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後日談
5月9日(木):図書室にて
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【京一】
遠く、運動部の血気盛んな掛け声が聞こえる。その声は静寂な室内で薄く響きわたっている。心地よいBGMのようだ。
図書室の狭いカウンターの中で、僕は宮本有紗と並んで座っていた。
図書室の利用者は相変わらず少なく、しん、と静まり返っている。
「小智くんさ、」
僕にだけ聞こえるような小さな声で、彼女は話しかけてきた。
「凛ちゃんから聞いたよ、おめでとう」
「お、おお。ありがとう」
「でも、凛ちゃんは恥ずかしがって詳しい話は教えてくれないんだ。ね、どんな感じで付き合うことになったの? なにかきっかけとかあったのかな? ――気になるなあ」
そう言って、無邪気な笑みを見せる宮本。
「どんな感じって……」
晃たちにも聞かれたことだが、ここが難しい。具体的なきっかけ、というのがはっきりとは説明しづらいのだ。
あの一連の、夢のことが原因の一旦となっているだろうか。しかしそんなことを説明するわけにはいかない。
僕が突如として奇妙な夢を見るようになって、そこで手芸部の件や凛の悩みのことなどに際して色々と手を回した……と、そんなことは僕自身しか知り得ないこと。
当然、凛にも言っていない。
まさか、実は僕、毎晩君の夢の中に入っていたんだ……、なんて言えるわけもない。
「まあ成り行きというか、なんというか……。これといった決定的なきっかけはないんだ」
「えー、そうなの? ……ま、お付き合いの馴れ初めなんて聞かれたら恥ずかしいよね」
そう言って潔く身を引く宮本。
察しが良い上に気遣いが出来る、さすがだ。
――そう、彼女はそういう人間なのだ。
「宮本、」
僕は前を向いたまま、彼女に声をかけた。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
僕は一息、間を置いた。
別に緊張しているわけでも、動揺しているわけでもない。気持ちは落ち着いていたが、ただ、理由もなく動悸が逸っていたのだ。
自分の胸の中に湧いた疑念を、確かなものか確認するのに、少し躊躇いがあった。
「……宮本のお父さんって、何してる人?」
あまりに突然の質問に、きょとん、とした顔でこちらを見る宮本。不思議そうにしつつも、彼女は素直に答える。
「お父さんは大学教授だけど。それがどうかしたの?」
「…………」
やっぱり、そうか。
「いや、あのさ。えっと……」
どうかしたの、と聞かれると、なんと答えよう。
僕の考えていた通りだったわけだが、しかしこの場合、彼女にどう確認したらよいのだ……、
と、僕が逡巡していると、宮本はふと気づいたように口を開く。
「――あ、もしかして小智くん、私がキューピーだっていうことに気付いたんだ?」
「…………」
宮本はあっけらかんと言うものだから、逆に僕の方が呆気に取られてしまう。
――やっぱり、そうか。
そのとき、チャイムが鳴る。
図書館の閉館時間である。宮本はすっくと立ちあがり、読書をする数名の生徒に退室を促していった。
読書家たちが退室し終えたのち、僕らは室内に二人きりとなる。
「私のお父さんのこと、どうして知ってたの?」
閑散とした本の森。
広い図書室の中、僕らはカウンター付近で向かい立つ。
「ああ、それは……」
先日の、兄との通話。あのとき兄は言っていた……自らの所属するゼミの教授が、夢について研究をしているのだと。
いつぞや、真田先生も同じことを言っていたのだ。大学時代のゼミの教授が夢について研究していて、それで自分も夢の世界に深く興味を抱いたと。
兄が、教授から聞いたのだと言って聞かせてくれた話が、真田先生が時折語ってきた夢うんちくとまるで同じ内容だった。
兄や先生にそれを流布した大学教授は、同じ人物なのではないかと察した。
僕は、その教授の名前を兄から聞いた。
――宮本教授。
