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五・騎士と姫

026. 返事の来ない手紙

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 隣国の聖女様の噂が、こちらの国にも入ってきた。当然、学院内でも話題にのぼる。

 学院の最終学年――三年生になっていた私は、友人である令嬢たちと一緒に、彼女の話をしていた。

「隣国の聖女様は、たいそうお美しい方だそうね。王太子殿下からのご寵愛を受けていらっしゃるとも言われているわ」
「でも、ハイエレクタム家のお嬢様っていうのがねぇ」
「たしかに、あの件はちょっとね。でも、本当にお綺麗な方なのでしょう? 薔薇のようにお美しい髪をお持ちだとか」
「そうそう! ところで皆さんは、あちらの学院で、彼女の肖像画が売買されていることはご存じ? 噂に聞いたのだけれど……隣のクラスのウーズラさん、伝手で手に入れたらしいわ」
「えっ! 本当?! 頼んだら見せていただけるかしら。――フロイドさんは、隣国の聖女様に興味はないの?」
「え」

 うんうんと頷いて聞くだけだった私に、マッダレーナ・エリオントさんが話を振る。興味がないわけではないが、この話題にはなかなか入りにくい。

 私は隣国の聖女様のことを――イラリアのことをよくよく知っているから、その姿を妄想して楽しむことなどはできないのだ。私が彼女のことを妄想したら、あまりにもはっきりと思い描けてしまって夢がない。
 でも、ここは無難に……。

「そうね……。そんなにお美しい方なら、一度お会いしてみたいとは思うわ」
「やっぱりフロイドさんも、そう思うのね! ……あっ! 騎士服姿のフロイドさんと聖女様がお並びになったら、素晴らしい絵になるのではなくって?!」
「ああ、たしかに! 騎士服姿のフロイドさんは、物語の王子様のようにかっこいいですもの。きっとお美しい聖女様とお似合いですわ!!」

 私は、こちらの学院ではよく「かっこいい」と形容される。騎士コース所属の女子学生はそれだけで珍しくかっこいいイメージがつくからか、入学時から、女子学生からはそこそこモテた。
 二年生の冬に正式な青藍せいらん騎士になってからは、さらにモテるようになった。

 騎士の爵位は、誰から叙爵されるかによって、頭につく色の名前が変わる。

 国王陛下から叙爵されるとこん、辺境伯からだと青藍せいらん、公爵からだとしゃくどう、侯爵からだとはだである。

 家の序列は基本的に、公爵家、侯爵家、辺境伯家の順番であるが、騎士個人の序列はちょっと違う。
 軍事に関しては辺境伯が中央に次ぐ権力を持っているので、公爵に叙爵される赤銅騎士よりも、辺境伯に叙爵される青藍騎士の方が上位となるのだ。

 私は養父のグラジオラス辺境伯に叙爵されて、青藍騎士となった。いずれは紫紺騎士にもなれるように努力は続けている。
 騎士として叙爵されるための試験は厳正で、ズルは禁物なので、グラジオラス辺境伯は養女の私相手でも、甘い判定を下すことはしなかった。私が叙爵されたのは、何度か試験を受けてからのことだ。

 どうせ甘やかしだと批判する人もいなくはないが、私は実力で騎士の位を手に入れたと思っている。青藍騎士になれた自分を誇りに思う。

 いつも一緒にいる友人たちは、私が騎士になる前の一年生の時からの仲だ。
 彼女らは私に愛の告白をしてきたことはないが、私が学校行事で剣術の試合をする時などには、他の女子学生たちとともにキャーキャーと姦しく応援してくれる。
 試合の後は、そのキャーキャー女子学生の誰かから告白されるのが、もはやお決まりのイベントとなっていた。

 その時以外にも「麗しの騎士様へ」なんて封筒に書かれたラブレターを、後輩女子からもらったことなどもある。いじらしい手紙に友人たちはキャッキャウフフと騒いでいたが、丁重にお断りさせていただいた。

 男子学生からはそこまでの評判は得ていないが、結婚相手候補としては見られているようだ。この二年間の学院生活の中で、何人かから男女交際やデートのお申し込みをいただいたことがある。が、こちらもどれも断っている。

 子を生めない私は、誰かと恋愛関係になろうという気にはなれなかったのだ。二度目の人生を始めた時よりも強く、私は独り身で生きていこうと思っている。

「そういえば、風の噂に聞いたのだけれど。あの聖女様、学生寮暮らしみたいなのよ。意外よね」
「えっ?」

 マッダレーナさんから出た言葉に、私は思わず真っ先に声を上げてしまう。するとみんながニヤニヤしだした。

「あら、珍しくフロイドさんが食いついているわ」
「そんなことないわ。べつに」
「フロイドさんも学生寮暮らしですし、親近感が湧いたって感じですか?」
「そ、そうよ。ただ私と同じだと思っただけ」
「え~、本当に~?」
「本当よ!」

