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四・公爵邸に蔓延る毒
015. 貴女は私を覚えていない
しおりを挟む「ねーねっ!」
懐かしい声が聞こえた。義妹が私を初めて姉と呼んだあの日。私が二度目の人生を始めた、あの日。
どうしてか体の痛みや重苦しさが消えている。目を開ければ、映るのは可愛い義妹の姿。
これは走馬灯なのだろうか。そう思いながら、私は彼女へと手を伸ばす。
――貴女に、触れたかったの。貴女の、そばに……。
「……イラリア」
「えっ?」
名を呼ぶと、彼女は目を丸くした。その瞳は、いつも綺麗な空色だ。
義妹は泣きもせず、キスもせず、逃げるようにベッドからおりて、どこかへと去っていった。
私の知る彼女とは違うが、まあ細かいことはどうでもいい。
これが走馬灯ならば、そのうちもっと美しく成長した彼女の姿を見ることができるだろう。
私は再び眠りについて、何度目かの夜と朝を迎えた。
そして、ようやっと気づいた。
――私、また幼少期に戻ってしまったようだわ。と。
やけに長くて現実感のある走馬灯なのね……。しばらくはそう思っていたけれど、だんだんとその考えが間違っているのではないかと思えてきて。
目の前に広がるのは、ずっと幼い頃の光景のままなのだ。体には、ただの記憶とは思えないような生々しい感覚があるのだ。
頬をつねってみて痛ければ夢ではないという話を、前に義妹から聞いたことがあった。つねってみた。痛かった。ということは、夢ではない。
――……私、死んだのかしら。
二度目は、名無し花の贄としてバラバラにされて死んだ後、幼少期に巻き戻って目覚めた。これが三度目だとするならば、また私は死んだのだろう。
イラリアが久しぶりにキスしてくれたことまでは覚えているのだが、その後に死んでしまったのだろうか。
もし本当にそうならば、私が死んだ後、イラリアはどうなったのだろう。泣いてくれただろうか。悲しんでくれただろうか。
彼女と過ごした最期の時を思い出す。彼女は何と言っていた?
『――……覚えてる、んですか?』
『――……もしかして、血の記憶……っ?!』
『――……こうすれば、また、会えるかもしれないから……!』
彼女の言葉について考えていく。ぐるぐると思考する。覚えてる。血の記憶。また会えるかも。
私が彼女を殺したことを、覚えているのかと、彼女は問うた。
血の記憶……は、よくわからないけれども。血の何々というのは、彼女のホムンクルス研究でよく使っていた言葉だ。
また会えるかも。彼女はそう言って、指を切った。彼女の血が私の上に滴った。私は、死んだ。
それらを考え合わせると。
――イラリアは、一度目の人生のことを覚えていた? それなら、二度目はふたりとも、前の人生の記憶を持って生きていたということだから……三度目の彼女にも、私と同じように記憶があるかもしれない? また、会えるかもしれない?
そう予想を立てたなら、できることから確認していくべきだろう。私はベッドから抜け出して、イラリアを探した。彼女の部屋を覗いてみると、侍女と一緒に本を読んでいるところだ。
「ねえ、イラリア」
「オフィーリアお嬢様。いったい何をしにいらっしゃったのですか。お帰りください」
「私は妹に用があるの。貴女は下がっていなさい」
「……かしこまりました」
侍女は私を睨みつけ、渋々というように部屋を去っていく。継母に告げ口でもしに行ったのだろう。
私よりも力のある彼女を呼んで、私をイラリアから引き離そうとしているはず。早く事を済ませなければ。
「イラリア。ああ、ラーリィの方がいいかしら。姉さまと、ちょっとお話ししましょう」
「あい。……お、ふぃー、りゃ、しゃま」
「……え?」
イラリアの声に、私は固まる。彼女は私を「オフィーリア様」と呼んだ。
二度目の彼女とは違う呼び方だ。私が、一度目の人生で彼女に使わせていた呼び方だ。彼女は怯えたように私を見上げる。
……幼少期に戻ってきたらしい日から、数日。前の人生のように構ってこないことを、たしかに不思議に思っていた。彼女は私の部屋に、あの日以外は来なかった。
まさか、とひとつの可能性に気づいて、冷や汗が流れる。
「ラーリィ……? もしかして、私のこと……覚えてないの?」
「おぶえてにゃい。しりゃにゃいっ!」
「ラ――」
ぽろぽろと泣きはじめてしまった彼女の涙を拭おうと手を伸ばすも、その手はぴしゃりと叩かれた。
彼女は、まるで一度目の彼女のようだ。
「あんた、私のラーリィに何してるのよ?!」
「っ!」
いきなり蹴り飛ばされ、倒れる私。イラリアを抱き上げて、カミラ夫人は私を睨みつけた。イラリアはめそめそと泣いている。
