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シーズン1/第一章
ロームルスの秘剣⑪(一本の通信)
しおりを挟む【マルス街道――ダフニスに向かって歩く、剛太郎とミア】
少女と並んで街道を歩く剛太郎。
少女は元々足を挫いているし、剛太郎の方も体はボロボロだ。二人の足取りは決して軽快ではないが、魔人を倒した今となってはもう脅威となる追手はない。
二人は急ぎながらも、それほど焦っている様子ではない。
剛太郎は少女と並んで歩きつつ、今日の早朝までダフニスにいて、エシリィにも世話になったという話を彼女にしていた。
「あら、そうだったの?」
「ああ。短い間だったけど、あの人が頼もしいことはよくわかったよ」
「そうよね。まだまだ若いし、女性なのに、ロームルス地区では騎士として一番の実力者なのよ。憧れちゃうなあ」
キラキラと瞳を輝かせてそう言うミア。
「森の中の教会で会ったのね。あの教会には私もよく行ってたわ。孤児の女の子が一人暮らしていて。私と同い年の子で、よく遊んでたの」
ジャルダン聖教の教会は孤児院の役割も兼ねていると、エシリィが言っていたのを剛太郎は思い出す。
ただし、魔獣の生息域が広がったせいで、あの教会では住めなくなってしまったのだと。
「まあ、そのコは今ダフニスで暮らしてるから、いつでも会えるんだけど。今は、騎士団があの子の生活の支援をしているの」
「へえ。騎士団って、いいやつらなんだな」
「当然! ブルック騎士団は、皇国民の味方・正義の騎士団だからね」
騎士団に対する全面の信頼の証か、ミアは笑顔でそう言い、また、言葉を続ける。
「なにせ、ブルック騎士団はジャルダン聖教の、中央教会直属の機関だからね。教会お抱えの正義の騎士団なの」
「へえ。そうなのか」
国の中枢にあり、多くの教徒を持つジャルダン聖教。
そして中央教会の下部組織であり、その意思を汲む正義執行機関がブルック騎士団というわけである。
なるほど、と剛太郎は納得した。
そして今、ダフニスに向かっている意義を改めて理解する。そんな騎士団であれば、魔剣を巡るこの騒動も無事に収めてくれるはずだ。
ダフニスまでは、あともう少し。
/
【エルディーン家の屋敷、談話室――】
談話室には、キアルとレオン、そして倒れた兵士が一人……。
アルベルトに足を斬りつけられたレオンを止血するため、玄関ホールからこの談話室へと移動してきていた二人。見張りの兵士がいたが、なんとレオンがあっさりとその兵士を伸してしまった。
「レ、レオンさんっ、足、大丈夫なんですか……?」
キアルによって施されたのはせいぜい簡単な止血の処置だけで、動ける状態ではないはずなのだが、不思議と痛みも何もなく、平然とした様子のレオン。
「ああ。大丈夫。もう治った」
「治った、って……」
「自分でも不思議だけど。いや、これはきっとアレなんだな、想いの力だ」
自身の、目の前の可憐なメイドを想う心が傷を癒したのだ……と、一人納得するレオン。
当の想い人・キアルは、ぽかん、とした顔で彼を見る。
「いや、そんなことはいいんだ。……キアルちゃん、アルベルトのやつに気付かれないうちに、俺たちでなんとかしよう!」
「へっ?」
玄関ホールでは、依然、当主のオズや老執事のミゲランを始めとして他の屋敷の者達が捕らえられている。アルベルト以下、寝返った警備兵たちが彼らを見張っているのだ。
だが、こうしてあの場から抜けられ、監視の目も潰せた二人は自由に動ける。
「――あ、そっ、そうですね! 動ける私たちでなんとか皆さんを助けないと、ですね! ……でも、えっと、どうやって?」
玄関ホールには、アルベルト他兵士たちが十数名。二人でどうにかできるものではない。
「確かに、俺たちだけじゃ、どうにもできないけど。でも、助けを呼ぶことはできる。通信機でダフニスの騎士団駐屯所に連絡を取ろう」
「あっ、そっか! レオンさん、通信機の操作、できますもんね」
「ああ。ミアお嬢様が、剣を持って一人でダフニスに向かったようだけど……さすがに危険だ。俺たちが今ここで通信を送って、騎士団の方からこちらへ向かって来てくれれば、お嬢様を保護してもらえる。そしてそのまま屋敷まで来てもらって、アルベルトたちを逮捕してもらおう」
「はいっ!」
