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姉の人形
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姉と結婚できないことなど、五つの頃には知っていた。
僕がどれだけ姉を好きだろうと、そんなことは関係ないのだろう。
大きくなったら姉さんと結婚する、と言った時のあの両親の微笑ましいものを見る笑いといったら、いま思い出しても虫唾が走る。
到底叶わない幼子の戯言だと思っているからあんな風に笑ったのだろう。
僕は十年経った今でも、姉さんのことがこの世の誰より好きなのに、そのことを姉さん以外の誰も知らないし、本気に取らない。
「世の中の人間は、大抵馬鹿なのよ」
昔、姉はよくそう言っていた。姉が幼い頃に着ていた着物を僕に羽織らせながら姉はこの世の真理を語った。
「龍進は桃色の着物がよく似合うわ」
「そうかな」
「お人形みたいで可愛いこと」
嬉しそうな姉に水を差すのは嫌だったけど、どうしても言わずにはいられなかった。
「でも、僕は白がいい」
「あら、どうして。姉さんの言うことが聞けないの?」
「そうじゃないよ。ちゃんと姉さんの言うことは聞く。だけど、僕が好きなのは白なんだ。白は姉さんの色だ」
そうでしょ、小雪姉さん。と呼ぶと、くすりと笑いながら姉は僕を抱きしめてくれた。
「かわいい子」
姉の言葉が何より嬉しかった。姉のことが誰より好きだった。いつか僕以外の人間を姉が抱きしめるのかと思うと、それだけで苦しくなるくらいに、僕は姉に恋をしていた。
***
夜の闇に決して紛れることのない姉の新雪のように白い手が僕の袖を引いた。
「姉さんの部屋に来なさい」
僕の背が伸び始めてから、いくら姉弟といえどみだりに女の部屋に入ってはいけないと親に言われ、もうずっと足を踏み入れられていない姉の部屋。
姉なのだから、そこに呼ばれたって、そういう意味ではないと普通ならば解釈しなければならないのかもしれない。
でも姉が僕の気持ちを知らないはずもないので、一瞬躊躇った。
「お父さんもお母さんも、今夜は酔って寝てるから」
「……姉さんが呑ませたんだろ。お祝いだからって」
「だって、龍進と過ごせる最後の夜だもの」
当たり前のように言われ、白い指を絡められる。これ以上ここで囁き合っている必要があるのだろうかとぼんやり思う。
姉さんは明日、僕じゃない男と結婚する。今夜しかないということは僕にだってわかっていた。わかっているからこそ、躊躇う。
「いいの?」
思わず聞いてしまった僕に、姉さんが小さく笑って、きつく爪を立ててくる。姉さんの綺麗に整えられた爪が僕の肉に食い込む。このまま離れなければいいのに。
「姉さんの言うことが聞けないの?」
そんなわけない。姉さんの言うことはいつだって聞いてきた。今夜だって同じことだ。
「ちゃんと聞く」
そう言って自分からも指を絡めた。だから、と姉さんに手を引かれるままに言う。
「きらいにならないで」
姉さんは笑いながら「かわいい子」と言って、僕を部屋に連れ込んだ。
誰にも見られない、知られない場所で、僕は姉さんの言うことを全部聞いて、全部を捧げた。
***
姉の人形になれるのは今日で最後なのだろうか、と姉の脱いだ着物を肩に掛けられながら思う。
素肌を隠しもしない姉は笑って「よく似合う」と僕の頭を優しく撫でた。
「あんたと私、似ててよかった。もしあんたとの子が生まれても、私に似たのねって言えばそれで済むもの」
億劫そうに髪をかき上げながら、なんてことなさそうに姉は言う。
まあ確かに姉は明日結婚してあの男に抱かれるわけで、僕の子なのか相手の子なのかなんてわからないだろうけど。
