今になって思う事。

皇ひびき

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入院中を思い返して。

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 急激に動けなくなって喋れなくなって、死を予感した記憶がある。旦那が帰ってきてくれなければ、そうなっていたんだろうなと今でも思う。

 意識だけ薄っすらとあり、救急車で運ばれる際に大丈夫だよと言うように旦那が手や足をさすってくれてた記憶がある。でもその時はあーとかうーとかしか反応出来なかった。

 病院に運ばれてからの記憶は曖昧で、でももうすぐ某牧場ゲームの発売日なのに入院なんて、そんな事をボンヤリと考えてた気がする。

 意識はあるのに喋れない、体が動かないのは正直きつかった。でも嫌いな機械をつけられ、麻痺した足のマッサージをされた。

 猫の様に首元を掴まれ寝返りをさせられる。少しずつ生きたいという希望はなくなっていった。なぜこんな事までして生きなきゃいけないんだろうか。しばらくはそんな思いでいっぱいだった。

 あとから聞いた話だと、その頃の私を衣類を届けに着てくれて、見かけた旦那とお義母さんはあんな私は見たくなかったと言っていた。

 多分私の中で気持ちの整理がついていなかった、それが大きかったと思う。

 でも旦那の誕生日に、おめでとうすら伝えられない自分に失望した。

 それからだろうか、言う事をちゃんと聞くから、スマホをくださいと看護師さん達にいったのは。

そしてしばらく経って、手元にきたスマホで旦那の連絡取れない時期の気持ちを初めて知った。

 後悔でいっぱいのメッセージに返事すら出来なかった自分。

 拙い言葉やり取りで、ごめんより日々あった楽しい出来事をきかせて欲しいとお願いした。ある意味酷な事をしたのかもしれないけど、今お互いに笑って話せる関係性を考えると後悔はあまりしていない。

 リハビリは週に2日、契約内容が知らされてなかったので、不信感を覚えてしまい火曜と木曜のリハビリは週1日にしてもらった。

 色々あって急に引越しが決まり、今の家に引っ越した。洗面所が近い事もあり文鳥ズのバードバスの水換えをさせてもらう様になった。ダメ元でご飯も洗濯ばさみを駆使し、かえさせてもらいなんとか日常の世話は出来るようになった。

 たまに水を換えていると脱走する様になったツキツキ(桜文鳥二羽の事。さつき&いつき)を放鳥し、ロゼ(アルビノ文鳥)も少しだす様になった。

 ゲームも相変わらずちょいちょいとやっている。決定ボタンのある右が言うことをきかないのでたまにしんどいけど少しはなれてきたきがする。


 ぶっちゃけると、リハビリなんて個人の気の持ちようなんだと思う。リハビリが無意味だとかしんどいしやる気が出ない。気持ちはわかる。でも後になって動かそうとするより今つらい方を私は選ぶ。おかげで前より出来なかったゲームも、少しずつ減ってきてるし。

 けどあとになって、やっとけば良かったと後悔しても、今よりずっと苦労する予感がする。だから私はやってみたい事で出来そうなことはやらせてもらう。

 知り合いにおんぶに抱っこな印象の方がいる。本人的には頑張ってるのかもしれないなと思いながら、相手は私に、そんなに無理しなくていいんじゃないと言ってくる。
、楽な方に流されたくなったらどうしてくれるんだと思いつつ、「頑張んなくても良いんじゃない? あとあと後悔しないなら」とつい言ってしまう。

 リハビリ頑張る頑張らないも自己責任じゃないか。後悔しない覚悟があるならやらなければ良いと思ってしまう私は酷いんだろうか。でも出来るようになりたいという。なんだろね。相容れないのはわかるので深い話はしたくないなと思ってしまった。

 あと何十年かはいきるかもしんない。その間「やっとけば良かった」と思う生き方はしたくない。

やるだけやって駄目だった方が諦めつくし、自分の中で後悔が少ない気がするからリハビリで歩くし、できる事を増やしたい。

 先日怪我をしてもしかして死ぬ? なんて少し覚悟したので今の思いを書いてみた。
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