「へえ。小智くんのお兄さんが、今、お父さんのゼミにいるんだ。それは知らなかったな」
そう言う宮本は、実に落ち着いた様子である。
しかし、それだけではまだすべては繋がらない。
実際、兄からゼミの教授の名前を聞いたときは、もしやそれが宮本のお父さんなのでは――とはすぐに思わなかった。とりたてて珍しい苗字ではない。
それを察したのは、ついさきほどのことなのだ。
遊免から、山本との『馴れ初め』を聞いたとき。
「宮本は――、中学のとき、山本と遊免の間を取り持ったんだな。その、夢の中で」
僕がそう言うと、宮本は少し驚いた顔をした。
それからすぐ、そんなことまでよく知ってるね、と、感心するような笑みに変わる。
まあ、普通そんなことは知れるものではない。何よりあのハイテンションな眼鏡っ娘が自分のことも他人のことも割とべらべら喋るから、知り得たことだ。
そういう意味では、交際相手たる山本耕太郎も存外口が軽い。――以前、山本の方からも二人の馴れ初めについて聞いたことがあったのだ。いつかの放課後のこと。
彼も確かに、中学のときに遊免ではなく別の女子が好きだったと言っていた。そのときは、それが宮本有紗であるとは伏せていたわけだが。
文化祭の演劇で、自分は『ロミオ』、相手役の『ジュリエット』を演じるのはクラスメイトの宮本。
主役同士だ、放課後に残って二人きりで練習することなどもあったろう、――そんな、彼女の笑顔を間近で見るような状況で、思春期男子が思いを募らせずにいられるわけはない。それはもう、僕にもよく分かる。
宮本に想いを馳せる日々の中、突如、夢の中に奇妙な小人が現れたらしい。
そこで小人は、その想い人ではなく幼馴染の遊免がいかに素敵な女子かをやたらと語って来たという。
この『馴れ初め』は、遊免と山本、双方の話では見え方が違う。
遊免の話には小人の存在がなかった。
曰く、ある朝突然、初恋の瞬間――幼い頃に山本に抱いたその感情を、ふと思い出したという。おそらく山本は小人の話を遊免にはしていないのだ。……僕が、凛にその話をしていないのと同様に。
二人の話を総合すれば、小人がその二人の間を取り持とうとしたのは明白で、そうしようと考えるのは、……小人がその三角関係の一角を担っている本人だから。
夢について研究をしている『宮本教授』なる人物のことも含めて考えると、宮本が夢の世界に入り込む力を持っていて、そのような行動をしたのではないか――そう察せられたのだ。
『夢の案内人』キューピー……。
その正体は、今、僕の目の前にいる女生徒。僕にそれを暴かれるのが楽しいとばかりに微笑む、宮本有紗なのである。
「父の影響でね。私は昔から『明晰夢の力』を操れたの。夢の中での姿かたちは自由自在。もちろん夢世界の行き来もね」
さらり、と、水を流すような自然な口調で宮本は言う。
「中三のときにね、耕太郎くんが私のことを好いてくれてたんだ。告白されたわけじゃないけど、まあ、私は分かってたの。このヒト私のこと好きだな、って、分かるもの。
好意を持たれるのはもちろん嬉しいけど、でも、だめ。耕太郎くんは一佳ちゃんと付き合うべきだったからさ。
でもその状況で私が表立って二人を応援するとややこしくなるでしょ。
だからね、夢の中で小さな天使に姿を変えて、耕太郎くんを一佳ちゃんの夢世界に連れて行ったの。……幼い頃の心ってほんとうに無垢そのもので、そのときに心を通じ合わせてたっていうのは、それはもう一番きれいな恋なんだよ。
意識の深層世界、夢の中には、その心が詰まってるからね。耕太郎くんを一佳ちゃんの夢に連れてあげれば、大切な一番の恋心を思い出してくれるはず――そう思ったの」
「…………」
幼い頃に心を通じ合わせていたというのが、一番きれいな恋。
ものすごくロマンチックな話だと思うが、宮本はロマンに耽るような感じではなく、もっと明確な、SF映画の設定でも語るかのようなトーンで話している。
すなわち彼女にとって、恋とは、そういう類いのものなのだ。
ヒトとヒトが育む暖かで儚げな想いの結晶、……などといった曖昧なモノではない。いっそ、当然の理屈の上に成り立つような感情作用。宮本は、たぶん、そう考えている。
