お疲れ様でした。これからの時間は私がいただきます。

沐猫

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消散する残り香

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 アルヴェリオの指先がホワイトアッシュの髪を撫でるたび、オルティスの表情が和らいでいく。

 「……そうでもないですよ?」

 顔を上げたその瞳には、わずかに悪戯っぽさが宿っていた。

 「あなたに弱みを見せて、離れにくくしてるだけですから」
 「……ったく」

 苦笑しながらも撫でる手を止めないアルヴェリオ。
 その掌の下で、オルティスは妙に誇らしげに目を細めていた。


 「……はあ、キスしたい」

 唐突に耳に入ったその一言に、アルヴェリオは一瞬固まる。

 「寝言は寝て言え。なんでそうなるんだよ」
 「あなたが魅力的だからと、以前お伝えしたではありませんか」

 オルティスは軽く微笑んで、腰に額を預ける。

 「あなたとのお茶会、とても心休まる時間なんです。
  さらに惹かれても、おかしくないでしょ?」
 「……俺にそういうつもりはない」
 「ええ、知ってますよ」

 穏やかな声の奥に、わずかな熱が混じる。

 「そして私を突き放さないことも。あなたはとても優しい人ですから。その優しさに、つけ込むつもりですよ」
 「そこまで言われて、はいそうですか、となるわけがないだろ」

 オルティスは顔を上げ、唇の端をわずかにつり上げた。

 「……いいえ? あなたはまだ理解していないだけです」

 その声音は穏やかで、けれど妙に甘く耳に残る。

 「寝顔も、眼鏡を外した姿も――あなたにしか見せていません。
  私の“秘密の顔”を二つも知っておいて、特別じゃないなんて……言わせませんから」

 アルヴェリオは息を呑み、言葉を失った。
 すぐそばで微笑むオルティスの瞳は、神に仕えるものではなく、誰かを確かに求めている人間のそれだった。


 「……やめろ。俺は、そういう人間じゃない」

 低く押し殺した声が、部屋の空気を切り裂いた。
 オルティスは一瞬だけ瞬きをしてから、静かに手を離した。

 「……失礼しました」

 彼は机の上に置いてあった眼鏡を手に取り、何事もなかったかのようにかけ直す。

 「変な空気にしてしまって、すみません。……口直しにお茶でもどうです?」

 先ほどまでの熱が嘘のように、声も表情も穏やかで司教らしい顔に戻っていた。そして立ち上がり、お茶の準備をし始める。

 アルヴェリオは言葉を失い、ただその横顔を見つめる。

 「……なんで、そんな平然として見せる」
 「そうですね。表情を隠すのは得意ですし、私はあなたを苦しめたいわけではありませんから」

 オルティスは湯を注ぎながら、ちらりと彼を見やる。
 その瞳には、ほんの一瞬だけ寂しさが滲んだ。

 「……お前は、それでいいのか」
 「よくはありませんよ。けれど、性急すぎたとも思います」

 微笑みながら、しかしどこか遠くを見ている。

 「……今日は疲れていたということで、見逃してください。
  お茶友がいなくなるのは寂しいですから」

 オルティスはカップを二つ、机に置いた。
 アルヴェリオはしばらく迷ったあと、立ち尽くしたまま視線を落とす。
 オルティスは彼を置いて、自分だけ先に席に着いた。

 「毒なんて入ってませんよ。
  もうしませんから。どうぞ――飲んでください」

 ふっと笑って、軽く首をかしげる。

 「それとも、飲まずに帰られてしまうのですか?」

 アルヴェリオは小さく息を吐き、
 「……もらう」と呟いて向かいの椅子に腰を下ろした。

 「はい。暖かいうちにどうぞ」

 カップの縁から上がる湯気が、二人の間に溶けていく。
 けれどその香りの奥に、言葉にできない熱だけが残っていた。
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