「ラーリィに触らないで! 穢らわしい!」
「……申し訳ございません」
「地下室にでも閉じ込めておきなさい。私のラーリィを泣かせた罰よ」
「はい、奥様」
メイドが私の体を、まるでただのモノのように持ち上げる。
そういえば、一度目の人生の幼少期には、地下室に閉じ込められることもままあった。暗くてじめじめした嫌な場所だ。
二度目の人生では、イラリアがにこにこしていたおかげで閉じ込められなかった。あの四月四日から、彼女は私に好意的だったから。虐げられ続けてはいても、一度目よりも生きやすかった。
放り投げるように地下室に入れられ、重たい扉に鍵をかけられる。寒い暗闇の中、ひとり泣き震えた。二度目の自分の死を受け入れることも、三度目の自分の現状を受け入れることも、つらかった。
私はイラリアを遺して死んで、おそらく、再び巻き戻った。三度目の人生を始めた。彼女は前の人生を覚えていなかった。
そして彼女は、私を愛していなかった。
イラリアが私を愛していなくても、私は生きていかなければならない。あれから何日か経った後に地下室から出してもらえた私は、今すべきことを考えはじめた。
今度の人生でも、彼女を殺すつもりはない。バラバラになって死ぬのはもうごめんだし、彼女を害したい気持ちなど、もう残っていないからだ。三度目の彼女は私を愛していないから、今度こそ本当に、別々の道を歩んでいけるだろう。
私は彼女に絆されることなく、ひとりで生きていけるはずだ。
二度目の人生のあの男――バルトロメオ王太子が婚約破棄を宣言した日に持ち出した診断書によれば、私は彼と婚約する前に不妊だと診断されていた。
そこに記されていた日付をはっきりと覚えていないのが残念なところだが、彼と出会う前だったことは確かだ。
私はいつからそうなったのか。生まれつきの疾患なのか。それとも幼少期にかかった何かの病の影響で機能を失ってしまったのか。
それを確かめるべく、私は今までの受診の記録がどこにあるのかを突き止めることにした。もし後天的なものなら、防げる可能性もあるかもしれない。
ある日、また発作を起こして気絶した。
意識が戻った後、どうにか力を振り絞って部屋から出て、医師が私の診断書を書いた後にどうしているのかを、こっそり盗み見た。
診断書は、ハイエレクタム家の主である父の手に渡っていた。診断書が父の書斎の机の引き出しのどこかにあることがわかった。
体調がいつも優れているわけではないので、何をするのにも日数や時間がかかる。二度目の死の間際よりは元気だが、健康とは程遠い幼少期だった。
書斎に初めて侵入した時は、父にバレることはなかったが、鍵のついた引き出しは開けられなかった。診断書が入っている引き出しを開けるには鍵が必要なのだとわかった。
鍵を入手することも一度は考えたが、父の管理は厳重で、使用人たちの警備体制も堅そう。とても正攻法では無理だったので諦めた。
どう突破しようかと考えていると、前にイラリアと一緒に読んだミステリ小説のことを思い出す。針金を使って鍵をこじ開け、部屋に侵入した犯人がいたものだ。私は針金を手に入れることを目標にした。
針金は、ドレスのスカートを膨らませるクリノリンに使われている。が、残念ながら、今の幼い私が持っているドレスを着るときには使わないものなので、私の部屋にはない。
また、よくよく考えれば、クリノリンに使われている針金は太すぎるような気もした。鍵穴に入らなそう……。これでは駄目だ。
メイドに持ってこいと命じれば手に入るかもしれないが、私が何か企んでいると知られるのはまずい。私が怪しい行動をすれば、すぐにカミラ夫人に告げ口されてしまうだろう。
馬鹿なあの女なら私の企みには気づかなそうだが、確実に痛いお仕置きが待っている。もしも父に告げ口されたとすると、もうおしまいだ。
ある日、私は義妹の持っているぬいぐるみに針金が入っていそうなことに気づいた。手足や耳が自由に曲げられる、小さなウサギのぬいぐるみだ。
義妹のおもちゃに手を出すのは気が引けたが、それ以外に針金がありそうな場所は見つからなかった。
一度目の人生ではもっと酷いいじめをしていたのに、こんなことでためらうようになるなんて、私も変わったものだ。三日間悩み続けた後、私はウサギの片耳の針金を盗むことにした。
義妹がカミラ夫人やメイドと別の部屋で遊んでいる間に、彼女の部屋に侵入した。ウサギの耳がおかしくなったことに気づいたら義妹が泣いてしまいそうだが、こればかりは仕方ない。償いはいずれしよう。
