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第3章
ぼくの小さな恋人3*
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「はーい」
集中して、耳を傾けないと聞き逃してしまいそうな、ほんの小さな足音がドールハウスの中から聞こえてくる。玄関のドアが開かれ、ミドリが顔を出す。
「おはよう、優馬!」
「おはよう、ミドリ」
魔法でも、夢でもない。確かに、ここにミドリがいる。
小さな恋人の笑顔に心が明るくなって軽くなる。
外は曇り空。気温はじめじめしていて憂鬱なはずなのに、ぼくは朝から笑みをこぼした。
会社に行っても、いじめられている事実は変わらない。
世界は至って今日も残酷だ。いつも通りに滞りなく日常が回っていく。
今日もひとりだけ業務連絡をしてもらえず、急ぎの案件に遅れが生じて現場の人に嫌味を言われた。昼休みには、わざと大きな声で聞こえるように話される悪口。午後の会議があることも教えてもらえてなかったから見事に遅刻して上司に怒られた。
でも今日のぼくは何をされても、へこたれない。
周りから「不気味だ」と影口を叩かれても、へっちゃらだ。
それくらい気分がいい。だって家に帰ればミドリが待っている。おまけに土日は久しぶりのデートだ。
恋人との仲がよくて口元に笑みが浮かばないほうが、おかしいだろう。
ほかの部署の人たちに「何かいいことがあったんだね」「今日の春日くんは、すごく明るいね」と声を掛けられ、社長からも「今日は一段といい顔をしてるな」と肩を叩かれた。
毎日のルーティンである仕事を終わらせて定時上がり。紺のリュックを背負って「お疲れ様です」と挨拶をする。
先輩たちは真冬でもないのに給湯室で団子みたいになって集まっていた。
「死神が、すっげえ機嫌よくて超ヤバイんだけど」
「それな。隕石が振って人類滅亡になる前触れなんじゃね。それともレンかのを頼んで、ちやほやしてもらったから浮かれてるとか?」
「水商売の姉ちゃんや風俗嬢かもよ。どっちにしろ、金をつぎ込んで成り立っている関係だって気づいてねえんだろ。ウケるよな」
「いや、AI彼女かもしんねえぞ。あいつスマホ見て、キモいくらいに、にやけてたし」
「どっちにしろ、自分のツラを鏡で見てからにしろよって。めちゃくちゃ滑稽だよな!」
ギャハハハと大声で笑う先輩たちの背中に向かって「コッケー、コッケー、烏骨鶏!」と声を掛ける。
缶コーヒーやマグカップを手にしていた彼らは、ぎょっとした顔をして、こちらを一斉に見た。
「お先失礼します」
にやける顔を隠さずに告げ、スキップをしながら階段を下りていく。
「いや、マジでキモいんだけど。なんだよ、あれ」
「頭イカれてんだろ。暑さのせいで、ぶっ壊れたんじゃねえの?」
「つーか、声掛けてくんなっつー話だわ。何様なんだよ、あいつ」
「死神の辛気くせぇ顔見るだけで、すっげぇムカつく」
「そうそ。さっさとこの会社、辞表届け出して消えろっつーの」
何を言われようと今のぼくは無敵だ。家に帰れば大好きな人に会えるのだから。
電車に揺られながらスマホの画面を見た。秋葉原までの電車の時間やドールの洋服を売っている店、ミドリが行きたがっていたスポットを確認する。土日のデートプランを立てているだけで、つい浮かれてしまう。まるで遠足や旅行に行く子どもみたいな気持ちだ。
「ただいま」とマンションのドアを開け、自室のドアを開け放つ。漫画を呼んでいたミドリが「おかえり!」と声を掛けてくれた。
たった、それだけのことで一日の疲れが吹き飛んで、心が満たされる。
ぼくはクリームシチューとパンを食べながら、ミドリはストレッチをして旅行雑誌を眺めながら明日のデートの予定を話す。
「ねえ、ミドリ。明日は、この場所に行ってみない」とスマホの画面をテーブルの上に置く。
「うん、いいね。行こう、行こう! でも――いいの? 優馬」
ミドリは眉を八の字にして腕組をした。
「何が?」
「お母さんと一緒にいる小さい子が人形やぬいぐるみを持ってても誰も何も言わない。ゴスとかロリの子がドールとお出かけすることもある。オタクの子だって、ぬいを連れ歩いて写真撮ったりするでしょ。でも、それって女の子や女性が圧倒的に多い。男の子や男性はやっぱり持ってるものはプラモとかフィギュアって感じじゃん。きっと、きみが人形を持っていることに驚く人がいるだろうし、ホテルに女の子や女性を連れ込む道具として人形を扱うやつもいる。恋人である優馬がそんなふうに誤解されるのは悲しいから、おれの妹たちも連れていけばって思ったんだ。どう、名案かな!?」
「ミドリ、今、なんて……」
「だから妹……あれ? おれに妹たちって、いた、かな……? 優馬が作った人形っておれと……後、誰だっけ?」
困惑している彼になんと声を掛けたらいいのか、わからない。
そもそも、本当のことをミドリに言って、ぼくはどうしたいんだろう? もしもミドリの存在が、ぼくの考える最悪な状況によって起きている何かしらの奇跡だとしたら、ぼくは彼に最低最悪なことをした人間になる。