正直、僕もそれは少し同感。そうであるからこそ、自分の気持ちを自覚できたのだと思う。
宮本は、中学時代の話を続ける。
「ただね、耕太郎くんの夢に出ていったとき、キューピーちゃんっていう名前で、姿も変えていったわけだけどさ。でも、喋り方とかはそのままだったから……。それが私だってことが、耕太郎くんにバレちゃったんだよね。
それから一佳ちゃんががんばってアプローチをかけていってくれて、結果的にうまくいったけど。でも遠回しに耕太郎くんを振ったことにはなるし、危うく余計にこじらせちゃうとこだったよ」
彼女は淡々と言うが、とんでもない話である。
「だから、小智くんのときは趣向を凝らせてみたの。ぜったい私だってバレないように、ちゃんとキャラ作りしてね。
喋り方とかは特徴的なのがいいなと思って、一佳ちゃんとか真田先生みたいなキャラの濃い人を参考にしたの。どお、いい感じだったでしょ?」
ふふん、と自慢げな顔をする。
なるほど、あの二人にどこか小人の面影を感じていたが、そもそもキューピーは二人のモノマネをしていたわけだ。
キューピー、――なるほど、『恋のキューピッド』からきているのだろうか。
「えっと、つまり、僕に凛のことを意識させるために、凛の夢を見せたってこと……?」
「そういうこと。少し遠回りだったかもだけど。でも、うまくいってよかったよ。ただ、他の人たちの夢を介入させたり、凛ちゃんの夢が不調になったり、予想外のことも多かったんだよね。……まあ、何が起こっても、京一くんなら、きっとなんとかしてくれるって信じてたけど」
そう言って彼女は、ふふ、と笑う。
思わず見惚れそうになる。やはり彼女の笑顔は魅力的である。
「でも、勘違いしないでね? 私はあくまできっかけを与えたかっただけだから。私が無理やり君たちを巡り合わせたわけじゃなくて、もともと『付き合うべき二人』の背中を、両サイドから軽く押してあげた、みたいなことだから」
それはやはり山本と遊免のときと同じように、僕と凛の間も取り持ったということだろうか。
いや、ちょっと待てよ、山本と遊免のときと同じ……?
山本は宮本のことが好きだった。彼女はその気持ちを知った上で、遊免との仲を取り持ったのだ。
今回、僕と凛のときもそれと同じだとすると……。
そもそも小人はなぜ僕の夢の中に現れた? その理由はなんだった?
……僕が、夢の中に想い人を登場させ、告白をし、OKさせたうえ、あまつさえキスまで迫るという――不埒な夢を見ていたから。
穢れた夢を見る僕に無垢たる夢世界を見せて、改心させてやるのだとか言って、そのために凛の夢へと毎夜連れて行ったのだ……。
「えっと、宮本。そもそも僕と凛をくっつけようと思ったのってさ……」
「……あ、えっと、……」
彼女はばつが悪そうに頬を掻く。
始めに見たその夢、――登場させた想い人とは宮本のことである。そして、小人の正体は彼女だから、……つまり、あの不埒な夢は本人に見られていたのだ。
「興味本位で京一くんの夢を覗いちゃったんだよね。そしたら、あんな夢を見ているんだもん、びっくりしちゃった。ごめんね。悪いとは思ったんだけど、……えっと、それはホラ、他人が恥ずかしがるトコこそどうしても見たくなっちゃう心理でさ」
彼女はごまかすように言いつつ、そそくさと歩き出した。
「でも、あんな夢を見ている方が悪いですからね。……今度からは覗かれないように、ゆめゆめ、気をつけることだねっ」
くすっと笑ってそう言い、彼女は足早に図書室から出て行った。
いつか見た、不敵な笑顔。
ちょうど一か月前になる。始めに図書委員の当番をした日だ。その日、あの笑顔に魅せられ、僕は彼女に惚れてしまった。
だが、そんな僕の気持ちは彼女に筒抜けだったのだ。
それを知った彼女は、僕の夢の中に登場し、そして凛の夢へ連れて行った。そうして結果的に彼女への想いは凛に向けるようになったのも、凛と付き合うことになったのも、彼女の思惑通りだったのだ。
なんと皮肉なことだろうか。
僕はクラスメイトの宮本に心惹かれたその瞬間、彼女の手によって、幼馴染の凛と結ばれる運命が決定づけられたわけである。