私はウサギの耳に入っていた針金を持って、書斎への二度目の侵入を試みた。針金で引き出しが開けられることはわかったが、二個目の鍵付き引き出しを漁っているところでメイドに見つかった。カミラ夫人に鞭で背中を打たれ、帰宅した父からは三日間食事抜きだと告げられた。
また侵入してバレたら、また痛いことをされるだろう。もう諦めた方がいいのかもしれない。そんな考えも、ちらりと胸に顔を出す。
けれど私は、できることなら女でいたかった。もし不妊にならずに済むのなら、なりたくなかった。
これ以上イラリアより劣りたくなかった。
三度目は夜中に決行した。
皆が寝静まっている頃に部屋を抜け出して、書斎へと侵入した。
鍵付き引き出しを開け、書類を数枚取り出しては、窓から差す月明かりを頼りに内容を判別していく。
あれでもない。これでもない。
四個目の引き出しを開けたところで、ようやく見つけた。私の病歴や薬剤の投与歴を記した書類を。
それらをごっそり窓辺へと持っていき、自分の不妊の診断が下された書があるかを探す。
「……あっ」
思わず声を上げてしまい、慌てて口元を手で覆う。
見つけて、しまった。女性の生殖機能について記された書。
いやに心臓をうるさくさせながら、それを頭から読んでいく。
しかし読み進めてみると、その書はどうやら私が求めている書ではなかった。そこに記されていたのは、私の母のことだった。
母は、私が二歳の頃に亡くなった。
母が死んでから三ヶ月ほど後、生まれたばかりの小さな小さなイラリアを抱えて、あの女がハイエレクタム家にやってきた。
一度目の人生でのことだけれど、まだしっかり覚えている。母の死と義妹の登場は、私にとって大きな衝撃だったから。
――どうして。こんなことが。
たった今、私が読んでいる書によれば。母は第二子を身籠っていた。そうだ、母は、私の弟か妹を妊娠していた。
けれどそんな母に投与されていた薬は、およそ妊婦に与えるような薬ではなかった。
子を流す効果のある薬。
そして、女の機能を奪う効果のある魔毒。
――あの日。母さまは、お腹を抱えて苦しんで倒れた。
外には雪が降っていた。母のドレスのスカートは真っ赤だった。
怖い日だった。
最愛の人であった、母を失った日。悪夢のような日だった。
書類を先へとめくっていく。母が死んだ時の書を見つけた。
流産が原因の失血死。
さらにめくって、その数枚先の書に、私の求めていた、けれど見つけたくなかった書を見つける。
――……私は、すでに子を身籠れない身なのね。
ぽたりと雫が落ちる。
わかっていたはずなのに。その可能性はあると。
むしろ、その可能性の方が高いと、理解していたはずなのに。
べつに、特別強く結婚願望があったわけではない。特別強く子どもが欲しかったわけでもない。
けれど、そういうことを望める女でありたかった。そういう夢を見られる女でいたかった。
いつか人を愛したときに、その人と結ばれて子を生むことを。そういう幸せを求められる女でいたかった。
義妹がいなかったとしても、私はそもそも幸せになれる身ではなかったということ。
仮に一度目の人生、バルトロメオ殿下と結ばれても、私は妃としての最大の役目を果たせなかったということ。まあ、今では、彼への思いなんてまったくないけれど。
私が、不妊だということはわかった。そして、他にも気になる情報を手に入れた。
私の母には、その体を害する薬を与えられていた。母は流産して亡くなった。
もしかしたら、私にもそのような薬が与えられていたかもしれない。
母が死んだのは、きっと薬のせいだ。さらに、私が不妊になったのも、薬のせいかもしれない。
そうならば、その薬を投与するように命じたのは誰なのか。
母と私を愛していなかった父なのか。
それとも公爵夫人の座を狙っていたはずのあの娼婦か。
あるいは、ハイエレクタム公爵家に害をなそうとする外の人間の仕業か。
誰にせよ、許すわけにはいかない。
今度の私はイラリアに愛されていない。私は誰かに愛される資格のある女ではない。
ならば、母を殺した人間への復讐に生きる人生もありだろう。
一度は義妹を手にかけた私だ。必要とあらば人だって殺せる。殺してやる。母の仇を討ってやる。
書類を引き出しに戻して、私は書斎を出た。こんなにも黒い感情を胸に抱えるのは久しぶりだ。
二度目の人生では、こんなにも人を恨んでいなかった。
「………ふふふっ」
静かな夜の廊下に、私の笑い声が木霊する。心の中で、何かが壊れる音がした。
――そんな夜に、見た夢で。
私は、あの日の先生の話を思い出す。
応援ありがとうございます!
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