ああ、あの男と姉が、ああ……考えたくない。どうしようもないことだ。それとも、僕がもう少し大人なら、姉の手を引いて逃げられたのだろうか。
そんな僕の考えを見透かしたのだろうか、現実に引き戻すように姉はさっと着物を僕から剥ぎ取った。
「あんたの背中は龍を掘るのにちょうどいい広さだね」
さっきまで姉の爪が痛めつけていた僕の背中を姉が楽しそうになぞる。
「私が結婚したら、ここに龍を掘りなさい。私からの最後の命令。龍は一人でどこまで好きに登っていける生き物だから。あんたもそうなりなさい」
「……そこに姉さんがいなくても?」
「そうね、雪は空から降るもので、もう空には戻れないもの」
これからは一人で生きなさい、と言われたようなものだった。
「どうせなら、もっと姉さんに痛めつけられたい」
姉の手を取りながら、爪先に口づける。この手を取って汽車に乗り込むこともできない僕がせめて出来ることだった。
「そうね、まだ誰も起きる時間じゃないから」
おいで、と姉が僕を布団の中に誘う。僕はもちろん逆らわずに、そして姉に少しの重さも感じさせないように布団に潜る。夜明けはまだ遠かった。
***
僕は姉の結婚式には出ないことにした。体調が悪くなったふりをして、家に居させてもらうよう頼んだ。
顔色が悪い弟がその場にいたら姉も気を遣うだろうと両親に言うと、僕の嘘も見抜けない二人は残念だと言いながらも僕を残して家を出た。
きっと姉だけは見抜いていただろうけど、何も言われることはなかった。
家にいるのが僕一人きりになると、すぐに家を抜け出してその足で彫り師の元に向かった。
姉からの最後の命令を聞くつもりはなかった。申し訳ないとは思うけど、でもあの命令だけは聞くことができなかった。
僕は生涯、姉のものだ。きっと姉は僕を手放そうとしてくれたのだろうけど、僕はそんなの望んでいなかった。
僕はずっと姉の人形でいい。離れていてもずっと。だから彫るものは龍ではいけない。
「雪の結晶を彫ってください」
そうすればきっと、僕はずっと姉の人形でいられるだろうから。
僕がどれだけ姉を好きだろうと、そんなことは関係ないのだろう。
大きくなったら姉さんと結婚する、と言った時のあの両親の微笑ましいものを見る笑いといったら、いま思い出しても虫唾が走る。
到底叶わない幼子の戯言だと思っているからあんな風に笑ったのだろう。
僕は十年経った今でも、姉さんのことがこの世の誰より好きなのに、そのことを姉さん以外の誰も知らないし、本気に取らない。
「世の中の人間は、大抵馬鹿なのよ」
昔、姉はよくそう言っていた。姉が幼い頃に着ていた着物を僕に羽織らせながら姉はこの世の真理を語った。
「龍進は桃色の着物がよく似合うわ」
「そうかな」
「お人形みたいで可愛いこと」
嬉しそうな姉に水を差すのは嫌だったけど、どうしても言わずにはいられなかった。
「でも、僕は白がいい」
「あら、どうして。姉さんの言うことが聞けないの?」
「そうじゃないよ。ちゃんと姉さんの言うことは聞く。だけど、僕が好きなのは白なんだ。白は姉さんの色だ」
そうでしょ、小雪姉さん。と呼ぶと、くすりと笑いながら姉は僕を抱きしめてくれた。
「かわいい子」
姉の言葉が何より嬉しかった。姉のことが誰より好きだった。いつか僕以外の人間を姉が抱きしめるのかと思うと、それだけで苦しくなるくらいに、僕は姉に恋をしていた。
***
夜の闇に決して紛れることのない姉の新雪のように白い手が僕の袖を引いた。
「姉さんの部屋に来なさい」
僕の背が伸び始めてから、いくら姉弟といえどみだりに女の部屋に入ってはいけないと親に言われ、もうずっと足を踏み入れられていない姉の部屋。
姉なのだから、そこに呼ばれたって、そういう意味ではないと普通ならば解釈しなければならないのかもしれない。
でも姉が僕の気持ちを知らないはずもないので、一瞬躊躇った。