レオンの提案は、この状況を打破する希望の策だった。
キアルは目を輝かせ、力強く頷く。
/
【通信室――】
「レオンさんが通信機を扱えて、ホントによかったです……!」
キアルにそう言われて、じいいん、と喜びで心を震わせるレオン。玄関ホールの方に話し声が漏れないように、囁き声で言われたのもたまらなかった。
通信室には二つの出入り口がある。
廊下と通じる扉と、隣の談話室と通じる扉。
後者の扉があったのは今の二人にとってはきわめて僥倖だった。一度廊下に出ることなく直接通信室に入れるので、アルベルトたちに気付かれずに済む。
通信機は、非常に複雑な機器である。
専門的な知識がなければ操作することはできない。この屋敷で通信機を扱えるのは、当主のオズだけだった。後を継ぐ立場としてミアが目下勉強中だが、彼女が通信機を扱い切れるようになるまでにはまだ時間がかかりそうである。
そんな中で、レオンはかねてよりその技術を持っていた。
そのため彼は、一か月前に雇われたばかりの新人ながら屋敷内では重宝されている。用心深いオズが彼を雇用したのも、(当然、人柄を認められたうえで)通信技術を持っていることが大きく評価されたためだ。
「さあ、バレないうちに通信を終えないと……」
狭い通信室の中は、大きな通信機器がその半分ほどを埋めている。……彼女と身を寄せ合っているこの状況に胸をときめかせている場合ではない、と自身を戒め、通信機の操作に入ろうとするレオン。
そのときだった。
「――あっ、だめ、レオンさん!」
キアルが、小声ながら切羽詰まった様子で言った。
彼女に声をかけられ、レオンもそれに気づいた。――通信室の向こう、廊下の方から足音が聞こえる。
一歩一歩、床を踏むその靴音は踏み出すたびに大きくなっていて、明らかに、この部屋に向かっている。
すでに、廊下側の扉のすぐ前にその人物の気配があった。もう次の瞬間には通信室に入って来る。
レオンは逡巡するも、談話室の方へ戻る余裕はなさそうだと即座に判じ、キアルと共に急いで通信機の後ろに隠れた。
大きな通信機の裏側に回れば、正面から入って来るその人物に姿は見られない筈だ。
ガチャリ、とドアの音がする。
そして、カツカツと床を踏む靴音。
二人は通信機を背に、懸命に息を殺す。キアルと、ぎゅっと体を密着させているこの状態――レオンにとって、本来ならば胸が張り裂けるほどときめくものだが、緊迫した状況の中ではそんな余裕はほとんどなかった。……少しはあった。
逸る鼓動を鎮めようと気を落ち着かせながら、レオンは大きな通信機器の向こうにいる人物の気配に意識を向けた。
その人物は入室後すぐに立ち止まり、通信機を操作し始める。
この屋敷で通信機を扱う技術を持っているのは、自分を除くと当主のオズだけだ。
しかし、この気配から察するにそこにいるのは彼ではない。
そもそも玄関ホールのあの状況で見張りの目を盗んで通信室に来るのは不可能だし、仮にそれができたとして、それならばもっと慌てて機械操作をするはずだ。背後の人物は実に落ち着いた様子である。
……これは誰なのか。
屋敷内の状況を考えれば、思い浮かぶのは一人だけだが。
ものの数分、非常に手早い操作で通信を繋いでしまう。しばらくはザザ、ザザザ……と乱れた音が音響部から漏れていたが、それが次第に落ち着いていく。
魔力念波が安定したのを確認し、その人物はカールコードで本体につながる通話機を手に取って声を発する。
レオンはその声で、そこにいるのが推察していた通りの人物であることを悟った。
……アルベルトだ。
彼は通信機の操作技術を持っていたのか。
それを今まで屋敷の者達にはそれを秘密にしていた。……ということは、おそらく彼は始めから例の剣を手に入れるのを目的としてこの屋敷にやって来たのではないかと察せられる。
屋敷の人間たちのことを身内と思っていないからこそ、手の内を明かさなかったわけである。
しかし、一介の警備兵が通信技術を持っているなど不自然である。
それが重宝される場所などは他にある。
彼は一体何者なのか。疑念が、レオンの胸に靄として巣食う……が、そのもやもやはすぐに解消される。強烈な衝撃を以って。
「こちら、ジャルダン中央教会特務官のアルベルト・マクベルガー。エルディーン邸より通信を送っている。作戦について問題が発生した」
――なんだって!?
