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【一】八・異国の勇者と聖女の決意

095. 貴女への恋心なんて

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 アルティエロ王子は、ファリア・ルタリ帝国の風の勇者と繋がっていたとのこと。
 かの勇者は名をカスィムといい、今、私の目の前にいる男の〝影〟らしい。

 私の誘拐に協力したのはカスィムで、こちらの男は同じ顔の別人というわけだ。
 ふたりは双子と見えるが、どうやらそのことには触れてはいけない様子だった。

 ファリア・ルタリといえば、私の友人マッダレーナさんの嫁ぎ先であり、美女と魔学の国である。

 ――なるほど。私の意識を奪ったあれは、ただの魔法ではなく、魔術を駆使した……。

 私やレオンは科学派と魔法派の対立構造ばかりを恐れていたが、そうだ、本当なら、かの国の件こそ先に考えるべきだった。

 ファリア・ルタリ帝国。

 敵に回すと厄介な相手。味方の顔をしても、我々を支配するかもしれない相手。この大陸一の強国。

「もしかすると国外で結婚しようとしているのやも」
「はっ?」
「女色の聖女には、神に誓った婚約者がいないだろう」
「……はあ」

 アルティエロ王子も、私も、低い声を返していた。

 勇者カスィムを影とするこの方は、私に向かっては名乗らない。呼ぶなら「殿下」と呼べと言ってきた。あちらの国の皇族のようだ。

「そちらの姫君とはよくお似合いだぞ、アル」
「やめろ、酷いことして振られたばかりだ」
「俺が慰めてやろうか」
「結構」

 アルティエロ王子とは、ずいぶんと親しい関係らしい。ずっとこんな調子だった。

「……アル?」
「…………なに、オフィーリア」
「いえ、べつに」
「きみらは付き合いたてのカップルか」

 どうしよう。ものすっごく、すごく〝殿下〟がうざい。今からでも馬車を分けられないだろうか。アルティエロ王子とふたりきりも嫌だ、ひとりで乗りたい。

 なんなら乗馬で行こうか、いや、殿下がいないと行き先がわからないのだったか……。

 また頭が痛くなり、胸もなんだか変になる。馬車の隅っこに寄りかかり、深呼吸した。

「オフィーリア、大丈夫か」
「大丈夫だから、近寄らないで」

 意識を奪うのに使われた気体のせいか、心臓が悪いせいか、ずるずると調子がよくない。じわじわと苦しい。

「なあ、絶対に寝込みを襲ったりしないから、眠っていても――」
「それ、あの後で信じられると思います? 無理です」
「ごめん」

 この面においての彼への信頼は、地に落ちた。この義兄の前で眠れるわけがない。

 何度ごめんと謝られても、今夜は許せそうにない。明日の私も、明後日の私も、きっと許さない。

 いつか許せる日がくるのかもしれないけれど、今の私にとってその時は、はてしなく遠いところにある。

「痴話鑑賞にも飽きたので飛ばすか」

 と、視界の端で殿下が何かをして、馬車を速くした。

 男の気まぐれに、またも振り回されているのか。そう気づいて私はげんなりする。

 薔薇の聖女が何だといきなり言われて、混乱と不安でいっぱいなのに。どうして殿下はこんなにへらへらしていられるのか。うちのイラリアに何かあったら責任をとってくれるのか。どうなんだ。

 ――でも、もしも、彼らを責めたら。それも戦の種になるのかしら。泣き寝入りが最良の選択になるのかしら。

 とりあえずは、速くできるならさっさと速くしろ。私をさっさとイラリアの元に連れていけ。口には出さずに心で念じておく。

「……もうやだ」

 口をついて出たのは、たったこれだけ。

 どうしてこんなことになったのだろうと馬鹿になった涙腺がまた雫を落とす。アルティエロ王子には拭わせない。自分でする。

 イラリアとキスをしたい。彼女に抱かれたい。

 彼女に、私を、壊してほしい。壊して、つくり直してほしい……。




 連れてこられたのは、港町の――酒場、だった。

「…………アル兄様」
「オフィーリア、これは、その……。俺もわからないから、なんとも言えないが」
「行くぞ、初心うぶ兄妹」

 帝国の殿下に連れられ、私たちは中へと入る。

 ほぼ他人で怪しくてうざい男の殿下がいると、アルティエロ王子の方が頼りになる気がしてしまうのだから、おかしなものだ。

 身も心も彼に寄りかかりたくなんてないのに、今は彼にいてほしい。帝国の男とふたりきりにはされたくない。

 ――気持ち悪いわ、私。嫌な女だわ。

 一階では酒や料理を楽しみ、上階では色事を楽しむ、そういう趣の店のようだった。

 食事を出したり、宿泊先として部屋を貸したりする他に、求められれば遊女も売っているような。飲み食いした後は男女が寝るのも当然のような。そういう。

 通された先はいかにも市井の居酒屋らしい様子で、がやがやと賑やかだ。

 ここにイラリアがいるのか? なぜ男といるのか?

