呉宮史桜の優雅な放課後

詩央

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Case.03【盛夏の潮騒】

day2.2─波間の影─

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 宿に荷物を置き、着替えを済ませた頃には、空はもう真っ青に澄み渡っていた。
 波の音が絶え間なく響き、遠くで子どもたちの歓声が弾ける。
 夏休み初日、海はまさに最高の形で迎えてくれた。

「よーし、来たぞ海ーっ!」
 文子が両手を広げ、波打ち際に駆け出していく。
 京香も笑いながらそのあとを追う。
 そんな二人を見送って、絢葉は日差しに目を細めた。

 白い水着の上にパーカーを羽織り、帽子を押さえながら周囲を見渡す。
 すぐそばでは奏汰が私服のまま、パラソルを立て、クーラーボックスを置いていた。

「……天野先輩、入らないんですか?」
「オレはいい。焼けるだけだし」
「せっかく来たのに」
「お前らが楽しむ為に来たんだろ。オレはどうでもいい」
 奏汰は短く言い捨て、パラソルの影に腰を下ろす。
 サングラスまで掛けている様子が、どこか“付き添いの保護者”のようだった。

「……なんだかんだ言って優しいよね」
 京香がこっそり囁くと、文子がニヤリと笑う。
「ツンデレだねぇ」
 その言葉が聞こえたのかどうか、奏汰は軽くため息をついた。

 絢葉は苦笑しつつも、砂浜に足を踏み出した。
 きめ細かな白い砂が指の間からこぼれ、足の裏が熱を帯びる。
 潮風が髪を撫で、遠くの水平線がきらめいていた。
 波打ち際では、京香と文子が浮き輪を抱えてはしゃいでいる。
 その光景に、絢葉の口元にも自然と笑みが浮かび、彼女は波の中へと足を踏み入れた。
 冷たい水が足首を包み、太陽の熱を和らげる。
 京香と文子の笑い声、飛び散る水しぶき。
 夏の海は、どこまでも眩しく、そして自由だった。


 ────


 しばらく遊んだあと、三人は砂浜に戻り、パラソルの下で休憩を取ることにした。
「わたし、飲み物買ってくるね」
「ありがとー! カルピスソーダお願い!」
「私はスポドリー!」
 絢葉は頷き、財布を手に立ち上がる。
 その背中に、奏汰の視線が一瞬だけ向いたが、彼はすぐにサングラス越しに目を伏せた。

 海の家へ向かう途中、浜辺の一角で二人組の男が声を掛けてきた。
「ねぇお姉さん、今ひとり?」
「どっから来たの? 一緒に泳がない?」
 軽い笑い声。
 絢葉は立ち止まり、反射的に肩をすくめた。
 中学生のときの、嫌な記憶が脳裏をよぎる。
 声を出そうとしても、喉が固まって動かない。

 次の瞬間、背後から伸びた手が、男の腕を掴んでいた。
「……おい。ウチの連れなんだけど」

 低く、冷えた声。
 奏汰だった。
 サングラスを外し、静かに男を睨む。

「なんだぁお前、ヒーロー気取りか?」
「痛い目見てぇのか?」
 男の一人が胸ぐらを掴みかけた瞬間、奏汰の腕が滑らかに動いた。
 相手の腕を背中側にねじ上げる──鋭い痛みと共に、男が呻き声を上げた。
 浜辺のざわめきの中、静かに響く奏汰の声。
「お望み通り、痛い目見れたな?」

 もう一人の男が顔をしかめ、「ちっ」と舌打ちをして退いた。
 二人はそのまま足早に去っていく。

 残された絢葉は、胸を押さえながら小さく息をついた。
「……ありがとう、ございます」
 奏汰は短く「別に」とだけ言って、踵を返す。

 そこへ京香と文子が駆け寄ってきた。
「絢葉! 大丈夫だった!?」
「ごめん、一人で行かせちゃって!」
「ううん、平気。天野先輩が助けてくれたから」
 二人は安堵の息をつき、奏汰の方を見た。
 彼はパラソルの影に戻り、黙ってペットボトルの水を口にしていた。


 ────


 昼時。
 四人は海の家のテーブル席に並び、焼きそばとカレーの香りに包まれていた。
 潮風に混じって漂うソースの匂いが、夏の空気をより濃くする。

 隣の席から、若い男性客の会話が聞こえてきた。
「今年もまた“出た”らしいぜ」
「マジで? あの“足跡”のやつ?」
「そうそう。夜の浜辺に、光る足跡がずっと続いてんだと。明け方には消えてるらしい」
「うわ、怖っ。……来年から別の海にしようかな」

 京香が、目を丸くして隣の文子を見る。
 そして、ちょうどそのタイミングで料理を運んできた海の家の主人に声を掛けた。
「すみません、“光る足跡”ってなんですか?」
「あぁ、それかい」
 主人は皿を置きながら、少しだけ顔をしかめる。
「もう何年も前から言われててね。夜になると、浜の端っこに子どもくらいのサイズの足跡が現れるんだ。文字通り光ってて、朝方には足跡ごと消えてる。……何年か前にこの海で亡くなった女の子の霊なんじゃないかって噂さ」

 文子が興味津々で身を乗り出す。
「えー、なにそれ超気になる!」
「面白そう!」と京香も目を輝かせる。
「ねぇ、今夜花火するじゃん? その時ちょっと見てみようよ!」
「えぇ~……やめといた方が良くない?」
 絢葉は困ったように眉を下げるが、二人の勢いは止まらない。
 助けを求めるように隣の奏汰へ目をやるが、奏汰はというと、箸を止め、静かにため息をついた。

「……好きにしろ。ただし、オレは知らねぇからな」

 海風が吹き抜け、テーブルの上の紙ナプキンをさらっていった。
 夏の太陽はまだ高く、けれどどこか──遠くの波の向こうに、
 小さな影が揺れているように思えた。
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