レオンは驚きのあまり、危うく声を出しそうになった。
中央教会。アルベルトは確かにそう言った。
それも、『特務官』――。
アルベルトは、ジャルダン聖教の中央教会に所属する人間だったのか。
魔剣を奪おうとしているアルベルトが、ジャルダン聖教会の人間だった……。しかも、『作戦』と言っていた。
まさかこの件は、中央教会が裏で糸を引いていたのか。
すぐには状況を理解できずに混乱するレオンだったが、音響部から発せられた応答の音声が、さらに深い衝撃を彼の頭に刻む。
『こちらブルック騎士団・第三十六師団』
応答したのは、男の声。
ブルック騎士団、第三十六師団……。
それは、ダフニスに駐屯所を置く師団だ。
アルベルトが、ダフニスの騎士団と通信をしている……。
「現状、計画の進捗が芳しくない。当主の娘が剣を持ちだし、逃走している。兵に追わせたが、なにやら青い服を着た男が娘の護衛に就いているらしい」
アルベルトは、通話機に向けて、淡々とした様子で言う。
大きな通信機越しに、密かにそれを聞く執事とメイド。
「ただし、娘はマルス街道を渡り、ダフニスに向かっている。そちらから出迎えてくれ。魔人の傭兵どもも娘を追って出て行ってしまっているので、そちらで、剣と共に魔人の回収も頼みたい。剣が手に入っても魔人がいなければ意味がないのでな」
明らかに、内通している会話である。
混乱していたレオンだったが、冷静になればそれが自然なことであると理解した。
アルベルトがジャルダン聖教の人間ならば……、且つ、この屋敷を占拠して剣を奪わんとしている彼の行いが聖教の指示によるものならば――。
彼がブルック騎士団と通じているのは道理なのだ。
なにせ、騎士団はジャルダン中央教会直属の機関であるから。
『了解した』
短く、返答があった。
通信が終了し、アルベルトはすぐに通信室を出て行った。二人がそこにいることは勘付かれなかったようだ。ひとまずそれは幸いだが、安堵に胸を撫で下ろすような心地にはなれない。
レオンは、キアルと顔を見合わせる。
キアルと、わずかでも首を伸ばせば唇が触れてしまいそうなほどの距離で顔を見合わせているこの状態――レオンにとって、本来ならば胸が張り裂けるほどときめくものだが、衝撃的な事実を耳にしたこの状況では、そんな余裕は全くなくなっていた。
/
【ダフニスの町――】
小さな町ながら、ロームルス地区の中で重要な流通拠点となっているダフニス。
町の中心を突っ切る大通りは、出店なども立ち並び、人の往来も非常に激しい。
そんな大通りを、老婆が一人、片手で杖をついて片手で荷物を持って歩いている。明らかに危険であるが、せかせかと歩いていく人々の目にはその小さな体は目に入りにくい。
そんな中。足早に歩く若者が通り過ぎるとき、老婆の肩を軽く弾いてしまった。よほど急いでいたのか、若者は気付かないまま行ってしまう。
一方、老婆はその衝撃で杖を放してしまい、バランスを崩す。近場の人間が気付く様子がないまま、老婆が地面に倒れ込もうとしていた――。
「おっと、あぶない」
そこへ、桃色の髪の女性が颯爽と手を伸ばし、老婆の体を支える。
「おや、騎士さま。どうもありがとうねえ」
危ないところを助けてくれた恩人に、朗らかな笑顔を向ける老婆。
「礼には及ばない」
対して、騎士――エシリィ・モーカートンは、凛々しい顔でそう返す。
騎士と呼ばれたが、それはあくまで肩書であって、『騎士らしい』格好をしているわけではない。――どちらかと言えば、軍人だ。
