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第四章
5月4日(土):努々現
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【京一】
凛の部屋から自分の家へ戻る道中。
月は雲に翳っており、点々と白い星が浮くものの、概ね空は深い黒。恒星が裏側に行っているので、空はしっとりと闇に覆われているのだ。
対して、僕の頭の中は一面、隈なく、真っ白だった。
急展開過ぎて頭の整理が追い付かず、あまりまともに思考は働かない。それなのに心臓はやけに甲斐甲斐しく働く。さきほどから激しく鼓動を打ち立てていて、血液が加速度的に巡っている。
凛に、好きだと言われた。
自分が思いの告げたのだからお前はどうなのかと問われ、僕も同様の想いだと進言。してやったり、と言いたげな笑顔を向けられてまた抜群にときめいてしまったものである。
その直後、わずかながらの沈黙があって、
「えっと、じゃあつまり、恋人ってことだよね」
――と、凛が言ってきた。
まあ、そうなる。お互いに好意が通じているなら、
でも自分が凛と『恋人となった』と思うと、きわめてむず痒い。もう本当、むずむずとして居心地が悪い。隔靴掻痒である。
なんなら本当に胸の内側が痒くなった。具体的に言えば右側の第三肋骨の裏側辺り。
なんというか、彼女との間柄が『恋人』へと改めると考えると、妙に気恥ずかしい。
――正直、今でも凛は僕にとって『幼馴染』。第一にその認識である。
幼馴染の男女が恋仲へと発展するなんて、そんなのフィクションの中だけものだと思っていた。実際、それをこの身で体現しながらも、……その認識に変わりはない。
そう、そんなのフィクションなのだ。
夢の中の話。現実では、そういうものではない。
現実として言えば、別に、関係性が発展したわけではないのだ。
『幼馴染』から『恋人』への進化ではなく、あくまで関係性はそれまで通りの『幼馴染』であり、そこに、お互いが好意を通じ合わせているという事実が上乗せされたに過ぎないのだ。
そういうわけだから、『恋人となった』という事実を改めて思うと、途端、右側第三肋骨の裏に痒みが生じるのである。
だからまあ、これを機に僕と彼女との距離感が劇的に変わるわけではないだろう。
そもそも家族のように身近な存在だったわけで、恋人同士になったからと言って特別に意識することもないんじゃない? ――とは凛の談。僕も確かにそうだと思った。
――だから、「これから改めてヨロシク」なんて言葉を交わすこともなく、
ただ普通に「じゃあ、おやすみ」とだけ言って、そのまま凛の部屋を出たのだった。
自室に戻り、ふう、と一息ついた。
まだ夜更けというには早いほどの時間だろうか。
せっかく明日も休日だというのに、早寝をするのはもったいない気がしてしまう。それに、さすがに気が昂っているのでこれでは眠れないと思う。
まだベッドに横になるのは早計、ということで椅子に腰を下ろす。
勉強机の椅子である。
そのまま何とはなしに、引き出しを引いた。そこには、見慣れない問題集が入っている。なんだったか、と手に取って表紙の文字を見て、思い出す。入試の過去問題集だ。
凛と行った国立大学のオープンキャンパス、そこでもらったものだ。どうせ自分には不要のものだと思い、ひとまず引き出しにしまい込んだのである。
問題集をじっと眺める。
なぜか唐突に、冴えないクラスメイト、山本耕太郎の言葉が思い出された。
――あれは確か三日前。
放課後に、廊下で遊免と山本に会った。遊免の方はお料理研の取材だとかで一人で行ってしまって、残された山本と話していたのだ。
山本は、同じ新聞部の遊免一佳と交際している。
ただし部活動の中で恋心が育まれたのかというとそうではなく、彼らは中学時代からの恋仲なのだ。
曰く、中学当時、彼はこの高校に入学できるような学力レベルではなかったらしい。ただ、彼女と同じ場所で高校生活を送りたかったがため、必死になって勉強をし、受験に臨んだのだ。そう言っていた。
彼にその話を聞いたときは、恋人と同じ学校に行くために勉強頑張るなんて、不純な動機だなあ、と思った。正直、馬鹿らしいとさえ思ったのだ。
しかし。
…………。
僕が手に持っている問題集は、県内の国立大学のもの。兄の和哉が現在通っている大学だ。
……凛がそのオープンキャンパスへ行ったのはなぜかというと、すでにその大学への進学を心に決めているからである。
ぱらぱらと、分厚い問題集のページをめくり、問題を流し見る。
今の自分の学力では、逆立ちしたって解けないような難問たちに見える。
――ああ、いや、そうではないか。
「逆立ちしても」という言い回しはよく聞くが、それは別に直立か逆立ちかで条件が変わるというわけでなく、「逆立ちするほどの苦労を強いても」ということで、要するに「どれほど頑張っても無理だ」という意味の言葉である。
だからこの場合、そう言うのは適切ではない。
いくら難関大学の入試問題とはいえ、逆立ちしても無理だということはない。がんばって学力をつければ、問題が解けないということはないのだから。
国立大学。
絶対に無理ということはなかろう、――少なくとも、今はまだ二年生なのだから、それを可能にし得るだけの時間はある。
今まで、勉強をまじめに取り組んでは来なかったが。
僕は、凛の恋人なので。
これからは逆立ち、していくか……。
