【短編】猫の哲学

喜太郎

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「また本読んでる。暗いやつ」

 休み時間。どこかから、そんな声が聞こえた。


 今期の席替えはほんとうに運がわるかった。
 最前列は、目立ちすぎる。
 後ろの方の席なら、休み時間にこうして本の世界に入り浸っていたって、目につくことはなかったと思うのに。


 教室の後ろの方から聞こえたから、誰が言ったのか、はっきりとは分からなかった。
 でも、誰のことを言ったのかは、はっきりと分かる。

 自分のことを噂してる。

 それを察したとたん、胸がヒヤリとする。頭から血の気が引いて、身がこわばる。
 たちまち、ぐにゃり、と視界がゆがんで、紙のうえの文字をうまく追えなくなった。たてに並ぶ文字の一つ一つがばらばらになって、文章が頭に入ってこない。


 でも、本から目をはなさない。

 わたしのことを言っているなんて、そんなの気づいてない――そういうふりをする。



 算数の授業で、宿題プリントの回収がおこなわれた。
 わたしはそれを、わすれてきてしまっていた。きのう、やっておいたのに、机のうえにおいたままにしてしまったのだ。

 わたしが教卓の方へよばれて、先生におこられていると、教室内でくすくすと小さなわらい声がおこった。
 わたしはダメなやつだ。こういうことにならないよう、わすれものには気をつけようといつも意識しているのに。

 細い針で背中をちくちくと刺すように、後ろから、視線とわらい声を感じる。
 その様子はわたしには見えないけれど、むしろ見えない方がよい光景だと思う。




 家に帰ると、すぐに階段をあがって、自室に入る。
 ランドセルをぽいと投げ置いて、そのままベッドに前のめりにたおれこむ。ぼふんと、身をしずめて、声にならない声を出す。


 このまましばらく動かないでいたい。
 でも、顔を布団にうずめていると、息が苦しくなってくる。まあ、でも、ほんとうに息が苦しい方が、まだマシなのだ。
 どんより重い感情が胸の中にたまってしまったときの方が、もっと苦しい。


 とはいっても、呼吸はしないといけないので、体勢はそのままでずりずりと顔を横にむけた。

 そこで、鏡と目が合う。

 部屋のまんなかに置いた丸テーブル、そのうえに立っている卓上ミラーだ。朝、身支度をしているときにつかって、立てたままになっていたのだ。


 鏡を見ると、とたん、イヤな気分になった。

 わたしは鏡がきらいなのだ。
 なぜなら自分がきらいだから。


 卓上ミラーをつかったあと、立てたままにしておくと、こうして学校から帰ったあとにそれを見てしまうことになる。
 だから、つかったあとはすぐに伏せておくようにしようといつも意識しているのに、つい、わすれてしまう。

 まったく、自分がイヤになる。

 わたしは手をのばして、ミラーを伏せた。


        /


 体育はきらいだ。

 すわって勉強をする授業なら、ただじっとおとなしくしていればいいだけ。問題をまちがえて、わらわれることはあるけど、毎回じゃない。
 でも体育は、わらわれたり、いやな顔をされたり……毎回それがある。


 女子はバレーボール。
 わたしと同じチームになった子たちが、まず、いやそうな顔をする。はーあ、負けたわ、なんて言ってにらんでくる。
 わたしはひどく、みじめな気持ちになった。
 でもかわいそうなのはあの子たちなのだ。トロくさくてまともに動けないわたしがチームにいたのでは、たしかに、負けはきまりだ。


 つっ立っていると、はげしく、どなられた。
 ボールがわたしの目の前の床におちて、笛が鳴って、そのあと、同じチームの子たちの舌打ちが鳴る。


 体育館の横の壁、二階通路の下あたりについている時計……その針が、ぐるん、と回ってくれやしないかと思う。
 早く、この時間がおわってほしいと願う。

 そういえば、あの二階のせまい通路は『キャットウォーク』なんてよぶと聞いたことがある。猫のとおりみち。ああいう高いところにあるほそい道を、悠々ゆうゆうとあるく猫のすがたが目にうかぶ。
 わたしもそんな、自由な生き方をしてみたい。


 わたしの近くにボールがきた。
 こんどは舌打ちされたくなくて、ひっしになって取りにいく。でも、このわたしがそんなにうまく動けるはずはなかった。

 足をもたつかせて、バランスをくずしてたおれこんでしまう。
 そのとき、となりにいた女子と肩がぶつかってしまった。

 体育館のつめたい床にたおれたわたしのことを、もっとつめたそうな目でじっと見下ろす女子。その子は、いつもクラスの中心にいてたくさんの友達に囲まれてる、声の大きな子。