 まったく意味がわからない。

「…………フィフィ姉さま……?」

 聞き慣れた声に、求めていた声に、ぱっと顔を上げる。

 すると。

「イラ、リア。イラリア……?」

 無数のグラスが並んだ大テーブルで。私たちの方を見て立ち上がり、イラリアはぽかんとしていた。
 元気そうで可愛い彼女の向かいには、ぐったりと酔い潰れた男ふたりがいる。

 この場所で、彼女のローズゴールドの髪はひどく浮いていた。美しすぎた。私はどうかしら、と怖くなる。

 チッと殿下が舌打ちするのが聞こえる。アルティエロ王子が「セルジオ……」と呟く。

 潰れているのは、セルジオ王子と、風の勇者カスィムであった。これを見るに、三人で飲んでいたようだ。

「な、何を、しているの……こんなところで……」
「姉さまこそ、大学院の実習は……? そっくりさんがたは、どうして? え?」

 カスィムと殿下の顔は瓜二つ、そしてアルティエロ王子とバルトロメオの顔も瓜二つ、だからそっくりさんね……って、そんなことはどうでもよくて。

 暗い部屋で見たアルティエロ王子の顔の記憶を、頭に浮かんだ光景を振り払う。あの顔もあの顔も思い出したくない。いらない。

「ねえ、イラリア……ラーリィ……」
「おい、そこの娘。俺の影が、何か無体をはたらかなかったか」
「影というのがこの方のことなら、べつに何も。賭けには私が勝ちましたので、まったく何もされておりませんわ。殿下」

 いまいち状況を飲み込めないが、ともかく。

 ――イラリアは、無事ね。良かった……。

 イラリアに大事がなかったことに、安堵する。

 ――ほんとうに、よかっ、た、

 ぐらりと視界が揺らぎ、崩れる。

「姉さま!?」
「オフィーリアッ」

 私を抱きとめたのは、生憎と、イラリアではなくアルティエロ王子だった。

「大丈夫……。力が、抜けた、だけ……だから、手を離して……」
「……フィフィ姉さま、ねえさまっ」

 テーブルの合間を華麗に縫って、イラリアが私の元に駆け寄る。アルティエロ王子から私を引き剥がして、抱きしめる。

 ああ、ずっと、これを求めていた。このぬくもりに、やわらかさに、彼女に抱かれたかった。

 イラリアに触れたかった。

「どうしたの……。ねえ、何があったの?」
「……ごめんなさい…………」

 触れたら、彼女の匂いを嗅いだら、また涙があふれてきた。

「ごめ、なさい……イラリア……ごめんなさい……」

 今夜は、もう、ずっとおかしい。元に戻れない。

 いつもの私に戻れない。最後まで致されたわけでもないのに。

 抵抗をやめたのは私なのに、どうぞと身を差し出したのは私なのに、泣きたくないのに涙が出る。

 始めは一方的に進められていただけでも、もう、今や無罪の被害者だと言える状況ではないのに。

 私だって、悪いことをした、のに。

 ああすることを選んでしまったのに。

「ッ、〝アルベルト〟……!」

 アルティエロ王子の仮の名を、イラリアは厳しい声で呼ぶ。

 ちゃんと服は着ていても、これでも、察せられてしまったのだろうか。

 汗の匂いのせいだろうか、それとも、他に、何か滲み付いているだろうか。

 罪の匂いが、するだろうか。

「すまない。俺が、……曇らせた。最後までは、していない。だが、俺がやった」
「姉さまの大事な日を邪魔して、変なことしたの? 私を騙すだけじゃなくて? なんで……!」
「きみを騙していた覚えはない。そっちは俺じゃない。……愛されるお前には、わからないことだ」

 イラリアとアルティエロ王子がぎすぎすしている。彼女から、お酒の匂いと殺意を感じる。それだけで酔いそうになる。

 彼女のせいで塗り替えられたい。彼女の匂いに満たされたい。

 イラリアに抱かれたい。

「さて、泥沼も楽しいが。こいつらは回収して、そっちは……、上で寝かしとくか。おい、アル、こっち手伝え」

 殿下が何か指示をして、事を進めている。

 私はイラリアにお姫さま抱っこをされ、自分の足では歩かず上階に行く。ゆらゆら揺られる。

「ほら、寝とけよ、聖女姉妹」
「きゃ」「……」

 彼女とふたり、三階の一室に押し込まれた。

 イラリアの平衡感覚のおかげか、私はお姫さま抱っこをされているまま。彼女はしっかりと立ったまま。

「あれが迷惑をかけたようだ。すまない。埋め合わせは、また今度。――ごきげんよう、ベガリュタルの姫君」

 言って、灰銀の皇族殿はバタンと扉を閉める。私の前から去っていく。嵐のようなひとだった。

 残されたのは、私と、イラリアだけ。

 どこか近くの部屋でも誰かが寝ているのか、男と女の艶めいた声がした。

 気まずい時間が流れる。

「……イラリア」
「フィフィ……」
「ベッドに、おろして」
「はい」

 大きなベッドの上で、横になる。彼女も隣に横たわる。

 昨日までの私とは何かが変わってしまった気がする体で、彼女に触れた。抱きついた。

「フィフィ姉さま……。アルベルトに、アルティエロに、嫌なこと、されたの?」
「抱いて」
「へ?」
「イラリア、貴女と、寝たい……。貴女と……」
「フィフィ……」
「貴女が、こわして」

 イラリアは、そのまま、私の服をやさしく剥いだ。

 すべてを晒して、彼女の空色の輝きを濁らせて、私は笑う。悪女らしく。遠い昔の極悪令嬢らしく。

 誰にも愛されなかった極悪令嬢は、かつて、可愛い妹を襲えと男らに命じた。未遂に終わったけれど、そういう悪意を彼女に向けた。

 これは、私の背負うべき罪と罰。

 聖女殺しの罪は、きっと、まだ赦されていない。

 繰り返した私の人生が、女神さまからの罰ならば。

 今夜の出来事は、どこまでも正しい。

「ねえ、イラリア……。感謝祭の時、惚れ薬の時……」
「初めての?」

 私は、聖女殺しの悪女だから。
 貴女を殺したから。
 だから、

「あの時より、酷く、してほしいの」

 この世界の貴女を守るためなら、きっと、
 ――貴女への恋心なんて、殺してしまえるわ。

「……はい」

 彼女が脱ぎ終わるまでを待つのが、もどかしかった。
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