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水の日、洗礼 一
しおりを挟む──なんて、夢見る乙女が憧れるようなロマンチックなことを仕出かすわけにはいかず。
「えっ!? 何もしなかったんですか!? 絶好のシチュエーションでしたのに!?」
朝食のセッティングを行っていたソルシエールが悲鳴じみた声をあげた。驚くと一段と声が大きくなる彼女に「静かに」と注意をかける。
慌ててよくさえずる口を重ねた両手で覆い、声を物理的に抑える。その仕草を尻目にサインの最後の文字をきっちりと書き連ねたアルシュは、執務机に広げていた羊皮紙を傍に退けた。
羽ペンの先を半分ほど量が減ったインク瓶の中につっこむ。椅子の背もたれに体重を上乗せした背中を預けつつ両腕を上へ伸ばせば、どこかしらの関節がぱきりと小さな音を立てた。
どうにも書類仕事は節々が凝る。じっと動かず文字を読みこみ、必要情報を書きこむ執務の仕事はあまり好きではなかった。
山のように積まれた未処理の羊皮紙の束に、ため息が口をついて出る。飽きてきた。気分転換にキリエを連れて、湖でも泳ごうか。
「せっかくの人払いの意味がないじゃないですか。せめて、こう、押し倒して体をまさぐるくらいはしてくださいよ~」
「恋仲でもない間柄の合意のない行為は、例え未遂であっても問答無用で牢獄行きだからな?」
がっかり、を態度や行動にしてみせた侍女に鋭い声で忠告を刺した。
食器を並べる傍ら、ソルシエールが根掘り葉掘り聞いてきたのは数日前に中庭で合流した後のことである。
去り際に宣言した通りしっかり人払いを済ませた彼女は、その後のアルシュとキリエの間に恋愛的発展があったに違いないと期待していたらしい。
一言でいうと、残念ながらそのような展開はない。
あの時も、泣き腫らしたキリエに顔を近づけはしたが、緋色の柔らかな髪に唇を軽く当てただけである。
その場の雰囲気に呑まれて事を急くつもりはない。ああ見えて、キリエは失恋の痛みと己の現状を消化するのに必死だ。そこに余計な要素を加えて、混乱させる事だけは避けたい。
「そんな悠長な事を言っていると、ぽっと出のどこぞの女にかっ攫われてしまいますよー? キリエ様ったらすごく魅力的な上に、今未亡人みたいな色っぽさがバンバン出てますから」
「……」
前者はともかく、後者は否定できない。返事の代わりに無言の苦笑を返しておく。
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