始めから最後まで、宮本有紗の手のひらの上だ。
――やられた、と、思った。
遠く、運動部の血気盛んな掛け声が聞こえる。その声は静寂な室内で薄く響きわたっている。心地よいBGMのようだ。
図書室の狭いカウンターの中で、僕は宮本有紗と並んで座っていた。
図書室の利用者は相変わらず少なく、しん、と静まり返っている。
「小智くんさ、」
僕にだけ聞こえるような小さな声で、彼女は話しかけてきた。
「凛ちゃんから聞いたよ、おめでとう」
「お、おお。ありがとう」
「でも、凛ちゃんは恥ずかしがって詳しい話は教えてくれないんだ。ね、どんな感じで付き合うことになったの? なにかきっかけとかあったのかな? ――気になるなあ」
そう言って、無邪気な笑みを見せる宮本。
「どんな感じって……」
晃たちにも聞かれたことだが、ここが難しい。具体的なきっかけ、というのがはっきりとは説明しづらいのだ。
あの一連の、夢のことが原因の一旦となっているだろうか。しかしそんなことを説明するわけにはいかない。
僕が突如として奇妙な夢を見るようになって、そこで手芸部の件や凛の悩みのことなどに際して色々と手を回した……と、そんなことは僕自身しか知り得ないこと。
当然、凛にも言っていない。
まさか、実は僕、毎晩君の夢の中に入っていたんだ……、なんて言えるわけもない。
「まあ成り行きというか、なんというか……。これといった決定的なきっかけはないんだ」
「えー、そうなの? ……ま、お付き合いの馴れ初めなんて聞かれたら恥ずかしいよね」
そう言って潔く身を引く宮本。
察しが良い上に気遣いが出来る、さすがだ。
――そう、彼女はそういう人間なのだ。
「宮本、」
僕は前を向いたまま、彼女に声をかけた。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
僕は一息、間を置いた。
別に緊張しているわけでも、動揺しているわけでもない。気持ちは落ち着いていたが、ただ、理由もなく動悸が逸っていたのだ。
自分の胸の中に湧いた疑念を、確かなものか確認するのに、少し躊躇いがあった。
「……宮本のお父さんって、何してる人?」
あまりに突然の質問に、きょとん、とした顔でこちらを見る宮本。不思議そうにしつつも、彼女は素直に答える。
「お父さんは大学教授だけど。それがどうかしたの?」
「…………」
やっぱり、そうか。
「いや、あのさ。えっと……」
どうかしたの、と聞かれると、なんと答えよう。
僕の考えていた通りだったわけだが、しかしこの場合、彼女にどう確認したらよいのだ……、
と、僕が逡巡していると、宮本はふと気づいたように口を開く。
「――あ、もしかして小智くん、私がキューピーだっていうことに気付いたんだ?」
「…………」
宮本はあっけらかんと言うものだから、逆に僕の方が呆気に取られてしまう。
――やっぱり、そうか。
そのとき、チャイムが鳴る。
図書館の閉館時間である。宮本はすっくと立ちあがり、読書をする数名の生徒に退室を促していった。
読書家たちが退室し終えたのち、僕らは室内に二人きりとなる。
「私のお父さんのこと、どうして知ってたの?」
閑散とした本の森。
広い図書室の中、僕らはカウンター付近で向かい立つ。
「ああ、それは……」
先日の、兄との通話。あのとき兄は言っていた……自らの所属するゼミの教授が、夢について研究をしているのだと。
いつぞや、真田先生も同じことを言っていたのだ。大学時代のゼミの教授が夢について研究していて、それで自分も夢の世界に深く興味を抱いたと。
兄が、教授から聞いたのだと言って聞かせてくれた話が、真田先生が時折語ってきた夢うんちくとまるで同じ内容だった。
兄や先生にそれを流布した大学教授は、同じ人物なのではないかと察した。
僕は、その教授の名前を兄から聞いた。
――宮本教授。
「へえ。小智くんのお兄さんが、今、お父さんのゼミにいるんだ。それは知らなかったな」
そう言う宮本は、実に落ち着いた様子である。
しかし、それだけではまだすべては繋がらない。