つまるところ、それこそ――僕ががんばるべき現実だということである。
凛の部屋から自分の家へ戻る道中。
月は雲に翳っており、点々と白い星が浮くものの、概ね空は深い黒。恒星が裏側に行っているので、空はしっとりと闇に覆われているのだ。
対して、僕の頭の中は一面、隈なく、真っ白だった。
急展開過ぎて頭の整理が追い付かず、あまりまともに思考は働かない。それなのに心臓はやけに甲斐甲斐しく働く。さきほどから激しく鼓動を打ち立てていて、血液が加速度的に巡っている。
凛に、好きだと言われた。
自分が思いの告げたのだからお前はどうなのかと問われ、僕も同様の想いだと進言。してやったり、と言いたげな笑顔を向けられてまた抜群にときめいてしまったものである。
その直後、わずかながらの沈黙があって、
「えっと、じゃあつまり、恋人ってことだよね」
――と、凛が言ってきた。
まあ、そうなる。お互いに好意が通じているなら、
でも自分が凛と『恋人となった』と思うと、きわめてむず痒い。もう本当、むずむずとして居心地が悪い。隔靴掻痒である。
なんなら本当に胸の内側が痒くなった。具体的に言えば右側の第三肋骨の裏側辺り。
なんというか、彼女との間柄が『恋人』へと改めると考えると、妙に気恥ずかしい。
――正直、今でも凛は僕にとって『幼馴染』。第一にその認識である。
幼馴染の男女が恋仲へと発展するなんて、そんなのフィクションの中だけものだと思っていた。実際、それをこの身で体現しながらも、……その認識に変わりはない。
そう、そんなのフィクションなのだ。
夢の中の話。現実では、そういうものではない。
現実として言えば、別に、関係性が発展したわけではないのだ。
『幼馴染』から『恋人』への進化ではなく、あくまで関係性はそれまで通りの『幼馴染』であり、そこに、お互いが好意を通じ合わせているという事実が上乗せされたに過ぎないのだ。
そういうわけだから、『恋人となった』という事実を改めて思うと、途端、右側第三肋骨の裏に痒みが生じるのである。
だからまあ、これを機に僕と彼女との距離感が劇的に変わるわけではないだろう。
そもそも家族のように身近な存在だったわけで、恋人同士になったからと言って特別に意識することもないんじゃない? ――とは凛の談。僕も確かにそうだと思った。
――だから、「これから改めてヨロシク」なんて言葉を交わすこともなく、
ただ普通に「じゃあ、おやすみ」とだけ言って、そのまま凛の部屋を出たのだった。
自室に戻り、ふう、と一息ついた。
まだ夜更けというには早いほどの時間だろうか。
せっかく明日も休日だというのに、早寝をするのはもったいない気がしてしまう。それに、さすがに気が昂っているのでこれでは眠れないと思う。
まだベッドに横になるのは早計、ということで椅子に腰を下ろす。
勉強机の椅子である。
そのまま何とはなしに、引き出しを引いた。そこには、見慣れない問題集が入っている。なんだったか、と手に取って表紙の文字を見て、思い出す。入試の過去問題集だ。
凛と行った国立大学のオープンキャンパス、そこでもらったものだ。どうせ自分には不要のものだと思い、ひとまず引き出しにしまい込んだのである。
問題集をじっと眺める。
なぜか唐突に、冴えないクラスメイト、山本耕太郎の言葉が思い出された。
――あれは確か三日前。
放課後に、廊下で遊免と山本に会った。遊免の方はお料理研の取材だとかで一人で行ってしまって、残された山本と話していたのだ。
山本は、同じ新聞部の遊免一佳と交際している。
ただし部活動の中で恋心が育まれたのかというとそうではなく、彼らは中学時代からの恋仲なのだ。
曰く、中学当時、彼はこの高校に入学できるような学力レベルではなかったらしい。ただ、彼女と同じ場所で高校生活を送りたかったがため、必死になって勉強をし、受験に臨んだのだ。そう言っていた。
彼にその話を聞いたときは、恋人と同じ学校に行くために勉強頑張るなんて、不純な動機だなあ、と思った。正直、馬鹿らしいとさえ思ったのだ。
しかし。
…………。
僕が手に持っている問題集は、県内の国立大学のもの。兄の和哉が現在通っている大学だ。
……凛がそのオープンキャンパスへ行ったのはなぜかというと、すでにその大学への進学を心に決めているからである。
ぱらぱらと、分厚い問題集のページをめくり、問題を流し見る。
今の自分の学力では、逆立ちしたって解けないような難問たちに見える。
――ああ、いや、そうではないか。
「逆立ちしても」という言い回しはよく聞くが、それは別に直立か逆立ちかで条件が変わるというわけでなく、「逆立ちするほどの苦労を強いても」ということで、要するに「どれほど頑張っても無理だ」という意味の言葉である。
だからこの場合、そう言うのは適切ではない。
いくら難関大学の入試問題とはいえ、逆立ちしても無理だということはない。がんばって学力をつければ、問題が解けないということはないのだから。
国立大学。
絶対に無理ということはなかろう、――少なくとも、今はまだ二年生なのだから、それを可能にし得るだけの時間はある。
今まで、勉強をまじめに取り組んでは来なかったが。
僕は、凛の恋人なので。
これからは逆立ち、していくか……。
つまるところ、それこそ――僕ががんばるべき現実だということである。
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