元神の少女に恋を教えたら、その愛が世界を救う力に。変人だらけの仲間と紡ぐ、終焉に抗う僕らの日常と奇跡の物語

papa

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第一部:心の学び舎 - 人間と仲間

第二話:日常の味

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夜が明け、高橋雄斗のアパートの安物のカーテンの隙間から、
容赦のない朝日が差し込んでくる。

空気中を舞う埃が、その光の筋の中でキラキラと、
まるで無数の小さな妖精のように踊っていた。

雄斗は、昨夜ソファーで雑魚寝したせいでバキバキに凝り固まった首をさすりながら、のろのろと起き上がった。

そして、部屋の真ん中に視線をやり、昨日の出来事が夢ではなかったことを確認して、
再び深いため息をついた。

***

ソラは、部屋の隅に置かれた安物の椅子のうえに、
昨夜雄斗が指示した通りにちょこんと座っていた。

まるで最初からそこに置かれていた精巧な人形のように、身じろぎ一つしない。

その視線は、部屋の中をゆっくりと、
しかし何かを分析するわけでもなく、
ただそこにある情報をそのまま受け入れているかのように、静かに移動していた。

壁のシミ、
床に散らばる雄斗が脱ぎ捨てた服の地層、
コンビニ弁当の亡霊が住み着いていそうな小さなキッチン。

それら全てが、彼女にとっては等価な情報に過ぎないようだった。

「……おはよう」

雄斗が眠気の残る声で言うと、ソラは機械仕掛けの人形のように首を動かし、雄斗を正面から捉えた。

「おはよう」

昨日聞いたのと同じ、抑揚のない声。

しかし、昨日と違うのは、それが雄斗の言葉をオウム返ししたのではなく、
明確な「挨拶」として返ってきたことだった。

どうやら、最低限の学習能力はあるらしい。

少しだけ安堵したが、次の瞬間、その安堵は新たな頭痛の種に変わった。

***

ソラはすっくと立ち上がると、
部屋の隅でチカチカと点滅を繰り返すテレビの電源ランプに興味を示した。

おぼつかない手つきで電源ボタンを押すと、画面が光を発し、朝のニュース番組が映し出される。

深刻そうな顔をした男性キャスターが、難しい経済の話をしていた。

ソラは、その画面の中の男をじっと見つめ、そして、丁寧にお辞儀をした。

「こんにちは」

もちろん、画面の中のキャスターが応えるはずもない。
彼は、事前に用意された原稿を、よどみなく読み上げ続けているだけだ。

ソラは、返事がないことを不思議に思ったのか、首をこてりと傾げた。

そして、もう一度、今度は少し大きな声で言った。

「こんにちは」

雄斗は、こめかみを押さえた。

ダメだ、この子、根本的なところが全部ダメだ。

これは、記憶がないとかそういうレベルの話ではない。

世界の成り立ち、社会のルール、常識というOSが、まるごとインストールされていないのだ。

「ソラ、そいつは返事しないぞ。それは、ただの映像だから」

「えいぞう?」

「ああ、光と音の記録だ。そこに、その人はいない」

「いないのに、そこにいる。なぜ?」

哲学問答か。

朝っぱらから、寝起きの頭にはヘビーすぎる。

雄斗は「そういうもんなんだよ」という、
世の中の父親が最終手段として使う思考停止の呪文を唱え、
話題を無理やり変えることにした。

「腹、減ってないか? 何か作る」

ソラの腹は、ぐぅ、と可愛らしい音を立てた。

彼女は自分の腹に手を当て、不思議そうな顔をしている。

自分の身体から発せられる音の意味すら、彼女は理解していないのかもしれない。

だが、その音は、雄斗に「こいつを食わせなければ」という、
飼い主のような原始的な責任感を芽生させた。

***

とはいえ、一人暮らしの、しかも人生に疲れ果てた男の冷蔵庫に、
まともな食材などあるはずもなかった。

扉を開けると、広大な白い空間に、
卵が三つ、
しなびかけた長ネギが半分、
そしていつ買ったか思い出せない豆腐が一丁、
寂しそうに佇んでいるだけだった。

「……まあ、なんとかなるか」

雄斗は、米びつから二合の米を計量カップで測り、手早く研いで炊飯器のスイッチを入れた。

実家を出てからというもの、自炊などほとんどしてこなかったが、
身体に染み付いた手順というものは、そう簡単には抜けないらしい。

炊き上がりのブザーが鳴るまでの間に、他の準備を済ませてしまおう。

ネギを小口切りにし、豆腐と乾燥わかめを椀に入れる。
鍋に水と出汁の素を入れ、火にかける。
沸騰したら味噌を溶き入れ、豆腐の椀に注げば、即席の味噌汁の完成だ。

そして、メインディッシュ。

ボウルに卵を三つ割り入れ、砂糖、醤油、ほんの少しの出汁を加えて、
箸で白身を切るように混ぜていく。

その間、ソラは雄斗の背後から、彼の全ての動きを、瞬きもせずにじっと見ていた。

やがて、ごま油を薄く引いた四角いフライパンが、コンロの上で熱せられる。

そこに、溶き卵の三分の一が流し込まれた。

ジュウウウゥゥゥッ!

