十月は黄昏の銀河帝国

沙月Q

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第二章

1.ミラーグラスの女

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 銀河帝国に首府はない。
 
 時の銀河皇帝が、直轄領や出身惑星を首都や帝都と定めることはあったが、そこに政府省庁や行政機関が集中して存在しているわけではなく、あくまで名目上の首府であった。
 しかし、帝国の重要機関や施設が集中して存在する中心的都市惑星は存在した。
 
 その一つが、惑星〈ときいち〉である。

 〈刻の市〉の惑星本体は、いわゆるMクラス(地球型)惑星よりもはるかに小さい、ほとんど岩塊に過ぎない小惑星だった。
 が、そのすぐそばの軌道上に咲いている星百合スターリリィは惑星本体に匹敵するほど巨大で、それが開くスターゲートの先にはおびただしい数の星域につながる超空間路リリィウエイが存在していた。
 帝国はこの星間交通の要衝に、行政と産業の一大拠点を築いた。
 中心となる岩塊惑星に透明なシールドで覆われた球状都市をいくつも接続し、巨大な人工都市惑星を造ったのである。
 球状都市はそれぞれ独立した重力導線系を備えており、ヴィラスチールとメタグラス製パイプで繋がった集合体の外縁部ほど帝国の重要な組織、機関を擁するものとなっていた。

 その最外縁部に位置する球状都市の一つ……
 さらにその最上層にある高級複合施設ハイコンプレックスの広大なエントランスに一人の女が現れた。
 濃いグリーンのタイトドレスに身を包んだ長身の上で、つばの広い帽子がミラーグラスとともに目元を隠している。一見しただけでは銀河系のどの種族の者か判断出来ないが、優雅な歩みは限りなく高位の出自を感じさせた。
 その姿は魅力的でありながら、深い詮索は禁物であるという無言のメッセージにも見えたりした。
 それゆえ、女とすれ違い、また視界の隅に捉えた者たちは皆、魅かれながらもその印象をすぐさま脳裏から消去しようと努力した。
 そんな気遣いと無縁なのは、施設のセキュリティ・ドロメックだけだった。
 冷たい機械の目で女を追うドロメックは、女がそこにいて問題ない存在であるという事実だけを、保安管理システムに送り続けた。
 
 公家の貴族、元老院議員、高級官僚だけが利用出来るこの施設は、オープンな会議だけでなく秘密裏の会合にも最適な場所だった。外部からの侵入はおろか、いかなる監視盗聴も不可能なプライバシーが完全に保証されており、すべての来訪者はその姿形だけでなく生体情報まであらかじめセキュリティ・システムに登録しておく義務があるのだ。
 システムが何も警報を発しないということは、女が正式に館内へ招待されている人物であることを示していた。

 女は真っ直ぐリパルシング・リフトの待機コーナーに向かい、上層階への直通リフトに乗った。
 ほとんどのパブリックスペースが透明な壁に囲まれているこの施設で、透明なチューブの中を飛ぶリフトに乗った女は、生身のまま宇宙を飛んでいるように見えた。
 やがてリフトは乳白色のメタグラスに包まれた上層エリアに入り、女は目的のフロアで降りた。
 一歩、フロアに足を踏み入れた女はミラーグラス越しにあたりを見渡すと、そのままリフトに舞い戻り、エントランスへと降下していった。
 再びエントランスに立った女は、ロビーに浮かぶ館内専用の通話機ユニフォンを招き寄せ、一つの部屋を呼び出した。
「フロアに待機しているバンシャザムを、一分以内に全員退去させてください。でなければ、私はこのまま帰る」
 女は返事を待たずに通話を切り、数秒待ってから再びリフトに乗って上を目指した。
 先ほどと同じようにリフトを降りると、つい今まで何者かが動いていて起きた空気の揺らぎが感じられた。
 だが、ミラーグラスのセンサーはもはや何も危険な兆候を察知していない。
 撤収はギリギリ間に合ったわけだ。