 私は必死に誤魔化して、あとはみんなの話に頷くだけにした。聖女様には人並み程度の興味しか抱いていないのだと、冷静なふりをしていたかった。

 ――今度は、イラリアも学生寮暮らしなのね。どうしてかしら。

 顎にはうんうんと頷く動きを続けさせながら、私はイラリアのことを考える。

 過去の人生でベガリュタル国の貴族学院に通っていた時には、私はハイエレクタム公爵邸から徒歩通学をしていた。二度目の人生でイラリアと一緒に通学できた頃のことは、特によく覚えている。

 それに対して今の私は、グラジオラス家の屋敷ではなく学生寮に暮らして、そこから通学している。グラジオラス辺境伯領へは、春夏冬の長期休暇の時にのみ帰省する形だ。

 今年からベガリュタル国の貴族学院の一年生になったはずのイラリアは、てっきり今度も屋敷から通っているとばかり私は思っていた。だから先程、学生寮暮らしだと聞いて驚いた。

 降爵されて父が大臣職ではなくなったため、王都の屋敷ではなく領地にある別の屋敷に移ったのだろうか。

 ――どうして、イラリアは……あっ、ほし寮なのね。覚えておきましょう。

 彼女の暮らす寮の情報は、すかさず耳で受け止める。聞き漏らさなくて良かった。
 通学方法を変えた理由は考えてもわからないが、彼女が学院にある三つの寮のうちのどこに住んでいるかは、これでわかった。

 何はともあれ、学生寮暮らしということは、彼女に手紙を送っても、家の使用人に見られる危険性がないということだ。それは公爵やカミラ夫人に、私の生存がバレにくいということにも繋がる。

 学院の学生寮宛に送れば寮母さんには確認のために見られることはあるが、家に直接送るよりはずっとマシだ。さすがに関わりのほぼない寮母さんが、私を殺そうとした犯人だったりはしないだろう。

 ――手紙、送ってみる?

 彼女と最後に会った日から、九年ほどが経った。もう本当に死んだと思われているかもしれない。

 また、仮に送るとしても、「私がオフィーリアです」と直接的に書くことは避けたかった。どこかで情報が漏れて、この生活の平穏が壊されるのは嫌なのだ。

 ――まだ、ただのフロイドのままでいたい。

 いずれはオフィーリアがまだ生きていることを敵方に知られ、また命を狙われることになろうとも、できるだけ長く平和な生活を続けたかった。

 私には、まだ覚悟が足りない。

 彼女に私が――オフィーリアが生きていると伝えたい気持ちも、もちろんある。一方で、また殺されそうになるのが怖い気持ちもある。

 強くなっても、殺される可能性がゼロになるわけではない。逃げたい思いもなくならない。

 死にたくない。

 このままオフィーリアがこの世界からいなくなれば、私はただのフロイドとして、今みたいに平和に生きていける。

 でも、彼女に会うために、私は強くなったのだ。

 彼女に、今なら比較的安全に手紙を送れるとわかったのに、このまま何もせずにいられるだろうか。

 考えるのに熱中して柱にぶつかりかけたところを、私はマッダレーナさんに腕を引いて助けてもらった。彼女に礼を言いながら、葛藤を続ける。
 
 ――前の人生のことを、書けば。イラリアには伝わるかしら?

 他の人にはわからない、私たちだけの、ないしょの手紙。

 私たちが覚えている記憶と繋げた内容で書けば、彼女だけに伝えることができるのではないか。

 ――今日の放課後、新しい便箋と封筒を買いにいこうかしらね。

 書くかどうかは置いておいて、いざ書きたくなったときのために持っておいても損はないだろう。

 なんとなく気分が良くなって、その後に友人たちと一緒に学食でいただいた昼食を、いつもより美味しく感じた。



 ――さて、何を書きましょう。

 寮の自室に戻った私は、ペンを手にして考え込む。

 便箋と封筒はイラリアに合いそうだと思ったものをあれもこれもと選んだら、かなりの量になってしまった。これでしばらく買い足さなくても大丈夫だろう。


 拝啓 イラリア・ハイエレクタム様


 そう始めに書いて、すぐにペンを止める。ここから先の文面が、何も思いつかなかった。

 手紙の送り主がオフィーリア・ハイエレクタムであるということを、どう伝えればいいだろう。

 過去の人生と絡めて書けばいい、と思うだけなら問題なくても、いざ文に起こすとなると難しい。

 ――貴女が学院でよくキスした人は元気です。……なんか、おかしいわね。貴女の部活仲間は生きています。……これも、微妙。

 考えても考えても良い案が浮かばず、私は一旦ペンを置いた。

 年頃になってからときどき使うようになった薔薇の香水を手首にひと吹きしてから、ベッドの上に倒れ込む。

 寝て目が覚めたら、思いついたりしないだろうか。

「……イラリア」

 彼女と会えなくなってから、何百回、何千回、彼女の名前をひとり呟いただろう。頑なに彼女の名前を呼ぶまいとしていた頃が、ひどく懐かしい。

「フィフィ姉さま」と呼ぶ声を聞きたい。夢の中ではなく、本当の声が聞きたい。
 薔薇の香水の匂いが鼻腔をくすぐって、また泣きそうになる。私の可愛い薔薇姫。彼女は今、何をしているのだろう。