実際、兄からゼミの教授の名前を聞いたときは、もしやそれが宮本のお父さんなのでは――とはすぐに思わなかった。とりたてて珍しい苗字ではない。
それを察したのは、ついさきほどのことなのだ。
遊免から、山本との『馴れ初め』を聞いたとき。
「宮本は――、中学のとき、山本と遊免の間を取り持ったんだな。その、夢の中で」
僕がそう言うと、宮本は少し驚いた顔をした。
それからすぐ、そんなことまでよく知ってるね、と、感心するような笑みに変わる。
まあ、普通そんなことは知れるものではない。何よりあのハイテンションな眼鏡っ娘が自分のことも他人のことも割とべらべら喋るから、知り得たことだ。
そういう意味では、交際相手たる山本耕太郎も存外口が軽い。――以前、山本の方からも二人の馴れ初めについて聞いたことがあったのだ。いつかの放課後のこと。
彼も確かに、中学のときに遊免ではなく別の女子が好きだったと言っていた。そのときは、それが宮本有紗であるとは伏せていたわけだが。
文化祭の演劇で、自分は『ロミオ』、相手役の『ジュリエット』を演じるのはクラスメイトの宮本。
主役同士だ、放課後に残って二人きりで練習することなどもあったろう、――そんな、彼女の笑顔を間近で見るような状況で、思春期男子が思いを募らせずにいられるわけはない。それはもう、僕にもよく分かる。
宮本に想いを馳せる日々の中、突如、夢の中に奇妙な小人が現れたらしい。
そこで小人は、その想い人ではなく幼馴染の遊免がいかに素敵な女子かをやたらと語って来たという。
この『馴れ初め』は、遊免と山本、双方の話では見え方が違う。
遊免の話には小人の存在がなかった。
曰く、ある朝突然、初恋の瞬間――幼い頃に山本に抱いたその感情を、ふと思い出したという。おそらく山本は小人の話を遊免にはしていないのだ。……僕が、凛にその話をしていないのと同様に。
二人の話を総合すれば、小人がその二人の間を取り持とうとしたのは明白で、そうしようと考えるのは、……小人がその三角関係の一角を担っている本人だから。
夢について研究をしている『宮本教授』なる人物のことも含めて考えると、宮本が夢の世界に入り込む力を持っていて、そのような行動をしたのではないか――そう察せられたのだ。
『夢の案内人』キューピー……。
その正体は、今、僕の目の前にいる女生徒。僕にそれを暴かれるのが楽しいとばかりに微笑む、宮本有紗なのである。
「父の影響でね。私は昔から『明晰夢の力』を操れたの。夢の中での姿かたちは自由自在。もちろん夢世界の行き来もね」
さらり、と、水を流すような自然な口調で宮本は言う。
「中三のときにね、耕太郎くんが私のことを好いてくれてたんだ。告白されたわけじゃないけど、まあ、私は分かってたの。このヒト私のこと好きだな、って、分かるもの。
好意を持たれるのはもちろん嬉しいけど、でも、だめ。耕太郎くんは一佳ちゃんと付き合うべきだったからさ。
でもその状況で私が表立って二人を応援するとややこしくなるでしょ。
だからね、夢の中で小さな天使に姿を変えて、耕太郎くんを一佳ちゃんの夢世界に連れて行ったの。……幼い頃の心ってほんとうに無垢そのもので、そのときに心を通じ合わせてたっていうのは、それはもう一番きれいな恋なんだよ。
意識の深層世界、夢の中には、その心が詰まってるからね。耕太郎くんを一佳ちゃんの夢に連れてあげれば、大切な一番の恋心を思い出してくれるはず――そう思ったの」
「…………」
幼い頃に心を通じ合わせていたというのが、一番きれいな恋。
ものすごくロマンチックな話だと思うが、宮本はロマンに耽るような感じではなく、もっと明確な、SF映画の設定でも語るかのようなトーンで話している。
すなわち彼女にとって、恋とは、そういう類いのものなのだ。
ヒトとヒトが育む暖かで儚げな想いの結晶、……などといった曖昧なモノではない。いっそ、当然の理屈の上に成り立つような感情作用。宮本は、たぶん、そう考えている。
正直、僕もそれは少し同感。そうであるからこそ、自分の気持ちを自覚できたのだと思う。
宮本は、中学時代の話を続ける。