だから、すごく怖い。真実に――現実に目を向けたくないんだ。
集中して、耳を傾けないと聞き逃してしまいそうな、ほんの小さな足音がドールハウスの中から聞こえてくる。玄関のドアが開かれ、ミドリが顔を出す。
「おはよう、優馬!」
「おはよう、ミドリ」
魔法でも、夢でもない。確かに、ここにミドリがいる。
小さな恋人の笑顔に心が明るくなって軽くなる。
外は曇り空。気温はじめじめしていて憂鬱なはずなのに、ぼくは朝から笑みをこぼした。
会社に行っても、いじめられている事実は変わらない。
世界は至って今日も残酷だ。いつも通りに滞りなく日常が回っていく。
今日もひとりだけ業務連絡をしてもらえず、急ぎの案件に遅れが生じて現場の人に嫌味を言われた。昼休みには、わざと大きな声で聞こえるように話される悪口。午後の会議があることも教えてもらえてなかったから見事に遅刻して上司に怒られた。
でも今日のぼくは何をされても、へこたれない。
周りから「不気味だ」と影口を叩かれても、へっちゃらだ。
それくらい気分がいい。だって家に帰ればミドリが待っている。おまけに土日は久しぶりのデートだ。
恋人との仲がよくて口元に笑みが浮かばないほうが、おかしいだろう。
ほかの部署の人たちに「何かいいことがあったんだね」「今日の春日くんは、すごく明るいね」と声を掛けられ、社長からも「今日は一段といい顔をしてるな」と肩を叩かれた。
毎日のルーティンである仕事を終わらせて定時上がり。紺のリュックを背負って「お疲れ様です」と挨拶をする。
先輩たちは真冬でもないのに給湯室で団子みたいになって集まっていた。
「死神が、すっげえ機嫌よくて超ヤバイんだけど」
「それな。隕石が振って人類滅亡になる前触れなんじゃね。それともレンかのを頼んで、ちやほやしてもらったから浮かれてるとか?」
「水商売の姉ちゃんや風俗嬢かもよ。どっちにしろ、金をつぎ込んで成り立っている関係だって気づいてねえんだろ。ウケるよな」
「いや、AI彼女かもしんねえぞ。あいつスマホ見て、キモいくらいに、にやけてたし」
「どっちにしろ、自分のツラを鏡で見てからにしろよって。めちゃくちゃ滑稽だよな!」
ギャハハハと大声で笑う先輩たちの背中に向かって「コッケー、コッケー、烏骨鶏!」と声を掛ける。
缶コーヒーやマグカップを手にしていた彼らは、ぎょっとした顔をして、こちらを一斉に見た。
「お先失礼します」
にやける顔を隠さずに告げ、スキップをしながら階段を下りていく。
「いや、マジでキモいんだけど。なんだよ、あれ」
「頭イカれてんだろ。暑さのせいで、ぶっ壊れたんじゃねえの?」
「つーか、声掛けてくんなっつー話だわ。何様なんだよ、あいつ」
「死神の辛気くせぇ顔見るだけで、すっげぇムカつく」
「そうそ。さっさとこの会社、辞表届け出して消えろっつーの」
何を言われようと今のぼくは無敵だ。家に帰れば大好きな人に会えるのだから。
電車に揺られながらスマホの画面を見た。秋葉原までの電車の時間やドールの洋服を売っている店、ミドリが行きたがっていたスポットを確認する。土日のデートプランを立てているだけで、つい浮かれてしまう。まるで遠足や旅行に行く子どもみたいな気持ちだ。
「ただいま」とマンションのドアを開け、自室のドアを開け放つ。漫画を呼んでいたミドリが「おかえり!」と声を掛けてくれた。
たった、それだけのことで一日の疲れが吹き飛んで、心が満たされる。
ぼくはクリームシチューとパンを食べながら、ミドリはストレッチをして旅行雑誌を眺めながら明日のデートの予定を話す。
「ねえ、ミドリ。明日は、この場所に行ってみない」とスマホの画面をテーブルの上に置く。
「うん、いいね。行こう、行こう! でも――いいの? 優馬」
ミドリは眉を八の字にして腕組をした。
「何が?」
「お母さんと一緒にいる小さい子が人形やぬいぐるみを持ってても誰も何も言わない。ゴスとかロリの子がドールとお出かけすることもある。オタクの子だって、ぬいを連れ歩いて写真撮ったりするでしょ。でも、それって女の子や女性が圧倒的に多い。男の子や男性はやっぱり持ってるものはプラモとかフィギュアって感じじゃん。きっと、きみが人形を持っていることに驚く人がいるだろうし、ホテルに女の子や女性を連れ込む道具として人形を扱うやつもいる。恋人である優馬がそんなふうに誤解されるのは悲しいから、おれの妹たちも連れていけばって思ったんだ。どう、名案かな!?」
「ミドリ、今、なんて……」
「だから妹……あれ? おれに妹たちって、いた、かな……? 優馬が作った人形っておれと……後、誰だっけ?」
困惑している彼になんと声を掛けたらいいのか、わからない。
そもそも、本当のことをミドリに言って、ぼくはどうしたいんだろう? もしもミドリの存在が、ぼくの考える最悪な状況によって起きている何かしらの奇跡だとしたら、ぼくは彼に最低最悪なことをした人間になる。
だから、すごく怖い。真実に――現実に目を向けたくないんだ。
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