切れ全部僕がもらったよ。……えっと、美味しかったよ」
「本当に?」
「うん……」
じっと僕を見てくる凛。どうしたのだろうか。というかなぜ朝一番に昨日の件を話題に出してきたのか。
「……そっか。じゃあ、チョコは苦手じゃなくなったのね」
「え?」
「昨日、渡すときはすっかり忘れてたんだけどさ。あんた、チョコ苦手だったんだよね。確か子供の頃、私があげたチョコケーキで気分が悪くなっちゃったことあったじゃない」
「ああ、あったな……」
つい数時間前に夢でも再現されたかつての出来事だ。やはり、昨日チョコを渡してきたときはそのことを忘れていたらしい。
しかし、なぜそのことを今になって思い出したのだろうか。
――もしや、と、脳裏にある予感が過る。
「も、もしかして凛、昨日の夢の事、覚えて……」
「夢? 何言ってんの?」
「いやだって、昨日の今日で、そのこと思い出したりなんかして……」
「…………。朝起きたら、なんだかふと思い出しただけだけど。別に夢なんか見てないし。さっきから何言ってんの? ていうかこの前保健室でもそんなこと言ってたね。一体なんなの? 頭おかしいの?」
露骨に眉をひそめる凛。
「あ、いや……。なんでもない」
ちょうどそのタイミングで一限目の授業の担当教員が教室に入って来た。僕との会話を切り上げ、学級委員長の凛が起立の号令を出す。
なんとか、追及されずに済んだ。……言うわけにはいかない。
実は、僕はここ最近君の夢に入り込んでいるのだ、ただし夢と言っても普通の夢じゃなく、深層意識による夢で、それというのが君の場合『マジカルリンちゃん』という魔法少女モノの夢なのだけど――などと。
そんなこと、たとえ口が裂けても、いっそ裂け目が後ろ頭まで繋がってずるりと肉が剥がれて頭蓋骨が丸裸になろうとも、……言えない。
授業を聞き流しながら、ぼんやりと考える。
やはり凛は、あの夢の内容に関して全く記憶はないらしい。それは小人の言っていた通り、あれは深層意識――すなわち無意識の中の夢だから。表層意識上には、あんな夢を見ているという記憶は昇らないのだ。
でも、僕がチョコ嫌いであるということを昨日は忘れていたのに、今朝になって不意に思い出した――というのは、あの夢がきっかけになったのではないかと思える。
昨晩の夢で、昔の出来事の再現が行われた。夢の内容自体は忘れていても、それがきっかけとなって昔の記憶を思い出す、ということはあるのか。
相変わらず、夢世界というのは不思議なものである。
夢の不思議さについて考えを巡らせていると、そのうち、睡魔がひょこりと顔を出す。授業が始まると決まって現れるやつだ。こいつは絶対王政下の君主のように強大な権威を持っている。抗おうなどととても恐れ多い。僕は、王にひれ伏すがごとく机に突っ伏し、居眠りを始めた。
授業終了後、案の定、隣の席から差すような鋭い視線が向けられた。
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