「ただね、耕太郎くんの夢に出ていったとき、キューピーちゃんっていう名前で、姿も変えていったわけだけどさ。でも、喋り方とかはそのままだったから……。それが私だってことが、耕太郎くんにバレちゃったんだよね。
それから一佳ちゃんががんばってアプローチをかけていってくれて、結果的にうまくいったけど。でも遠回しに耕太郎くんを振ったことにはなるし、危うく余計にこじらせちゃうとこだったよ」
彼女は淡々と言うが、とんでもない話である。
「だから、小智くんのときは趣向を凝らせてみたの。ぜったい私だってバレないように、ちゃんとキャラ作りしてね。
喋り方とかは特徴的なのがいいなと思って、一佳ちゃんとか真田先生みたいなキャラの濃い人を参考にしたの。どお、いい感じだったでしょ?」
ふふん、と自慢げな顔をする。
なるほど、あの二人にどこか小人の面影を感じていたが、そもそもキューピーは二人のモノマネをしていたわけだ。
キューピー、――なるほど、『恋のキューピッド』からきているのだろうか。
「えっと、つまり、僕に凛のことを意識させるために、凛の夢を見せたってこと……?」
「そういうこと。少し遠回りだったかもだけど。でも、うまくいってよかったよ。ただ、他の人たちの夢を介入させたり、凛ちゃんの夢が不調になったり、予想外のことも多かったんだよね。……まあ、何が起こっても、京一くんなら、きっとなんとかしてくれるって信じてたけど」
そう言って彼女は、ふふ、と笑う。
思わず見惚れそうになる。やはり彼女の笑顔は魅力的である。
「でも、勘違いしないでね? 私はあくまできっかけを与えたかっただけだから。私が無理やり君たちを巡り合わせたわけじゃなくて、もともと『付き合うべき二人』の背中を、両サイドから軽く押してあげた、みたいなことだから」
それはやはり山本と遊免のときと同じように、僕と凛の間も取り持ったということだろうか。
いや、ちょっと待てよ、山本と遊免のときと同じ……?
山本は宮本のことが好きだった。彼女はその気持ちを知った上で、遊免との仲を取り持ったのだ。
今回、僕と凛のときもそれと同じだとすると……。
そもそも小人はなぜ僕の夢の中に現れた? その理由はなんだった?
……僕が、夢の中に想い人を登場させ、告白をし、OKさせたうえ、あまつさえキスまで迫るという――不埒な夢を見ていたから。
穢れた夢を見る僕に無垢たる夢世界を見せて、改心させてやるのだとか言って、そのために凛の夢へと毎夜連れて行ったのだ……。
「えっと、宮本。そもそも僕と凛をくっつけようと思ったのってさ……」
「……あ、えっと、……」
彼女はばつが悪そうに頬を掻く。
始めに見たその夢、――登場させた想い人とは宮本のことである。そして、小人の正体は彼女だから、……つまり、あの不埒な夢は本人に見られていたのだ。
「興味本位で京一くんの夢を覗いちゃったんだよね。そしたら、あんな夢を見ているんだもん、びっくりしちゃった。ごめんね。悪いとは思ったんだけど、……えっと、それはホラ、他人が恥ずかしがるトコこそどうしても見たくなっちゃう心理でさ」
彼女はごまかすように言いつつ、そそくさと歩き出した。
「でも、あんな夢を見ている方が悪いですからね。……今度からは覗かれないように、ゆめゆめ、気をつけることだねっ」
くすっと笑ってそう言い、彼女は足早に図書室から出て行った。
いつか見た、不敵な笑顔。
ちょうど一か月前になる。始めに図書委員の当番をした日だ。その日、あの笑顔に魅せられ、僕は彼女に惚れてしまった。
だが、そんな僕の気持ちは彼女に筒抜けだったのだ。
それを知った彼女は、僕の夢の中に登場し、そして凛の夢へ連れて行った。そうして結果的に彼女への想いは凛に向けるようになったのも、凛と付き合うことになったのも、彼女の思惑通りだったのだ。
なんと皮肉なことだろうか。
僕はクラスメイトの宮本に心惹かれたその瞬間、彼女の手によって、幼馴染の凛と結ばれる運命が決定づけられたわけである。
始めから最後まで、宮本有紗の手のひらの上だ。
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