小気味の良い音と共に、甘く香ばしい匂いが、部屋いっぱいに広がった。

その匂いに、ソラの鼻が、ぴくりと微かに動いた。

昨日、森の土の匂いや、雨の匂いを嗅いだ時とは違う。

もっと直接的に、身体の内側をくすぐるような、抗いがたい匂い。

彼女のシステムが、初めて「生命の維持に直結する快い情報」を、嗅覚から受信した瞬間だった。

雄斗は、手慣れた動きで、半熟になった卵を奥から手前へと折りたたんでいく。
空いたスペースに油を塗り、再び卵液を流し込む。
焼けた卵の下にも卵液を滑り込ませ、また折りたたむ。

その繰り返し。

金色の、美しい層が、少しずつ厚みを増していく。

最後に、フライパンの縁に押し付けて形を整え、火から下ろせば、
出汁の香りが立つ、少し甘めの卵焼きの完成だ。

***

炊飯器の蓋を開けると、湯気と共に、炊き立てのご飯の甘い香りが立ち上る。

茶碗によそった真っ白なご飯、
湯気の立つ味噌汁、
そして、切り分けられて皿に盛られた黄金色の卵焼き。

それは、日本のどこにでもある、ごくありふれた朝食の風景だった。

しかし、ソラにとっては、生まれて初めて見る、未知の儀式の光景だった。

「さ、食うぞ」

食卓に二人で向かい合う。

雄斗が「いただきます」と小さく手を合わせるのを見て、ソラもぎこちなく、その動きを模倣した。

問題は、箸だった。

ソラは、二本の木の棒を、まるで未知の昆虫でも観察するかのように、あらゆる角度から眺めている。

雄斗は、手本を見せるように、ゆっくりと箸を手に取り、卵焼きを一つまみあげてみせた。

ソラは、その指の動きを、恐るべき集中力でインプットしていく。

数回の試行錯誤の後、彼女はなんとか、震える指で卵焼きの一切れを挟み上げることに成功した。

そして、おそるおそる、その黄金色の塊を、自分の口へと運んだ。

***

次の瞬間、
ソラの時間が、完全に止まった。

口の中に広がったのは、情報の洪水だった。

まず、温かい。
昨日、雄斗のジャケットで感じた「不快ではない」ぬくもりとは次元の違う、
もっと積極的で、内側から身体を温めるような、力強い温かさ。

次に、甘い。
そして、しょっぱい。
さらに、その奥から、出汁の複雑な香りが鼻へと抜けていく。
舌の上でほろりと崩れる、卵の柔らかい食感。

昨日、彼女の世界に生まれた物差しは、「不快」と「不快ではない」の二つだけだった。

しかし今、その物差しでは到底測りきれない、
圧倒的なまでの「快」の奔流が、彼女のからっぽだったシステムを、
処理能力の限界を超えて満たしていく。

ソラの、これまで何の光も宿さなかった瞳が、生まれて初めて、カッと大きく見開かれた。

それは驚きとも、感動ともつかない、純粋な情報過多による衝撃だった。

「……これ、は……?」

かろうじて、声が出た。
それは昨日までの合成音声のような平坦な声ではなく、わずかに上ずり、震えていた。

「なに? この……この、『心地よい』の、塊は……なんですか?」

彼女の問いは、あまりにも純粋で、本質的だった。

なぜ、生きるために栄養を摂取するという、ただそれだけの行為が、
これほどまでに強烈な幸福感を生み出すのか?

雄斗は、その問いにどう答えていいか分からなかった。

そんなこと、考えたこともなかったからだ。

「……うまいもんは、うまいんだよ。理屈じゃなくて」

そう答えるのが、精一杯だった。

ソラは、雄斗の答えを理解したのかしないのか、
ただ、もう一度、今度はさっきよりも少しだけ確かな手つきで、卵焼きを口に運んだ。

そして、ゆっくりと、その情報の洪水を味わうように、咀嚼する。

彼女の頬が、ほんのわずかに、緩んだように見えた。

***

彼女の世界の地図に、
「不快」と「不快ではない」という二つの点の間に、
圧倒的な光を放つ新しい大陸が生まれた。

その大陸の名前を、彼女はまだ知らない。

だが、雄斗は知っている。

それは「美味しい」という、
日常の中に隠された、ささやかで、しかし何にも代えがたい、幸福の形だということを。
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