 あわてて立ちあがって、あやまった。
 舌打ちすらも返されず、無言で顔をそむけられる。わたしが当たった肩のところを、きたなそうに、手ではらっていた。




 ごうもんのような体育の時間がおわって、そのあと、給食の時間。
 だいたいの子はちかくの席の子とお話ししながら食べているけど、わたしは、もちろんそんなことしない。できない。一人で、もくもくと食べている。


「アレってさ、ほんとイヤだよねー」

 少しはなれた席から、ふと、そんな言葉がきこえた。
 女子の、大きな声。
 さっきの体育でわたしがぶつかってしまった子だ。


「うん、ほんと無理だわ、アレ!」
「きもいよねー」


 近くの子と、何かの話でもちあがっているようだ。
 アレ、って、何かを指す代名詞をつかって、お話しをしている。あはは、と楽しそうな笑い声がわく。


 もし、わたしのことをわるく言うのであれば、はっきりと名前を出して言われるか、それとも何か分かりやすいあだ名をつけて言われたりする。
 だから、今、聞こえてくるのはわたしの悪口ではなさそうだ。
 それが分かると、ようやく、食べ物がのどをとおる。


        /


 つぎの日。

 休み時間のことだった。
 外へあそびに行く子たちや、教室にのこってお話をする子たち、それぞれ、何人かでグループになっているけど、わたしは一人だ。
 一人で、席についたまま、ただじっとつぎの授業が始まるのをまっていた。

 そんな中、うしろから話し声がきこえてきた。


「ねえ。アレ……」

「ああ。また一人でいるじゃん。さっみしー」

「ていうかさ、みんなにプリント配っておいてって言われたんだけど。……アレにも、わたさなきゃ」

「うわ。ちょーヤダじゃん。きもいからアレに近づきたくないよね」

「ホント。……もうこれでいいや」


 そんな声。

 後ろの方の席であつまって話していた子たちだ。
 ……なにか言っているけど、それが何のことなのかよくわからない。でもどうしても気になって、そっちのほうに意識をむけてしまう。

 すると、くしゃくしゃ、と紙を丸める音がした。
 そして、そのあと、わたしの頭になにかがポンと当たる。


「あははっ、めいちゅう!」


 直後、楽しそうにわらう声。

 わたしの頭に当たったなにかが、床にころころと転がる。
 丸めた紙だ。
 そのあと、すぐにその子たちは教室を出て行ったので、わたしはその紙をひろって、広げてみた。


 児童会のアンケート用紙だった。
 ああ、そうか。さっき、後ろの方で話していた子。その中の一人に、児童会に入っている子がいた。自分のクラスで配っておくように言われていたんだろう。

 …………。

 しわだらけになった紙を見つめながら、さっきの子たちの言葉をおもいだす。

 くらくて、おもたい気持ちがわいてくる。
 わたしの心も、手に持つこの紙とおなじく、くしゃくしゃになっていた。


        /


 またつぎの日。
 給食のあと、そうじの時間だ。わたしは、教室のそうじの当番グループだった。

 教室の床をほうきではらうために、まずは机をぜんぶうしろの方にはこぶ。


「あ、これ、ソレの机じゃん」

 一人の女子が、とある机を運ぼうとしたとき、そう言ってためらった。

「置いときなよ」

 別の子にそう言われて、彼女は運ぶのをやめる。


 わたしは、一つ残された自分の机を運んだ。




 頭があまりよくないわたしでも、みんながわたしのことをアレとかソレとかでよんでいるんだと、気付いた。
 今まで、へんなあだ名をつけられたことはたくさんあったけど、そんな風によばれるのは初めて。ひどいあだ名でよばれるよりも、もっと、ぞんざいな扱いをされている気になる。


 きゅっと、心ぞうが苦しくなる。


 家に帰って、一人で夜をすごす。
 今日は、おかあさんはいない。
 でも昨日は会ったっけ。
 一昨日に会ったきり?
 ううん、一昨日も会ったか、覚えてない。もうずっと、長居こと顔を見ていない、顔を見られていない……ような気がする。


 自分の部屋に行って、ぼすん、とベッドに体をうずめる。


 顔をよこにむけると、卓上ミラーがある。
 やっぱり、朝、伏せておくのを忘れていたんだ。わたしはほんとうに、だめな子だ。

 鏡の向こうの自分と、目が合う。

 ふしぎだ。

 今まで、自分の顔を見るのがひどくきらいだったのに。
 今、鏡を見ても、あんまりイヤなく気分にならない。

 自分の顔が好きになったなんて、そんなわけはない。ただ、なんだか、自分の顔がイヤだと思わない。


 ……そんなのもう、どうでもいいような気がした。
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