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 リハビリは言われた事を、こなすそんな感じで続いてたけど、私の前の時間の足のリハビリをしている男性の患者さんも頑張れなくなったらしくて、私の時間にずれ込んできた。

「時間ずれ込んでてごめんね」なんて担当の人に言われながら、一人で二人を見るのは大変だったと思う。

リハビリを嫌がってた方は、片脚を切断したらしく、歩行のために義足をつけての練習。大変だなと他人事ながらに思った。

 でも、帰りたいなら、家族におんぶに抱っこな生活。それが嫌なら…、負担を減らしたいなら、やるしかないじゃないかと、ある意味酷いことを考えてた気がする。

 そんなある時、消化器内科で検査があると言われた。どうせしばらくバルーン外せないし、オムツも変わらない。何を見ると言うのか、そんな軽い気持ちで看護師さんに車椅子を押され向かう。


 検査結果だけを聞きに行ったらしく、言われたのは、一生自分での排泄は、無理かもしれないという話だった。
 ただ、可能性はまだあるから、薬を1週間飲んで様子を見よう。そんなことを言われた気がする。

 え…、オムツはずれない?バルーンも?
一生このままの可能性があるんだとその時自覚した。その診断には、かなりショックを受けた気がする。

 その日から、薬が増えた。
ショックだったし絶望感はあったけど、でもまだ決まったわけじゃないし、あまり考えないようにした。


 歩ける様になりたい。好き勝手に本読みたい。ゲームだって買って放置してるのあるし、少しでもやりたい事をやれる為に、自力ではどうしようもない事以外では、ナースコールで呼ばない。それだけは自分の中で守るべきルールとしてやっていた。


 病院内で、人に聞かないと時間がわからないままは、なんだか不安だったので、時計も持って来て貰って、少しずつ時間に合わせて動こうとしてみた。リハビリ前に荷物をまとめたりといった本当に小さな事。

 小さなポーチを持ち歩いていたけど、自分でファスナーをしめる練習とか、歯磨き粉を自分でつける練習とか。
 お水を飲む許可が降りてからは、ペットボトルの蓋を自分で開けられる様にもがいたりしていた。

 車椅子はこいでもこいでも、自力では全くと言っていいほど、進まなかったけど、どうやったら足に力がつくのか。何が必要だろうかと、アドバイスを受け、リハビリのない日曜には車椅子をこぐ練習を、無駄かもしれないそう思いながらも出来るだけしていた気がする。

 また、一週間後の消化器内科検査があって、このまま薬を飲んでいれば、バルーンやオムツ外す練習が出来そうだと言われた。とにかく頑張るしかない。


 超回復と呼ばれる期間があり、それが大体半年。その期間にできること増やそう、そんな風に過ごしていたら、「〇〇さん、月曜に転院決まった」そう言われた。


 頑張ってれば家に帰れる。そう思ってたけど、そうじゃなかった。お家から通うのは無理だ。今ならわかる。お家に帰った所でベッドの上で起きれるだけ。トイレすら自力では行けない。でも、騙されたような裏切られたようなそんな気持ちになってしまった。

 だから、「ごめんね…」と謝るばかりの相方に、どうしようもないやるせなさとか、どうして家からじゃ駄目なのと泣きながら責めたてた気がする。

今だからわかる。
何もできないのに、家に一人でおいていけるわけがない。なのに、責めてしまった事。本当にごめんね。私の為だったのに、理解できなくてごめんねと、今だからこそすごく思う。
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