それでも、関わる

あめとおと

文字の大きさ
1 / 14
逃げる理由

第一話 噛み跡のない牙

しおりを挟む
 朝、目が覚めたとき、僕は自分が無傷であることに驚いた。

 理由は簡単だ。
 昨夜、確かに“噛まれた”はずだったから。

「……おはよう、僕の首」

 鏡に映る自分は、いつも通り冴えない顔をしている。寝癖、隈、やる気のない目。首筋には、歯形も血も、ついでにロマンもない。

 なのに、感覚だけが残っている。
 じっとりとした冷たさと、甘ったるい痛み。噛まれたというより、存在を確かめられた感じ。

「気のせい、ってことにしておこう」

 そう呟いて制服に袖を通す。
 怪異は基本的に、信じた方が負けだ。

 学校はいつも通りだった。
 騒がしい教室、眠そうな教師、無意味に回る一日。世界は平和で、異常はどこにもない。

 ――彼女を見るまでは。

「ねえ」

 昼休み、購買帰りの廊下で呼び止められた。
 振り返ると、知らない女子が立っている。

 いや、正確には“知っている”。
 同じクラスの、影の薄い女子。名前は……思い出せない。

「首、噛まれた?」

 初対面の挨拶としては、最低点だった。

「唐突すぎない? せめて天気の話とかしない?」
「天気は嘘つかないけど、あなたは嘘ついてるでしょ」

 彼女は平然と言った。
 目が、やけに澄んでいる。澄みすぎて、底が見えない。

「噛まれたくせに、無かったことにしてる」
「証拠は?」
「噛んだの、私だもん」

 来た。
 これだ。こういうのだ。

「安心して。吸血鬼とかじゃないから」
「じゃあ何?」
「ただの“歯”」

 意味がわからない。

「人の心に噛みつく怪異。噛まれた人はね、自分が大事にしてる痛みを忘れようとするの」
「随分と迷惑な歯だね」
「でもあなた、忘れたがってたでしょ」

 言葉が、喉に引っかかった。

 図星だった。
 忘れたかった。痛みも、後悔も、昨日の夜に起きた“何か”も。

「噛み跡が消えたら終わり、じゃないよ」
 彼女は一歩近づいて、囁く。
「噛まれた事実が残る限り、また来る。次は、もっと深く」

「……どうすればいい?」
「簡単」

 彼女は、にこりと笑った。

「忘れないこと。
 それが一番、怪異に嫌われる方法だから」

 その笑顔が、人間のものかどうか。
 確かめる勇気は、僕にはまだなかった。

 ただ一つだけ確かなのは――
 この日から僕の日常は、やたらと歯切れが悪くなったということだ。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

可愛らしい人

はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」 「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」 「それにあいつはひとりで生きていけるから」 女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。 けれど、 「エレナ嬢」 「なんでしょうか?」 「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」  その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。 「……いいえ」  当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。 「よければ僕と一緒に行きませんか?」

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...