 目的の部屋である貴賓ラウンジでは、三人の男が可変クッションに身をあずけ、中空に浮かんだセキュリティシステムのモニタ映像を見ていた。
 映像が消え去り、三人は来客の方を見て「ほおっ……」と感嘆の吐息を漏らした。部屋に入ってきた人間は、今まで映像で監視していた女とは似ても似つかない姿だったのだ。
 そこに立っていたのは、黒い詰襟のスーツを着た銀髪の男だった。
 映像と変化のない部分と言えば、目元を隠すミラーグラスだけである。
「さすがですな。あなたがたの意識系偽装術マインドマスクのことは聞いてましたが、ドロメックの生体センサーまで欺くことが出来るとは……」
 三人の真ん中に座す、でっぷりと太った毛深い男が言った。
 ドウ=ナ・ヴィンヌジャール卿。東南星域で最も裕福な公家ヴィンヌジャール一族の当主であり、元老院議員だ。一帯の公家連を取りまとめる「顔」でもある。
 その左側で神経質そうに身じろぎする痩せぎすの男はソバン・カンテイル。
 ユーナシアン独特の青白い無毛の頭に複雑なタトゥーを入れた、星間航路開拓公社の高級理事である。
 そして、右端にタイ=ラン・ルージィ。
 どうだ? 諜報局と共謀して銀河皇帝を罠にはめた自分がいるのは意外だろう? とでも言いたげな薄笑いを浮かべている。
 ヴィンヌジャール卿が軽く手を振ると、部屋の隅から可変クッションが来客の前へと漂ってきた。
 ミラーグラスのセンサーがそこに何も危険がないことを一瞬で読み取り、ネープ一四一はゆっくりとクッションに腰を下ろした。
「バンシャザムの件はお詫びする。だが別にあなたをどうこうするつもりで置いていたわけではないのだ。ここでの安全を元老院警備隊に任せるわけにはいかなかったのでね。単なる用心棒なのだよ。飲み物はいかがかな?」
 物陰から反発場リパルシングカートを押しながら一人の少年が現れた。
 体にぴったりフィットする元老院秘書官の制服を着て虚ろな目をした美しい少年は、カートの上に並ぶカプセルボトルを示して来客のオーダーを促す。
 一四一はさっきのヴィンヌジャールを真似るように手を挙げて、辞退の意思を示した。
「わしらには、マリーシャカクテルを」
 議員の指示で飲み物を注ぐ少年の、腰まで伸びた長い巻き毛が揺れる。
 ヴィンヌジャール卿はその金色の毛先を太い指で弄んでからクッションに座り直した。
「ネープ殿、まず招待に応じていただき感謝する。皇帝陛下はご健勝であられますかな?」
「不明です」
 嘘ではなかった。
 アサトの仮宮脱出とその後の御前会議での決定事項までは確認しているが、彼女の所在を知られるリスクを避けるため、三〇三との連絡も極力取っていないのだ。
 にべもない返答にルージィ卿が笑い声を漏らした。
「なるほど……どんな小さな情報も、叛徒には与えないというわけですか」
「あなた方は叛徒なのですか?」
 ヴィンヌジャール卿がルージィをチラと見て、若い貴族の軽率な発言に口元を歪めた。
 あらぬ嫌疑を皇帝とネープにかけた情報は、あくまで銀河戦略情報局スタラテジック・コスモス・インテリジェンスの報告によるもので、その他いかなる公家や機関もその真偽を関知し得ない、というのが公式な現状だ。原典管理師クォートス審判の結果、それら全てが否定されても、元老院や公家連は虚偽の報告に騙されたという体を取ればいいだけの話なのだ。
 もちろん、その時には誰かが詰め腹を切らされることにはなろうが……ルージィのセリフはその矛先を自分に向けるものに等しい。
 まあいい……
 そうなっても構わないし、この席ではまだ言葉のあやで済むレベルの問題だ。
 ヴィンヌジャールは何にも気付かぬふりで話の筋を修復した。
「もちろん、我々は皇帝陛下の忠臣たらんとする者に他なりません。あなたをお呼びしたのも、それ故と言っていい。今回の問題は由々しきものではありますが、我々はその結果如何に関わらず、非常に微妙なバランスの上にある帝国の趨勢を極力穏やかに収めたいのです」
 ネープ一四一は少し小首を傾げて応えた。
「そのためには、原典管理師審判などキャンセルして皇帝陛下の皇位を名実ともに確固たるものとするのが早道ではないですか? 今からでも遅くはありますまい」
 古株議員は言った。
「だが、ラ家がいる。皇位継承についての嫌疑が完全に晴れない限り、彼らは……いや、あえて言わばレディ・ユリイラは帝国をひっくり返しかねない。そうは思われませんか?」
 今、ネープの口元が歪まなかったか? 笑った?
「それをなんとかしろというご相談なら、私はお門違いです。皆さんがレディ・ユリイラと、少なくとも私よりは話がしやすいのでは?」
 ネープの前に座る三人は、彼の言葉の真意をはっきり捉えていた。
 お前たちのボスに泣きつけ……と言っているのだ。
 この帝国のエグゼクティブ三人の上には、間違いなくレディ・ユリイラがいる。彼女の意に沿って陰謀をめぐらし、元老院をはじめ全ての帝国市民が納得できる形でアサトを抹殺するための、強力な見えない同盟だ。
 だが、ここにレディ・ユリイラはいない。
 そこがこの会合のポイントであり、一四一が応じた理由だった。仮に自分を呼んだのがユリイラだったとして、ここで何をしようと彼女にはメリットが無いのだ。
 殺しても、ネープの頭は同等のものにすぐすげ替わる。
 拷問にかけても、得られる情報は何もない。
 先日のバンシャザムによる仮宮襲撃の方が遥かに彼女らしい一手と言えた。なんとか切り抜けはしたが、あの迅速な奇襲こそレディ・ユリイラの恐ろしさだ。
 では、なぜ彼らは自分を呼んだのか?
 
 ヴィンヌジャール卿がカクテルを一口含み、 ネープに向き直った。
「腹の探り合いはもういいでしょう。我々は……東南星域一体の公家連は、ラ家との関係を見直す時期に来たと判断しています。そのためにまず、アサト陛下に此度の試練を乗り越えていただきたいのです。原典師クォートス審判の開催は覆せない。であるなら、そこに至る道の安全を我々が保証してもよろしい」
 タイ=ラン・ルージィが口を挟んだ。
「我々の目的は、アサト一世陛下の治世の実現です。これは掛け値なしに我ら全員の望みです」
 ルージィの顔から薄笑いは消えていた。なんとか真摯さを伝えようと努力している様子だ。だが、元老院で皇位継承に疑義を訴えた本人のその態度は、あまりにも変化が大きすぎる。
 その後ろにどんな目的があるのか……これは一四一としても知っておかねばならないところだった。
 
 黒衣の完全人間はミラーグラスを外すと青紫色の双眸で三人を見渡した。

「続きをうかがいましょう」
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