「お父さんもお母さんも、今夜は酔って寝てるから」
「……姉さんが呑ませたんだろ。お祝いだからって」
「だって、龍進と過ごせる最後の夜だもの」
当たり前のように言われ、白い指を絡められる。これ以上ここで囁き合っている必要があるのだろうかとぼんやり思う。
姉さんは明日、僕じゃない男と結婚する。今夜しかないということは僕にだってわかっていた。わかっているからこそ、躊躇う。
「いいの?」
思わず聞いてしまった僕に、姉さんが小さく笑って、きつく爪を立ててくる。姉さんの綺麗に整えられた爪が僕の肉に食い込む。このまま離れなければいいのに。
「姉さんの言うことが聞けないの?」
そんなわけない。姉さんの言うことはいつだって聞いてきた。今夜だって同じことだ。
「ちゃんと聞く」
そう言って自分からも指を絡めた。だから、と姉さんに手を引かれるままに言う。
「きらいにならないで」
姉さんは笑いながら「かわいい子」と言って、僕を部屋に連れ込んだ。
誰にも見られない、知られない場所で、僕は姉さんの言うことを全部聞いて、全部を捧げた。
***
姉の人形になれるのは今日で最後なのだろうか、と姉の脱いだ着物を肩に掛けられながら思う。
素肌を隠しもしない姉は笑って「よく似合う」と僕の頭を優しく撫でた。
「あんたと私、似ててよかった。もしあんたとの子が生まれても、私に似たのねって言えばそれで済むもの」
億劫そうに髪をかき上げながら、なんてことなさそうに姉は言う。
まあ確かに姉は明日結婚してあの男に抱かれるわけで、僕の子なのか相手の子なのかなんてわからないだろうけど。
ああ、あの男と姉が、ああ……考えたくない。どうしようもないことだ。それとも、僕がもう少し大人なら、姉の手を引いて逃げられたのだろうか。
そんな僕の考えを見透かしたのだろうか、現実に引き戻すように姉はさっと着物を僕から剥ぎ取った。
「あんたの背中は龍を掘るのにちょうどいい広さだね」
さっきまで姉の爪が痛めつけていた僕の背中を姉が楽しそうになぞる。
「私が結婚したら、ここに龍を掘りなさい。私からの最後の命令。龍は一人でどこまで好きに登っていける生き物だから。あんたもそうなりなさい」
「……そこに姉さんがいなくても?」
「そうね、雪は空から降るもので、もう空には戻れないもの」
これからは一人で生きなさい、と言われたようなものだった。
「どうせなら、もっと姉さんに痛めつけられたい」
姉の手を取りながら、爪先に口づける。この手を取って汽車に乗り込むこともできない僕がせめて出来ることだった。
「そうね、まだ誰も起きる時間じゃないから」
おいで、と姉が僕を布団の中に誘う。僕はもちろん逆らわずに、そして姉に少しの重さも感じさせないように布団に潜る。夜明けはまだ遠かった。
***
僕は姉の結婚式には出ないことにした。体調が悪くなったふりをして、家に居させてもらうよう頼んだ。
顔色が悪い弟がその場にいたら姉も気を遣うだろうと両親に言うと、僕の嘘も見抜けない二人は残念だと言いながらも僕を残して家を出た。
きっと姉だけは見抜いていただろうけど、何も言われることはなかった。
家にいるのが僕一人きりになると、すぐに家を抜け出してその足で彫り師の元に向かった。
姉からの最後の命令を聞くつもりはなかった。申し訳ないとは思うけど、でもあの命令だけは聞くことができなかった。
僕は生涯、姉のものだ。きっと姉は僕を手放そうとしてくれたのだろうけど、僕はそんなの望んでいなかった。
僕はずっと姉の人形でいい。離れていてもずっと。だから彫るものは龍ではいけない。
「雪の結晶を彫ってください」
そうすればきっと、僕はずっと姉の人形でいられるだろうから。
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