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湖城での療養 十一
しおりを挟む目的の部屋だ。豪奢な装飾がないので、謁見の間ではない。おそらくはアルシュの母君の執務室か寝室だろう。
アルシュがゆっくりとノックする。利き手をキリエの手と繋いでいるからやりにくいはずなのに、決してほどこうとはしない。
手のひらから伝わるアルシュの体温を心の支えに、遠退きそうな意識を保つ。緊張に冷や汗を流すキリエの手を、アルシュはどう思ったのだろう。
「どうぞ。開いていますよ」
扉越しにくぐもった声が応えた。
「失礼する」
口調が逆ではないか、と思う短いやり取りのすぐあとに、アルシュが躊躇なく扉を押し開いた。ゴク、キリエは生唾を飲みこむ。
扉の向こうには、アルシュの部屋とそう変わらない内装が広がっていた。無駄な装飾のないシンプルな、それでいて備品はすべて最高級のもの。
正面にはステンドグラスを用いた大きな窓があった。その手前に水色のテーブルと、数席分の椅子が置かれている。テーブルの表面には紺色のテーブルクロスがかかっていて、乳白色のポットとカップだけが異彩を放っていた。
部屋の主は向かって左側の席に腰かけていた。優雅にカップに唇を当て、中身を一口飲んだあとでこちらに顔を向ける。
鮮やかな窓ガラス越しの陽光が逆光となり、顔や表情は見えにくい。しかし緩やかな笑みを浮かべたことだけはなぜかわかった。
背後で扉が閉まる。キリエを引っ張り、進むアルシュ。そうして距離を縮めたところで、ようやくこの部屋の主にしてアルシュの母君の全貌が見えた。
「……久しぶりね、キリエちゃん」
立ち上がったその人物は、女性体ではなかった。今のアルシュと同じく、膨らんだ胸はなく、身にまとった衣服も男物。口調こそ女言葉に近いが、サプフィールの民の特性と母君であるという事前情報がなければ間違いなく男性だと認識しただろう。アルシュの面差しによく似た美丈夫だった。
彼女──否、現在は男性体をとっているから彼か──こそがサプフィールを統べる国王だ。アルシュの手をそっとほどき、礼に則って膝をつく。
「ご無沙汰しております、陛下……」
続けて口上を述べようとしたところで両頬を包まれた。驚いて顔を上げる。むすっとした表情がキリエを覗きこんでいた。
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