 彼女も学生寮で何かしているだろうか。勉強でもしているだろうか。
 私がいないから今は友だちを作る余裕があるだろうし、友だちと遊んでいるかもしれない。
 もしかしたら、バルトロメオと一緒にいるかもしれない。

 そういえば……婚約していたことさえすっかり忘れかけていたが、私とバルトロメオの婚約は、彼が成人した時に白紙となったらしい。

 何年も見つからない女を婚約者にし続けていても何にもならないから、まあ妥当な対応だ。

「……薔薇姫、と。ペンペン草姫」

 かつて私たちはそう呼ばれた。
 大輪の薔薇姫と、道端のペンペン草姫。

 けれど今度の世界では、きっとペンペン草姫と呼ばれる女は存在していないだろう。

 私と彼女しか、そのあだ名は知らないはず。

「……あっ」

 私はあることを思いついて、ベッドから起き上がった。

 もう一度しっかり考えてみて、やはりこれが良いのではと頷く。

 今日のところは手紙を書くのはやめにして、机の上を片付けた。

 明日の放課後は花屋と雑貨屋に行くのだと、忘れないように手帳に書き込む。




 翌日、私は放課後に花屋で小さな品種の薔薇の花を買った。

 雑貨屋では硝子ドームとシンプルなかんざしを買って、そこで手に入らなかった金具や工具、ビーズは手芸屋で調達した。

 そして道端に生えていたペンペン草を、一本むしった。

 薔薇は部屋に吊るして乾かす。ペンペン草は分厚い本の間に挟んでおく。

 毎朝、起きた時に薔薇の花が視界に入ると、気分が良くなるという予期せぬ嬉しい効果もあった。

 日が経ち花が乾いたら、ドライフラワーと押し花の完成。

 不器用ながら小さな薔薇とペンペン草を硝子ドームの中に詰め、金具で簪に取り付けた。

 薔薇の赤い花とペンペン草の白い花に合わせて、赤、ピンク、白でグラデーションになるように、ビーズの飾りも付ける。

「……ふぅ」

 初めてにしては、悪くない出来だと思う。

 前に彼女が贈ってくれた、幸せを願う花びらのネックレスの真似っ子だ。簪にしたのは、薔薇の花を入れた硝子ドームは、ネックレスにつけるのには大きすぎるからである。

 壊れないように梱包材でしっかりと守って箱に詰め、手紙は一枚のみ添えた。


 長い月日が経ちましたが、こちらのペンペン草は元気に生い茂っております。
 そちらの薔薇は、華やかに咲いているでしょうか。
 ささやかですが、貴女の幸せを祈って。


 たった三文の短いメッセージ。でも、彼女ならわかってくれるはず。

 無事に届かない可能性もあるけれど、それならそれで仕方ない。

 郵便局で送りに出した時、今までのどの手紙を出した時よりも緊張した。送り主が誰かは書いていない。

 学生寮に送ったから寮母さんに中身は確認されるだろうが、彼女の手に渡ることなくすぐに捨てられるようなものではないはず。

 まあ、届かなくても、べつに良いのだけれど。

 返事が来ないことは、確実だ。私がどこにいるかは明かしていないのだから。

 返事がないとわかっていて書く手紙なのに、彼女のことを考えて手紙を書く時間が、私はなんとなく好きだった。

 悶々と悩んでしまって、一通したためるのに何日間もかかるけれど、彼女のことで悩む時間が、どこか楽しかった。

 返事の来ない手紙を、何通も彼女に送った。

 私が一度目に彼女を殺した一月が過ぎた。
 二度目の私が死んだ二月が過ぎた。

 私は三月の始めに、レグルシウス国の貴族学院を卒業した。卒業と同時に、国王陛下から紫紺騎士の爵位を賜った。

 私の知らない春が始まる。私の知らない彼女に、もうすぐ会いにいく。

 春の風が、私の長い髪を揺らした。彼女と別れてから、ずっと伸ばし続けていた髪だった。

 はさみを入れるのは傷んだ毛先を整えるためだけにとどめて、毎日丁寧に梳かして、大事にしていた髪だった。

 私はグラジオラス家の屋敷へと帰る。みんなは温かく迎えてくれた。

 家の荷物を整理して、国を発つ支度を始める。

 私がベガリュタル国の地を再び踏むまで――あと、ひと月。
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