黒い軍服のような服。
それが、ブルック騎士団の師団長の制服である。その胸には、盾を模した紋章が掲げられている。
老婆を目的の場所まで送り届けたのち、彼女が向かったのは町の中心に建つ大きな建物。周囲の建物よりも一回り大きいそれは、ブルック騎士団の駐屯所である。
「師団長、おかえりなさいませ」
建物内に入ると、部下らしき男が数人、声をそろえて挨拶をした。師団長であるエシリィは先述のような服装だが、部下たちは軽装の鎧をまとっている。
「また今日も、森の教会へ行かれていたので?」
「ああ。やはり一般人が立ち入れなくなったのであれば、せめて私が祈りに行ってやらねばな。……それに、今日はとても大切な日だ。例の作戦がうまくいくよう、神に祈っていた。アイツは少々驕りが過ぎるからな。心配だ」
「あ、そのことなのですが……」
「なんだ?」
「ついさきほど、所に通信が入りまして」
「通信?」
エシリィは、所の奥の部屋行こうとしていた足をピタリと止め、部下に向き直る。
「アルベルトからか?」
「はい。エルディーン邸の通信機から」
「ほう。剣が手に入ったという報告か?」
「いえ、それが……」
言いづらそうに間を置いてから、部下は続ける。
「現状、まだ剣は手に入れられていないと。それどころか、当主の娘が逃れ、剣を持ちだしてしまったようです。剣を持ち、街道に入ったのを、兵が追っていったのですが、……なにやら『青い服を着た男』に返り討ちにあったとかで……」
「青い服の男……」
エシリィと、その報告を告げる部下にも、それについて思い当たる人物がいた。
昨晩、魔獣の群れから町を守ってくれたあの男だ。
つい今朝この町を出て、パンドラに向かって街道を歩いて行ったので、彼がその場面に遭遇するのも自然だし、――勇敢な彼が兵士に追われる少女を助けようとするのもまた、自然である。
「現在、娘は彼と共にこちらへ向かっているようです」
「なるほど。……そうなってしまっては、致し方ないな」
剣を持って、こちらの方へ向かっている。
おそらく当主の娘は、屋敷を占拠するアルベルトたちを逮捕してもらおうと、騎士団に頼るべくこちらに向かっているのだろう。一般的な皇国民の観念として、そう考えるのは当然だ。
だが、それは明らかな失策である。
わざわざ、エルディーン家の令嬢や、また彼女に同行しているであろう『彼』は、知る由もない。――屋敷を襲った警備兵長は、実は教会所属の特務官であり、
そして助けを求め向かっている騎士団は、かの警備兵長と通じている。
魔剣を求むるは、中央教会の意志なのである――。
「アルベルトめ。情けないやつだ」
呆れるようにそう言うと、エシリィは凛とした顔つきで踵を返す。
「ともかく、お嬢さんがあの男と共にこちらに向かって来ているのなら、私たちが迎えてやろうじゃないか。我々はあの魔剣を手に入れなければならない。……大義のために」
後半、独り言のように小さく言いつつ、彼女は駐屯所の出口へとすでに歩き出していた。
「往くぞ」
部下たちはびしっと敬礼をし、いそいそと動き始めた。
指示をしたエシリィの表情に色はない。
笑顔ではないが、逆に怒気を含んでいるわけでもない。ただ、淡々とした無表情である。
騎士団一行は町の大通りを突っ切って、そのまま森の中のマルス街道に入っていった――。
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