お疲れ様でした。これからの時間は私がいただきます。

沐猫

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隠された心

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 オルティスに「キスしたい」と言われ、拒否したあの日から――
 アルヴェリオはずっと、心の奥でひっかかりを覚えていた。
 自分にはその気はないし、相手が気にしていないならそれでいいと思っていた。
 だが、オルティスはまるで何もなかったかのように振る舞う。それが逆に、胸の奥をざらつかせた。

 そんな折、地方貴族が神子に危害を加えようと企てているという情報が入った。
 神子に関わる事案はすべてオルティスが取りまとめている。報告を避けるわけにはいかない。

 「いまだにトオルのこと、どうにかしようと思ってるやついるんだよな。脳内お花畑なやつが。
  ……気まずいとか言ってる場合じゃないんだよな、はぁ」

 アルヴェリオはぼそりと呟き、大聖堂へ向かった。

 執務室の扉を開けると、オルティスは変わらぬ穏やかな表情で迎え入れる。
 報告を聞き終えた彼は、静かに言った。

 「ウィルフレッドに伝えておきます。
  エスターライヒ家は代々女神の恩恵を受ける一族で、神子の守護も担っています。
  彼らが動けば、王家も介入するでしょう。……地方貴族は終わりですよ」

 冷静な判断。淡々とした声。そのどれもが、いつも通りのオルティスだった。
 だが、以前のようにお茶に誘われることはなかった。

 「……何か他にありましたか?」

 オルティスが穏やかに尋ねる。

 「……いや、ない」

 そう答えて、アルヴェリオは部屋を出た。


 扉が閉まる音が静かに響き、部屋に再び静寂が戻る。
 オルティスはしばらく机の上の書類を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。

 「……少々、事務的すぎたでしょうか。
  けれど、私から踏み込みすぎるのもどうかと思ったのです」

 自嘲めいた笑みが唇の端に浮かぶ。

 「……お茶、誘って欲しそうに見えたのは私の願望でしょうか。
  無くならない書類の山に感謝する日が来るとは思いませんでした。
  あなたは、私にいろんな感情を植え付ける……本当に、困った人」

 ペン先がわずかに震えた。
 それでもオルティスは何事もなかったように、再び書類へと視線を落とした。


 数日後、街では妙な噂が出回っていた。
 ――司教に恋人ができたらしい。相手は貴族の令嬢で、親密そうな二人が個室の礼拝堂に入る姿を見た者がいるという。

 「……は?」

 アルヴェリオは思わず聞き返したが、噂を運んできた情報屋仲間は肩をすくめるだけだった。
 どうせ根拠の薄い流言だ。だが、オルティスの顔が頭に浮かび、アルヴェリオは舌打ちした。

 (……あいつ、誰にでも優しい顔してそうだからな)

 真相などどうでもいいはずなのに、胸の奥に、わずかなざらつきが残った。
 お茶会のことも、噂のことも、どうしてかオルティスの顔が頭から離れない。

 けれど、オルティスは何一つ気にしている様子がない。
 自分ばかり意識しているようで滑稽だと、アルヴェリオは思い直す。

 ――もういい、全部忘れよう。
 そう決めて、胸の奥に残ったモヤモヤもまとめて頭の片隅に追いやった。


 そんな時、トオルから呼び出しの伝令が届いた。
 聖堂内の人が少ない庭園で話をしたいという。
 「トオルの部屋で話すとウィルが怒るから」――らしい。

 「トオルから呼ばれるなんて珍しいな。どうした?」
 「うん、スピネルのことでちょっと相談があって」

 トオルの守護獣、スピネル。白銀の狼で、翼と四本の尾を持つ神獣。
 その大きさはトオルよりもはるかに大きく、普段は身体を小さくしている。

 「スピネルが最近、人型に変化しようとしてるみたいなんだけど、うまくいかないみたいでね」
 「守護獣がか? なんでまた」
 「スピネルが言うには、アルヴェリオみたいに人の中に紛れてた方が色々都合がいいんだって」
 「……いや、俺のは変化じゃないけどな」

 アルヴェリオは苦笑しながら、少しだけ目を逸らした。視線を逸らした先にスピネルがこちらを窺うようにちょこんと座っていた。小さいと丸々していて可愛らしい。

 「……見てやるから、来いよ」

 スピネルがトオルの足もとに座り込み、目を閉じて集中した。
 白銀の光がふわりと立ちのぼり、形が変わる。
 だが次の瞬間――尻尾がばさりと現れ、光が弾けて消えた。

 「う、うまくいかない……」
 「焦るな。お前、力を溜めすぎてるんだろ」

 アルヴェリオが肩をすくめると、スピネルはもう一度深呼吸して、再び光に包まれた。
 何度か変化を試しているうちに、ウィルフレッドがやってきて、トオルを連れ去っていった。
 子守は任せたってか。

 そして今度は形が安定し、光が静かにおさまる。

 そこに立っていたのは――トオルの姿をしたスピネルだった。
 髪の色こそ淡く銀を残しているが、表情も仕草も驚くほど似ている。

 「……おお。成功したじゃねえか」
 「ほんと? ちゃんとトオルに見える?」
 「見える見える。あいつ本人より素直そうなくらいだ」

 スピネルはぱっと顔を輝かせ、
 嬉しそうにアルヴェリオへ駆け寄り――そのまま勢いよく抱きついた。

 「やった! アルヴェリオに褒められた!」

 嬉しさのあまり抱きついたスピネルに、アルヴェリオが苦笑していると、背後から柔らかな声が響いた。

 「……ずいぶん仲が良いのですね」

 その声に、アルヴェリオがはっと振り向く。
 そこには、いつもの穏やかな笑みを張り付けたオルティスが立っていた。
 周りの温度がなぜか下がったような気がした。

 「オ、オルティス……っ」

 何か言いかけたが、オルティスはそれ以上言葉を続けず、
 「失礼、邪魔をしました」とだけ残して、静かに廊下の奥へと歩き去っていった。

 残された二人の間に、沈黙が落ちる。

 「ねえアルヴェリオ……今の、怒ってた?」
 「……知らねぇよ」

 空を仰いだアルヴェリオの胸の中に、さっきまでの穏やかな光景が、急に重たく淀んで見えた。
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